足の痛みから 自分自身の身体を知る

この22日に札幌出張。北の大地はすでに雪化粧で、みぞれまじりの雪に見舞われ、北国ムードを満喫したけれど、それ以来、どうも風邪気味で喉が痛い。のどの痛みは金曜の夜から高まり、気をつけて10時には床に入って土曜トレーニングに備えたものの、おきてみたら痛みはさらにますばかり。トレーニングはやむなく休みにして内科クリニックへ。
そこでの診断は、風邪ではなく、激しいアレルギー。実は2週間前に、突然の激しい鼻炎でクリニックに行っていたのだが、診断によると、鼻の具合が悪いためにやむなく喉呼吸となり、その影響から激しいアレルギー反応で扁桃腺に炎症を起こしたとのこと。抗生物質をもらって昨日からのみはじめ、今朝は回復に向かっている印象があってホッと一息。あ~よかった。
29日の水曜日はATAのスイム練習会がある。年末にちなんで108本を泳ごうというもので、1コースは確か100メートルを1分40秒サイクルで108本。私は5コースで20メートルを1分サイクルで108本。そのあと、忘年会となる。
じつはけっこうやるきマンマンで楽しみにしており、何とか29日までに治したいとあせっている。
ちなみに私がアレルギーを発症したのは50歳になってから。身体が痒くなるアレルギーはあったが、花粉アレルギーなんてまったく縁がなかった。人生いくつで何に出会うかわからない。
扁桃腺炎を拾って帰ったような札幌だったが、それ以外に思わぬ拾いものもあった。ロタ以降、足の痛みに悩まされていたが、札幌ではだいぶラクに歩けるようになった。その理由のひとつが「靴」。実は雪用の革靴を履いていったのだが、これがよかったようだ。なにがよかったというと、あまりはいていないので、靴底が減っていない。これがよかった。
話は21日火曜日にさかのぼる。
回復が思わしくないので、順天堂のスポーツ整形に行ってみた。そこで治療としては特注のインナーソールがいいとの診断をうけ、その日のうちに発注することになって、ソール作成の業者の方が来て足形をとることに。
そこでの会話。
「両方靴を脱いでください。こうしてみると(痛む)左足の底の内側の減りが激しいですよね。左足の内側に負担がかかっていることになります」
「なーるほどー」と目からウロコ。
「では買い替えたほうがいいかしら」
「いや、底だけ張り替えればいいですよ。まだ上は大丈夫ですから」
「このソールは日常生活でも、走るときも使うのですか」
「はい、どちらも使っていいです」
来週には出来上がるので、そのときはいつも履く靴をもってきてほしいとのこと。
「日常の靴ですか? 走る靴ですか?」
「2足とももってきてください」
改めて、なーるほどー。
そこで翌日の札幌では、底の減っていない靴が有効だということを身をもって確かめたということ。それ以来、歩き方を改めて意識するようになった。
ちなみにソールの価格は31,621円。このうち70%が保険で還付されるので、実質1万円程度になる。この火曜日にできあがるので、その使用報告はまたの機会に。
トライアスロンをはじめ、それが原因で身体を痛めることもあって、「あまり無理をするなよ」との声もあるが、このように身体を痛めることも悪いことではないように思っている。痛めてその原因を探り、対応法を模索しているうちに、自分の身体への意識が高まっていく。例えば首・左腕の痛みは「正しい姿勢」への、左足の痛みは「正しい歩行」への、鼻炎は「予測できない具合に出会う」ことへの意識喚起になっている。これって簡単に言えば、「日々より気持ちよく暮らす」ということなのだ。
冬の陽に ぬくもりながら 足をもむ
足痛め 枯葉を踏むや 冬の道
年末となり、多くのテレビ番組では一年を振り返っている。TBSのサンデーモーニングでは、これまでアメリカを追いかけて物質的な豊かさだけを追求してきた日本人が心の豊かさに気がついてきた、なんて言っていた。
そんなもんかねえ。
アメリカだけを、物質的な豊かさだけを追いかけてきた人なんているのかしら。私はそんなふうに生きてきていないし、少なくとも私のまわりには見当たらないよ。わかったような正義面の発言はいやな感じだなあ。

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