身体づくりの挑戦に向かっていこう。大望をもってやってみよう。

トライアスロン
  今週も十条のあけび鍼灸院に行ってきた。これで3週連続となる。そもそもは腰の痛みで、今週も右の腰、坐骨神経あたりに痛みが残っていた。今回の腰痛についてはペインクリニックでのブロック注射とも思っていたが、この鍼治療と湿布薬でなんとかいけそうである。

そのうえで向かっているのが身体づくり。私は身体がめっぽう硬い。関節も筋も筋肉も硬い。上半身も下半身も硬い。これについては、まあ、諦めてもいたのだが、この鍼灸で、硬いながらも柔軟性に目覚め始めている。ポイントは身体の前面、お腹から胸、側面に鍼を打ってしこりをとっていく。手ごたえとしては、立ったときの自然な感覚かな。自然とお尻に力が入り、肩の力は抜けてシャキッと立っている感覚がある。これは気持ちいい。そして片足立ち。安定して立てるようになっている。
来週も行く予定にしているが、身体がどのように変わっていくのか、楽しみにしている。
そんな状態で今日の練習はスイム+ジム。本来はスイム+バイクなのだが皆と別れてジムでの身体の調整とした。実は今朝は昨夜の酒の疲れで寝覚めが悪かった。布団をぶっていたが外では風がうなりをあげていた。
というわけで、どうにもバイクに向かう気にならず「身体づくり」を理由にスイム+ジムとした。気が付くと随分とジムに行っていない。マシンで身体に刺激を与えてみたい。とは言うものの、たいしたことはしていないのだが、スピニングバイク30分~トレッドミル15分~マシン15分~ストレッチ15分で久しぶりにジムを楽しむことができた。この感じでは「身体づくり」に向かっていけるのではないかと、多少の手ごたえを得て自己満足。

昼に帰宅して食事。そして昼寝。ソファーに横になりながらテレビを観ていたら、NHKで「英雄たちの選択」という番組の再放送。正岡子規がテーマとなっており、思わず惹きこまれた。惹きこまれた理由の一つは紹介された正岡子規の性格だ。気が多く、思いつくと成り行きでいろんなことをやってみたくなる一方で飽きっぽいというのは、まさに俺のことだよと痛く共感。次いで彼が「ほととぎす」という雑誌で「人々に日本語で書くことを開放した」というくだりには、このブログが重なり、私も正岡子規の末裔なのかとの思いに至る。
そして気になったのが「大望」という言葉。正岡子規は日記で自らの大望を語るのだが、「俺には大望がないんだなあ」と痛感。
大望をもつほどの器ではないし、大望など気恥ずかしい。大望をもつからには、俺は人とは違うんだといった気概、負けず嫌いな性格などがその根底にあるかと思うのだが、どうもそうした気持にはなじめない。
だからあまり勝ち負けを語ることのないトライアスロンになじんでいる。スイム・バイク・ランのいずれも、いつでもどこでも最後尾であるが、腐ることなく続けている。
ところが「これでいいのだ」と思う反面「俺も大望を抱いてみようか」との気持ちもふつふつと沸き上がってきたのだ。
黄昏に 染められた 空を眺める
いやいや、だからといってアイアンマンに挑戦などど思ったわけではない。気持ちは沸き上がってきたものの、どんな大望をもつべきか。俺にお似合いな大望は何か。トライアスロンを始めて続けていること自体が大望ではないか。などど考えているのが実際のところでちょっと締まらない。
しかし今日出会った「大望」という言葉を大切にしよう。死ぬまでに挑戦する「私の大望」を探し出して育ててみたい。
そんなことを考えている。
写真は我が家のベランダから見た今日の空。雲が美しい。

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