投稿者: iwasakihiroshi

  • 気が付くと泳げるようになっていた。この愉快な気分を伝えたい。

    気が付くと泳げるようになっていた。この愉快な気分を伝えたい。

     8月15日の終戦記念日、今年は終戦70年の記念日だが、私は御宿でOWSの練習に参加。主催はオーシャンナビで30名ぐらいは参加していたかな。かなりの賑わいであった。

    オーシャンナビは守屋さんが主催されているスイムスクールで、以前品川のホテルのプールでのレッスンに参加した経験がある。今年はOWSの機会が少なく、先日の沼津駅伝でもスイムは中止となったので、久しぶりに守屋さんに会い、指導を受けて海で泳いでみたいとの思いもあって参加した。
    御宿までは津田沼で特急に乗り換えて約1時間。ほとんど寝ていたけど、これは快適至極。駅到着の10分前に目覚めてメールをチェックしてピタリと到着となった。便利ではないか。
    さて、今回のテーマはスイム。
    スイムは伊是名、横浜と2回もタイムオーバーで足切りに会っている。このブログを読んでいる方にとっては「またかよ」というほどに、スイムに悪戦苦闘する姿を示してきた。
    しかし、今年、セントレアでは1.9キロを1時間以内で泳ぐことができた。そして、今回のOWSでは、距離に対する恐怖を、泳ぎだす前も、泳いでいる最中も、感じることはなかった。いつまでも泳ぐことができそうな感覚があった。余裕をもって波を受け止めることができた。新たな地平に立った感覚がある。実に感慨深い。
    何を言いたいかといえば、気が付けば、1.5キロを泳ぐことができるようになっていた、ということだ。泳ぎ始めてから5年。なるほど、やっていればできるようになるのだ。
    いやいや、何もこのことを普遍化し、続けていけば得ることができるなどど語るつもりはない。続けてやっていてもできないものはできない。私はそう考えている。誰もが努力すればオリンピック選手になれるわけではない。あきらめずに続けていけば、誰もが事業の成功をゲットできるわけではない。もちろんやらなくては、続けなくては何も得られないが、努力を続けていけば何かを得られるわけはないだろう。
    なんて、そんなに力を入れるまでもなく、自然とそう思っている。
    だから、あんなにできなかったのに、いつしか泳げるようになっていたということは、愉快である。
    この愉快な感覚をどう表現したらいいのだろう。なかなか難しい。
    単にできなかったことができるようになったからではない。努力が報われたからというわけではない。さらに継続は力であるを示したからでもない。そのことは一面事実ではあろうが、そうした美談は趣味ではない。そう、趣味の問題なのだ。
    さて、何が愉快かといえば、なるほど、人間の考えることは人間はできるのだ、ということを自ら体験できたことなのだ。
    どこに根拠があるかわからないが、誰かが1.5キロを泳ぐことを考えた。そしてトップアスリートではなく、多くの人がそれをクリアしている。努力目標ではあるが、不可能な目標ではない。そんな人間の営みが愉快なのだ。人間とは面白いと思う。そんな面白い営みに、我が身を題材に参加できたことが愉快なのだ。まどろっこしいかな。でも、そういうことはあるのだよ。
    人間の作った目標であれば、多分、続けていけば、気が付くとできている、ということは大いにあるのだ。そんな波に自ら巻き込まれてみることは、愉快なことであるのだ。となると、アイアンマンはどうなのか。私はその世界に行くつもりはないが、続けていけば、気が付くと、そこに立っているのかもしれない。そう思うことは愉快なのだ。そこに向かっていくことは愉快なのだ。
    そして、トライアスロンを続けていくなかで、このように、生きていくことの愉快を考えるに至ったことは、これもまた愉快なのだ。

    さあいこう 海に向かって 泳ぎだす
    OWSの気分は愉快であった。

    終戦記念日なので、ひとこと。
    私の母方の祖母は横浜大空襲で亡くなっている。私の両親は終戦の1か月前に結婚している。母は「どうせ死ぬと思っていた」と語っていた。その戦争が私を生み出した。
    そうした家族の歴史を、子供たちに語り継いでいくことは大切と思っている。
    でも毎日を愉快に暮らすことはより大切なのだ。愉快に暮らすことを伝えたい。
    新聞でもネットでも、非難の罵詈雑言が絶えない。人を罵る呪岨にあふれている。そういう人は日々どのような気分で目覚め、床についているのだろう。私はいやだね。
    小林英雄は敗戦への反省について「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と啖呵を切っている。そして小林英雄の批評とは、ドフトエフスキーであれ、ゴッホであれ、そして本居宣長であれ、「どうして私はこんなにも魅かれるのか」という自問自答に他ならない。私が考える「生きる」とはそのようなことであり、私もそのようにして生きていきたいと思っている。
    ささやかながら、このブログは私なりの生きることの考察でもあるのだ。
    写真はOWSの最中を撮っていただいた。かなり見苦しいかと思いますが、頭がちゃんと横になっている。いいと思います。

