投稿者: iwasakihiroshi

  • 9月16日の99里トライアスロンで今シーズンのレースは終了

    9月16日の99里トライアスロンで今シーズンのレースは終了

     書き出して、迷っているうちに、随分と時間がたってしまった。

    リザルトは以下のとおり
    時間/順位
    トータル 3:51:08/886
    スイム  0:51:39/896
    バイク  1:42:31/864
    ラン   1:16:58/875
    相変わらずの最後尾であったが、椎間板ヘルニアの心配のなか、完走できたことを喜びたい。
    レースを振り返ると、スイムは「水の流れ」が強くて、その対応がうまくいかず。バイクはいまのところの実力かな。ランは疲れのためか、時間がかかりすぎ。10分は短縮したいしできると思う。バイクの順位が一番いいのはこれが初めてか。いつもはランが一番いいのだが。バイク順位である864位を総合順位で確認すると時間は3:32:28となっている。このぐらいまではいきたかった。自己採点は65点ぐらいかな。70点の最低及第をやや下回る。
    今年は幕張、木更津とスプリントをこなし、オリンピック距離は今年初であり、いささか緊張したが、まずは、何はともあれ完走できてよかった。と同時に「もう少しうまくできたのではないか」の思いも残り、そう思えることが進歩ともいえるか、などど思いを巡らすのも楽しみといえるか 。いろいろと考えてしまうのだ。
    58歳でトライアスロンを始めて、初レースが59歳。今年でレース参加7年目となる。
    始めるまでは「もう少しまし」かと思っていたが、いざやってみると、なかなかうまくいかないというのが何よりも実感、というか、「こんなにもできないのか」というのが正直なところ。
    もとより運動能力が高かったわけではないが、何の経験もないままにトライアスロンに挑戦しようというのは、いささかなりとも成算はあったのか。
    確かに高校ではハンドボールでインターハイに出場した。ガキの頃から体育の授業でも、大きく人に遅れることはなかった。だから深い考えもなく始めてみたのだわけだ。しかし、いやあ、大変だった。当初は「いかに自分ができないか」を認めて受け入れることが最も重要であった。これはなかなか簡単ではなかった。それはいまでも同じで、最後尾で一人走るのは孤独なものだ。
    どうも、自分の性格として、深い考えもなく、思いつきで何かを始めてしまう傾向がある。計画をたてるというより、まずやってみたくなる。ダメなら辞めりゃあいいんだから。
    それでも続けてこられたのは、第一に「周りを見ない」から。ライフスタイルとして続けるのであるのだから、人のことや順位などは関係ない。だから、順位の話には加わらず、周りはほとんど見ない。
    あと、ランが苦痛でなかったことが、続けていける大きな要因であったと思っている。いつだって走り始めは苦しいけれど、ランは楽しい。細胞が目覚め、発汗が起こり、でも呼吸は安定して、体内にリズムが生まれていく感覚は、他には代えがたい。要は身体を動かして汗をかくのが好きなのだ。
    あとは好奇心だな。スイムもバイクもランも、いまだこの年齢で、やっていると、いささかなりとも、発見や上達があるんだ。これが楽しい。だめと思っても続けていくと何かが起こる。そんなことは、そうそう人生であるわけではない。これはご褒美だ。
    そう、とても人と比較できるレベルではないのだが、トライアスロンを楽しんでいることは確かだ。いいスポーツに出会ったと思っている。
    結局は順位やタイムとは違う視点からの「価値観」をもつことになる。「価値観」というと、やや大げさに聞こえるかもしれないが、そう、それこそが私にとってトライアスロンを続けていく本質的な理由なのだ。
    その「価値観」とは何回も書いているが「ライフスタイル」である。トライアスロンを続け、レースに参加するライフスタイルを維持することが価値であり、タイムや順位を斟酌しない。よってフィニッシュしても時計も見ない。だってタイムなんて関係ないもの。
    ではなぜタイムをあとで確認するのか。それは「もうちょっとできそうかな」を確認するためだ。今回もそう思う。そしてこの気分は悪いものではない。
    さあ行くぞ 泳ぎもだえて 水をのむ

    今回は2回は水を飲んだ。河口のコースなのだが、塩辛く、海を感じることができた。
    写真はレース中の姿だけど「歳だなあ」が率直な感想。

  • 木更津トライアスロン報告。やはりスプリントはだいぶ楽。あとは99里で今年は終了。

    木更津トライアスロン報告。やはりスプリントはだいぶ楽。あとは99里で今年は終了。

     木更津トライアスロンに参加した。距離はスプリント。昨年はオリンピック距離に参加し、叩きのめされた。コースは自衛隊の航空基地内なので、アップダウンはないのだが、実に風がつらかった。滑走路を走る爽快感を期待したものの、なんだか風に吹き飛ばされるアリのような感覚になった。「滑走路は風があるとことに作る」という話を聞いてナルホドと納得はしたが、その納得が「だから大変なんだ」の気持ちに拍車をかけて、翻弄された。ランでは、最後尾で人も少なくなった滑走路をペタペタと走るのは、孤独感がヒシヒシと湧いてつらかった。

