続けて70歳のトライアスロン日記(3)。この金曜日12月3日に痔の日帰り手術を受けた。

トライアスロン

痔にもいろいろとあるようだが、私の場合は痔核、いわゆるいぼ痔。
今日はこの痔がテーマである。
日本人の二人に一人は痔もち、なんて話も聞くが、ネットで調べても、痔の治療法や病院のPRはよく見るものの、痔を患った体験談が少ないように思う。多くの体験談があれば、自分と比較していろいろと見当をつけたりするのだが、なかなか見つからない。
まあ、あまり人に話す病気ではないことはよくわかる。
しかし、しかしだ。
日本人の二人に一人に向けたメッセージとして「それでは私が書いてみよう」と意気込んで(笑)みたいと思う。
まずは手術の様子をお伝えしたいとも思うのだが、病気というやつは経過観察なんて言葉があるように、時間軸に添った状況把握が必要である。
そこで、まずはことの始まりから。
50年も昔、大学時代である。初めて痔に襲われたときはハッキリとおぼえている。場所は神宮の野球場で大学野球を見ていた。寒いくもり空であった。その頃の座席はコンクリートのむき出しであったように記憶している。冷えたのだろう。急に違和感と痛みに襲われて「ああ、痔になってしまった。これが痔なのか」というその瞬間を覚えている。いまでもその光景を覚えているほどにショックであった。思い出してみると、ポイントは腫れであり、肛門部にまさに「いぼ」の違和感を覚えた。ただの痛みではないから驚いたのだ。
そのあとの記憶はないが、多分トイレに行き、肛門部を触り、腫れ(いぼ)を確認したことであろう。その後も記憶を引きずっていないので、短期間で自然治癒となったと思う。
次の記憶はそれから10年。結婚して子供はまだいなかったので28歳か29歳であったと思う。編集の仕事をしており、締切で徹夜が続いていた。3日ほども横にもならずに机に向かって入稿作業を続けていた。いま思うと考えられないよなあ。
そしてある瞬間に、みるみる肛門が腫れていく瞬間が訪れた。この瞬間もよく覚えている。このときは「いぼ」というよりひどい炎症で、自分で見たわけではないが、感覚としてはまさにタラコのように腫れていったのだ。
この時は締切が終わり、十分に睡眠をとって疲労回復し、ボラギノールにお世話になることで自然と治った。
その後、何回か痔の症状に見舞われたが、多くの原因は長時間の座業、過労であり、ボラギノールで手当をして疲れを回復させると自然治癒となった。普段便通は「朝食後に一発」という「快便派」で、時折下痢気味の程度で、便通と痔とを結びつけることはなかった。「たまには痔になるが、疲れをとって、ボラギノールで自然治癒」というのが、私の痔の認識であった。
治療はだいたい、ボラギノール1箱以内といったところか。
それで今回である。悩みはまず「下痢」として訪れた。大まかに3年前からである。朝食後の一発が軟便となり、すませても5分後に2回目、また5分後に3回目、さらに直後には4回目にもなっていまう。3回目からは完全に水状態。勢いよく水が通るので、肛門がヒリヒリと痛む。
まず困ったのは、安心して出かけられないというころなのだが、これが不思議に3回か4回もトイレに駆け込むと、いったんピリオドが打たれるのだ。それを確かめて、シャワーを浴びて出かける用意となる。シャワーを浴びるとヒリヒリも収まってくれる。
しかしだ。昼食後にも下痢となるのだ。これはまいった。そのため、よく出かける地下鉄の駅などのトイレを覚えるようになる。幸いなのは、最近の公共トイレの清潔さ。私のような昭和の人間にとっては、驚きである。
この下痢が続いて、2年前には痔となる。今回は簡単に自然治癒はしてくれない。毎日下痢で肛門を痛めているのだから、悪くなる一方である。
痔を強く自覚するようになったのは、ランのトレーニングである。走ると痔核が腫れて痛むのだ。今回は簡単に自然治癒はしてくれない。毎日下痢で肛門を痛めているのだから、悪くなる一方である。走ったあとは風呂につかって、痛みをなだめ、日常生活で始終意識することはないが、ともかくランのトレーニングができない。
そうしているうちに、2021年の長良川トライアスロンが近づいてくる。
さて、どうする。
「この大会まではなんとかなだめ、大会後に治療に向かおう」
思いを定めて、毎日痛みに耐えて10キロを走っていた時期があったなあ。
痔の手術 終えてスッキリ 秋の夕焼

実のところは「スッキリ」は願望で、痛みに悶々としているところ。
さて、この続きは次回とする。
写真は手術後にいただいた説明書。

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