今日は木更津トライアスロンで負った怪我について。
負ったのは8月26日。右肩のヒビ、肩・肘・膝の擦過傷。
それから約2か月半が経過。
擦過傷については、ようやく絆創膏が取れたが、ちょっとした痛みが残っている。
かさぶたが残り、傷跡も目立つ。
肩のヒビについては、全治1か月とのことであったが、いまだ痛みが残る。
スイムができるまで回復したものの、ひょっとした拍子に痛みが走る。
怪我の当初は、ヒビのほうがはるかに重症であり、擦過傷は早々に治っていくものと思っていたのだが、ここまできて感じるのは「骨のヒビも擦過傷も回復は同じペース」ということ。医学的にはどうなのかは分からないが、「人の身体というものはこのようにしてできているのだ」という実感を得ている。
その実感からすると、あと2週間、怪我後2カ月で基本的に回復するものの、まだ痛みの感覚は残り、3か月で完治となるのではないかと思っている。
人の細胞は、骨も含めて、3か月で入れ替わるという。
これを新陳代謝というのだそうだ。
なるほどなあ。
思い出すと、右足の肉離れも、まあ3か月というのは回復の目安であった。ただし、痛みは残り、完治を実感するには6カ月の月日がかかった。3か月の2クールだ。
トライアスロンには、怪我や痛みはつきものというが「怪我の回復相場は3か月」とうのは、私の経験知識。覚えておこう。
となると、今回の怪我の私の回復は11月の末とななるようだ。
いま、回復基調にあるなか、ちょっとしたリハビリ気分で、朝ラン、マシーン、スイム、ストレッチに向かっている。回復を目標にした緊張感を楽しんでいる。
さて、11月の末にはどんな心身の状態になっているのだろう。
冷え込んで 肌をさすって 走り出す
肉離れから骨折(ヒビ)までのこの1年。肉体的には老化を実感した1年であった。その1年の間に10回近くもベトナムに行くことになるとは思ってもいなかったなあ。身体も仕事も転機であったということなのだろう。
では心のほうはどうだろう。
唐突だが、いま、トルストイのアンナカレーニナを読みだしている。以前から、読み逃していた古典とされる長編小説を読みたくなっていた。トーマス・マン、フォークナー、ディケンズなど。これらの人々はいったいどんなことを考えていたのか、そこに関心がある。
トルストイの関心は何だったのか。なぜこれを書きたかったのか。そんな気持ちでアンナカレーニナを読んでいる。描かれているのは恋愛の感情、あるいは恋愛をめぐる人々の思いである。小林秀雄は「トルストイだけを読み給え」と言っていたなあ、ボバリー夫人も命をかけた迫真の恋愛小説であったなあ、などと思い出しながら、ポツポツとページをめくっている。
恋愛に限らず、図らずも何かに心奪われて生きることなどを、とりとめもなく思いめぐらせている。
今回は写真はなし。
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