    それに懲りて、さらには99里トライアスロンの事前準備として、今年はスプリントにしたが、だいぶ違う。バイクは「風に負けない」と言い聞かせ、慣れぬDHバーにしがみつき、何より距離は昨年の半分という余裕もあって、何とか乗り切った。ランは歩いてしまった。痛みで歩いた経験はあるが、疲れで歩いたのは初めて。1回歩くと何回も歩くことになるんだなあ。でも、昨年とは違って、まだ走っている人は多く、なんとか走りきれた。

    今回のレースで心配だったのが、椎間板ヘルニアでの腰の痛みと足のしびれ。レース前々日の金曜日にはペインクリニックに行って神経ブロックの注射を打ったほど調子はよろしくなかった。でも、違和感はあったが、痛みまでは至らなかった。それと練習不足も気になっていたが、スプリントなら何とかなる手ごたえを得た。マラソンで言えば、ハーフというより10キロに近いかな。
    今回のレースでの収穫はスイム。トライアスロンを始めて8年だが、ようやく、落ち着いて、休むことなく、自分のペースで泳げるようになった。
    正直これはうれしい。その大きな理由はヘッドアップ対策。基本は6ストロークに1回のヘッドアップとしているのだが、それはそれとして、ブイをターンしたあとなど、落ち着いて確認するために、しばしば立ち泳ぎになっていた。これもランで歩くのと同じで、一度立ち泳ぎをしてしまうと、何かにつけて、止まって立ち泳ぎになってしまう。ブイが見にくいとと立ち泳ぎ、人とぶつかって立ち泳ぎ、ちょっと息苦しくなって立ち泳ぎ、ということで、1.5キロで10回近くも立ち泳ぎとなってしまう。ではどうするか。腕を伸ばさず、早く回転させ、泳ぎを止めずに確認する。このコツを覚えてずいぶんと楽になった。何かあれば、両腕をバシャバシャと回転させ、周囲を確認し、また通常のスイムに戻る。8年もたって、覚えが悪くて仕方がないのだが、でも、続けていけば、一つ一つ身についていくことはあるのだ。
    今日はスイムとバイクの練習だったが、バイク連はバイクとランのデュアルスロン練習で、暑かった。サウナで大きく深呼吸したような気分になった。
    息が切れ 吸い込む空気は 残暑の熱

    今年は「近くて気軽な大会」をコンセプトにしてきた。自分としてはいささか「実験的な試み」でもあった。ランは10キロの草大会。バイクは近場での自主練、トライアスロンは幕張、木更津とスプリント。10月16日の99里トライアスロンが今年唯一のオリンピック距離参加となるが、果たして無事に乗り切れるのか。いまから緊張している。
    でも、今年を振り返れば、トライアスロンを息長く続けていくライフスタイルのイメージはできたようだ。まだ初心者運転だが、うまく身につけていきたい。
    写真は木更津でのスイムコース前の光景。スイムは岸に近い位置で、水面下のコンクリートに手をぶつけて切ってしまった。水は濁っていてまったく見えなかった。驚いた。スイムを上がって救命へ。丁寧に治療してもらい、走り出しました。

  • お盆休みを迎えて来し方行く末を思う。

    お盆休みを迎えて来し方行く末を思う。

      やむことなく蝉が激しく鳴いている。非常階段には死骸も転がっている。まだあがいているのもいるなあ。日差しも夏の終わりを思わせるように、だいぶ低くなっている。精一杯に鳴いてコロリと野垂れ死にして夕陽に焼かれる、ピンピンコロリへの憧れはよくわかる。歳をとると蝉をみても感傷的な気分となってしまう。

    この季節になると「今年も前半戦を終えて後半戦」といった思いを新たにする。
    先のブログでも書いたが、この2年間は大きな変化のただなかにあった。この年齢で、これからの年月を暮らしていくための仕事を作ることが、何よりも大きな課題であったのだが、ことは簡単ではない。委細は省くが、ここにきて、ようやく方向が見え、「さあいこうか」といった状態となっている。
    そんななかでお盆の季節を迎えた。私にとっては数年ぶりの落ち着いたお盆となり、来し方行く末を思う気分となっている。
    昨日は「山の日」で休日の金曜日。昨日から来週いっぱいで10連休という人も少なくないだろう。私も仕事先が休みなために、余裕ができてくる。さて、どう過ごすか。
    たまった伝票を整理し、やり残して気になっているデスクワークを済ませ、散髪に行って、あの映画は観て、9月納品のレポートは助走のスタートを切ってなど。いろいろと考え、書き出し、予定をたてているが、果たしてどこまでできるのか。

