ラグビーワールドカップの記憶。その3 はたしてこれは「一過性のもの」なのか?

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ワールドカップの始まる前の心配事は観客の入りであった。日本戦、準決勝・決勝戦は問題ない。ティア1の国々同士の対戦、決勝トーナメントも、まあ、そこそこ埋まるだろう。しかし、予選はどうなのか。ジョージア・ウルグアイに人は集まるのか。多くの試合で、空きが目立つ客席の様子が世界に放映されることになるのではないか。大会関係者もテレビのインタビューで「目標は客席を埋めること」と話していた。
しかし、いざ切符販売となると、予選からけっこう埋まっていき、正直ちょっと驚いた。そして最終的にはチケット販売率は全会場を通して実に99・3%になったという。果たして日本が勝ち進んだからこれだけチケットが売れたのか。それもあろうが、終わって振り返れば、釜石でのフィジー・ウルグアイも、福岡でのイタリア・カナダも、大会前からしっかりと売れていたのだ。
私は日本の快進撃は「あり得る」と思っていた。しかし、これだけのチケット販売は考えられなかった。ラグビーはそんなに人気のあるスポーツではない。私がラグビーフアンと知っている友人からは開幕直前に「全然盛り上がっていませんね。誰も知らないですよ」と言われて返事ができなかった。
これだけ観客を集めたことはまさに大会関係者の努力のたまものなのだが、それだけではないだろう。
私が思うのは、地域の人々の力、そして地域と今大会のかかわりだ。
札幌、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、福岡という大都市はさておく。
釜石、熊谷、静岡、大分、熊本はいずれもラグビーが盛んな地域である。昨日今日のことではなく、ラグビーは地域の文化としてしみついている。
よって大会の運営にかかわるラグビー関係者ばかりでなく、地域のラグビーを愛する人々、さらには近所や親戚や友人のラグビー少年を愛する多くの人々が、地元での大会の成功を我が事として祈り、その底力を発揮したであろうと考える。
開催地のみならず、キャンプ地も、地域としてワールドカップを迎えるさまざまな準備を重ねてきたことであろう。会場案内やファンゾーン警備などのボランティア、外国の国歌を練習する子供たち、それを応援する家族、外国人客を迎える宿泊、飲食、交通などの関連企業など。こうした積み重ねと結束が今回の結果を支えたのだろうと思う。

「地域のラグビーの底力」。
これはしっかりと頭に刻んでおきたい。
というのは、大会後にはもう、「この熱気はいつまで続くのか」といった話が出てくる。確かにこれほどの熱気は長く続くものではない。ラグビー関係者がこの盛り上がりを生かしていかなくてならないと考えるのは当たり前のことだ。しかし「まあ、落ち着けよ」と私は言いたい。
「ラグビーを支える地域の底力」はしっかりと地域に蓄積されたと私は考える。これは決して「一過性」といってすますものではないのだ。

また、今回予選突破をクリアしたため、次回のベスト4の可能性を占う記事も見受けられる。選手が次回の目標を今回以上とするのは当然だろう。しかしそれを受けて「今回のようにいくと思ったら大間違い」「そのために協会は何すべきか」なんて記事が早くも出てくる。
次回にベスト4を目指したいという選手の熱意を心地よく受け止め、ねぎらい、これからの4年を楽しめばいいではないか。
「次回はこうはいかない」なんて声には「だからどうした」と返してやりたい。
次回のことはわからない。
同じことが起こるはずもないではないか。
わかっているのは選手もフアンも4年後を楽しみにしているということだけだ。
4年後はフランス。
選手は準備を重ねる。
フアンは、いくらかかるか、貯金をしなくては、などど考え始めている。
その時間を楽しもう。
写真は秩父宮ラグビー場でのイングランド・南アフリカ決勝戦のパブリックビューイング。
南アフリカは強かった。大会前の熊谷の日本・南アフリカはナマで観たが、2段以上ギアがあがっていた。
大会を通してチームが出来あがっていった感じがする。

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