  • 猛暑のなかで「なんでもやってみる」ことの楽しみを得る。合宿と沼津駅伝報告。

    猛暑のなかで「なんでもやってみる」ことの楽しみを得る。合宿と沼津駅伝報告。

    前回のブログでは、館山合宿への不安いっぱいな内容であったが無事終えることができた。

    私としては今回の合宿の狙いはバイクにあった。昨年の99里トライアスロンでは、緩やかに続く坂への対処がまったくできずに惨敗となった。さらにセントレアではバイクでタイムオーバーとなり、バイクの向上が大きな課題になっているのだ。
    今回の合宿初日では、房総のフラワーラインを往復で約60キロ。海岸沿いなため、峠を上るような劇坂はなく、適度なアップダウンが続くコースで、99里に向けてはいい練習になった。
    前回の99里では、坂に向かうとすぐにギアを下げて失速していたのだが、できるだけギアを落とさずに坂に向かっていく。さらに新たなフォームも身体に馴染んできて、大きな失速なく坂に向かっていくコツを確かめることができた。
    バイクは本当に愛着がもてないままにここまで来ているのだが、ようやくバイクに乗る身体の動かし方がわかってきたようで、手応えありかな。だいぶ慣れてきたのだが、でも「楽しい」までにはいかないなあ。なんとかバイクとの和解の日を迎えたいと思う。
    合宿2日目は8キロバイク+2キロランを40分サークルで3本というメニュー。果たして無事回せるか、大いに不安であった。大変な暑さで「運動してはいけない」注意報が出ていたそうだが、1本目が31分、2本目は33分、3本目が36分で、参加者のなかでは最下位ながらもなんとかこなすことができた。
    今回の合宿では山本淳一コーチの指導をうけるのが初体験。私にとってはレベルが高いかと心配していたのだが、終わってみると新鮮な印象が残る。コーチによって準備体操から違うんだよね。とても上手にはできなかったが、自主練でもこの動きを取り入れてみようとか、大いに参考になった。とくに最近は基礎体力、筋力の衰えを実感する日々であり、身体づくりの準備運動は、すぐに日々の自主練に取り入れている。

    なんでもやってみるもんだなあ、というのが不安いっぱいだった合宿を終えての率直な感想だ。
    もともと、しっかりとした準備もなく、なんでもやってみたいタイプの人間であり、だから60近くになってトライアスロンを始めているのだが、トライアスロンを続けていくなかで感じることは「なんでもやってみる」ことの楽しさだ。
    「なんでもやってみる」といっても上手くいくわけではない。大概のことはうまくできない。でもこの歳なんだからそれは仕方ない。でもできないながら何らかの発見がある。つまり楽しさとはうまくできたり達成した充足といったものではなく、発見の楽しさなのだ。できないことも発見となる。うまくできなくとも反復しているうちに、コツのようなものをつかむこともあり、ひとり納得する。
    8月2日は沼津駅伝であった。昨年も潮の流れが速くでスイムが中止になったが、今年も第2走以降はスイム中止。セントレア以降、海でしっかり泳いでいないので泳いで力を確かめたかったのだが残念。
    バイクはまったくフラットなコースの往復で、アウターのトップにギアを入れてきっちりと漕ぐことをテーマに向かった。20キロを49分ということは、時速25キロぐらいか。もうちょっといけるかと思ったがいい感じのコツはつかんだ。ただしそれが長く続かない。いい感じを長く続ける体力の問題かな。
    ランは暑くて暑くてともかく無事にゴールできたのが救い。
    灼熱の 太陽担ぎ 息あえぐ
    ともかく、やってみるといろんな発見を得ることができる。
    ささやかながらコツというものに出会うこともできる。
    そんな気持ちで仕事もトライアスロンも向き合ってみよう。
    そんなことを考えている夏の日です。
    写真は沼津のゴール直後。おじさん3人のチームでした。

  • 灼熱の日々。昭和記念公園のリザルト。ハードな合宿を前に乱れる心。

    灼熱の日々。昭和記念公園のリザルト。ハードな合宿を前に乱れる心。

      だいぶブログをさぼってしまった。

    前回のブログが6月22日でもう1か月近い。
    だいたいこのブログを1本書くのに30分から1時間の時間がかかる。
    精神的にも穏やかでないと、なかなかパソコンには向かえず、酒に走ってしまう傾向がある。まず飲んでは書きません。
    なんだかんだで気ぜわしい週末が続いたということなのだが、でも、毎週は書いておきたい。書くことで自分を確かめたい。改めて自省!!