    ここからが今日の本題で、最近しきりと思うこと。
    やるべきことを書き出すのは、予定計画の基本である。目標を立てるということは、いつまでに何をするかをハッキリさせることであり、やるべきことは目標から割り出した活動となる。よって多くの人生指南書、ビジネスノウハウ本でも「目標はできるだけ具体的で明確」であることを掲げているようである。
    しかし、先のことなど、わからないではないか。これが私の実感なのだ。だからビジネスには不向きなのかとも思う。残りの人生についても、いつまでに何をしておく、などどいう考えはない。葬式の準備はすませておくが、それは目標などではない。
    ラグビーワールドカップのような、日時が確定されたスポーツ大会なら目標を明確にすることの重要性はわかるが、人生はスポーツ大会ではない。
    もちろん進む方向はある。でなければ今日歩くこともできない。でも歩いていけば何日先にどこに着けるかなど、わかりはしない。
    ではなにが「やるべきこと」なのかといえば、「いまとりあえず、自分ができること」ということになる。
    今日できることを今日やろう。明日のことは、わからない。踏み出す方向もわからなければ、足も前には出ないが、方向が分かれば前には進めるであろう。これがいまの私の実感で、このお盆シーズンに「とりあえずできること」を書き出していというわけだ。
    歩いていれば、新しい風景がひらける丘にたつこともあるだろう。歩いていれば、転ぶこともあろうが、それも楽しみとしよう。こう考えることのよさは、「できなかった」という自責の念にさいなまれないこと。できるもできないも、今日できたことが今日の自分なのだから。
    今日一日を振り返る。6時起床、8時に家をでてトレーニング。スイム1時間、スピニングバイク45分、トレッドミル45分。帰宅してそばを楽しみ昼寝2時間。目覚めて洗濯機を回しすともう夕方だ。テレビでラグビー、夕食、テレビで世界陸上、そしてこのブログ。
    なかなか活動的な一日であったが、とくによかったのは昼寝で、久々に生き返った気分での目覚めてあった。
    明日は10時半からスイムのレッスンだが、その前に伝票の整理をすすめよう。
    蝉の音に 今日の命を 振り返り
    だからトライアスロンも「今日できていることを楽しむ」。
    写真は昨日のラグビー観戦。パナソニックワイルドナイツとハイランダーズ。ゲームはよかったけど、チェアリーダーの応援には腹がたった。ラグビーとは息をひそめて見入るスポーツなのだ。あれはいかんなあ。

  • 今日は10キロマラソンを楽しむ。でもこのところ老化のギアが入ったことを実感。

    今日は10キロマラソンを楽しむ。でもこのところ老化のギアが入ったことを実感。

      今日は「小松菜マラソン」の10キロに参加。前に10キロを走ったのはいつのことだったか、というほどの久しぶり。椎間板ヘルニア回復後のテストランのつもりで参加したのだが、給水以外には立ち止まらず、歩くこともなく、走りきれたのがうれしい。

    出だしの3キロは苦しく、5キロから8キロは気持ちがよかったが、最後の2キロはいささかばてた。右の腰と股関節、左足のアキレス腱にかすかな痛みを感じたが、大事にいたってはいない。正直安堵した。
    「小松菜マラソン」は荒川沿いのローカルな大会で、会場は自宅からママチャリ30分。着替えの必要もない。毎月開催しているようなので、なじみにしたいと思った。
    夏に入って1,500メートルのオープンウォーター、10キロマラソンと大会に参加している。10キロなら自主ランでもとも思うが、やはり草大会とはいえ、大会ならではの緊張のなかで身体を動かすのは気持ちのいいものなのだ。
    こう書いていると「好調」のようだが、そうでもない。
    このところ、身体の変化を感じている。なんとなくではなく確かな手ごたえとしての変化なのだ。これが老化か、などと思っている。ちょっとギアが一段入った感じかな。
    まず、食事の量がいくぶん減っているように思う。おいしいものを食べたいといった食事への意欲も衰えている。満腹感が不快になっている。かといって体重が減るわけではない。そこが困ったところ。
    お酒の量も減っている。お酒については意識的に減らしてもいるのだが、弱くなっており、たいして飲まなくても二日酔を感じるようになっている。特に飲んだ翌日は下痢に見舞われて面白くない。
    一段入ったギアに合わせて、食べ方、飲み方を基本的に変えていきたいと考えている。手探りだな。ポイントは「心地よさ」。年齢に応じた心地よい食事と酒を、この夏には探し出し、身につけたいと思っている。
    このほか、いつ頃からか、この半年くらいか、喉に違和感を覚えるようになった。食後に誤嚥した感覚が喉に残り、咳をして整える。気にしていると声もかすれてきたような気になってくる。そんな折、私より2歳年下の友人が初期の声紋癌になったとの話が舞い込み動揺する。次回の血圧検査の折に伝えよう。すぐに検査となるのだろう。

    運動機能としては、屈伸を負担に思うようになっている。このキッカケは間違いなくヘルニアであり、ヘルニアの回復に合わせて屈伸も楽になっているのだが、でも「衰えた感」が強い。身体がめっぽう固いが特に下半身がひどい。腰、股関節、膝、足首と連なって硬い。よって下半身の衰えには敏感になる。これからは下半身がテーマと自覚する。
    夏来たり 荒川土手を ひた走り
    トライアスロンを始めた理由の一つに「老化のプロセスをできるだけリアルに感じたい」との思いがある。よって「老化の記録」はこのブログでも大きなテーマとなる。
    これからも書いていきます。
    帰宅後、テレビで早実の西東京決勝戦を観戦。実は息子は早実卒業で、私も父母の会会長を務めたご縁がある。残念ながら敗戦で清宮の夏も終わった。
    写真は今日のマラソン大会開会式。
    10キロに参加は10人程度だった。こんな感じが気に入っている。

