私の地震体験 日本人の姿に感銘

地震が起きたときは、日本橋高島屋横のビルでセミナーに参加していた。人数は100名ほどか。かなりざわついたが、悲鳴があがるわけではなく、席を立つ人もなく、落ち着いた印象であった。セミナー会場のため、荷物はない。その空間でただ椅子に座っているだけ。皆、なすすべもなく、身を固めて恐怖に耐えていたのだと思う。
セミナーは地震にもかかわらず続けられたが、3度目になり、セミナー主催者から、「ビルのほうから中止をしてほしいとの要請があった」とのことで、ようやく中止に。3階だったので階段で1階に降り、外に出ると、多くの人が路上に集まり、緊張した面持ちでたむろしている。高島屋の中に入ってみると、お年寄りが床に座り込んでいる。地下鉄はストップして、駅員が地下に向かう階段の入り口で説明をしている。
どうするか、と思ったが、ともかく東京駅へと向かう。あちこちで人がたむろしている。そんななか、牛丼屋でどんぶりをかきこんでいる人の姿が、なんとも違和感があった。
東京駅に着くと、全面運休で、改札前モニターでのテレビの前に人だかりができている。津波の様子が映しだされ、ようやくこの地震の姿をつかめることができた。これは大ごとだ。
こんなときに便意をもよおし、大丸のデパートに行こうと思ったら、すでにシャッターを閉めていた。対応が早いなあ。仕方なく、地下街のトイレへ。さすがに、ズボンをおろしたときには、この状態で大地震ではかなわないなあと情けなく思った。
意を決して、秋葉原の会社に徒歩で向かう。多くの人が歩いている。ラッシュでクルマはほとんど動いていない。でも街は平然として落ち着いており、それが強く印象に残っている。通行止めの路地で、何事かと思うと、ビルの窓ガラスが大きく割れている。
会社につくと、スタッフはもう帰宅しており、電車が回復するまで一仕事と思ってパソコンに向かったものの、断続的な余震で落ち着かない。会社の入っているビルは1階がピロティ駐車場になっており、地震に弱い構造であることを思い出し、あわてて外に出る。
馴染みの呑み屋にはいり、テレビを見ながら電車の復旧を待つことにした。同じような考えか、どんどんとグループ客が入ってくる。テレビを見ながらビールに湯豆腐をつつき、メールをやり取りしていたが、どうも、電車の回復には時間がかかることがハッキリしてきた。多分、家に着くまでに3時間はかからないだろうと見込みをつけ、8時20分に徒歩での帰宅を決意。痛む左足が心配であったが、リハビリトレーニングと思いを定めて歩き出した。
靖国通りで錦糸町に向かい、新大橋通りに出るルートだったが、特に錦糸町までは渋滞ともいえるほどの人の数。しかも路上のクルマはまったくといっていいほど動かない。黙々として歩いたが、ちょっとした高揚感もあったなあ。
途中、学校が帰宅支援でトイレ開放をしており、使わせてもらう。人々は整然と帰路に向かい、そうした支援がちゃんと行われていることに感銘を受けた。それと役に立ったのがスマートフォンのMAP機能。何回も確認することで、ゴールへのしっかりとした目標意識をもって歩くことができた。
荒川を過ぎると、だいぶ先が見えてくるが、左足も痛んでくる。岩田コーチより、明日の練習中止のメールが入る。
ほぼ11時、南行徳の駅前で自転車をピックアップしてようやく帰宅。物が少しは落ちていたが、ほぼ無事。この中古マンションがこれだけの地震にあっても大過なかったことに安堵する。あちこちにメールをして無事を確認しながら、テレビに見入り、ショックを受ける。
一夜明け、8時半に起床。まず足の痛みを確かめる。ああ、悪化してない。一安心。こんな折に不謹慎だが、素直に嬉しい。断続的な余震に見構える。明日はディアスロンの練習会だが、これでは休みとしようか。
改めてメールであちこちと連絡。あちこちのテレビ局をザッピング。テレビとインターネットは文明の利器であることをしみじみと実感する。
冬の夜 地震を受けて 人の波
厳寒に 天変地異とは このことか
こんな状況にあっても、整然としている日本人というのはすごいと思う。
その姿に感銘を受ける。

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