結局、明日の天草大会は取りやめとした。本来であれば、今日は天草へと向かっているのだが、いつものようにATAの土曜のトレーニング。今日はスイム+ランのプログラムで、ランは約1時間のマイペースでのジョグ。私にとっては久しぶりのランで、右足の痛みに意識を集中しながら、1キロ8分プラスほどのゆっくりとしたペースで走った。それでも最後の10分ほどは足の違和感が軽い痛みへとかわり、「やはり無理だったなあ」の思い。
そのうえ、月曜の夕方にははずせない打合せが入り、この週末はその準備といった具合で、仕事の都合からすれば「行ける状態ではなかったなあ」。
でも今日のランでは久しぶりにタップリと汗をかき、指先の静脈まで酸素がいきわたった感覚を久しぶりに味わって気持ちがよかった。私にとってこの感覚はスイムでもバイクでも得られないランならではのものなのだ。
トレーニングを終えたあとはゆっくりとストレッチング、水風呂で身体を冷やしたが、やはり痛みはあるなあ。さて、どうするか。悪化はしていないようなので、自主錬でもジョグをスタートしていこうと思っている。24日は幕張でのスプリントなので、それに向けて最低限の調整はこなしておかなくてはいけない。
トライアスロンを始めて変化したことの一つは、自分の身体への意識が高まったこと。気持ちのよい体調とはどのようなものか、身体が躍動する感覚とはどのようなものか、どのように身体は動くのか、あるいは動けないのか。何ができて何かできないのか。そうした肉体との会話が日常に新たな発見と緊張を与えてくれる。好奇心をもって自分の身体を眺めているといったらいいだろうか。
怪我もその延長で、こんなことをするとこんなことが起こるのか、昨日と今日とでは何かどのように違うのか、また起こらないための管理とはどのようなものなのか、というように肉体との会話もより緊張感を含んだものとなる。怪我はいやなものであるが、これも自己発見の一つとして受入れようと思っている。
このブログでも何回か書いているが、私にとってトライアスロンは肉体を通した自己発見、自己管理の楽しみという意識が強く、さらにこのブログもそうした発見と管理を言葉をもって形とする試みといえる。
そこでいきなり話は飛ぶが、最近「50歳になったばかりのつもりでやっていこう」と自分に言い聞かせている。もともと「歳相応」が生活信条で、トライアスロンも歳相応を確かめる行為であるのだが、いきなりの宗旨換えで「50歳になろう」と思いを定めた。「50代をもう一度やりなおしてみよう」という意気込みである。
私にとっては、年齢とは死ぬまでの残りの年月であり、幾つまで生きるのかはわからないが、生きていくのであれば、70歳、80歳というのは一つの目安である。つまり残り10年、残り20年と考える。
妻が癌で亡くなったのが58歳で、28歳で結婚したので、30年の歳月を共に生きた。亡くなったときは、「下手をすると同じ30年を生きるのか」と残りの年月の長さを思い、うんざりとした気持ちになったことを覚えている。
でもいまは「生きていくものならあと20年」と思っており、60歳から20年で80歳ではなく、50歳から70歳までと思いこむ。「人生成り行き」で先のことは考えないできたが、この歳になって、「あと20年」と考えるようになった。
となると、トライアスロンによる自己発見と自己管理はますます重要になりそうである。
あと20年でいくつかの仕事を形にする。あと20年で借金を片付ける。あと20年で友人を増やす。あと20年で孫は25歳となる。あと20年はトライアスロンを続ける。ということは20年は元気であるはずだ。20年と考えると心に余裕が生まれてくる。残りの人生をそのように勘定してみる。
6月に 何かが始まり 夏となる
燃ゆる木々 心新たに リフレッシュ
まだまだやることはたくさんありそうだ。
と思いつつ、健康診断に行ってみなくては。
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