  • 連休中の過ごし方、連休の意味、そして夏休みの予定。

    連休中の過ごし方、連休の意味、そして夏休みの予定。

     土日月と連休の3日間だ。有難い。

    連休には、まず体調のリセット。酒をやめ、ストレッチを丁寧に行い、早く床について十分に睡眠をとり、早く目覚める。
    次にトレーニング。昨日の連休初日はトライアスロン仲間との早朝バイク錬50キロ。今日はジムでスイム錬に出かけ、明日は久々に1時間ランを行いたいと思っている。集中して身体をビルドアップする感覚だね。
    そして、仕事、なのだ。遅れているデスクワークをすまし、連休明けの仕事の準備を整える。つまり、連休だからといって仕事はオフになるのではなく、連休には遅れている仕事を取り戻すことになる。
    おいおい、ちょっと待て。連休に仕事をするのであれば、連休の意味はどこにあるのだ。
    考えてみると、基本的に打ち合わせでの外出がない。そして、世間が休みのため、メールや電話による緊張から開放される。つまり、腰を落ち着けて仕事に向かう、集中して仕事ができるところに意味があることになる。
    そうかあ。ここまで書いてきて気がついた。私にとって連休のありがたさというのは、世間が休みというところにあるんだ。世間が休んでいるから、オレは世間を気にせずに自分のペースで過ごしていける。「有難い」と書いてはみたものの、どうも、世の中に振り回されて生きているのかなあ。
    しかし、考えてみれば、正月の良さもそこにある。世間がひっそりとしていることに安らぐ気分がある。この頃はお店も正月3が日も営業するのが当たり前のようになっているが、それでも世間の様子はお休みなのだ。
    あるいは、世間が休みの日にデスクワークに向かっていく満足感というのもある。夏休みシーズンにレポートをまとめておこう、というやつだな。海外に出かけるとき、出国審査をおえて出発ロビーに入ったときに得られる解放感というものもある。オレはもうこの国にはいないんだよ、というやつだ。嬉しい瞬間だ。
    私にとって休日の有難さとは、世間が休みであることも含めて、世間と縁が切れる、世間から遮断されることの心理にあるようだ。
    定年退職となり、世間との縁が切れて孤独に陥る人がいる。世間とのつながりをつなぎとめるためか「安倍辞めろ」とFACEBOOKとブログの飢鬼道に走る人がいる。あれだけはなりたくない。
    改めて、休日は有難い。
    それは世間、社会とつながっている者へのご褒美なのだ。その時だけのもので、また日常に戻る。ご褒美だからこそ、休日に仕事に向かおうとも、休日を満喫することになる。
    そろそろ夏休みシーズンだ。話しのタネとして、「夏休みはどうします」との質問を受けるし、こちらも聞く。私の場合は「特に決めていない」がほぼ決まり文句で、気ままな一人暮らしになってからは、予定を決めて旅行に行くなどということはなくなった。

    さて、今年の夏休みのご褒美はどのように賞味するか。
    まったくの仕事なのだが、9月末までに「人工知能は医療医学に何をもたらすか」というタイトルのレポートを仕上げる必要があり、そのための助走を切りたい。
    たまっている経理の処理をすませたい。
    ここまでは仕事。
    そして、9月16日の九十九里トライアスロンへの準備をすすめたい。
    7月30日     荒川で10キロマラソン
    8月12日・19日  稲毛海岸でOWSのトレーニング
    8月27日     木更津トライアスロンのスプリント
    と予定も入れた。
    もちろん土曜日のトレーニングに加えて火曜日のスイム錬も復帰した。
    悩まされている椎間板ヘルニアもだいぶ回復しているようだ。
    8月11日は休日で、この日は熊谷でのパナソニック・ワイルドナイツとハイランダーズとの国際試合に出かける。
    よし、今年の夏休みは8月11日金曜から20日日曜までとしよう。休日を堪能しよう。

    梅雨明けと ならぬままにて 酷暑ラン
    体内の水分貯蓄量な多いのか、熱中症の危機を感じたことはない。
    身体が硬く、トライアスロンに合った体質ではないのだが、これはありがたい。
    写真は昨日のバイク錬の仲間たちとの記念ショット。
    佐藤さん、写真使わせてもらいました。