    セントレアは無念のタイムオーバーとなってしまったが、次のレースは7月5日の昭和記念公園トライアスロン大会。スイムが750m、バイク20キロ、ランが5キロのスプリント。
    結果は以下のとおり。
    トータル  1:48:41
    スイム   19:15
    バイク   58:01
    ラン    31:25
    327人中321位
    スイムは100m2分34秒ペース。バイクは時速20キロをちょいオーバー。ランはキロ6分を少しオーバー。こう考えてみると、バイクはもう少しいいかと思ったけれど、カーブが多いコースでもあったし、まあ、今の実力ではこんなところかなあ。
    と思いつつ、2011年のリザルトをみると、なんと驚き。
    トータル 1:43:13
    スイム  0:15:30
    バイク  0:55:37
    ラン   0:32:06
    トータルで5分30秒も落ちているではないか。特にスイムは3分30秒も落ちており、100m2分4秒ペースではないか! ええ!! いまだに練習でも2分20ぐらいはかかるんだぞ。どういうことだ、これは。昔の俺はそんなに速かったのか? 信じられんぞ!!!
    昭和記念公園のスイムは流れるプールを2周半泳ぐ。多分前回はうまく流れにのり、今回はのれなかったということなのかなあ。なんとも釈然としない。
    スイムもバイクもランも、当初よりかは力がついてきたと思ってきて、だから練習にも身を入れてきたのだが、うーん、心の整理が必要だ。

    今月末の7月25日、26日にATAの館山合宿に申し込んだ。単に「近いから」という理由で申し込んだのだが、改めてメニューをみて驚き。
    7月25日(土)
    9:00  館山集合
    9:15~ ガイダンス・準備
    9:30~ バイク(100km)
    15:00~ チェックイン
    16:00~ ラン(5km)
    16:30~ OWSスイム(1500m)
    17:00~ ラン(5km)
    18:30~ 懇親会
    7月26日(日)
    06:00~06:45 モーニングラン(5km)
    07:00~08:00 朝食
    09:00~10:00 バイク(20km)
    10:00~ デュアスロン
    (Bike 8km +Run 2km)×3set
    13:00~   ランチ(道の駅にて)
    14:00~   バイク(20km)
    この暑さでこれだけの運動なんて、ついていける自信はまったくない。
    よほどやめようかと思ったが、ついていけるところまでいってみようかと思い直している。心のどこかで、「こんなにもしなくてはならないのか?」という声が聞こえる。
    今年は頑張ってみようと思ってやっているが、ちょっと迷いがでてきたなあ。
    生涯スポーツの楽しみとして始めたものが、いつしかストイックな挑戦になっている。
    これはよくないと思っている。
    灼熱を 背中に受けて バイクこぎ
    写真は日曜日のバイク錬。印旛沼100キロのコースの中間点。疲れた顔をしている。
    消耗激しく、家にもどり、冷たいシャワーを浴び、しばらく動けなかった。
    それなのに。
    合宿ではさらに5キロ走り、1500mを泳ぎ、5キロを走るんだと。
    まあ、怖いモノ見たさ、物見遊山の気持ちでいくしかない。
    我が身大切がだいいち。シルバー待遇でお願いしよう。
    ただ、皆さんの足をひっぱってはいけないし。
    などど、心は乱れているのだ。

