2月16日で69歳となった。
前回のブログでは「死ぬまでの暮らし計画」をご披露した。
誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を書き留めておきたい。
私にとってトライアスロンは「生涯スポーツ」である。
60歳を前に「生涯スポーツ」を探していて、トライアスロンに出会った。
「生涯スポーツ」とは、老いていくなかで、できるだけ長く続けていけるスポーツである。その効能としては、もちろん身体の運動機能の維持があるが、合わせて、生涯の趣味として「楽しく」続けていけそうなことも重要だ。
水泳やマラソンという選択もあり得たと思うのだが、果たして水泳やマラソンを楽しむことができるのか、おそらくタイムの奴隷になって窮屈な思いをするのではないか。トライアスロンは「記録や順位ではなく完走こそが勝利である」との文化があると聞き、これはいいと思った。
加えて、これは個人的な思い込みであるが、トライアスロンをやるとことが一つの人格表現であるように思えたのが気に入った。私の考える生涯スポーツとは、老人としての人格を規定するものなのだ。
私がイメージする「トライアスロンを楽しむ老人」、すなわち「トライアスロンを楽しむことで実現される私がなりたい老人」とは「元気で明るい老人」である。私は「シャキシャキした老人」でいたいのだ。
そしていまトライアスロンを始めて11年にして、トライアスロンは生涯スポーツにとても適したスポーツであることを身をもって実感している。私はただのメタボのおやじであり、スイム、バイク、ランの経験もなく、58歳からトライアスロンを始めた。レースではいつも最下位レベルであるが、こんな私でもできているので、ぜひ皆様にも「生涯スポーツ」としてお勧めする。
さて、69歳である。このブログでも再三書いているように、このところしきりと老化を実感するようになっている。
これからはまさに「生涯スポーツの真価」を実感する年齢になっていくのだ。
真価を実感するためには、毎年レースに出ること。これが原則であり目標である。
いつまで出ることができるかわからないが、まずは75歳、できれば80歳。
大切なことはやり続けることと思う。
ローリングストーンズのキース・リチャーズが禁煙をしたそうである。
それを伝えるニュースに、キースのこんな言葉が紹介されていた。
「ミックも俺も前回のツアーで、俺らはやり続けるしかないって感じたんだと思う。俺らは続けなきゃならない」
この言葉がいまの気分にしっくりきている。
続けていく理由や意味を考えればきりもない。
それよりも「俺はやり続けるしかない」と思う心をもっていること。
生きているということは、そういうことなんだと思う。
私の「死ぬまでのトライアスロン計画」は「やり続ける」こと。
「やり続ける」ことをもっているのはいいことだ。
窓揺らす 春一番に 胸騒ぎ
今日は春一番。世間はコロナウイルスで騒がしいが、いろんな予期せぬことがあるのが世の中というものなので、黙って自分で気をつけて「元気で明るく」暮らしていくほかないと思っている。ギャーギャー騒いでいるのはイヤだなあ。
写真は話題の渋谷スクランブルスクエアからの眺め。こうしてみると、渋谷って50年前の学生時代と大きくは変わっていないような気がするけど、どう思う?
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