書いていたのに「公開」のボタンを忘れて、こちらが後に「公開」です。
10月11日月曜は今年最後の海練。穏やかな秋晴れの気持ちの良い一日であった。参加者は20名ほどかしら。初めてお目にかかる方々のほうが多かったが、ムードはいたって和やかで、楽しめた。やっぱり海はいいよなあ。
レッスンは途中で2チームに分けて進行。1チームは距離を泳ぎ、もう1チームはターンなどの技術連を中心とする。自信はなかったが、今年最後の海錬、ロタ大会への準備などから思い切って距離を泳ぐチームに参加した。
そこで、多分500メートルぐらいを往復する距離に挑んだが、他の方々よりも大きく遅れ、途中休みながらもなんとか泳ぎきることができた。やはり回を重ねることで、海になれてきたことが第一。これで不安いっぱいのままに海に飛び込むこれまでの状態から、不安ながらも自分をコントロールして泳ぎだす状態になれたように思う。
途中の休みも、これまでは息が苦しくてギブアップの状態であったが、方向確認をかねて気合を入れなおすリセット程度の小休止となった。
精神的にはやはり「自分が前に進んでいるのかわからない」という閉所恐怖症的孤独状態がつらいが「そのうち着くだろう」といった開き直りも自己コントロールできたように思う。これも回を重ねた慣れに加え、ブレスが多少は上達したのかもしれない。
あと問題はやはりスピードだね。一人大きく遅れる。多分皆さんは50メートル1分以内ではないか。私の場合は50メートルで20秒ほども遅れてしまう。ウエットを着ているので、身体は水平位置に保たれているのかとは思うが、結局はクローリングや手のかき、それと姿勢のブレといったところが問題なんだろうなあ。
遅れということでいえば、水泳に限らず、ランでも若い人には大きく遅れる。若い人の巡航スピードがキロ5分30とすれば、私の場合は6分から6分30秒、レースでは7分ペースとなってしまう。しかしランでは遅れても抜かれてもあまり気にならないのに、スイムでは遅れがどうにも気になるのはなぜだろう。
多分ランは遅くとも「これが自分の速度」と納得できるのに対し、スイムは「もう少し速く泳げるようになるはずだ」という思い込みがあるからだろう。それは過酷な練習によってもたらされるようなものではなく、もう少し技術的に上達すればできるはずのことであり、そんなに遠い目標ではない、といった認識である。この認識が錯覚でなければいいのだが。。。
そんな状態のなか、今回のスイムで自分なりに手ごたえをえたことがある。それは腕のかき具合。例えばトータルイマージョンの映像などをみると、手をかく際に肘を曲げ、割合と近い位置で水に肘をたてた状態で入水し、水中でクローリングしながら腕を伸ばす。一方は、肩から大きく腕を回すように遠い位置に肘はどちらかといえば伸ばした状態で遠くのものをつかむようにして入水し、更に腕をのばし、肘を曲げてキャッチする。
これまで大きく二つの方向があるなあと漠然と思っていたが、今回のスイムで、海では大きく腕をまわすほうが泳ぎやすいと思った。一つには、大きく腕をまわすことで波の影響を避けることができるような気がした。小さいかきだと時折波にぶつかる気がすんだな。そしてゆっくり大きくまわすリズムが長距離を泳ぐのになじみやすいように思えた。海のリズムに合っているような感覚なんだな。
そこで改めて振り返ってみると、私からみると岩田コーチ、平野コーチとも大きく腕をまわすタイプ。遠泳に挑んでいるIさんの泳ぎを先日TIPNESSのプールで見る機会があったが、Iさんも大きくまわすタイプであった。なるほど。
これで速くなるかどうかは別として、スイムについては、少しづつ、薄皮を一枚一枚重ねるようにしていくことなのだと一人納得している。
なんて書いていると、今日はそのつもりではなかったが、夜に泳ぎに行こうか、なあんて考えてしまう。あともう少しで手が届くような気がしているが、難しいものです。
あそこまで わが身励まし 海泳ぐ
海に浮き 秋の気配を つかみとる
海錬から帰り、次女の家に。
久しぶりに孫の顔をみてソーメンをいただく。
コメント