一昨日のバイク転倒による腰の打撲がまだ痛む。スキーも最後にやった記憶は少なくとも30歳前だったので、ほほこの30年は大きく転ぶということがなかったんだよね。日常生活でも蹴つまずくのはしょっちゅうだけど、大きく転んだ記憶はない。だから、たいした転倒ではないのだが、本人にしては心身ともにけっこうな衝撃であった。
でも、みんなどうしているのだろう? というときに助かるのはインターネット。「ロードレーサー シューズ 着脱」で打ち込むとでてきますねえ。そのなかから「立ちごけ」という言葉を覚えた。私の場合は典型的な「立ちごけ」だね、これは。走ってこけるのではなく、まさに立ってこける状態で、誰が言い出したか、上手いネーミングと感心する。
また「立ちごけ」で痛い目に会っている方も少なくないようで、「これは初心者の多くが体験する通過儀礼のようなものなのか」とも思う。その対応としては、練習を重ねて慣れるしかないのだろうが、それにしても公道では怖いよね。止まろうと思って右に倒れて車にひかれるなんて事故もあるだろう。もっとも私はロードレーサーを公道で一人で乗るつもりはいまのところまったくないのだが、それでも公道の時に履く普通のソールの(足を固定しない)シューズというのは考えなくていいのか? 今度、アスロニアの遠藤さんに聞いてみよう。
立ちこけて 痛みを冷やす 西瓜かな
立ちこけを 調べながらに 蝉の声
水泳もバイクもランも、手探りのなかで「みんなそうなんだ」「そういうものなんだ」と知ることは安心と勇気につながる。こういうときに、インターネットのもたらした文明のありさまというものをリアルに感じる。
ポイントは「これについて知りたい」という動機であり、言い換えれば「動機」さえ明確であれば、多くの知識や繋がりを手に入れることができる。キーワードとしてイメージできるような「明確な動機」、あるいはキーワードを探すなかで「明確な動機」を発見していくこと、これは自分自身との「対話=ダイアローグ」である。情報化社会を示す一つのキーワードである「対話=ダイアローグ」に思いをいたす。
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