もう一人は今年の1月にすい臓がんを発症して治療中。自から「すい臓がんは5年生存率が7%」と解説し「グループ生前葬」をやりたいそうだ。「グループ生前葬」というのは、まあ、仲間と一緒に集まっての生前葬で、にぎやかでいいではないか、という趣旨だろう。私も今年春の「初期大腸がん手術」の体験を披歴して、話題に加わった。
この年齢になると、「がん」が飲み屋での共通話題となる。
けがの回復が思わしくない。木更津トライアスロンで落車して痛めた肩と肘だ。肩は動かす拍子に痛む。どのように動かせばどのように痛いのかがよくわからないのだが、痛む。いろいろと動かしながら痛む部分を探していくと、ヒビとは違う部分であったりする。なんとも難しい。肘は肩よりは簡単で、肘をつくと痛む。ともにいまだに傷あとが大きく赤く残っている。この傷あとがなくなったときに、痛みも消えてくれるのか。さて、どうだろう。
その時はその時として、この痛みとどのように付き合っていくのか。
この年齢になると、身体に何らかの痛みを抱えている人は少なくないだろう。肩、腰、膝など、多くの広告が出ている。しかし、この痛みは老化によるものではなく、けがによるものだ。それがためか、比較的明るい気分でけがを見つめている。明るいというのは、基本的には回復基調であり、いずれは完治すると思って疑わないからだ。回復の軌跡を楽しく見つめていくような気分さえある。
このところ天気がよい。秋晴れが気持ちよい。そんな天気にも誘われて、朝ランを続けている。毎日というわけにはいかないが、なんとか週に2回ぐらいは確保している。
そこで少しずつわかってきたのは「朝ランを日常とする生活の心地よさ」。走ることで両足と身体に刺激を与え、毛穴を開き、シャワーで汗を流して一日を始めるのは気持ちいい。走るために毎日のスケジュールや暮らしの管理も厳格になって気分もしゃっきりする。「明日の朝には気持ちよく走りたいので酒は抑える」のだ。
秋の空 なにはなくとも 走り出し
歳をとると心身とともに周囲の環境も変化していく。何を楽しみにして、毎日をどのように過ごすか。誰と会って何の話をするのか。意識して取り組むようになる。
若いうちは「今日は何をしようか」という自問はあっても「毎日をどのように過ごしていこうか」などとは考えなかった。しかし、いま「毎日の過ごし方」こそが大きなテーマになっている。
そこでいきなりであるが、トライアスロンを続けていきたいと思う。
トライアスロンは「毎日の過ごし方」の軸となっている。
トライアストンが朝ランに向かわせ、朝ランが毎日の時間割をつくりだし、毎日の時間割を考えることが緊張を生み出し、その緊張こそが、例えば「今日読んでおきたい本」へと気持ちを向かわせることになる。ぽつぽつと読んでいるアンナカレーニナが面白くなってきた。その面白さについてはいずれまとめてみたい。
写真は快晴をバックにした東京タワー。気持ちのよい写真が撮れた。
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