  • 体幹トレーニングの重要性を実感した今日のトレーニング。今回はトレーニングの備忘メモ。独り言。

    体幹トレーニングの重要性を実感した今日のトレーニング。今回はトレーニングの備忘メモ。独り言。

    トライアスロンを続けられている理由の一つに、練習のあとの満足感がある。これは何回も書いているが、練習に行きたいくない、走りに出たくないと思うことはしばしばだが、練習に出て「やらなきゃよかった」と思った記憶はない。存分に身体を動かした満足感が残る。
    では大会はどうなのか。
    もちろん大会も大きな満足感がある。大会ならではの緊張やタイムへの感想など、練習では得られない魅力も大きいが、練習には大会のような「自己評価」はなく、充足した満足感だけが残る。要は気軽に楽しめるということなのだろう。
    今日はスイムはOWS錬で、ドリルのあとは10分間泳を2本。バイクはデュアスロンで、猛烈な暑さのなかで追い込んだ。ジムに帰ってからの水風呂の気持ちよかったこと。
    今日はいつも以上に満足感が高かった。
    その理由の第一は腰の具合。このところ仕事が忙しく、夜の飲み会も続き、腰の調子が悪かった。腰に重みや違和感があり、膝が痛んで屈伸もままならない。そこで昨日は久しぶりにペインクリニックでブロック注射。それが効いたか、今日は自然に屈伸ができ、トレーニングに向かう状態になった。それで思いのほかに身体が動いたということだろう。
    そのおかげか、スイムもバイクも、ちょっと前のめりになってフォームを安定させる感覚が自然にできた。少しコツをつかんだ感じかな。飲みが続いて体重も増えていたが、トレーニング後に測ると、もとに戻っていて安堵した。
    もうトライアスロンを始めて8年。なかなかうまくいかないなか、体力は落ちていき、ヘルニアも加わって、あまり明るい話題もなかった今日この頃であったが、でも続けていくとこんなこともあるんだ。この「いい感じ」を自分のものとすべく、今日の様子を書き留めておく、というのが今日のブログ。トレーニングの備忘録、ほとんど独り言。
    まず、一番大切なのことは「前に進む」という意志意欲。戦闘的な気分だね。そして前をよく見る。なんとなくではなく、シッカリと前を見つめて、ネコ科動物が獲物を追う姿をイメージして、身体を躍動させる。これが基本。漫然と泳いで走ってはいけないのだ。常に戦闘的な意志意欲が必要なのだ、と奮い立たせる。
    躍動するのは腕であり、足であるのだが、躍動の元にあるのは、腰と背筋と肩甲骨あたり。ここから稼働量を生み出す。そのうえで、今日のトレーニングで「ああ、ここかもしれない」と感じたのは「腹筋」であった。腹を自然に締めることにより、姿勢が安定して腰が回り、それにつれて背筋が伸び、肩甲骨から太ももが動く。自分では躍動した感覚となる。
    その感覚をスイムの10分間泳でつかんだ。要は姿勢なのだよ。姿勢をつくるのは腹筋なのだよ。腹筋といっても下っ腹。
    その気分をバイクに持ち込んで、こちらも手ごたえ得た。
    ランについては、スピードをあげるには、膝あげがポイントと感じている。膝をしっかりとあげるには、腰の回しが前提であり、それをスムーズに行うには、やはり腹筋なのだ。
    というわけで「腹筋の大切さ」を実感したのが、今日の収穫。
    これは「体幹を鍛える」ということなのかと思う。
    下半身の関節のストレッチと体幹トレーニングに取り組む。
    どんなトレーニングが必要なのか、それをつかむのは大切なことなのだよ。
    であれば、そのトレーニングをいつ行うか。一日、あるいは一週間のなかで、いつならできるのか。ここが難しい。朝なのか、夜なのか。週に何回なのか。ちょっと考えてしまうなあ。
    朝型人間である。よって大切なことは朝に行うようにしている。具体的にまずメールをチェックし、予定を確認し、デスクワークに向かう。要は朝は仕事にあてており、時間があればストレッチとランを入れている。もうかなりパンパンなのだ。
    夜の難しさは酒にある。打ち合わせで酒が入る。
    ポイントはある程度の時間を集中して行うことにあると思う。さて、どうする。
    日に焼かれ、前をにらんで ヒョウとなれ

    などと、いきがっている。
    週に3日、体幹トレーニングに向かう。火曜日、木曜日、日曜日かな。
    9月16日の九十九里トライアスロンを目標に気合を入れてやっていこう。
    今日は9時からオールブラックスととBIライオンズの第3戦をテレビ観戦。
    明日は真鶴のOW1,500メートルに参加予定。
    けっこう忙しいんだな。
    今日は写真はなし。

