前回のブログで生きているうちにやっておきたいことを挙げたのだが、このことでちょっと追加説明をしたくなった。
70歳となれば、いついくのかもわからない。明日お迎えが来るかもしれない、というのが前提で、このリストは「死ぬまでに済ませておきたいこと」ではなくあくまで「生きているうちにやっておきたいこと」であり「生きている時間の望ましい過ごし方」であって、結局それができなくとも、ほかのことで忙しければ致し方なく、それが不愉快でもなんでもない。
振り返ればトライアスロンも「生きている時間の過ごし方」としての好奇心から始めたものであった。
トライアスロンを始める心のありかたを、このブログの当初に書いているのだが、それからもう12年もたってしまっている。かといって始めるときの心のあり方といま続けている心のあり方が大きく変わっているわけではなく、要点は「毎日何をして過ごすのが心地よいのか」ということになる。だから「これを続けていってなにかをなせばそれで満足」ということではなく「どこに行くのかもわからないがこれを続ける毎日を心地よく過ごすことが大切」となる。
ここでわきまえておくべきことは「いまこれをしていれば心地よい」ことと「これを続ける毎日の心地よさ」とは大きく違うということで、苦行難行はその時々はつらくともそれを続けている毎日の心の安寧、充足、落ち着きということはあるだろう。
私は「スポーツを続ける楽しみ」とはそうしたことであり、私のとっての生涯スポーツとはそうしたものだ。簡単に言えば身体が続くうちは続けていくという快楽を私は味わっているのだろう。動いている身体に感謝というわけだ。
若いうちは今日のこと、明日のことなど考えない。しかし歳をとると何も考えず、ただ漫然と日々を暮らしていくことはできなくなる。何らかの工夫と自己管理、あるいは自己修練といったものが必要になるのだ。
そこで話はスポーツの魅力となる。
まず汗をかく楽しみ。これは身体を動かすことそのものの楽しみといっていい。
これが第一だな。ここには健康でいることの快適な心身状態が含まれる。
そしてやっていけば上達という励みがある。私のようなへっぽこ高齢者でも、まだ「どうすればもっとうまく泳げるのか」なんて考えている。これは自分自身と向き合う楽しみであり、第二にこれをあげたい。
よく高齢者スポーツで同好の仲間に出会う楽しみがあげられており、それはそうだが、身体を動かして汗をかいているのは自分自身であり、その優先順位は大切なのだ。高校時代はハンドボール部でインターハイ出場は私の唯一の自慢のようなものであり、チームスポーツは知らないではないが、高齢者のチームスポーツというのはちょっとわからない。ゲートボールはあればチームスポーツなのだろうか。
風と雨 春来りて 胸騒ぎ
書いているうちに、茫漠と話が広がってしまった。
また、これまで何回も書いてきたことを繰り返しているようで、苦笑いで己の老化を振り返る。
写真は最近思い立ってでかけた九十九里の波。毎年のトライアスロン大会会場でもある。
寄せては返す波のように、あるいは性懲りもなく、私は同じことを繰り返しているようだ。
そんなしみじみ気分でじっと波を見ていると、いまこの時こそが永遠なのかと思われてくる。
みつけた
何を
永遠さ
それは太陽が海にとけていく
残念ながら曇り空であったが、そのように歌ったランボー気取りとなり、帰りの特急電車で缶ビールをあけてポテトチップスをかじった。
不要不急の身勝手外出なので、申し訳ない気分があるなあ。反省。
でも九十九里まで特急で1時間。現地で2時間海を見て帰る。
半日コースで、思い立ってでかけるのはお薦めです。
ちなみにランボーの詩の訳については、幾多のものがあるが、これは私の記憶にあるもの。
私はこのように記憶して、時折頭に浮かべているが、多分正しい翻訳ではないと思う。
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