2021年、70歳のトライアスロン日記(1)

70歳

何を、何から書くか。
いろいろとあって、書くことで考えをまとめたいと思っているのだが、書き出しがつかめない。
まずは書きたくないこの話から。
10月10日の千葉市ティトライアスロンではスイムでタイムオーバーDNFとなってしまった。
最後のブイをまわり、あと数十メートルのところで、時間です(1時間)と肩をたたかれて終了。
この大会は準備不足でまったく自信のないなかでの参加だったのだが、スイムだけは今年に入ってから多少の上達をみていたので、まあ50分で泳げるつもりでいた。
これはかなりのショックで意気阻喪。いまだに向き合うこともできず、ああ、とため息を漏らすぐらいしかできない。分析をすれば、加齢、体力の衰え、疲れ、基本的な能力など、リベンジ向けた対策もいろいろあろうが、気持ちはそちらに向かわない。

そんななか、2021年に予定されていたワールドマスターズゲームズが、なんと、2026年に延期する方向という報道。このワールドマスターズゲームズのオリンピック距離に出て、あとはスプリントを年に1回ないし2回とイメージをしていた。だから千葉市ティもその準備のつもりであったのだが、そんな私のトライアスロン物語が描けなくなってしまった。例えば40歳での5年後と70歳での5年後は大きく違う。だって一昨年は大腸ポリーで内視鏡の手術をうけた(生理検査で早期がん診断)。ということは、すでに身体にがんを抱えているわけで、いつどこに出てもおかしくはないだろう。さてどうするか、考えはまとまっていない。

10月10日を過ぎたらいぼ痔をなんとか片づけたいと思い、12月3日に手術を受けることにした。診断の先生は、注射治療と切除手術で治ると言い切ってくれた。お任せします。そこで手術のために心電図をとったら波長の乱れがみつかり、心臓CT(画像診断)検査を受けることに。飯田橋の検査クリニックに行って検査を受けたのだが、その際に注入した造影剤の副作用でジンマシンが発生。これはジンマシンだけのことなのか、あるいは、例えば疲れやすいなど、他の体調不良を起こしてはいないのか。落ち着かない体調不良の日々であった。
診断では、心臓冠動脈に石灰化がみられるという。動脈硬化である。この年齢になると1、2か所あるのはいいのだが、けっこうあちこちに発生している。狭心症や心筋梗塞の予備軍である。だからといって今何かをするわけではない。対策としては定期的に診断をして気をつけましょう、ということのようだ。
いずれにしても手術は受けることになった。手術をすれば2週間はほぼほぼ安静、激しいスポーツや酒は禁止とのこと。いまのところ、これでスッキリすればありがたいと、手術を楽しみに待っているのだが、ところで、この心臓とはどのように付き合うか。
振り返れば、トライアスロンの運動検査で高血圧を注意され、降血圧薬を飲んで慢性下痢で3年間、下痢の原因を探るための腸の内視鏡検査で早期がんを発見切除、下痢は痔を引き起こし、そこから心筋梗塞のリスクを発見。病気因果の連鎖を生きるようだ。さらに加齢が原因で、声がかすれる、高い音が聞き取りにくくなっているとの診断。いやいやながらのインプラントで歯医者にも通っている。しかしこれはもちろん私だけのことではなく、ご同輩は多かれ少なかれ、であろう。
ちなみに、下痢の原因がどうやら血圧の薬であることに気が付いたのは最近のこと。よくよく考えて、これしかないと思い、薬を変えて、その2週間後から下痢がおさまってきた。疲れ果てるほどの、長い道のりであった。
老化というのは縮小であるという実感がある。
筋力、柔軟性、反射神経などが縮んでいく。
気が付いたらできないことが増えていく。
そのスピードは驚くほどに加速していく。
そのうえに、老化というのは病気を抱えることであるのだ。
次々と病気がおこり、それを抱えながら縮小していく。
縮小していく自分を見つめ、そんな自分を抱きしめながら、死へと向かっていく。
別にそれが嫌なわけではない。
これが老化という、誰も避けられないもので、へえ、と感心しながら見つめている。
穏やかに受け止め、明るく元気で生きていきたい。
まずは手術をして、さてどうなるのか。
術後の2週間にいろいろと考えてみたいと、おかしな話であるが、心待ちの気分でいる。
トレーニングは休み、酒も呑まない2週間だ。
目を刺すような 秋の日差しに 向かい歩く
手術前にと思い立ち、三浦海岸に行き、マグロ丼を食べ、昼呑みして、城ケ島を歩いてきた。
いい休養になった。気分だけでも元気になった。
ちょっと続けて書いていこうと思っている。
今年の2月で70歳となった。次は70歳を振り返ってみようと思っている。

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