正月のご挨拶以来、お休みにしていましたが、ちょっと書く気になりました。
今日はいつもの江戸川沿いのコースを1時間30分。おもしろいなあと思うのは、今日はまず走り始めて5分でストップ。どうしようかなあ、と頭で考えている。どうしようかなあというのは、どの程度、どのように走るかということ。さらに喉の渇きを覚えてさらにどしようかと思っているうちに面倒になって歩くことにした。まあ1時間は歩いてみようと思って歩き出したが、10分程度歩いているうちに、身体がいらだちを感じて、キロ8分ペースでのろのろと走りだし、よし1時間30分は走ろうとの目標を定めてのランとなった。それで結局1時間30分をきっちりと走った。
こうした心と体の動きが私にはおもしろい。人間ておもしろいなあと思う。どうしてこんなことで悩んだり迷ったりするのだろう。最近はそんなことがとても面白く感じられる。
以前はそんなことはなかった。練習でも走り出して途中で歩くなんてことは、まずなかった。でも最近では、走っているさなかに、なんだかめんどうになって、突然に足を止めてしまうことがある。トレーニングのために走りだし、走れてもいるのだから走ればいいではないかと思うのだが、ふと、足を止めてしまう。何も発作的な脱力といったものではない。プツリと糸が切れるように、足が止まる。少し歩いてまた走り出す。するとあとは結構走れてしまったりもする。
書店で走ることがアイデアを生み出すといったタイトルの本を見た。表紙を見ただけで読んではいない。きっとノンテンキなことを書いているのだろうとう勝手な思い込みで中を見てもいない。
ふと足をとめてしまう私はこう考えるのだ。走ること、生きることはきっとそんなことではないはずだ。
多分、多くの人が、そんなふうにして、歩くこと、続けることをふとやめてしまう。そんな日があるはずだ。それは私にもあるのだから。
東日本大震災の2年目の前の日に、走ることと生きることにふと思いが行く。
春の風 巻かれ嬲られ ひた走る
走ることで、何かに気づかされる。それは言葉にできないもどかしい感覚であり、書きたいという欲求を引き起こすものでもあるようだ。
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