  • 1年半ぶりの大会参加。そこからこれからのトラライフを整理してみた。

    1年半ぶりの大会参加。そこからこれからのトラライフを整理してみた。

     先週は幕張チャレンジトライアスロンに参加。スイム750m/バイク16km/ラン5kmのスプリント大会。

    思い起こすと、昨年の大会参加は、沼津の駅伝のみで、それもスイムは流れが強くて中止であった。となると、3種目への参加は一昨年10月の伊是名以来となる。随分と久しぶりで、さらに椎間板ヘルニアに襲われたなか、なんとか完走を果たせて安堵した。
    以下が成績で、完走者196名中194位というお恥ずかしい状態であったが、それでも私なりに楽しむことができた。
    タイム:順位 1:54:00:194
    スイム:順位 0:29:34:198
    バイク:順位 0:48:20:186
    ラン :順位 0:36:06:192
    レース中は「なんでこうもうまくいかないのか」と思っている。スイムではどうしてこうも私一人引き離されるのか、バイクではどうして練習でできる時速30キロが安定的に出せないのか、ランではどうしてこうも息が切れるのか、と思っている。
    と同時に「いやいやこれが今の実力、落ち着いて落ち着いて」と言い聞かせる。そして「安定した呼吸」に意識を集中する。先に進むとか、スピードがあがるとかではなく「いまの最適な呼吸状態」を探り出し、それを見つけて安心する。そんな状態を、つまりレースというものを、それなりに楽しむことができた。苦しいことに挑戦する楽しみというより、苦しいなかで安定的な状態を見つけ出す楽しみを見出すことができた。天候、体調、身体の痛みを含む状態との自己対話の楽しみとも言えようか。
    これは今後に向けた収穫かなあ。
    レースから1年半も離れていた原因といえば、仕事となる。この2年間、仕事は大きな転機にあり、新しい仕事がスタートした。自分で笑ってしまうのだが、気分は30歳の初年兵なのだ。新鮮な気分でありがたいが、この年齢なっての「雑巾がけ」というのは、これはこれで大変でもあるのだ。
    本当は50歳代で60歳以降の人生の基盤(ビジネス)を築き、60歳以降はその土台の上でと思っていたが、安易な目論見はことごとく失敗。ようやく新たなスタートに立っている。何を言いたいのかといいえば、この2年は、意識も時間もトライアスロンより仕事に向かっていたということ。だから大会に出る機会も減った。
    ではこれからどうするのか。
    出る前にはそこまでは考えていなかったが、今回の大会は今後のトライアスロンライフの方向を占うものであったのかもしれない。
    さて、どうする。

    まず、これからトライアスロンを続けていくうえでの楽しみの感触をこの大会で得た。つまるところ「できることだけを楽しんでやる」こと「できることを見極める」こと、そして「息長く続けること」。「できることを見極める」とは自分ができないことを知ることでもあり、なんとも情けない思いもあり「これしかできないことを受け入れる」ことでもある。それを自らに納得させる感覚を今回の大会で得ることができた。
    よってトライアスロンは、できる限り、続けていこうと考えている。
    今年はあと九十九里大会のみ。そして11月の奄美大島合宿。
    来年以降は、今年を踏まえ、改めて、自分なりの大会参加スケジュールを考えてみたい。
    仕事との兼ね合いはどうするのか。
    これもやはり「できることだけを楽しんでやる」ことに尽きるようだ。それは「できないことを受け入れる」だけではなく、「自分ができることを見出しつつ」「できないことはできる人にお願いしよう」でもある。いいチームを作って仕事に向かっていきたい。
    落ち着けよ 言い聞かせて走る 初夏の空
    「できることだけを楽しんでやる」ことの要諦は時間管理と思っている。焦らず無理せず、大きな道の真ん中を、遠くの空を見上げてゆったりと歩くように日々を過ごしたい。今日歩けることしか先に進むことはできない。そして寄り道は避ける。若うちの寄り道は糧になるが、もうそんな余裕はないのだよ。そう自分に言い聞かせる。
    そこで、具体策なのだが、私の場合は酒だな。禁酒ではなく機会も量も減らす。
    写真は幕張大会のラン。全身の躍動がないよなあ。歩いているみたい。ああ。

  • ちょっと真面目に、高齢者スポーツ論。キーワードは「過度」への快楽。

    ちょっと真面目に、高齢者スポーツ論。キーワードは「過度」への快楽。

    このところ体調報告のようになっているが、その続き。
    スポーツには身体の故障や痛みはつきものだと思うのだ。ましてや60歳を過ぎてスポーツを続けていこうとすればなおさらのことだろう。
    薬局などに行くと、高齢者のための健康維持のパンフレットなどをよく見る。
    散歩など、適度な運動が推奨されてるが、トライアスロンのようなスポーツが推奨されているわけではない。それはそうだろう。
    そもそも、スポーツとは「過度」な要素を内在させているものであり、そこにこそスポーツの楽しさがあると思うのだ。もちろん「観るスポーツ」の楽しさは、常人ではなし得ない「過度」に鍛えられた身体であり、技術であり、チームプレーにある。
    一方の「するスポーツ」にも「過度」なことに自ら囚われていく心理があると思う。
    日常の生活では味わえない「過度」な身体の動きがもたらす快楽がある。走っている苦しい時間のなかで突如訪れるランニングハイも「過度」への陶酔だ。そして苦しさの結果で得られるゴールの達成感も「過度」であるからこそ、その魅惑が生まれるのだ。
    そもそも、日々練習を積み重ねて向上を楽しむという行為そのものが「過度」なことへの楽しみを孕んでいるではないか。

