タテトラでようやく3時間30分切り。気持ちのよい天気のいい大会だった。

昨日は館山トライアスロン。今回での参加は3回目。結果は以下のとおりで、初めて3時間30分の制限時間を切ることができた。
トータル  3:20:28
スイム   0:47:55 581位
バイク   1:32:59 536位
ラン    0:59:34 522位
男子完走570名のうちで559名と、ほぼビリの成績だが、自分としては満足。ようやく人並みのラインに立てたのかと安堵している。一昨年の初参加は約4時間、昨年の2回目はランを1周少なく間違えての3時間40分。老化に立ち向かいながらも、記録はあがっている。ATA十条のOさんから「毎回速くなっていますね」と声をかけられたのがひとしお嬉しかった。Oさんとはレースで顔を合わす程度なのだが、どこかで気にかけていただいていたことに感謝する。
タテトラは場所が近いこともあり、知り合いの参加者が多く、随分と多くの方々と交歓した。これはトライアスロンの大きな楽しみで、ささやかながらマラソンやバイクの大会にに参加した体験と比較しても、トライアスロンならではの特徴のように思われる。
勝手な思い込みかもしれないが、お互いにいたわりあい、励ましあおうという気持ち、雰囲気が強いように感じる。
今年のタテトラはATA南行徳からは男女合わせて18名の参加。うちトライアスロン初体験も4名だったか。全員無事完走であり、和やかに大会を終えることができた。大会のあとは近くの温泉に行き、汗を流して食事。皆さんクルマがあるのでノンアルコールビールだが、私は乗せてもらう立場であったので、一人生ビールで、こうした仲間ととももに屈託のない時間を楽しんだ。
レースの魅力は社交であると言ったのはカールルイスである。彼はレースの前に他の競技者と握手することを常としていた。社交というのは単に仲良くなることではない。人付き合いのうまい人間が社交的なわけではない。ましてやおしゃべりな人間が社交に長けているわけではまったくない。
共通の話題をもち、お互いが一定の距離を保ちつつ、利害関係からは離れて、お互いを認め合い、共有する場をもつこと。即ち社交とは個人の能力ではなく「場」の問題なのだ。もちろんライバル意識はある、カールルイスのレベルであればそれが一生を左右する利害に直結する。しかし、レースのときは、あるいは「場の仲間」として集まっているときは、それを忘れて、あるいは抑えて社交を楽しむ。それはそれでなかなか知的な大人のマナーであるのだと思う。
トライアスロンを始めたことにより、初めて、リアルに、社交というものを体験できたように思う。もちろんそこにはレース後の食事やパーティなども含まれるが、それよりも、久しぶりにお会いした方とのレース前の挨拶、レース中の前後の方々との駆け引き、沿道からの声援、レース後の高揚感のなかでのお互いの声のかけあいなど、それらがまさに社交なのだと思う。
そこまで考えていくと、ブログやFacebookといったSNSの威力は大きいといわざるを得ない。会って挨拶する方々の近況を漠然ではあれつかんでいるといないとでは、声のかけかた、会話のもっていきようがまったく違ってくる。
今朝は昨夜の大会関係のメッセージがFacebookを飛び交っている。そして私はいま、こうしてブログを書いている。
そんなトライアスロンによる人付き合いと交歓、社交の楽しみを改めてかみしめたタテトラであった。
レースについては、まだ多少の伸びしろはあるだろうと感じている。昨日のレースであれば、スイムを40分以内、バイクを1時間25分は目標にできると感じている。ランも足の調子を戻して50分以内は狙えそうだ。と考えていくと、生きているうちに3時間は切れるかもしれない。特に記録を目標にしているわけでもないが、これも楽しみのひとつにしておきたい。
この前の日曜は富士スピードウエイで雨中のバイク大会であった。なんと同じレースで死者の出る事故もあった。次の日曜は保田でオープンスイムの練習の予定である。3週連続でかなりハードに動いている。自分では勝手にいい感じじゃないかと思っている。
梅雨の間に 日差しをうけて 汗流す
泳ぎきれ 呪文のように 繰り返す
昨日の午後は穏やかでいい天気であった。

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