  • 藍コーチ、感謝です。市民トライアスロンにおける私のコーチ論

    藍コーチ、感謝です。市民トライアスロンにおける私のコーチ論

     私がトライアスロンに出会ったのは岩田聡コーチ。

    http://tryathlon.at.webry.info/200908/article_1.html
    一番身近なところで見ていただいてきたのが平野藍コーチ。
    平野コーチに初めてお目にかかったのは、初めての水泳レッスン。2009年8月の4日である。
    http://tryathlon.at.webry.info/200908/article_3.html
    25メートルスイマーの私が、まがりなりにも、海で、1.9キロを、1時間で泳げるようになった。ロードバイクに乗って走りながら水を飲めるようになった。キロ8分のランはキロ6分を維持して走ることができるようになった。
    いつも最後尾かタイムアウトだが、レースに出られるようになった。
    それは続けてやってこれたからだ。
    続けてやってこれたのは、藍コーチが身近で見ていてくれたからだ。
    藍コーチでなかったらこうはいかはかったとまでは言わない。
    しかし、藍コーチだから続けてこられたことは、確かなのだ。
    それは藍コーチのコーチとしての優れた資質とスキルであると思っている。
    その藍コーチが、ATA南行徳の担当から異動になった。ショック。
    改めて、藍コーチの存在を考えてみたくなった。
    私のなかでの藍コーチを、改めて確かめ、しっかりと胸に刻みたくなった。
    市民アスリートに対するコーチにとって、最も重要な使命あるいは使命を達成するためのスキルとは何か。ささやかな体験からの私的告白を試みる。
    ■練習の模範を示して解説する
    まず第一にこれをあげる。最も重要な使命とは、続けさせることなのだ。
    続ける意欲を継続してもたせることなのだ。
    そのためには、正しい練習法を、しっかりと納得させることがカギとなる。
    その練習を続ければ、必ずや何らかの成果が生まれることを納得させる。
    そして納得をさせるためには、「模範の明示と説明」が不可欠となる。
    具体的にはどういうことか。
    例えばサイドキックのスイム。その模範演技を示す。しかも、この練習がどんな意味があるのか、だから練習の際に何を気をつけるべきか、練習はどうあるべきか。これをしっかり明快に示す。
    あるいはランへと向かうウォームアップの際に、その練習法のフォーム、その意義、その注意ポイントを、美しく、そして的確明晰に、繰り返し伝える。
    市民アスリートが何をすべきかを示すというのはまさにこのことなのだ。
    そして、このことにおいて、藍コーチは常にエネルギッシュで明晰であった。
    模範演技はいつも美しく、常に熱心に、なぜこれが必要なのかを説く。
    だからこうすべきという模範を緊張感とともに示す。
    こちらはけっこう年もいっている。頭でわからないと行動はできない。生涯スポーツを支えるものは「納得」である。そしてこの納得こそが、信頼の種となる。
    頭で理解し、イメージを視覚に焼きつけ、その方策につき、論理的な納得を得る。
    この困難なプロセスを、藍コーチは自然に、軽々と示してくれた。特筆すべきである。
    ■できない要求はせずに見守る
    目の前にモデルが示されたといって、かんたんに出来るわけではない。というより、かんたんにできる人もいれば、できない人もいる。できない私はもちろん劣等感を感じる。しかも、できないからといって、コーチが特に私に注力すれば、衆人監視のなかで、劣等感はさらに高まっていく。
    できないからといっていたずらに叱咤激励してはいけない。私のようにまったくできないものに対しては、見つめることがポイントである。
    できないことは私自身がいちばんわかっていることへの基本的な理解があるかどうか。
    そして注意するときは、いま変われるレベルの注意を個々に行なう。そして黙って見守る。つまり、注意は誰にとっても、いま対応可能な注意に限定をする。だからできる。そして励ます。これはとても重要なことなのだ。
    できないからといって、特別に注意をされても、できるわけではない。衆人のなかで、できないことを叱責されるばかりの記憶が残るだろう。そうなったら、さよならトライアスロンは目前となる。
    続けるモチベーションの最大の要因は「プライド」である。
    藍コーチは間違いなく、私のプライドを支えてくれたのだ。
    見守るとはどういうことなのか。藍コーチは見守りの名人である。
    ■等しく接する
    ATA南行徳でも、年齢、能力は個々に異なる。私は最年長で、能力はいつも最後尾である。しかし、弱い、能力の至らない者も、若く、能力の高いものも、同じように接する。
    これは市民アスリートに対するコーチの接し方の基本のように思われる。
    なかなかうまく説明しがたいのだが、私は「距離感」のように感じている。だれに対しても同じような距離感で情熱を傾ける。ホットではくクールである。でもしっかりと見てくれている手応えを感じる。
    それはコーチとしての職業的誠意に基づくものであるように思う。プロ意識といってもいいだろう。個々の生徒に対してプロとして個々に接する。
    だから私にとって藍コーチはあくまで、尊敬をこめて「藍コーチ」である。決して親しみやすい「藍ちゃん」などではないのだ。
    ■声をかける
    レース前、レース後、休みが続いたとき、ケガしたときなど。ATA南行徳のメンバーは誰しも藍コーチに声をかけられた経験をもっているはずだ。声をかけられた嬉しさは言葉にできない。さらに、合宿や練習会のよびかけなど、チームの中心にはいつも藍コーチがいて、チームの文化を創ってきた。ATA南行徳チームの中心に藍コーチがいる。
    また夏に 重ねた日々が 胸焦がす
    もちろん岩田コーチもこうしたスキルを十分に備えている。というより藍コーチも岩田コーチに学ぶこと大であったかと思っている。いいコンビにめぐまれた。
    しかし、藍コーチは愛らしい。なんせ、私の長女と変わらない年齢なのだ。
    この一事をもってしてもトライアスロンを始めてよかった。
    藍コーチ、感謝です。
    そして、これからもご指導よろしくお願いします。

