ロンドンオリンピックが終わりを迎えている。来週は旧盆で夏休みのシーズンである。ことしも残すのはあと4ヶ月半となった。
歳をとると時の過ぎるのを速く感じるという。そうなのであろうか。私にとっては、今年の正月ははるか昔のことのように思える。思いだしてみても記憶の輪郭は曖昧であり、果たして何をしてたのかなあと首をかしげてしまう。ばたばたと追われて過ごす毎日の底辺で、私にとって時は実にゆったりと流れているようなのだ。北京オリンピックなど、歴史の彼方のような感覚でさえある。俺は健忘症かボケなのか。
オリンピックに出場する選手にとって、4年というのは基本的な時のサイクルであろう。加えて、スポーツ選手のピークの時は決して長くはない。そうした人にとっての時の流れとは、どのようなものなのだろう。
間違いなく確かな4年間という時を積み上げてきたであろう選手の活躍をテレビを見ながら、我が身の過ごしてきた時をふり返り、そんなとりとめのないことを考えている。
今日は千葉の保田での海錬に行ってきた。着いたときはちょうど激しい雨。空には黒雲がひろがり、どうなるかと心配したが、幸いにもそのあとは夏の青空。雨のために水は多少にごっていたが、水温は高く、波も少なく、気持ちよく泳ぐことができた。
不安の種のスイムであるが、海とウエットスーツにもだいぶ慣れてきた手ごたえがある。スピードが遅い、すぐに腕が疲れてしまうなど依然として課題は山積みではあるが、3年でようやくここまできたという手ごたえはある。
19日は沼津千本浜での駅伝で、今年で3回目の参加。一昨年、昨年の経験をへて、今年は多少はましなレースができるのではないかと期待している。「てごたえ」「ましなレース」というのは、自分がコントロールしていることを常に自覚し、フォームへの確かな意識をもって一定のペースを守り、安定した呼吸とリズムで泳ぎ、走ることである。
こうした状態は、私にとってまさにスポーツを楽しんでいる状態、自足している状態である。
先の木曜には皇居のナイトランに出かけた。7時半スタートの自主錬で、仲間6人が集まり、私は2周を約1時間10分のタイム。1周目走り出しは、は身体が重く、息がきれ、やめようかと思うほどであったが、後半にようやく息が落ち着き、2周目は気持ちよく走ることができた。終えたあとは皆で、トライアスロン仲間がオーナーのイタリアンレストランBOSSOに繰り出し、ワインとパスタとおしゃべりを楽しんだ。
昨日の土曜日はスイム+バイクのレッスンで、スイムは身体が重く、息が切れ、タイムもあがらず「夏ばて」を実感させられたが、レッスンの内容は「浮く姿勢」づくりで、これはこのところの私のテーマでもあり、大いに身になった。
バイクはローラー台で下のハンドルを握ってのフォームチェックで、そのあと約40分、江戸川沿いを走った。ローラー台のおけげで、フォームへの意識、手ごたえは一段と高まったように思える。
こうして文字にすると、58歳で始めたトライアスロンも3年を経て十分な手ごたえとなっているではないかと、改めて確かめる。スポーツは積み上げが効くんだよなあ。不安定で積み上げが効かない人生にあって、これはスポーツによって得る楽しさなのだ。スポーツに人生を見出すわけではないが、スポーツは確かに人生の重石になるようだ。
おそらく、時を長く感じる理由の一つはトライアスロンにあるのかもしれないと、とりあえず納得しておこう。
オリンピック 身体で時を 確かめる
越し方を お盆の夜に ふり返る
今回のオリンピックで強く記憶に残ったのは、ひとつは女子サッカー。
時を積み上げたものが見えた。
それと女子400メートルリレーかな。
23年ぶりの世界記録に鳥肌がたった。
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