http://tryathlon.at.webry.info/200908/article_1.html
一番身近なところで見ていただいてきたのが平野藍コーチ。
平野コーチに初めてお目にかかったのは、初めての水泳レッスン。2009年8月の4日である。
http://tryathlon.at.webry.info/200908/article_3.html
25メートルスイマーの私が、まがりなりにも、海で、1.9キロを、1時間で泳げるようになった。ロードバイクに乗って走りながら水を飲めるようになった。キロ8分のランはキロ6分を維持して走ることができるようになった。
いつも最後尾かタイムアウトだが、レースに出られるようになった。
それは続けてやってこれたからだ。
続けてやってこれたのは、藍コーチが身近で見ていてくれたからだ。
藍コーチでなかったらこうはいかはかったとまでは言わない。
しかし、藍コーチだから続けてこられたことは、確かなのだ。
それは藍コーチのコーチとしての優れた資質とスキルであると思っている。
その藍コーチが、ATA南行徳の担当から異動になった。ショック。
改めて、藍コーチの存在を考えてみたくなった。
私のなかでの藍コーチを、改めて確かめ、しっかりと胸に刻みたくなった。
市民アスリートに対するコーチにとって、最も重要な使命あるいは使命を達成するためのスキルとは何か。ささやかな体験からの私的告白を試みる。
■練習の模範を示して解説する
まず第一にこれをあげる。最も重要な使命とは、続けさせることなのだ。
続ける意欲を継続してもたせることなのだ。
そのためには、正しい練習法を、しっかりと納得させることがカギとなる。
その練習を続ければ、必ずや何らかの成果が生まれることを納得させる。
そして納得をさせるためには、「模範の明示と説明」が不可欠となる。
具体的にはどういうことか。
例えばサイドキックのスイム。その模範演技を示す。しかも、この練習がどんな意味があるのか、だから練習の際に何を気をつけるべきか、練習はどうあるべきか。これをしっかり明快に示す。
あるいはランへと向かうウォームアップの際に、その練習法のフォーム、その意義、その注意ポイントを、美しく、そして的確明晰に、繰り返し伝える。
市民アスリートが何をすべきかを示すというのはまさにこのことなのだ。
そして、このことにおいて、藍コーチは常にエネルギッシュで明晰であった。
模範演技はいつも美しく、常に熱心に、なぜこれが必要なのかを説く。
だからこうすべきという模範を緊張感とともに示す。
こちらはけっこう年もいっている。頭でわからないと行動はできない。生涯スポーツを支えるものは「納得」である。そしてこの納得こそが、信頼の種となる。
頭で理解し、イメージを視覚に焼きつけ、その方策につき、論理的な納得を得る。
この困難なプロセスを、藍コーチは自然に、軽々と示してくれた。特筆すべきである。
■できない要求はせずに見守る
目の前にモデルが示されたといって、かんたんに出来るわけではない。というより、かんたんにできる人もいれば、できない人もいる。できない私はもちろん劣等感を感じる。しかも、できないからといって、コーチが特に私に注力すれば、衆人監視のなかで、劣等感はさらに高まっていく。
できないからといっていたずらに叱咤激励してはいけない。私のようにまったくできないものに対しては、見つめることがポイントである。
できないことは私自身がいちばんわかっていることへの基本的な理解があるかどうか。
そして注意するときは、いま変われるレベルの注意を個々に行なう。そして黙って見守る。つまり、注意は誰にとっても、いま対応可能な注意に限定をする。だからできる。そして励ます。これはとても重要なことなのだ。
できないからといって、特別に注意をされても、できるわけではない。衆人のなかで、できないことを叱責されるばかりの記憶が残るだろう。そうなったら、さよならトライアスロンは目前となる。
続けるモチベーションの最大の要因は「プライド」である。
藍コーチは間違いなく、私のプライドを支えてくれたのだ。
見守るとはどういうことなのか。藍コーチは見守りの名人である。
■等しく接する
ATA南行徳でも、年齢、能力は個々に異なる。私は最年長で、能力はいつも最後尾である。しかし、弱い、能力の至らない者も、若く、能力の高いものも、同じように接する。
これは市民アスリートに対するコーチの接し方の基本のように思われる。
なかなかうまく説明しがたいのだが、私は「距離感」のように感じている。だれに対しても同じような距離感で情熱を傾ける。ホットではくクールである。でもしっかりと見てくれている手応えを感じる。
それはコーチとしての職業的誠意に基づくものであるように思う。プロ意識といってもいいだろう。個々の生徒に対してプロとして個々に接する。
だから私にとって藍コーチはあくまで、尊敬をこめて「藍コーチ」である。決して親しみやすい「藍ちゃん」などではないのだ。
■声をかける
レース前、レース後、休みが続いたとき、ケガしたときなど。ATA南行徳のメンバーは誰しも藍コーチに声をかけられた経験をもっているはずだ。声をかけられた嬉しさは言葉にできない。さらに、合宿や練習会のよびかけなど、チームの中心にはいつも藍コーチがいて、チームの文化を創ってきた。ATA南行徳チームの中心に藍コーチがいる。
また夏に 重ねた日々が 胸焦がす
もちろん岩田コーチもこうしたスキルを十分に備えている。というより藍コーチも岩田コーチに学ぶこと大であったかと思っている。いいコンビにめぐまれた。
しかし、藍コーチは愛らしい。なんせ、私の長女と変わらない年齢なのだ。
この一事をもってしてもトライアスロンを始めてよかった。
藍コーチ、感謝です。
そして、これからもご指導よろしくお願いします。
最後に、藍コーチのファッションについてヒトコト。
昔、夏のバケーションシーズンに1週間ほどパリにいたときのこと。世界から集まってくる観光客はそろってTシャツとジーンズであった。でも、アメリカの女子学生は見るからイモであり、パリの女子学生は素敵におしゃれであった。同じTシャツとジーンズでこうも違うのかと驚いた。
私は藍コーチのファッションにパリジェンヌを見ている。
写真は藍コーチのお別れの夕べ。
ボーイッシュなヘアカットと紺のワンピースがなんとも素敵じゃないか。
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