71歳の誕生日に思う、老いの暮らし、老化の技術。 

トライアスロン

2月16日に71歳の誕生日を迎えた。
この前のブログは1月2日の新年のご挨拶ブログ。
それ以来、何回か下書きを書いてみたのだが、どうもしっくりこないまま、アップを見送ってきた。
そんなうちに誕生日となり、いま改めてアップに向かおうとしている。

「しっくりこない」というのは、いろんな要因といろんな状態がある。
まず状態からいくと、やはり痔の手術は大きなインパクトであった。1月20日に治療完了となり、積年の不快感から逃れることはでき、トレーニングも再開して、ほぼゼロ地点にまで戻ってきている実感もあるのだが、肝心の暮らしのリズム、ペースがうまくつくれない。回復ができない。痔ではあれ、70歳過ぎての手術というのは、こんなに負担になることに驚いてもいる。
そして仕事の状態がある。日々やることに追われ、「その日にやるべきこと」が消化できず、すますべきことが先送りになって、ストレスがたまる。忙しいとは「心を亡くす」ということだそうだが、どうも仕事に追われる状態が続いている。
で、そんな要因を考えていくと、それが、どうやら「老化」に行きつくのだ。
どういうことかといえば、一日できることが確かに少なくなっているのだ。例えば以前は4つのことができていたので、その感覚で予定をたてても、こなせない。4つのところが2つ、下手をすると1つになってしまう。
テキパキとできず、活動全体が緩慢となる。そして、すぐに眠くなる。
自宅作業の日は昼食後は必ずといっていいほど眠くなり、うたたねのつもりが1時間も眠ってしまう。1時間も眠ればできることは減るだろう。出かける日は、家に戻ると疲れて、しばらくソファーで横になる。
いまテレビを見ていたら、アメリカ人や南アフリカ人は1日で9時間半も眠るそうだ。
私の夜の睡眠時間はほぼ7時間で、自然と目が覚める。そしてプラス1時間は二度寝をする。であれば、異常に睡眠に捕らわれているわけではないのだろう。

改めて整理すると、老化のために動作や作業が緩慢となり、加えて睡眠を必要とするようになり、1日でやれることが少なくなっているにもかかわらず、これまでと同様に予定を立てるのであるが、やりきれないことが多くなって暮らしのペース、リズムが崩れている、ということになるようだ。
このブログの趣旨の一つに「老いを感じる」ということがある。「老い」とはどのようなものであり、それは私の身体、思考、感性、暮らし、仕事にどのように働くのか。トライアスロンを通してそれを実感して、言葉とする。それがこのブログである。
これまで、「老いとは委縮である」と書いてきた。運動能力、感性が「委縮」している実感がある。その延長で考えれば、これは「生活の委縮」であるといえよう。
そして私が考えるのは「委縮」は避けられないものとして受け入れ、そのなかで快適に心地よく日々を過ごす方策を探し出す、あるいはそうした暮らしを創り出すことである。
さて、どうするか。
いろいろと考えてみると、直観としては「トレーニング」なのだ、これが。
委縮に抵抗して抗うわけではない。老化=委縮は自然の摂理であるのだから、それは受け入れ、あるいは全身をもって確かめ、味わうというのが私の考えである。
委縮に合わせたトレーニングを続けていくこと。
これが私が直観するこれからの暮らしの要諦、「老化の技術」である。

日々できることが少なくなっていると書いた。
要は「できない状態」に合わせた時間割の見直しである。
「老いの時間割」をまじめに考えなくてはならないようである。
そして「老いの時間割」の中心にトレーニングを据える。
これまでは暮らしのなかでトレーニングの時間を捻り出してきた。そこから、トレーニングを暮らしの軸とする。1週間の計画をトレーニングから考え始める。
「トレーニング」とは端的にはラン、スイム、そしてバイクである。
老いの暮らしのペースとリズムを創り出すとは、老いの暮らしの生活習慣を創り出すことであろう。
例えば朝の散歩。それも悪くない。あるいは朝にその日に食べる食事を準備するというのもあるかもしれない。なんだか1日が健康になるような気がする。朝の1時間をこのブログに充てるというのもあるなあ。
しかし、私の直観としては、「トレーニング」である。そう直観する背景にはこれまでの58歳からのトレーニングがある。「トレーニング」による心身への刺激が暮らしの軸になるのではないか。老人にはトレーニングが有効なのである。そのように実感している。
71歳 酷寒の誕生日に 母を思う
ここまで書いていくと、明日からでも朝ランにでかけるようであるが、そうはいかない。
私はそこまで勤勉ではない。
でも、今日はここまで書いてきて、これからの「しっくりする」暮らしへのヒントを得たようである。
幸か不幸か、仕事は現役まっただなかである。会議の設定と参加者の調整、企画書作成、交渉など、業務は日々異なり、なかなか計画はたてにくいのだが、かといって、仕事とトレーニングの両立なんて発想はない。あるいは、いうまでもなく、暮らしは仕事とトレーニングばかりではない。映画、芝居、音楽、読書、展覧会、ラグビー観戦、旅行、酒など、多くの楽しみがある。
これら総てを含め、まずトレーニングから全体の時間割を考えてみる。
71歳となり、それが「しっくりする」ための有効な方策と、改めて思うのだ。
写真は冬の青空。寒いが日差しは日々明るくなっている。遠くにスカイツリーが見える。まだ登っていないなあ。

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