できないことを受け入れる。それが続けるコツかしら。

トライアスロンの初シーズンを終え、シーズンオフのトレーニングに向かっている。足の痛みが治まらないので、トレーニングはもっぱらスイム。苦手なスイムに集中して取り組むいい機会と、足の痛みもむしろ前向きにとらえている。はやくもやる気マンマンである。
すでに来年5月のホノルルトライアスロンのエントリーもすませた。人生全般あまり先のことは考えないようにしているが、しばらくはトライアスロンを続けてみようと思っている。ショートの大会に出られているうちは、続けていこうと素直に考えている。
ということは、トライアスロンを気にいっているということだ。トライアスロンの何がいいのか。第一に思うことは、日々の暮らしかただ。大会に備え、トレーニングに励むという、多少ストイックな感覚が気に入っている。これは修行の楽しみかね。いままでの人生になかった感覚だ。
「かなり無理していませんか?」とよく言われるが、この歳になれば、多少無理するぐらいがいいと思っている。無理をしなければ、ただただ縮小していくに任せていくばかりではないか。無理は刺激だ。
60歳を前にして、長く続けていけるスポーツをしたいと思っていた。それはわかるが、何もトライアスロンでなくともいいではないか、との声も多い。スイム、バイク、ランとも競技経験はゼロ。「その歳で何にもなくてはじめたんですか?」と驚かれたこともある。
基本的には「この年齢でもできる」というアドバイスがあってのことだが、どうせ何かをやるならあまり人がやっていないこと、人が多少なりとも驚くこと、話題が提供できることがいいという気分があって飛びついたのだと思う。多分トライアスロンでなければこのブログも書いていなかったように思う。
それは例えば、あまりやっている人のいない外国語を学ぶのと同じような感覚で、珍しいものの先物買いが好きなんだね。
この点では、多くの人に驚いていただき、満足している。自分の身体を使い、等身大の自分自身で人を驚かすことは気分のいいことだ。正直、ちょいと自慢の気分となる。
このちょいと自慢の気分とストイックな感覚が自分のなかではうまく同居し、暮らしのはりとなっている。
ただし、すごいだろう、と自慢するようなものではない。なんといったってレースではいずれも最下位のレベルで、かろうじて隅においてもらっているような気分でいるくらいなのだから。
さて、ご同輩。私でもできているのだから、トライアスロンはお勧めである。やってみようか、と思われる方はすでにその資格をもっていると思う。あまり考えずに始めてみるのがいいと思う。ぜひATAに入学してください。
そのかたがたへの私からのアドバイスをひとつ。それは「できないことを受け入れる」こと。「完走した人はすべて勝者」とはいえ、レースで一人大きく遅れるのは気分のいいものではない。アレ~っと悲鳴もでてくる。これでもハンドボールでインターハイに出場したことがある。昔は人の背中を見て走るなんて風景は見たことがなかったのに、まったくついていけない自分がいる。ショックですよ。恥かしくもありますよ。
つまり、自分がこんなにもできなくなっているのかと確かめ、そうした自分を受け入れ、てらいなく最下位でゴールする。すると私を待って祝ってくれる仲間がいて、素直に喜びを分かち合う。それが歳相応のトライアスロンの楽しみかと思っている。
「できないこと」に悲観していては、この歳ではやっていけない。むしろ「ああ、これもできなくなったのか」とできないことを確かめる。その心境だね。
そのうえで、私の場合、まだ伸びしろは、それなりにあると思っている。来年2月に還暦になる。来年が楽しみであるという次第だ。
冬に向け 老いへの命 いとおしむ
落ち葉舞う 小春日和に 深呼吸
思い切り息を吸って、息を吐く。
トライアスロンは例えばそんな日々であるようだ。
お勧めします。

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