高血圧の治療に向かう。原因を求めれば老化。暮らしの形を考える。

トライアスロン
 高血圧の治療について。どのように書いていこうかと思いつつ、なかなか気持ちが定まらない。状況の説明はできるが、その状況をどのようにして受け止めていくのか。それが定まらないと書き始めることが、なかなかできない。いやいや、それは書いているうちにはっきりとしてくるだろう、書くということは見えている結語に向かい言葉を構築することではなく、言葉をつぐみつつ、何かを見出していくことであり、思考とはそのようなものだ、とも思う。

まあいいや。始めてみよう。
直接のきっかけは作年末、12月の運動測定検査。東京都体育館で行っているもので人気のプログラム。申込みも大変で、指定された解禁時間に電話を重ね、ようやくにして申し込んだ。
検査は口に呼吸計測器をつけ、ベルトの上を走るというもの。前々からやってみたったんだ。それが、高血圧でできなかった。口に装置し、ベルトの上に乗り、歩き出したのだが、その時点で血圧が200ということで、中止となった。いやあ、ショックだった。
プレイを始めて中止となるのは本当につらい。まず呆然とし、そして、恥ずかしさが襲う。トライアスロンでスイムのタイムオーバーで中止、あるいはマラソンでタイムオーバーと、中止は何回も経験しているが、本当に情けなくなる。どんな表情をすべきかさえ、わからなくなる。
それはそれとして、血圧の話。
トライアスロンを始めた当初、5年前に人間ドックに入ったが、その時点では問題なし。それからの変化と言えば、トライアスロンを始めたことであり、それが高血圧の原因なのか。そんなわけはないだろう。端的にはまず老化、あるいは食生活。特に塩をとっているわけではないが、やはり独身生活のため、調理済食品をボイルして食べるといったことが多く、その影響かなあ。
でも、何より老化だろうな。であれば、どのようにして付き合うか。
まずは、ちゃんとした診断を受けること。それでNTT関東病院へ。この病院はもう「内科」というものはなく、心臓内科、循環器内科など、細分化されている。私は高血圧腎臓内科となる。そこで血液と尿検査、心臓エコー、毎日朝晩自宅の血圧計で血圧を測る。薬を朝食後にとる。
初診から約50日。今日は2回目の診断日。今日は心臓エコーと尿検査の結果がメインであったが、尿はきれい。心臓は「左室肥大傾向」で「中隔壁厚」が標準値7~11ミリのところ、ぎりぎりの11ミリ。これが問題とのこと。
血圧は上が140前後なので、これを10下げたい。そのために、薬(ノルバクス)の量を2倍にする。
63歳の年齢からすれば、また、父親は高血圧で、母親も脳梗塞を患ったという遺伝を考慮すれば、まあ、それほどひどいものではないように思う。
そこで医師に質問。「トライアスロンをやっていて5月の大会に出るのですが、19度の海水に飛び込むことになるのです」「ええ、、、、」「どうですかね」「トライアスロンですか。ジョギング程度であれば問題はなにですが」「それはわかります」「では、5月までにあと10下げるようにしましょう」ということになった。
医師は若い女医さんで、多分30歳前後ではないかなあ。あまり会話が広がらない。「5年前の人間ドッグは問題なしで、その後変わったことはトライアスロンを始めたぐらい」と投げかけても「塩分ですかねえ」ぐらいで会話が途絶える。
しかし、的確な対応ができればいいわけで、応対の器用さが大きな問題であるわけでは、もちろんない。

さて、私なりの整理としては、欠かさず薬を飲む。そして体重を落とす。トライアスロンは続けていく。ただし、急な気温変化は要注意。とくにスイムのスタートに要注意。
これらが主な対策方法であるのだが、それ以前に、この5年間で、もう一段老化が進んだわけで、それにふさわしい日常生活のありかたをつくっていくことかと思っている。
トライアスロンをすることで老化に抵抗するのではなく、トライアスロンによって老化に敏感になる、というのが私の持論だが、今回の高血圧はまさにこのことかと思う。
老化とは、増えていくハンディ、不自由を重ねつつ、身の丈に合った、それなりの暮らしのありかたを模索していくことのようだ。
年明けて 暮らしの形を さぐるなり
考えてみると、25年前に椎間板ヘルニアで入院して以来、なんら持病のないままにここまで齢を重ねてきたわけで、その間、タバコも酒も楽しんでいたことを考えると、丈夫な体に生んでくれてた母親に感謝の心境だ。

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