6月からトライアスロンのトレーニングも始まった。ATA南行徳のトレーニングは、土曜日のスイム+ラン・バイクと火曜日のスイムからなっている。土曜日は8時半からの1時間スイムと、隔週でランとバイクのトレーニングとなる。火曜日は夜の10時半からの1時間スイム。これに参加するとどうしても寝るのが12時を過ぎてしまう。
これができずに、土曜日のみの参加であったが、再開後は火曜日のスイムは午後7時半からのスタートとなった。そこで火曜日も土曜日もトレーニングに参加している。週1回と2回では暮らしのありかたも大いに異なり、仕事で外出する機会が増えたこともあって、自粛解除から1か月がたったが、まだ暮らしのリズムが作れない。身体の状態もどこかしっくりいかずに違和感を覚えて身を持て余している。
ということでトレーニングの再開から書き出したが、今回はスイム個人レッスンを報告したいのだ。
スイムは個人レッスンを受けている。定期的に受けているのではなく、気が向いたときに申し込んで、いろいろと相談にのってもらっている。ということは、毎回自分で教えてもらいたいテーマをもってコーチングをお願いすることになる。短くて月に1回、長くて3か月に1回程度のローテーションであろうか。
私の場合目標は明確で、50メートルを1分、100メートルを2分とまでは言わなくとも、2分10秒程度に、しかも楽な感覚で泳ぐことにある。その目標に向けて何をすべきかをコーチに伺っている。目標はいつも変わらないのだが、それに向けた質問は毎回異なる。
前回は手をかきだすタイミングであった。その前はフィニッシュの時の腕の振りであった。そして今回は、「フォームはまとまってきたと思うが、それでもスピードがあがらない。とりわけ25メートル以降にスピードが大きく落ちる」というのが、私から提示した課題であった。
そこでコーチが行ったのが、つまり回答としてコーチが選んだのが、両腕、両肩のストレッチングであった。
まず両手の指、二の腕、脇の下と刺激を与えてストレッチングをする。さらに四つん這いになって胸と両脇に空気を送り込む感覚でストレッチングを行う。
なるほど、腕の動作に躍動感が生まれて、腕が大きくスムーズに回る感覚が生まれる。
レッスンはいつもながら役に立ったが、私はある感慨を覚えた。
今回はそれを皆さんにお伝えしたい。
これまでのアドバイスは技術的なものであったのだが、今回はフィジカルなものとなった。
トレーニングの最後にフォームへの質問をしたが「現在の状態でほぼまとまっている」とのことで、問題はフォームではなく、肉体に移ったのだ。
私の身体はいたって硬い。あきれるほど硬い。そのうえで、皆さんと同じぐらいに泳ぎたいと思っていたのだが、結局は、皆さんについていくにはやはり「肉体改造」が必要になるのだ。
これまでも「身体づくり」を掲げてきたが、それは改めて考えてみえば曖昧なもので、「頑張って柔軟性、筋力、持久力を高める」ということであった。しかし、今日のトレーニングでは、スイムのスピードを高める目標に向けて、両手の指、二の腕、脇の下と、ピンポイントにトレーニングを行う。
漠然と「身体づくり」と言っている分には健康管理のレベルであったのが、「スピードをあげるための身体各所へのストレッチング」となると、途端に「アスリート」の気分になる。
何を言いたいのかといえば、これがスポーツの楽しみなのだ。例えば、速く走ることに向けて、毎日走るようにしましょうではなく、歩幅をチェックして広げるトレーニングを考えましょうということであり、漫然とした行為から明確な目標への自己管理となる。もちろんアスリートではないので、うまくいくわけでないのだが、気分としては俄然アスリートとなる。
トライアスロンをはじめて、気が付くともう10年を超えるのだが、いまごろそんなことに気が付いているのかと、あきれながらも楽しんでいる。
しかし、技術の改良ではなく、肉体の改造でタイムをアップするというのは、この年齢ではいかにもハードルが高そうだが、あきらめずに続けていこうと自分に言い聞かせる。
泳ぐって こんなにも難しいのか 水を打つ
改めてスポーツをする楽しみということを思う。この年齢になっても、身体にこんな刺激を与えると、こんなことができるようになる。それは単純な、あまりに単純で素朴な発見であり、いたって爽快なことなのだ。
コロナ禍で世間は何かと騒がしいが、そこからは一歩離れて、落ち着いて暮らしていきたいと思っている。しかし落ち着いて暮らすとは具体的にどのように暮らしていくことなのであろうか。
私にとって、スポーツは落ち着いて暮らすという、その具体的な活動そのものとなっている。
今回は写真はなし。
気が付いたら1か月以上ブログを休んでいた。
少なくとも毎週アップするようにしたいと改めて自戒!!!
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