    最後に、藍コーチのファッションについてヒトコト。
    昔、夏のバケーションシーズンに1週間ほどパリにいたときのこと。世界から集まってくる観光客はそろってTシャツとジーンズであった。でも、アメリカの女子学生は見るからイモであり、パリの女子学生は素敵におしゃれであった。同じTシャツとジーンズでこうも違うのかと驚いた。
    私は藍コーチのファッションにパリジェンヌを見ている。
    写真は藍コーチのお別れの夕べ。
    ボーイッシュなヘアカットと紺のワンピースがなんとも素敵じゃないか。

  • 2015年セントレアは残念ながらバイク70キロ地点で制限時間のカットオフ。

    2015年セントレアは残念ながらバイク70キロ地点で制限時間のカットオフ。

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    走っているうちから、これはカットオフされるかもと思っていたので、目の前で進行を止めるマーシャルの姿を見たときは「ああ、やっぱり」の印象で、思いのほかサバサバとした気分でバイクを降りた。
    悔しいと思うのは、身体がそれほどダメージを受けた感じがなく、けっこう元気なこと。これならもっと頑張れよ、と我が身に言いたいところだが、走っているときはいっぱいいっぱいであったのだ。
    レースの振り返り。
    1.9キロスイムの制限時間は70分で、私のタイムは01:01:03。スイムの突破は念願であっただけに、バイクに乗ったときは、とにもかくにも安堵した。さあ、行ってみようの気分であったのだが・・・・。
    スイムは休みなく泳ぎ切ることを課題にしていたが、方向確認のために、何回かストップをした。さらに折り返しにあたる第3ブイでは、ブイにぶち当たり、ブイのネットに時計がからまり、これがなかなか外れず大いに焦った。近くのライフセーバーが「ここを越えるとラクですよ」と声をかけてくれる。確かに戻りは追い潮のようで調子は落ち着いてきたが、果たして間に合うか、焦りつつ我が身を励ます。
    そして最後のブイを越えて時計をみると45分。「ああ、これでいける」と喜んだが、それから最後の300メートルぐらいが大変。疲れたのかフォームが崩れる。波で流される。ライフセーバーに「ゴールまで100ぐらい?」「いや、200ですね」と確認する。この時点で50分。ここで終わってはいけないとアドレナリン全開でスパートしてなんとかたどり着いた。ということは最後は200に10分もかかったか。波に流されたにしろ、時間を使い過ぎだろう。
    陸にあがり、慌ててトランジットに向かうのだが、バイクスタートまでの距離が長い。スイムの時間制限が1時間10分で、バイクスタートの制限時間が1時間13分。私のタイムでは10分ほどでバイクスタートに立たねばならないので、ここも大いに焦り、カタカタとバイクシューズを響かせ、バイクを押して走る。バイクスタートのラインを越えてホッとしながら手袋をはめ、水を飲み、心を落ち着かせて90キロのバイクスタート。
    初めの30キロは平たんなコースで、ここで時間を稼がねばと頑張ったのだが、どうもペダリングがスムーズでない。予定ではこの辺りは時速30キロ平均近くでいくつもりだったが、平均25キロを割ってしまう。まだ身体がなじんでいないのかなあ。自問しつつ何とかスピードに乗ろうとするが、風の影響か、手応えはよくなかった。機先をそがれた。
    でも30キロあたりまでは、最低目標の平均23キロをかろうじてキープしていたのだが、30キロ以降、周辺が農地になると坂と曲がり角の連続で、平均時速はドンドンと落ちていく。メーターを平均時速表記にしていたのだが、めげてしまうので、途中から走行距離表示に変更してひたすらペダルに向かうのだが、連続する坂にドンドンと力を奪われていく。山岳コースのような劇坂ではないが、曲がり角と坂が連続する。そのうち長い登り坂が多くなり、50キロを超えるあたりで、これはカットオフされるぞの予感が湧いてくる。そして目の前にマーシャルが飛び出しでアウト!!!平均時速は20キロを超えた程度まで落ちていた。これではカットオフになる。感覚的には2ランクぐらいは力足らずのような気がする。
    しかしタフなコースを70キロまで走れたのはいい経験となった。
    そのいい経験を振り返る。ところどころいい感じで走れる瞬間が訪れた。しかしそれが長続きしない。疲れてしまうのだ。身体が慣れていないのだと思う。これは今後の練習で克服できると思う。
    坂では時速が7キロまで落ちてしまい。ペダルをこぐだけでいっぱいいっぱいとなるのだが、その段階で大きく息をはき、力を抜くと、ペダルを楽に回せるようになった瞬間が何回かあった。これも次回への手がかりのように思う。
    どうも何かコツがあるように思う。まったく感覚的な印象なのだが、そのコツをつかめば、バイクの入口に立てるような気がする。
    こんな感覚も、やってみないと分からないのだ。
    だからやってみてよかったと思う。
    あと、スイムはようやく山を越えることができたように思う。
    これは念願であったのだ。嬉しい。
    バイクもいずれそうなる時が来るだろう。楽しみにしよう。(笑)
    知多夏山 息も絶え絶え ペダリング
    レース後1週間。そんなに疲れてはいない。身体の痛みもない。これがカットオフの中途半端なところだが、でも、まあ、仕方ない。
    今回のカットオフでリベンジを意気込むような気分はない。無理なく続けていけば、気が付けばどこかに行けていると思う。そんな軽い感覚でいる。
    今年は11月に伊是名トライアスロンがあるが、今回のレースで伊是名はいけそうな手応えをえた。伊是名は3年前にスイムでカットオフされていることを考えれば、自分なりに上達はしているのだろう。上達は楽しみを広げる。まずは伊是名を目指してみよう。
    写真は私だけDNFで残念な記念撮影。

