村上春樹の本から、トライアスリートとして印象に残ったこととは。。。

いま、本を読み返さずに、記憶だけを頼りに、印象に残ったこと、改めて自戒したことを書き出してみる。
一日10キロ、少なくとも週に5日、50キロは走るとのこと。すごいなあ。一日10キロはちょっと無理だが、1日5キロは走るようにしたい。
その一日の時間割は、5時に起床、一仕事をすませて、昼前に走るという。
私の場合もこれだと思う。朝は一番集中力を保つことがでくるので、大切なデスクワークは起きて食事をしたあとの3時間に当てたい。5時起床~7時までに食事とストレッチ~10時過ぎまでの3時間でデスクワーク、メールチェック~ラン30分~11時から食事で12時半に一段落、というのが理想的だなあ。
そのためには呑み会もコントロールしなくてはならないが、私には「悪いけどお先に」というのが、なかなかできない。ここがポイントだな。
村上春樹もトライアスロンのスイムで過呼吸の発作をおこしたという。それを描いたくだりは、やはりいちばん撞着した。そのあとの心のもちようも含めて、このくだりは「そうそう」とニヤニヤしながら読んだ。
バイクについて、その姿勢はあまりに不自然であり、肉体にダメージを与えるものであることを、私がみるところ、相当な熱意をもって書いていたのは大いに共感した。いまバイクに人気が集まり、「バイクっていいよなあ」といったバイク賛美の記事がめにつくなか、私は「何がそんなにいいのか」と皮肉な思いでみているところがある。そんな私の気分にしっくりとした。
ともかく続けていくことが大事であることが繰り返し指摘されており、それは実に心に染みた。
続けていくことの何が大事かといえば、満足のいくレースとするうえで大事であることはもちろんのこと、適度な緊張感を日々持続して暮らしていくうえで、とても大事なことなのだ。さらに話を進めて「適度な緊張感を日々持続して暮らしていく」ことの何が大事かといえば、村上春樹は小説を書くことそのものとして捉えているようであるが、確かに長編小説を書き上げるという行為には「適度な緊張感を日々持続して暮らしていく」ことはいかにも大事であろうと思う。
一方私にとっても、やはり頭に浮かぶのは仕事なんだなあ。仕事を行うということは、「適度な緊張感を日々持続して暮らしていく」ことそのものであり、集中して仕事に向かっていくうえで、毎日肉体を刺激すること、そうした生活を習慣として管理することは、実に有効な方策なのだ。
さらに言えば、「ともかく続けて」いけば、だんだんと肉体がそれに対応し、気持ちよくなっていくことは間違えない。
これが運動の面白いところで、例えばランであれば、最初の5分は苦しくとも15分でフォームが固まり、30分を過ぎればランニングハイの状態が訪れる。まるで全身にシャワーを浴びたかのような爽快感が全身にいきわたる。
苦手なスイムにしても、私でさえ、時折は泳いでいるなか頭に音楽が浮かび、30分も泳いでいられる時間がある。嫌いなバイクでも、サイクリング気分で流れる風景を身体に感じる陶酔がある。その陶酔はまさに「ともかく毎日続ける」ことでしか得ることはできないのだ。「ちょっと麻薬の感覚があるなあ」というのは私のつぶやきで、村上春樹がそんなことを書いているわけではない。
というわけで、この本はトライアスリート岩崎にとって、大きくプラスになったことは間違いない。
次に、このブログを書いている岩崎としての感想。
私がこのブログを書いてみようかと思った理由の一つに、スポーツを行っている人間がダイレクトにその体験を書いている文章がとても少ないという認識があった。その点で、この本はまさにスポーツを行っている作家の肉体の文章として、好意をもって受け止めた。
スポーツを扱った文章については、試合のレポートは別にして、インタビューや誰かの訳知りの解説はあるが、そうして書かれたものに共感をもったことが少ない。むしろスポーツを文学的な思い込みで分析することへの違和感をもつことが多かった。
これはささやかな経験であるが、昔テレビですでに病魔に冒されていたモハメド・アリに沢木耕太郎が「あなたのこぶしはあなたに何をもたらしたか?」という質問を発しているのを見て、とても大きな違和感をもったことがあった。「栄光、名声、富、そしてこの病気さ。このこぶしが俺の人生だ」なんて文学的な返事を期待してたのかなあ。モハメド・アリは当然のこととして、このような文学的な質問そのものを理解しているようには見えなかった。テレビは会話にならないやりとりを伝えていた。私はテレビに向かって「勝手な思い込みでバカなことを聞くなよ」とつぶやいていた。
私としてはそんなスポーツへのアプローチ、人間感動物語りとしてのスポーツドラマ過剰演出勝手解釈ににうんざりしていた。であれば、私が書いてもいいだろうと思ってこのブログを始めた。
そうした私にとって、この本は、大作家と比較するのもおこがましいことはなはだしいが、自らスポーツを実践する私と同類の人間の思索と言葉として、共感をもつことができた。
ここには文学的な修辞はない。アスリートとしての真摯な言葉と思索があった。走ることを人生と重ねるものではあっても、安易な人生論で走ることを解説するものではなかった。それはまったく違うものと私は思っている。
さすがに村上春樹。でも、私とは違う村人なのだなあ。
落車して 秋の夜長に 腰さする
秋風に トライアスロン 身の痛み
どうも、無理に芸のない季語をいれるのは、いかがなものかなあと思いもするが、まあ、シャレとして受け止めていただきたい。
落車の痛みは和らいできたので一安心。
でも昨夜は寝返りがうてず、今日もまともにトイレに座れない。
そんななか、今日はジムに行き、バイクを20分、トレッドミルを20分、スイムを40分。気持ちのよい汗をかいた。
「毎日続けることが大事なんだよ!」と我が身に言いきかせる。

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