リザルトは以下のとおり
時間/順位
トータル 3:51:08/886
スイム 0:51:39/896
バイク 1:42:31/864
ラン 1:16:58/875
相変わらずの最後尾であったが、椎間板ヘルニアの心配のなか、完走できたことを喜びたい。
レースを振り返ると、スイムは「水の流れ」が強くて、その対応がうまくいかず。バイクはいまのところの実力かな。ランは疲れのためか、時間がかかりすぎ。10分は短縮したいしできると思う。バイクの順位が一番いいのはこれが初めてか。いつもはランが一番いいのだが。バイク順位である864位を総合順位で確認すると時間は3:32:28となっている。このぐらいまではいきたかった。自己採点は65点ぐらいかな。70点の最低及第をやや下回る。
今年は幕張、木更津とスプリントをこなし、オリンピック距離は今年初であり、いささか緊張したが、まずは、何はともあれ完走できてよかった。と同時に「もう少しうまくできたのではないか」の思いも残り、そう思えることが進歩ともいえるか、などど思いを巡らすのも楽しみといえるか 。いろいろと考えてしまうのだ。
58歳でトライアスロンを始めて、初レースが59歳。今年でレース参加7年目となる。
始めるまでは「もう少しまし」かと思っていたが、いざやってみると、なかなかうまくいかないというのが何よりも実感、というか、「こんなにもできないのか」というのが正直なところ。
もとより運動能力が高かったわけではないが、何の経験もないままにトライアスロンに挑戦しようというのは、いささかなりとも成算はあったのか。
確かに高校ではハンドボールでインターハイに出場した。ガキの頃から体育の授業でも、大きく人に遅れることはなかった。だから深い考えもなく始めてみたのだわけだ。しかし、いやあ、大変だった。当初は「いかに自分ができないか」を認めて受け入れることが最も重要であった。これはなかなか簡単ではなかった。それはいまでも同じで、最後尾で一人走るのは孤独なものだ。
どうも、自分の性格として、深い考えもなく、思いつきで何かを始めてしまう傾向がある。計画をたてるというより、まずやってみたくなる。ダメなら辞めりゃあいいんだから。
それでも続けてこられたのは、第一に「周りを見ない」から。ライフスタイルとして続けるのであるのだから、人のことや順位などは関係ない。だから、順位の話には加わらず、周りはほとんど見ない。
あと、ランが苦痛でなかったことが、続けていける大きな要因であったと思っている。いつだって走り始めは苦しいけれど、ランは楽しい。細胞が目覚め、発汗が起こり、でも呼吸は安定して、体内にリズムが生まれていく感覚は、他には代えがたい。要は身体を動かして汗をかくのが好きなのだ。
あとは好奇心だな。スイムもバイクもランも、いまだこの年齢で、やっていると、いささかなりとも、発見や上達があるんだ。これが楽しい。だめと思っても続けていくと何かが起こる。そんなことは、そうそう人生であるわけではない。これはご褒美だ。
そう、とても人と比較できるレベルではないのだが、トライアスロンを楽しんでいることは確かだ。いいスポーツに出会ったと思っている。
結局は順位やタイムとは違う視点からの「価値観」をもつことになる。「価値観」というと、やや大げさに聞こえるかもしれないが、そう、それこそが私にとってトライアスロンを続けていく本質的な理由なのだ。
その「価値観」とは何回も書いているが「ライフスタイル」である。トライアスロンを続け、レースに参加するライフスタイルを維持することが価値であり、タイムや順位を斟酌しない。よってフィニッシュしても時計も見ない。だってタイムなんて関係ないもの。
ではなぜタイムをあとで確認するのか。それは「もうちょっとできそうかな」を確認するためだ。今回もそう思う。そしてこの気分は悪いものではない。
さあ行くぞ 泳ぎもだえて 水をのむ
今回は2回は水を飲んだ。河口のコースなのだが、塩辛く、海を感じることができた。
写真はレース中の姿だけど「歳だなあ」が率直な感想。
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