昨年12月からの半年に及ぶ心身の休みと回復。すべては終わっていくのだ。

トライアスロン

昨年の12月から約半年。
ようやく「心身」が回復して自分自身を取り戻してきたように感じている。
こうしてブログに向かう時間、心の余裕もとれるようになった。
この半年を振り返れば、新年を迎えて歳を重ね、年年歳歳桜は咲き、人並みに花見にでかけ、いくつかの展覧会で絵を愛で感激に浸り、贅沢な席でラグビー観戦プラス飲み会を楽しんだが、なんともせわしなく、我が身を忘れるような日々があって、5月の連休も休んだのは一日ぐらいだっだろうか。
まずは心身の「身体」について。
12月に痔の手術で、その後約3か月は回復待ちだった。
ようやく走れるようになったと思ったら、左膝に水がたまり、屈伸もできない。
膝の水を抜きに整形外科に通って、まだ通っているのだが、これは元にもどってきた。
そうこうするうちに喉の炎症がはじまり、2週間ほどはともかく「疲れる」のがまいった。夕方には一日の疲れから、帰宅する地下鉄で一台乗り過ごしても空いてる席を探してしまうのだよ。幸いに新型コロナではなかったようで、これも気が付けば回復している。
そんななかで、手羽先の骨をかじって歯を痛めるなんてこともあった。
なかなかに大変だったのだ。
この間、仕事は新しく始まるプロジェクトがいくつかあって、それぞれに手さぐりで仕事の形をつくっていく状態でパソコンを叩きまくる毎日だったのが、進むものは進む、思うようにいかないものはいかないことがハッキリしてきて、だいぶ落ち着いた日々となってきた。ようやく「なにもジタバタしてもしょうがない」の心境となった。
さらに確定申告、決算、復興支援金の手続きと続いたのだが、これも何とかやり過ごした。
心身ともに、大変であっても、我が身を忘れても、すべては終わっていくのだ。

こうしたなかで思うのは「なかなか思うようにはいかない」という至極あたりまえのことで、この年齢になって言うようなセリフではなく、まあ、30過ぎあたりで実感するものとも思うだが、残り人生少ないこの歳になると、その状態に抵抗するのでもなく、嘆くでもなく、「仕方ない」と心に収めて一日一日を「やり過ごし」ていくと、穏やかな日がやってくるというわけだ。それで大いに満足で、その日は好きな音楽を聴いて本を読む。
そこでようやく話はトライアスロンに。
スイムはそこそこにやってきた。名倉コーチに学ぶこと多く、泳ぐということの入口にたてたような思いでいる。ポイントはフォームで、正しいフォームとは何かが、それができなくとも、理解し、それに向かうことができるようになってきた。
ただし、相変わらず遅い。今日は50メートル×4本の3セットだったのだが、1本目こそ1分3秒であったが、その後は1分5秒から10秒はかかってしまう。なんでこんなに遅いのだ。めげずにやっていくしかないなあ。
バイクは1回80キロのロングライドにでかけただけで、乗っていない。ジムで週に1回30分のエアロバイクでフォームを意識している。
ランとなると、膝を痛めてまったくの状態だ。
まずはランを回復させたいと思っている。
10キロは普通に走れる状態にもっていきたいと思っている。
話はそれからだ。
というより、ようやくこんな話ができる状態になったというほうが当たっているのかもしれない。
どこまでも 歩いていける 五月の夕陽

日差しが強くまばゆいばかりとなった。
こうした自然の変化を肌で感じるとき、トライアスロンを始めてよかったと思う。
そんな調子で、どこまでやっていけるのか。
それは自分でもわからない。
自分自身を愉しみに見ている。
写真は私のランニングコース。

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