お盆休みを迎えて来し方行く末を思う。

70歳
  やむことなく蝉が激しく鳴いている。非常階段には死骸も転がっている。まだあがいているのもいるなあ。日差しも夏の終わりを思わせるように、だいぶ低くなっている。精一杯に鳴いてコロリと野垂れ死にして夕陽に焼かれる、ピンピンコロリへの憧れはよくわかる。歳をとると蝉をみても感傷的な気分となってしまう。

この季節になると「今年も前半戦を終えて後半戦」といった思いを新たにする。
先のブログでも書いたが、この2年間は大きな変化のただなかにあった。この年齢で、これからの年月を暮らしていくための仕事を作ることが、何よりも大きな課題であったのだが、ことは簡単ではない。委細は省くが、ここにきて、ようやく方向が見え、「さあいこうか」といった状態となっている。
そんななかでお盆の季節を迎えた。私にとっては数年ぶりの落ち着いたお盆となり、来し方行く末を思う気分となっている。
昨日は「山の日」で休日の金曜日。昨日から来週いっぱいで10連休という人も少なくないだろう。私も仕事先が休みなために、余裕ができてくる。さて、どう過ごすか。
たまった伝票を整理し、やり残して気になっているデスクワークを済ませ、散髪に行って、あの映画は観て、9月納品のレポートは助走のスタートを切ってなど。いろいろと考え、書き出し、予定をたてているが、果たしてどこまでできるのか。

ここからが今日の本題で、最近しきりと思うこと。
やるべきことを書き出すのは、予定計画の基本である。目標を立てるということは、いつまでに何をするかをハッキリさせることであり、やるべきことは目標から割り出した活動となる。よって多くの人生指南書、ビジネスノウハウ本でも「目標はできるだけ具体的で明確」であることを掲げているようである。
しかし、先のことなど、わからないではないか。これが私の実感なのだ。だからビジネスには不向きなのかとも思う。残りの人生についても、いつまでに何をしておく、などどいう考えはない。葬式の準備はすませておくが、それは目標などではない。
ラグビーワールドカップのような、日時が確定されたスポーツ大会なら目標を明確にすることの重要性はわかるが、人生はスポーツ大会ではない。
もちろん進む方向はある。でなければ今日歩くこともできない。でも歩いていけば何日先にどこに着けるかなど、わかりはしない。
ではなにが「やるべきこと」なのかといえば、「いまとりあえず、自分ができること」ということになる。
今日できることを今日やろう。明日のことは、わからない。踏み出す方向もわからなければ、足も前には出ないが、方向が分かれば前には進めるであろう。これがいまの私の実感で、このお盆シーズンに「とりあえずできること」を書き出していというわけだ。
歩いていれば、新しい風景がひらける丘にたつこともあるだろう。歩いていれば、転ぶこともあろうが、それも楽しみとしよう。こう考えることのよさは、「できなかった」という自責の念にさいなまれないこと。できるもできないも、今日できたことが今日の自分なのだから。
今日一日を振り返る。6時起床、8時に家をでてトレーニング。スイム1時間、スピニングバイク45分、トレッドミル45分。帰宅してそばを楽しみ昼寝2時間。目覚めて洗濯機を回しすともう夕方だ。テレビでラグビー、夕食、テレビで世界陸上、そしてこのブログ。
なかなか活動的な一日であったが、とくによかったのは昼寝で、久々に生き返った気分での目覚めてあった。
明日は10時半からスイムのレッスンだが、その前に伝票の整理をすすめよう。
蝉の音に 今日の命を 振り返り
だからトライアスロンも「今日できていることを楽しむ」。
写真は昨日のラグビー観戦。パナソニックワイルドナイツとハイランダーズ。ゲームはよかったけど、チェアリーダーの応援には腹がたった。ラグビーとは息をひそめて見入るスポーツなのだ。あれはいかんなあ。

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