トライアスロン始めて1年のライフスタイル

トライアスロンの初めてのレッスンが昨年の7月22日。今日でちょうど1年になる。1年を経て何を思うかといえば、まずは日々の暮らしのありかた。
日常のなかにスポーツがあり、大会という区切りに向けた日々のトレーニングがある。首、肩、腕、足首に痛みや痺れがあり、身体のメンテナンスも必要になる。これらを含めて、「自分で自らをコントロールし、管理する、緊張感をもった毎日」となった。これが気持ちよい。いま考えるのは、毎日の脈拍、血圧の管理、血液の定期検査などの身体の管理を日常的に行うこと。何も健康マニアになったわけではないが、そうして自らをコントロールすること自体が、気持ちよい毎日をおくる重要なファクターと思う。
次いであげると、運動能力の衰えの確認。何も考えずにできたであろうことが、できなくなっている。レースでもとても追いつけずに離れていく背中を眺める。これは一面さびしいことであるが、いまこの歳で自らの運動能力を確かめられたことはよかった。
トライアスロンを始めたことで、この1年が、確かに、自らを振り返り、新たな人生への日々の暮らしの形をつくる、マイルストーンになったと思う。
トライアスロンから実に多くの人間関係を得ることができた。実はこのことは始める前にはあまり意識をしなかったが、次第にそれに気づき、関連する集まりやパーティなどにできるだけ顔を出すようにし、トライアスロン仲間が大きく広がっていった。
トライアスロンなんてストイックなスポーツを始めるだけあって、皆さんまっすぐに前に向かっている感じがあって気持ちよい。私の子供より若い方々も含め、同じ感性を共有する仲間感覚をもてるとは思っていなかった。思いもかけずに得ることができた大切な財産として、皆さんと気持ちよくつきあっていきたいと思う。
人間関係といえば、トライアスロンを通じて、多くの若き経営者の方々と、トライアスロン仲間として、お近づきになれた。フラワーカンパニーの井上さん、ゼットン塚本さん、カフェカンパニー楠本さんなど、いずれも40代の若さ。おっと我が校長の白戸太郎さんもこのメンバーに加えなくてはならない。
失われた10年、景気低迷、迷走する日本などといわれるが、一方で、こうした新しい経営者が生まれていることに感心した。あるいは、街を歩くなかで、駅中の花屋、新たな飲食など「新しい波が生まれているが、それは誰がおこしているのか」と常々思っていたが、その方々にここで出会ったことに驚きもした。これらの方が共通するものは、私のみるところ「やわらかさ」だな。洗練された人当たりが発想の力になり、人を束ねる独自のカリスマ性になっているように思える。
肝心のレースといえばホノルル、館山と二つの大会に出て、このスポーツとはどのようなものなのか、そのなかで、自分はどのあたりのポジションにいるのかがわかってきた。
・トライアスロンへの免疫ができたようだ。これは心強い。
・完走すること自体はそれほど無理ではなかった。これは安心した。
・このスポーツを続けていくことができそうだ。とりあえず5年を目標。
・もっと上達の余地はありそうだ。挑戦を楽しもう。
・どうやら大会の最後尾だ。そのことも楽しみとしよう。
これがスポーツとしての1年の成果である。
それと、これは始めてからわかったこと。
・アラ還の59歳である。
・58歳で、何の経験もなく、いきなり始めた。
・孫が二人いる。
これで基本的な「評価」をいただける。「うちの親と同じぐらいだ」となる。
これが気がラクなところで、最下位でも悪びれることなく、皆さんに「大丈夫ですよ。まだまだ後ろに私がますから」と声をかけたくなる心境となる。
今年の夏は暑い。
夏は太りがちになり、体重が落ちない。夏痩せ無縁!
この歳で 思い起こすや 夏休み
熱い夏 今年はどこへ 行くのやら
どこへ行ってきたのか。夏の終わりが楽しみだ。

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