レースからだいぶ時間が経ってしまった。帰国以降仕事の締め切りがド~ンと前に立ちはだかり、先週は火曜・土曜のレッスンも欠席といった具合で、ブログに向かう余裕がとれなかったこともあるが、気持ちの整理がつかなかったことが大きいと思う。
リザルト。()内は昨年
スイム 1:00:13(1:05:46)
バイク 1:33:25(1:41:21)
ラン 1:14:48(1:18:16)
合計 3:56:40(4:16:02)
昨年と比べれば3種目ともタイムを伸ばしてはいるが、不本意だったなあ。問題のスイムでは何回も止まっては立ち泳ぎとなり、当初の念願であった「休まずに泳ぎきる」ことがかなわなかった。
バイクは途中チェーンがはずれる、コースを間違えるといったアクシデントはあったが、気持ちよく走ることができた。一方のランは足が動かず、最後は左足の指の付け根が痛み、苦しかった。
足を痛めていたこともあり、トレーニング不足に、昨年と比べて4キロも太ってしまい、写真をみてもポチョポチョで恥ずかしい。よって全体のパフォーマンスは良くはなかった。バイクはあと5分早くはできたな。気合足らず。ランは1時間以内にしたかったのに。
でも不本意の一番の原因はやはりスイム。このブログでも書いたが、前日のトレーニングでは気持ちよく泳げて手ごたえをつかんでいたのに、本番ではそうはいかない。これは何かと思いあぐねているなか、スキューバダイビングでは閉所恐怖症が大きなネックになることがあるという話を聞きつけて、なるほどと得心した。
スキューバとは大きく異なるが、泳ぎきれないのは、単に息が苦しいばかりではなく、むしろ周りを見たくなってしまうという不安心理があるものと思いいたった。私の場合、年齢からスタートは最後尾となる。もともと泳ぐのは遅いので、一人取り残されてのスイムとなって、余計に周りを見たくなる。平泳ぎでもいいのだが、残念ながら私の場合、ウエットスーツでは平泳ぎがまともにできない。よって立ち泳ぎとなる。しかも一度立ち泳ぎをしてしまうと、これが癖になり、少し泳いでは立ち泳ぎのパターンに陥ってしまう。
そこで水泳と閉所恐怖症との関係をネットで調べると、こんな記事に出会った。
オーストラリアからのニュースで、「72歳のリネットさん、サーフスイム大会で1.5キロを泳ぎきる」という見出し。「800名以上が参加。コースは1.5キロ。そんななか、652名が完泳。彼女もその一人。完泳できたことは彼女の自慢でもあるという。所要時間は2時間以上。年配の方の参加もあったが、それでも彼女とは20歳以上離れていたとか」とあったが、リネットさんのコメントが目に付いた。「実は私は閉所恐怖症、そのためずっと顔を海面上に出さないといけないこともあり、これでまた疲れた。普段は2キロぐらい静かなプールでレギュラーに泳いでいる。しかし海はやはりプールとはまったく違う」というもの。「同士を発見」の気持ちとなった。
確かに泳ぐ力は弱いし遅い。でもそれと続けて泳げないこととはちょっと違うことと思ってはいたが、自分のなかではこれではっきりした。
そうか、私は水泳の閉所恐怖症なのか。これもトライアスロンを始めることで知った新事実。となれば対応策も考えることができる。というわけで、不本意な気持ちの整理も一段落つけることができ、なんと家の近くの心療内科を調べ始めたりしている。おもしろいものだ。
スイムの自主練ではプルブイをつけてのヘッドアップを試している。ヘッドアップは毎回行う。こうすると泳ぐことのイメージが大きく変わっていく。ともかく前を見て泳ぐことに専心をする。
今回のホノルルは何か大きなきっかけになったのかもしれない。
この夏も あいも変わらぬ 悪戦苦闘
泳ぎだし あわ立つ気持ち 湧き上がり
次回は7月3日の昭和記念公園でスプリント、翌週10日に館山と、2週続くことをいまはじめて気がついた。うかつだねえ。どうしよう。
昭和記念は練習のつもりで行くか。
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