ラグビーワールドカップが終わった。9月20日の日本・ロシア戦から11月2日のイングランド・南アフリカ決勝での南アフリカの勝利まで、この間ラグビーワールドカップを第一に過ごしてきた。
ラグビーは最も好きなスポーツだ。高校にラグビー部はなく経験はない。ハンドボール部に入部してインターハイに出場したのが、人生唯一の自慢であるのだが、高校にラグビー部があったらなあと、いまでも残念に思う。
大学は明治ということもあって、もう50年もラグビーを見続けてきている。
「一生に一度だ」は今回の大会のキャッチフレーズであったが、私もそんな思いでワールドカップを体験した。
そんなことで、当ブログもだいぶお休みとなっていたが、このワールドカップの印象、思い出、感じたことなどを、人生の貴重な記録として、書き留めておきたい。いつもとは違うが、このブログをお読みの方々と、思いを共有できればありがたい。
まずは日本のベスト8進出を決めスコットランド戦。
この一戦だけはどうしてもナマで観たいと思い、1枚15万円のチケットを奮発した。
横浜総合競技場は7万人収容で基本は陸上競技場だ。ラグビーをナマで観る楽しみは臨場感にある。肉体のぶつかる音、いっせいにラインがあがっていくスピードなど、秩父宮ではそれを存分に味わえるのだが、これだけ大きいと、選手とはかなり距離ができる。
しかししかし、この試合は素晴らしい体験であった。試合を見る楽しみに加え、大観衆の一員として試合を応援する高揚があった。
それがピークになったのは、試合終了までのカウントダウン。5・4・3・2・1・ゼロ~と会場全体で大声で叫び、腕を振り上げ、その瞬間、周りの見知らぬ方々とハイタッチ。そのうれしさ、歓びというのは、勝利への喜びであるのだが、さらに「この場、この瞬間に立ち会っている」ことの喜びに満たされる。これは得難い経験だった。
「ラグビーロス」「にわか」なんて言葉も生まれた。これはスポーツとしてのラグビーの楽しさに目覚めたこと、日本の快進撃があってのことだが、それとともに日本を応援する「集団の陶酔」があったと感じている。そしてラグビーでは日本は「多国籍・多人種」な日本である。
ラグビーは国と国の対戦ではあるのだが、チームは多国籍・多人種であり、その底流には同じスポーツ・文化を国を超えて共有する仲間意識がある。しかも多国籍・多人種でありながら、どのチームもその国の文化を色濃く反映させた魅力をプレーで発揮する。南アフリカはあくまで南アフリカであり、ニュージーランド、イングランドとはラグビーのスタイルが違うのだ。それはただ勝つための効率的なスタイルではなく、国の文化を感じさせるものがある。
そのなかで、日本はいかにも日本らしい独自なスタイルで勝ち進んでいった。そのスタイルとは、まずスピード、正確な連携、そして創意工夫であり、それをささえる寡黙でひたむきな姿勢だ。私たちはそれを見て日本を誇りとし、我が日本チームの桜の戦士を応援する。
私はこれまで、こうした日本を体験することはなかった。私の大学入学年は学生運動の頂点で、東大の入試が中止された。その学生運動のスローガンは、中国文化大革命の影響をうけた「造反有理」であり、「自己否定」が正義とされた。敗戦によって世界から否定された日本は、さらに「自己否定」の対象になった。学校における国歌斉唱、国旗掲揚が非難され、戦時中の日本の侵略、犯罪が問われ、日本であることを苦々しく、恥ずかしく思う感覚が大手を振って語られた。
こうした感覚は何も当時の学生運動に特有なものではない。私がみるところ朝日新聞はいまもそのままだ。日本の勝利を驚きつつ、今回の「にわかの日本熱気」をどこか苦々しく思っているオールドラグビーフアンは少なくないだろう。
ラグビーワールドカップを通して、多くの人は「新たな日本のイメージ」をサクラの戦士に見出し、その一員として「新たな国の愛し方」が自然と広がっていく様子を目の当たりにすることになった。さらに隣の席で同じように自国を応援する各国の人々に出会った。交歓もあった。
今回の大会の余韻はオリンピック・パラリンピックにつながるに違いない。今回の大会は、日本が世界に生きる日本の新たな姿を発見するものになったと思う。
「ああ、こういうことなのか」。私はそう思った。多くの人もそう思ったはずと思っている。
これは大げさか? いや、大げさではないのだ。
スポーツがいかに社会の意識を反映し、社会に大きな影響を及ぼすか。
まだまだ語られてはいない。
来年のオリンピック・パラリンピックが一層楽しみになった。
写真はスコットランド戦観戦前の競技場前。
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