ジョギングはユックリと会話ができる程度、ランニングは息があがる程度のスピードで走る。それはわかっている。しかしジョギングとランニングとの違いは単にスピードだけなのか。今日はジョギングとランニングとのフォームの違いの話だ。
以前はジョギングからスタートしてだんだんと速度を上げていくと自然とランに移る感覚であった。それが最近、ランにはランのフォームがあり、それはジョギングとは基本的に異なると思い始めている。あるいは目覚めたといってもいいだろう。
これは年齢のせいなのか。以前は1キロ7分のペースが普通の速度であったのだが、その感覚で走ると7分30秒から下手をすると8分近くまで落ちていく。ちょっと気合をいれれば6分まであげられたのに、なかなか6分までがあげられなくなっていった。
これではいけない、情けない。
ということで、スピードをあげるためには何が必要なのかを考えるようになった。
まず始めたのが、スピードトレーニング。20メートル、30メートルといった短い距離だが、ともかく速く走る。走りながらGarminを見て速度を確かめる。これが6分か、どうしたら5分を切れるのか、とフォームを確かめつつ走る。
そこで気が付いたのは、速く走るためには、腰を伸ばし、しっかりと着地をしてジャンプをするように「跳ねる」こと。膝を高くあげて遠くにジャンプしていく感覚だ。それが老化とともに衰えていく「躍動感」を生み出してくれる。それを維持するために体幹を保って腕を振り、腰をツイストする。
なるほど。
そこで、その走りの感覚でジョギングをしてみると、これまでのジョギングとはまったく違うのだ。これまではできるだけ身体の負担を少なくしたいとの思いから、膝はあまりあげず、着地も静かに、いわばソロリソロリと走り出し、その延長で意識して歩幅を広げていったのだが、「跳ねる」までの意識は意識はなかった。
「走ることは跳ねることである」。これは私なりの発見であった。
その発見から、「跳ねる」フォームでだんだんと速度をあげていくビルドアップに取り組むことで、なんとか「普通に走ってキロ7分」の状態を回復しつつある。ただし、1キロ2キロならいいけど3キロとなると、自然と速度が落ちてくる。「跳ねる」フォームで持久力をつけるのが課題ということだ。
そこでまた、あちこちネットで「正しいランニングフォーム」を見てみると、あくまで私の感覚であるが、「跳ねる」感じが、それに近い。
となると、ジョグとランということではなく、あくまでフォームそのものがおかしかったのだとも考えられる。あるいは単に老化によって失われた躍動感に気が付いたとみるこもできるのだろうが、私としてはこのように考えたい。
ジョギングとランニングでは基本的にフォームが異なるのだ。
ランニングのスピードアップのためには、ジョギングとは異なるランニングフォームを自覚する必要があるのだ。
いざ走る 長雨多湿も いとわずに
ATAの小林コーチに「岩﨑さんランのフォームを変えましたか」と聞かれた。さすがと感心して「わかりますか?」と聞き返すと「左の腕の振りが変わった」とのこと。
腕についてはまったく考えていなかったが、そう指摘を受けて振り返ってみると、確かに腕の振りも自然と変わっていた。
スイムに続いてランでも「ここをこう変えると身体の動きがこのように変わっていく」楽しみに出会うことになった。いろんなふうに刺激を与えて、身体の動きの変化を見てみたい。
このブログで老化とは萎縮であると書いた。
萎縮が進んでいくなかで、そんな気持ちが起きてきた。
あるいは萎縮が進んでいるから、そんな気持ちが起きたのかもしれない。
であれば、これも老いて知る学びなのか。
分析はこんなところにしておこう。
写真は夕方の10キロランで眺めた江戸川の光景。
風景写真として気に入っている。
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