どうしてトライアスロンを始めたのか。ことの経緯についてはこのブログで綴ってきたが、改めてもともとの動機を振り返れば、60歳以降も続けられる適当な「生涯スポーツ」を探していた、ということがある。
生涯スポーツとして、まず関心をもったのが合気道だ。その理由の第一は、歳をとって転ぶのは大変に危険なことで、下手をすれば命取りにもなる。そのリスクを軽減するには合気道がいいのではないかと考えた。また、一度も格闘技の経験がないので、男たるもの一度は格闘技に挑戦、との思いがあった。もう一つは社交ダンス。音楽に合わせて身を動かすのは好きで、女性が相手となるのも、新しい世界が広がりそうで期待をもった。
そして合気道も社交ダンスもネットで調べてもいたのだから、そこでピンと来ていたらそちらに行っていただろうと、まじめに思う。
それがあるパーティで大学時代にトライアスリートだったという人との会話から、トライアスロンへの歯車がまわっていった。
そして5年がたったのだが、今日のテーマは「生涯スポーツとしてのトライアスロン」。それも、私と同様に、60歳近い年齢で、まったくの経験もなく始めるスポーツとしてのトライアスロンってどうなのよ、ということを考えてみたい。
トライアスロンにはいろんな距離があるが、いまスタンダードになっているのはオリンピック距離。スイム1500メートル、バイク40キロ、ラン10キロ。このオリンピック距離を考えてみて、完走までいけるのかどうかといえば、いけると思った人はいけるというのが私の実感だ。別に根拠がどうこうというわけでなく、60年近い人生経験をベースに、なんとなくいけるという人は、続けていけばできると思う。60歳のあなた。ぜひ挑戦してください。「その気になった人にとっての生涯スポーツ」としてはお勧めである。
そしてもうひとつ。日本トライアスロン連合はトライアスロンでの事故防止を呼びかけるメッセージで次のように語っている。
『トライアスロンはスイム(水泳)、バイク(自転車)、ラン(ランニング)を自然の中で連続して行う魅力的なスポーツで近年愛好者が増加していますが、残念なことに競技中の死亡事例が発生しています。トライアスロンは、「レジャースポーツ」としてよりも「競技スポーツ」として認識し、十分に準備をして大会に臨んで頂くスポーツです。』
この一文を初めて読んだときには「なるほど」と思った。競技スポーツであることはトライアスロンの大きな魅力である。ランを趣味とするが競技には出ない。スイムは好きだが大会に出ることはない。それは大いにある話だが、トライアスロンのトレーニングをしていながら競技に出ないということは考えられない。競技を目標に準備を積み上げ、仲間とともに完走を讃え合うことこそ、トライアスロンの醍醐味である。
次はどの競技を目指すのか。周囲を眺めていても、能力のある人はアイアンマンに向かう傾向があるようだ。私の場合、とてもそれだけの能力はなく、むしろオリンピックの半分のスプリントに的を絞っていこうか、とも思っている。スプリントは幕張、横浜八景島、昭和記念公園、横浜山下公園など、比較的近場で開催される。レースも昼には終わってしまう。能力の高い人はスプリントの名のごとく、陸上でいえば中距離の感覚で、大変にきついレースとなるが、私の場合、スプリントでものんびり行くのでそれは問題がない。気軽な生涯スポーツとして楽しむには、近場のスプリントという選択もあるのだ。
たそがれる 光に向かう 命かな
書き出してみると長くなりそうで、次回も同じテーマでいきます。60を過ぎて漫然と生きていくわけにはいかない。60を過ぎると誰しも、多少は哲学することになる。あるいは宗教に魅かれることにもなる。それが自然な感覚と思う。
今回は尻切れトンボでまた次回に。
今日はスイムのタイムトライアル。はっきり覚えていないが、多分100メートル2分4秒、50メートル57秒、確かに覚えているのが25メートル23.2秒。これは嬉しかった。なんとなく、まだ2段ぐらいの伸びしろはあると感じた。頑張っていこう。。。。
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