    60歳も半ばを過ぎてスポーツを続けていくには、何らかの心の整理や納得というものがいる。スポーツという「過度」なことを日常に取り入れることは、老化や臨終という言葉が身近となった者にとって、なかなかに刺激的な緊張となるのだ。
    オリンピックが近づくなかで、スポーツを語る場面に出会うことが増えている。「プレイ」や「遊び」といった開放的な、あるいは肯定的なトーンで語られることが多く、それはそれで反対ではないのだが、私としては「あまりに素朴な人間肯定論」に思えて鼻白む思いがする。
    スポーツとは年寄りの健康維持の楽しみではない。日暮れへと向かう黄昏の光に包まれながら、自らの心身に「過度」な刺激を打ち込む快楽なのだ。緊張感をもって暮らすことは気持ちがよい。たとえそのことによって身体の故障や痛みが生まれても、それも「過度」な楽しみのうちにあるものなのだよ。ちょっとMかな?
    5月18日のブロック注射以降、腰の痛みは治まっているが、膝の痛みは続いている。治まっていく方向にあるが、太ももの内側に痺れが走り、階段を下りる際に、膝が痛む。困ったことに、右ばかりでなく、左足の膝も、わずかだが、痛むようになってきた。
    腰ばかりでなく、左の首、肩、腕が痺れている。顎をあげると肩が痛む。こちらの原因はバイクの姿勢。要は身体がめっぽう硬く、痛みやすいことが基本にあるのだ。以前、トレーナーの方に「とくこれでトライアスロンをやっていますね」とまで言われたことがある。そう、やってはいるが、正直なところ、歯痒いよな。
    さて、この事態にどのように向かい合っていくのか。
    前回のブログでも確認したように、ペインクリニックで痛み対応をしつつ、マメに身体を動かしながら回復に努めることになるのだが、手加減の具合が難しくて1回失敗している。ポイントは無理をしないこと、となるのだが、実際のところ、どこからが無理なのかがわからない。
    困ったことに、どうしても「過度」に走ってしまうのだ。
    肌を刺す 五月の光が 命かな

    トライアスロンを始めて最もよかったのは、自分の体調と機能に敏感になったことと思っている。老化とは体調と機能の変化、ないしは低下である。「体調」とは自分で感じる身体の総合的な感覚であり、自分と向き合うバロメータだ。
    写真は、昨夜の我がトライアスロンチーム、ATA南行徳のキックオフパーティ。この年齢になってこうした仲間とともに酒を呑む幸せをかみしめる。そこでの会話で、仲間の一人から「会社の同僚がこのブログ見つけ、刺激をうけてマラソンを始めて10キロ以上減量した」との話を聞いた。嬉しい限りだ。

  • 椎間板ヘルニア回復作戦失敗。またやっていきます。

    椎間板ヘルニア回復作戦失敗。またやっていきます。

    今日は水曜日。一昨日月曜から右ひざの痛みを覚えた。昨日は痛みが増していくなか終日出かけていたが、夕方には痛みがひどくなり、歩くにも差しさわり、仕方なく南行徳の駅からタクシーでの帰宅となった。ああ。
    そこで今朝は小岩のペインクリニックに行ってブロック注射をうった。
    この原因で思い当たるのは日曜のトレーニングか。だいぶ回復の実感を得ていたのに気をよくし、ジムに出かけてスピニングバイク30分、エアロビクス40分、筋トレ、スイム1時間で気持ちよく帰宅したのだが、やりすぎたかなあ。とくに問題はエアロビクス。初のクラスであったのだが、ジャンプも交えてかなりにハード。いい経験とはなったのだが、これが影響しているのかなあ。

    椎間板ヘルニアで約1か月の入院をしたのは、もう20年以上も前になる。NTT関東病院のペインクリニックでの治療は、点滴で腰に麻酔をうち、神経ブロックの施術を行った。施術の詳しいことはわからないが、長い針をうった記憶がある。
    以来、小さな腰痛はあったものの、何とか平穏にやってきたのだが、今回はついに痛みで眠られず、歩行困難の事態に至った。
    今回の治療で考えたことは、まず年齢。加齢による症状発生ということはあると思う。次にトライアスロン。実はトライアスロンを始めた理由の一つに椎間板ヘルニアがある。いい予防になると思っていたが、今回の事態に至ってしまった。さらに、ネットで様々な情報を調べることができるのが、入院時とは大いに違う。
    ネットで調べていて、次のような情報に出会い、対応を図ってきた。
    椎間板ヘルニアの主たる原因は遺伝である。
    これは驚いたなあ。てっきり座業によるものと思っていた。遺伝であるなら付き合うしかないではないか。諦めがついた。
    対処療法がメインで約3か月で回復する。
    対処療法とは痛みの除去、すなわちペインクリニックである。これは私の理解にあっている。約3か月で回復というのは、人のもつ回復能力によるものであるという。これは大いに希望がもてる。今回のことで最もよかったのは、これを知ったこと。
    回復のためには日常生活の管理と、体操が有効と推奨されている。日常生活の管理としては十分な睡眠と考える。体操はストレッチと筋トレで、1日に何回も、マメにやる。
    ここまではいい。先週までは、順調に進めてきたかと思う。しかし問題はトライアスロンのトレーニングだ。6月18日の大会を考えて、ちょっと焦ったかな。
    振り返れば、20年前は退院しても、リハビリ体操はしても、トレーニングなどしなかった。ヘルニアの予防であるトライアスロンが、そのためのトレーニングが、回復を阻害する要件となってしまった。難しいものだ。
    しかし、起こってしまったことは仕方ない。これを奇貨として学ぶことを考えよう。
    どうするか?
    まずは、痛みが治まるまで、できるだけ安静に努める。横になって過ごす。でもスイムはする。今日は木曜なので、今週末までが一つの目安かな。週明けにも痛みが続くようであれば、またペインクリニックに行く。行きながらなだめて回復させる作戦を再び続ける。しかしもっと慎重に進める。
    よし、やってみよう。今回のダメージが、より長くトライアスロンを続けるための試練になるのかもしれない。大いに期待しようではないか。
    五月晴れ 痛みがまして 歩けない
    今日はペインクリニックのあと、小岩の街をうろついてみた。厚みのある街が広がっており、驚いた。地元の洋品店や花や、居酒屋がある。おばあちゃんの化粧が濃い。元気があるんだ。12時から開いている立ち飲み屋に心誘われ、思わず入ってみた。たぶん弱気の気分を変えたくなったのだろう。オープン直後にもかかわらず、もう10人近くが飲んでいる。ホッピー中2杯、チューハイ1杯、肉豆腐、鶏のから揚げで1100円の安さ。食事は味もボリュームも十分。楽しんだ。
    写真は立ち飲み屋の入り口。