  • セントレアまであと2日。高まる緊張、広がる不安。「やってみよう」と自分に言い聞かせる。

    セントレアまであと2日。高まる緊張、広がる不安。「やってみよう」と自分に言い聞かせる。

     いよいよ7日日曜はセントレア大会。スイム1.9km・バイク 90.1km・ラン 21.1km の総距離約 113.1km (70.3マイル)。もちろん初めての体験となる。

    緊張が高まっている。血圧もあがっている。(笑)
    そもそもこの大会への参加は、ATA月島の佐藤さんからのお声かけからスタートしたもの。佐藤さんは70歳を過ぎている大先輩で、昨年もセントレアを完走している。
    「岩崎さん、いきませんか?」
    「いやあ、私のレベルじゃあ無理ですよ」
    「ダメもとですから」
    という会話がきっかけで、怖いモノ見たさとでも言うべきか、年齢も考えれば今年はチャンスかも、と気分を変えての参加とあいなった。
    レースを展望してみると、何よりの心配は制限時間。
    スイム制限時間は70分。バイク制限時間は3時間44分(平均時速23キロ)、ランの制限時間は3時間(平均キロ8分)。
    私の希望的見込として、スイムは100メートル3分ペースで57分、バイクは平均23キロをキープ、ランはキロ7分でいけば完走できるはず、となるのだが、不安は大きい。
    スイムはともかく休みなく泳ぎ続けること。ここに尽きる。ポイントは精神面のコントロールにあり、出だしの500mを越えてリズムをつかむ。これにかかっている。
    バイクはアップダウンの多いコースであるという。苦手な登りをどう乗り越えるか、そして事故を起こさずにいけるか。これば「やってみないとわからない」。だから不安である。
    最後のランはバイク次第。普通であれば、キロ7分で走ることに問題はないが、昨年の九十九里トライアスロンではバイクの疲労で足が動かず、まめも割れてキロ8分のペースにまで落ちてしまった。自分のペースで走ることができれば、痛みさえ発生しなければ、走り切ることはできると思うのだが、ここも祈るばかりだ。
    全体の制限時間は8時間。希望的シミュレーションタイムは7時間26分となるのだが、いやいや、あくまで8時間内での完走が第一目標である。

