その原因の第一は右足肉離れ、そして風邪、喘息、蓄のう症。次々と襲う病気のなかで、毎週「この週末はOKかなあ」という期待をもちながら、結果1か月の休みとなってしまった。
それに、この身体の具合に合わせて、どうやらたまっていた疲れが出たようにも感じている。どの程度の期間の疲れがたまっていたのか、私にもよくわからないのだが、ともかく倦怠感が抜けず、眠くて、よく寝た。仕事はけっこう忙しかったのだが、仕事が終わるとすぐに家に帰り、食事を済ませて床にはいる。だいたい10時には寝てしまう。そして起きるのが7時とか8時とか。我ながらよく寝るなあと思うのだが、これが眠れてしまうのだ。
そこで「体の具合も悪いし、トライアスロンはシーズンオフでもあるし、この際しっかり休んでおこう」との気分となり、この1か月は静かに暮らしてきた。
歳をとって静かに暮らすというのはこういうことなのか。
そんな実感ももった。
それは落ち着いた状態のなかで、だんだんと自分自身のの全体が委縮していくような感覚だ。1日の中で、身体を動かす時間が少なくなる。「エイッ」っと力を込めることもない。外に出て外気にあたることも少なくなるので、五感が刺激されなくなる。仕事以外は頭を働かせることが面倒になり、好奇心はすっかりと衰える。時の流れが目の前の他人ごとになる。しかもそれは暖かい布団にくるまれて、ゆっくりゆっくりと眠りに落ちていくような快感でもあるのだ。
「浮世のバカは起きて働く」という言葉を思い出す。
なるほどなあ。衰えていくということはこういうことなのか。
そんな思いが、とりとめもなく、頭に浮かんでくる
そこで思う。トライアスロンを続けている日々がいかに刺激に満ちたものであるのか。
目ざましのアラームでで早く起き、トレーニングウエアの準備を整え、トレーニングを意識したやや多めの食事をとり、ストレッチで意識を高め、ジムに行き、着替えてシャワーを浴びてプールに入る。全身が水に反応し、水中で吐く息と身体が水に浮く感覚を確かめる。スイムでしっかりと身体を温め、次はラン。日差しの中に飛び出して眼を細め、風の強さを全身で感じる。準備運動で改めて全身にスイッチを入れる。走り出し、苦しい呼吸のなかで、自分がどこまでいけるか挑戦する。
これらは毎週の、当たり前の、トレーニングの流れなのだが、こうして書き出せば、実に豊かな心身の活動であることがわかる。これはここまで積み上げた大きな資産だ。
陽だまりに 一人思う 老いの坂
この1ヵ月は、心身のいい休養になったと思う。50歳で妻が癌を発症して以降、この15年はまさに疾風怒濤の、激しい緊張に包まれた日々で、こうした、自分一人の休養をとったことはなかったように思う。そのことをこうして言葉にして、しっかりと自覚する。
老いていくことは、心身ともに、そして暮らしの活動範囲が、委縮していくことであるようだ。そして委縮の果てに永遠の眠りが訪れる。であれば、加齢のなかで衰えつつも、心身に刺激を与え、毎日あちこちへと出かけていくようにしよう。
それに疲れたら、今回は1か月の休養となったが、休養は1週間ぐらいいだろう。
そうした暮らしへの意識を高め、否応なく委縮が始まるまでは、元気に励んでいきたい。
写真は奄美大島。来年も行こう。
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