閑話休題。思いつくままの感慨。

フルマラソンから1週間。昨日は土曜レッスン。スイムはコースロープをはずしての実戦トレーニングで、ひたすらにグルグルとまわる10分泳が疲れたなあ。ランはマラソン以来の走りだが、30分のジョグというリセットメニューで気持ちがよかった。
さて、1週間前の人生初マラソンを振り返ってみると、フルマラソンを走った後の身体の痛みはどうなるのか、かなり恐れていたのだが、幸いにして太股の前の筋肉痛程度で、特段大きなダメージはないので一安心。昨日も30分を大きな問題なく走ることができた。
フルマラソンの前に風邪をひいて、自分としては十分なトレーニングができず、例えば1回は30キロランをしたいと思ったがかなわなかったということがあったが、無事に完走することができた。
確かに35キロを過ぎたあたりからは大いにつらかったが、いつも感じる指先の痛みを回避することができた。幸いにも耐え難い痛みとの闘いは訪れなかった。
レース後は仲間と中華料理に行き、気持ちよくビールと紹興酒を楽しんだ。さらに家に帰って缶ビール2本を追加した。そして翌日は無事に目覚め、スイム自主錬で身体をほぐし、土曜日のラントレも30分のジョグで気持ちのよい汗をかいた。
次回は今回よりいい状態となるかどうかはまったく分からないが、それでも自分ではいま少しの伸びしろがあるだろうとの手ごたえも感じている。
と書き出していけば、大いに結構ではないか。
しかし一方、もろ手をあげて大満足、初マラソン完走で大感動、なんて気分にまでは至らないのは何故だろう。第一には自信はないが多分走れるだろうと思っていたことはあるが、私なりのレースへの姿勢があってのことかと思う。
ゴールを抜けての感想としては、よく覚えてはいないが、まずは「ようやく終わった」。そして「多分もう1回はマラソンを走ってみたらどうなるかなあ」といったことのように思う。いたって穏やかな心境であった。
前回も書いたが、今回のマラソンでも私は確たる目標を設定してはいなかった。完走できればいいだろうし、多分できるだろうと思っていたが、そんなことは走ってみなくちゃわからんだろうというのが本当のところ。タイムにしても初参加なので目標もない、というよりタイムについては、私の場合、予想はあっても目標という感覚は乏しい。
レースの組み立てにしても、よく調子にのって行き過ぎてはいけないというアドバイスがあるが、これはトレーナーの石橋先生とも話をしたのだが、気持ちよく行けそうであれば行ってみればいいではないかと思っていた。
つまり私の感覚では、レース全体が自分を確かめる楽しみであり、目標を達成するといったものではないのだろうと思う。
タイムも目標というよりもいまの自分を確かめる結果なのだ。それは例えば身体検査ででてきた数字のようなもの。予想より大きく悪ければ矯正したいし、良ければ気持ちがよいが、かといってこだわるものではない。あるいはこだわるレベルでレースに向かっているわけではまったくない。
今回の5時間7分も、あともう少しで5時間以内とは思うが執着するものではない。次回はなんとか5時間以内なんて目標がわきあがるわけではない。次回は次回。どうなるのかわからない。
ただ、次回の自分のレベルとしては、身体検査の数値が全体として上向くような感覚で、アップを目指したいとは思っている。
こうした私の感覚はトライアスロンという競技にあっていると思う。また、フルマラソンの肉体のダメージはトライアスロンのオリンピックよりははるかに大きく、背筋も痛む。やはりトライアスロンという複合スポーツにに進んでよかったと思う。
言い換えれば、まず、日々の練習を楽しむことが何よりの基本。そのうえで、自己確認の場、仲間との社交の場としてレースを楽しむこと。
そんな感覚でトライアスロンを続けていこうと思う。
春の日に ジャージーを干す 独り者
身体から 流れる汗に 春の風
ようやく春がやってくるようだ。
今年の冬は長かった。
トライアスロンを始めて3回目の冬。
ようやく地に足をつけて過ごすことができたように思う。

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