  • 成都報告その3 中産階級の暮らしと夢

    成都報告その3 中産階級の暮らしと夢

     

     中国の都市にマンションが立ち並ぶ光景はテレビなどでもしばしば目にする。日本ではみることのない光景に「わあ、すごい」とは感じるが、そこにはどのような人が住んでおり、どのような生活が営まれているのだろう。今回の成都訪問でその一端に触れることができた。
     今回の訪問でお世話になったのは、四川がんセンターに勤務する羅看護婦。彼女は中心地のマンションに、夫と4歳の娘と暮らしており、羅さんの家にお茶に招かれ、家の内部をみることができた。
     マンションのエリアは柵で囲われ、セキュリティ管理がなされており、管理ゲートから内部に入る。風景としては駐車場の管理を思い描いていただけるといい。内部に入ると、庭が整備され、人が集まって語らっている。卓球台があるのが、いかにも中国らしい。
     エレベータで15階マンションの8階へ。管理ゲートもエレベータも磁気カードで管理されている。部屋は2寝室にキッチン、リビング。キッチンは独立しており、日本のリビングキッチンとは異なる。若い家族のこぎれいな住まいであった。全体の大きさは80平米程度であろうか。日本の標準マンションよりは一回り大きい。
     ちょうどテレビでアニメ番組をやっていた。子供のグループが主人公の内容で、絵のタッチはまるで「ちびまる子ちゃん」。なるほど、若き中産階家族の幸せな夢なのだ。しかし気になるところが。それは背景の風景なのだ。「ちびまる子ちゃん」の背景は昭和の時代の香りであり、室内も懐かしの6畳間を思い起こさせる。しかしこの中国アニメの背景は、場所も時代も不明なのだ。中国の伝統を背負ったものではなく、平板な記号を思わせる。現代の生活文化を織り込んだ風景は、これから作られていくのかもしれない。
     中国の分譲マンションは70年の土地使用権を得ることになる。残念ながら、いくらで購入したのかは聞き漏らした。

     分譲マンションは5、6棟が一つのエリアを形成している。エリアによって価格が異なり、明確な格差があるという。そして人は高いエリアを求める。高いエリアに隣接する幼稚園はもちろん授業料も高く、年間で5万元という。約60万円から60万円だから驚く。その幼稚園の親たちの多くは党の関係者であり、その幼稚園に入れば、いわば上流社会の仲間入りをし、子供も上流クラスの友をもつことになる。
     共働きが多いので、食事は外食や、最近ではケータリングが多いという。なるほど街にはレストランが目立つ一方、ファッション系のショップが少ない。
     近くに軍の施設がある高級マンション群の近くを歩いた。ここでは美容室やファッションショップがあり、近代的な街並みとなっている。子供たちが遊び、人々が集まって踊る現代中国のリアルな暮らしがあった。
     中国経済の停滞が伝えられる。大学卒業者は700万人を超えて、ひどい就職難であるという。しかし中国には、かつて日本の高度成長期を支えたような「中産階級の夢」が確かに存在している。成都ではレンタル自転車が広がっていた。この2年で一気に広がっていったという。こうした新たなサービス産業は、今後も様々に興っていくのではないか。
     成都では、着実に成長していく人々の暮らしをみた。ここには夢を紡いで元気いっぱいに生きるひとたちがいる。案内いただいた羅さんは元気いっぱいで、仕事と子育てに頑張る健気な主婦であった。
    春の夕 誘われ踊る 中国の夢

     いかにもランにぴったりな公園があったが、走る人は見かけなかった。そうしたことに、日本との違いを実感した。「KTV」の看板を多く見た。カラオケ店であるという。しかし街の全体的な印象としてはレジャーの雰囲気に乏しい。今後はスポーツやレジャー産業が大きく広がっていくであろう。私が帰国したあと、成都でトライアスロンの国際大会があったとのことで驚いた。しかしトライアスロンが一般のひとに広がるにはだいぶ時間がかかりそうだ。
     最後に中国を見た眼で、日本への思いを一言。日本人よ自信をもて。日本はいいぞ。日本にはまだまだ可能性があるぞ。これは実感。