1月15日に横田基地のマラソン大会、フロストバイトのハーフに参加した。記録は2時間13分56秒。実は一昨年、人生で始めて大会なるものに参加したのがこのフロストバイトで、そのタイムが2時間14分31秒。35秒の短縮というか、ほとんど変わらないというか、どう判断したものか。
還暦を過ぎ、2歳年齢を重ねての時間短縮なら良しとすべきとの見方もあるだろう。しかし、そのときから比べると、フォームがかなり改善され、スピードもアップしたという手ごたえもあった。その手ごたえからすれば、やはり1キロ6分ペースとして、2時間5分程度ぐらいまでには行きたかったなあ。
ただし、レースを振り返れば、久しぶりの大会で、スタートして暫くはキロ7分程度ではいり、5分過ぎて身体があたたまってきてからはペースアップのもくろみであったが、慎重に行き過ぎてアップのタイミングが遅くなったかと思う。それと、前回は17キロあたりから足が痛くなったが、今回は10キロあたりから、早くも痛くなり、最後の3キロあたりではペースが落ちて苦しかった。
この足の痛みについては、走っている最中は足の指の付け根が痛む感覚であったが、今回走ったあと、靴下も脱いで、しっかりとさすりながら確かめると、痛いのはつま先、爪の先端との接点あたりである。しかも、つま先をもんでいると、ジーンと痺れが和らぐ感覚が広がって、すぐに痛みは和らいでいく。つまり連続的に多くの回数を打ち付けることによる単純な痛みであり、関節などに関連するものではなさそうだ。
それでgoogleで「マラソン つま先 痛み」で検索をすると、爪が剥がれたなど、かなり悲惨なケースが出てくる。それからすれば、私のケースはましなほうなのかなあ、などど思いつつ対応策をみると、痛みの原因として第一に挙げられているのが、靴が小さいということ。小さくてつま先が靴に圧迫されているのが原因で、靴は大きめで足の指でグー、パーが自在にできなくてはならないという。
しかし、今回私の履いた靴は、そのことに十分配慮したもので、通常25センチであるが、26.5センチにしたものである。靴下も5本指靴下として、紐もゆるめにした。一昨年は、そうしたことは何も考えずでの出場であったのだから、そうした配慮の成果があってもいいかと思うが、なかなかそうはいかないものなのだ。
ただし今回は、痛みながら走りつつ、いくつかのことを試してみた。ますは走りながら、グーとパーをやってみると、これは無理なくできた。それによる新たな痛みも感じなかった。さらに着地のポイントを意識してみた。このところのフォーム改造で、やや前のめりの感覚で走っていたが、その感覚は保ったままで、指に負担をかけずに母指球への意識を高めて着地すると痛みが多少和らぐ感覚があった。あわせて、ももを振り上げる意識がたかまったが、これはいいことなのかどうなのか。
ということで、よくわからないが、母指球への意識を高めた着地に取組んでみたいと思う。この27日にドイツ村駅伝がある。コースは丘陵地でアップダウンばかり、距離は一人5キロとだいぶ条件は違うが、新たな意識を試してみよう。
昨年末に仕事面で急遽の不測事態があり、この新年もその対応に追われて、なかなか晴れやかな気分にはなれない。そうしたなかでのハーフマラソン。走りながら、さまざまな想いが頭をめぐり「これは忘れられない大会になるだろうなあ」と一人苦笑した。
「走っているうちはすべてを忘れる」という感覚ではない。そのときだけは苦しみや悩みから逃れるものではない。悩み、苦しみは常に、走っているときも、泳いでいるときも、私とともにあって振り払うことはできない。むしろそうした状態にありながら、走ることに取組んでいる緊張感や汗を流す高揚感が前向きな心理を作っていくという手ごたえであろうか。
凍傷と 名乗る大会 足痛め
あれこれと 思い悩める 走りぞめ
走ること、泳ぐこと、書くことで自らを確かめ、我が身を励ましていきたいと思う。
コメント