    不安を払しょくすべく、積極的に考えてみる。
    スイムの準備は、すでに今年は海のOWSを3回。プラス横浜大会で手応えをつかんだ。大きな不安はあるが「自信をもって泳げばいけるはず」のレベルには来ている。先週土曜日のスイムトレーニングは「セントレア送別」と名打って、30分間ノンストップでグルグル回るというもの。これも出だしは緊張したが、一度も足をつかず、周囲のようすも確かめつつ泳ぐことができた。スピードアップのイメージもつかむことができた。
    バイクトレーニングは、4月から5月にかけて120キロLSDを3回。TailWindでの遠藤さんのご指導を2回。横浜では平均25キロをオーバー。
    ランは1月、2月、3月、4月と月1回ペースでハーフマラソンに出場。足の指を痛めるのが大きな課題であったが、フォームを変え、コントロールする感覚がだいぶわかってきた。
    直近の様子は、5月24日はバイク120キロ、27日は遠藤さんレッスン、30日は30分スイム+2.5キロラン×3本、31日は辻堂海岸でのOWS。
    大会はもちろん横浜トライアスロンでの完走。
    なんだ、けっこうやっているではないか。(笑)
    梅雨来たり 挑む気持ちを かきたてて

    この1週間は休養第一に努めた。体調は悪くはない。左足膝に軽い痛みがあるが、走りに影響するほどではない。
    今年は5月横浜、6月セントレア、7月昭和記念公演、8月沼津駅伝と手賀沼、9月九十九里、11月伊是名と月1以上にレースを入れた。
    トライアスロンを始めて今年は6年目、大会参加は5シーズン目。ようやくレースを楽しめる状態になったように思える。こんな私のこんな年齢でも進歩というものがあるのだ。感慨深い。
    先のことはわからない。健康、仕事、お金などの条件を考慮して、今シーズンは思い切って「やれることをやってみる」年にした。その象徴がこのセントレアなのだ。

    不安はあるが、前向きに、積極的に挑んでいくことを楽しみたい。結果はともかくとして「やってやろうじゃないか」の闘争的気分で「前へ、前へ」を言いきかせた8時間を過ごしてみたいと思っている。
    不安な気持も含めて、ワクワクしていこう!!!
    写真は参加誓約書と説明書。説明書を読み込むのがけっこう大変!!

  • セントレアまで1週間。OWSに出かけてなぜか思いをめぐらす心境

    セントレアまで1週間。OWSに出かけてなぜか思いをめぐらす心境

    セントレアトライアスロンまであと1週間。今日は辻堂のオープンウォータースイムのレッスンに行ってみた。波が荒くてほとんど泳げず。セントレアに向けた最後の泳ぎこみのイメージで行ったのだが、大半は波うち際でバシャバシャと遊ぶような感じとなってしまった。それでも荒波を乗り越え、波のはじけるその先に行くこともできた。

    荒い波が何回も続けて寄せてくるが、それでも一瞬穏やかになる波のリズムがある。また波は一律に寄せるのではなく、波と波の間に隙間があり、その隙間を狙うと引き波に乗ることができる。穏やかになった瞬間をとらえ、隙間を狙い足もしっかり使ってエイッと進む。すると波を乗り越えたゾーンに出ることができる。ここに来れば波の上下動はあるが、波頭の崩れはなくなる。
    そんな指導を受け、挑戦すること幾たびか。波をまともに受けて仰向けとなったとたんに引き波に足をさらわれ1回転。かなり怖い。こうなるととてもではないが意気消沈。いったん戻って息を整えてのやり直しとなる。そしてついに波を越え、ボードを持って浮くインストラクターの所へたどり着く。達成感を胸にインストラクターと共に岸に戻ったが、大波が来ると、手をつないで潜って波をやり過ごし、ボディサーフの感覚で岸を目指す。なお、インストラクターは女性であり、それもあって、なかなかエキサイティングが体験となった。これもトライアスロンを始めたからで、この年齢でこんなことをしていることになろうとは、考えてもみなかった。無心で遊ぶ感覚か。

