俺はついていないのかなあ????

先週土曜日から始まった風邪がまだ治らない。快方には向かっているのだが、まだ抜けない。喉が痛む。いま計ったら熱は36.2℃。体温は平熱の範囲だね。
アキレス腱の痛みも思わしくない。アイシングの用具にシップ薬を買い、帰宅後はアイシングをして寝る前にシップ。少しずつよくはなっているのだが、こちらも抜けない。さらに、なぜかふくらはぎにも痛みがきた。なんなんだろうなあ。土曜日以降、寝込んでいるわけではないが、トレーニングはまったくのお休み状態。
ということで、4日日曜の昭和記念公園の大会が心配になっている。4日だけならいいのだが、翌週の11日は館山だもんなあ。計画では4日はハーフなので、まあ、11日に向けた準備のように思っていたが、やはりメインは11日とすれば、4日は休んだほうがいいのかなあ。今日は同年代の仕事仲間からは「ハワイの疲れがでてるんですよ、休みなさい」、ちょうど同じ日に同じ症状の風邪をひき、お互いいまだに咳がとまらない風邪仲間のWebサイトマネージャーの女性からは「絶対やめて11日に備えたほうがいいですよ」ときついアドバイスを受けた。ありがとうございます。そんな気になってきました。最終的には前日の3日土曜日に決めようとおもっているが、ああ、気が滅入る。
こんな時に最近は思ってしまう。「俺ってついていないのかなあ?」。私の知人に「つきだけでやってきた」と常に豪語する人がいる。自分のつきを信じている人であれば、こんなときも「ここで体調が悪いのも、大会に参加できないのも、おれがついているからだ。健康な状態で出ていたらきっと事故を起こすか何かしてたんだ。それを避けた俺はなんてついているんだろう」なあんて思うのかしら。
そこで改めて、これまでの人生をザッと振り返ってみると、不運とは思わないが、なんとも中途半端な幸運に思えてくる。良き妻を得たが癌で先立たれた。勤め人ではないが幸いに3人の子供を育てることはできたものの、何かを当てて一儲けといったことは無縁で、いまだにきわどい経済状態が続いている。この年齢になっても新たな仕事と新たな仲間に出会い、なんとか無事に仕事をこなしているが、成功といった実感まではない。
トライアスロンにしても、いいコーチ、いい仲間に出会い、老後に向けた確かなライフスタイルへの手ごたえをえたが、ホノルルデビューでは過呼吸、国内デビューはこんな状態。なんか、スッキリしない。中途半端なんだよなあ。冷たく突き放せば、ただの準備不足という声も聞こえてくるが、「俺ってついていないのかなあ?」という思いはとめられない。
この歳になるまで、自分のつきや運不運というものを考えてはこなかった。気分としては、そんなことに気を回す暇もなく走ってきたように思える。それが気になるようになってきたということは、自分の力が弱ってきたのか、あるいは「大会」という「勝負」の世界に出会って気づかされたことなのか。
と、ここまで考えてきて、思い立った。これからは自らの「運・つき」を楽しんでみよう。果たしてついているのか、なまつきか、ついていないのか。それが自分の人生を愛する妙薬となれば、「不運」の味わいも悪くはないだろう。
モーパッサンは「女の一生」の主人公に「人生はよくも悪くもない」と語らせている。
土曜の午後、出られると決めたら「ついている」と素直に喜ぼう。出られないと決めたら「ああ、ついていない」と思うとともに、私の出場権を誰かに譲るべく、連絡をとってみよう。そこで新しい人間関係が生まれるのかもしれない。人生万事塞翁が馬。禍福あざなえる縄のごとし。「俺ってついていないのかなあ?」も人生の楽しみとしよう。
ゆったりと 日差しのなかに 歩いてく
つきもなし 我をのぞくや 夏の夜
今日はまだるっこしい自省録となってしまった。
アラ還のつぶやきだな。

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