前回は映画を題材にしたが、今回は文章編。

トライアスロン
 スポーツを魅力的に描いたドキュメントがないなあ。

実はそう思っていたことが、このブログを書く意欲の源泉になっている。なければ俺が書こうじゃあないか。というわけである。
スポーツが人気を集める中で、いくつのもスポーツドキュメントが生まれてくるのは自然のなりゆきである。しかし、トップアスリートや大勝負の試合をレポートするドキュメントはあるのだが、普通の人間にとってのスポーツの感覚を描いたものが見当たらない。また、トップアスリートを描いたものも、多くはあまりに安っぽい文学的な思い入れが強く、「スポーツヒーローの講談」に陥り、読むに堪えないのだ。私の勝手趣味だが、沢木耕太郎も山際淳司も苦手。そんなに意気込むなよ、と思う。
よって、普通の人間の体験的なドキュメント、スポーツヒーロー講談とは別世界の、静かに共感を得るようなドキュメントを書いてみようと思った。
その思いが、的を得ていたか、あるいは意図がしっかり形となっているか、すこぶる心もとないのだが、このブログを通して知り合った方、励ましをいただいた方がいる。私としてはそうした声に力を得て、今日も書いている、というわけだが、最近、これぞ我が意を得たりという文章に出会った。
それはこんな文章である。
「運動のあとのシャワーの味には、人生で一等必要なものが含まれている。どんな権力を握っても、どんな放蕩を重ねても、このシャワーの味を知らない人は、人間の生きるよろこびを本当に知ったとはいえないであろう。」
「一等必要」の表現、「どんな放蕩を重ねても」の例えがいいなあ。ここが好き。楽しい、気持ちよいではなく「生きるよろこび」と締めるところがいいなあ。いま、こう書き写しても、実に共感しきり。ああ、こうしたことを書きたかったんだよ、の思いがしきり。ここには人生の楽しみを共に祝う感覚がある。しかもこの楽しみは気晴らしではなく、生きていくことの力につながっている。
さて、この書き手は誰か。三島由紀夫なんだなあ、これが。
三島由紀夫の「実感的スポーツ論」であり中公文庫の「荒野より」に収められている。ぜひ一読をお勧めする。
かといって、私は小説家三島由紀夫のフアンではない。作品も「仮面の告白」「金閣寺」程度ぐらいしか読んでいない。実は学生時代にもっとも熱中したのが大江健三郎なのだが、大江も「万延元年のフットボール」以降は、しっかりした気持ちで読んでいない。
それはそれとして、この本を読むと、表現の豊かさに心奪われる。それは魅惑される感覚ではなく、「そうそう、そのとおり」と共感を促し、心のふたを次々と空けていくのだ。小説家というのはさすがだなあ、と通りいっぺんの感想となる。
夏来たり この日差しなのかと 心騒ぐ
私も三島に習い、スポーツの楽しみを平易な言葉として伝えていきたいと思う。この論の三島はとても素直で、実に好ましい。
今回も、こんなことを思って書いています、というテーマでした。写真は文庫のカバー。三島も今の私よりはるかに若く自決したんだなあ。いい顔しているよ。

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