    「遊びをせんとや生れけむ」は『梁塵秘抄』の有名な一説で、これは無心に遊ぶ子供を見る大人の心境なのか、あるいは「遊ぶことの豊かさ」を示した人生観なのか。人生観としても、たまには童心に戻って遊ぶことの大切さを説いたものなのか。あるは人生の意味は無心に遊ぶことにこそあるという宣言なのか。本来の意味を知る学はないが、私がこと言葉を思い浮かべるときは「人生の価値は遊ぶところにこそある」というイメージを描いている。だからといって「そうだそのとおり」と共感するわけではない。
    いま読んでいる「HARD THINGS」という本で、「人生とは苦闘である」という言葉に出会った。カールマルクスの言葉として紹介されている。そして、この言葉に何のためらいもなく「そうだ、そのとおり」と共感してしまう私がいる。
    そしてトライアスロンは遊びであり、苦闘である。
    何を言いたいのか?
    「苦闘もまた遊びとなる」「苦闘がなくては遊びとはいえない」などといった気の抜けた警句を言いたいわけではない。
    時として、人生を振り返るときがある。今日の私はそんな心境であったということだ。結論もでないことに、図らずも心を奪われ思いを巡らす。今日はたまたまそんな日であったということだ。
    さて、あと1週間をどのようにして過ごすか。今回の本題は「レース前の自己管理」なのだ。昨日のラントレで、右のくるぶしと膝に軽い痛みを覚えたが、まあ、悪くはない。十分なトレーニングを積んできたわけではないが、自分なりの準備は重ねてきた。
    仕事についても、先週金曜日5月28日に決算報告を終え、新たな年を迎える感覚がある。「しなくてはならないが、できずに気になっていること」は多々あるが、切迫した締切はない。
    ハードなトレーニングは今日で終わり。あとは朝の散歩とストレッチングをポイントとする。朝に目覚めのスイッチを入れ、身体の関節や筋肉に刺激を入れつつ緩めるということだ。アルコールはなし。夜は小食にして早く睡眠する。
    五月の陽 いのち駆り立て 走り出す
    今日は走り出す前のひと呼吸。
    結論を出すのではなく、結論が出るわけもなく。
    ゆったりぐるぐると思いを巡らす。
    そんな一日も大切に過ごしたい。
    決算の状況を見ながら税理士さんと話したことは
    「あと10年は走ろう。そのあとはその時に考えよう」
    写真は今日の辻堂海岸。

  • 横浜トライアスロン報告の2。今回はレースの報告。満足しています。

    横浜トライアスロン報告の2。今回はレースの報告。満足しています。

    横浜トライアスロンのリザルトです。

    トータル 1:56:38
    スイム  0:26:05
    バイク  0:55:41
    ラン   0:34:52
    なんとスイムは制限時間の25分を1分5秒オーバーしているではないか。前日の説明会で、制限時間で厳密にDNFとするのではなく、多少のオーバーで、当人が元気であれば公式記録として認める旨の説明があった。スイムであがったときに、係員から「急いで急いで」と声をかけられ、てっきり時間いっぱいとおもっていたのだが、記録をみてびっくり。しかしなんとか継続でき、最後は制限時間の2時間を切ることができた。大会の運営に感謝です。
    レースを振り返れば「全体として自分でコントロールできたこと」が最大の収穫。
    スイムは前半で大きく遅れた。なかなか水にのっていかず、集団からドンドンと引き離されていく。そこで気が付いたのがフォーム。バシャバシャと水をかくようなフォームで身体の伸びがまったくない。そこで後半はフォーム修正し、泳ぎの感覚をつかむことができた。この修正がなければ制限時間もはるかにオーバーしていたことだろう。
    それと、一度も休止しなかったのが嬉しい。いままではすぐに立ち泳ぎになってしまったが、今回はともかく休まず泳ぎ続けることを第一に考えていた。前半は自分に「休むな休むな」と言い聞かせていたが、後半はそんなことも考えず、無心でゴールを目指した。
    次いでバイクだが、あの曲がり角の多いコースで平均で時速25キロを超えることができたのが嬉しい。苦手な坂は1周で2カ所、3周なので合計6回となるが、1回目はこれまでと同じで失速。しかし2回目以降はスピードをある程度維持しながら登りきることができた。
    平地でも「軽くペダルを廻す」感覚を何回か感じることができた。この感覚になると、スピードはあがるが、身体は楽になる。「ああこの感じか」と自覚しながら走ることができた。
    最後のランは出だしはリズムがつかめなかったが、2キロあたりからキロ6分程度のペースにはいることができ、意識して追い込んでみた。気持ちよく走ることができた。30分切りは目標にできる手ごたえを得ることができた。

    といった具合で、レース中に意識しながら修正を加えて手ごたえを感じることができた。初めてレースというものを楽しむことができたような気がしている。しかも思い出のつまったコースである。沿道からは、多くの仲間から声援を受けた。スイムでのオーバーは残念だが、すこぶる満足している。
    レースを終えたあとは、ひとり中華街に行ってネギそばとチャーハンのセットを食べ、帰宅した。

    懐かしの 横浜走る トライアスロン
    6月7日にセントレア大会に出場する。
    スイム1.9km・バイク 90.1km・ラン 21.1km の総距離約 113.1km (70.3マイル)。横浜の4倍である。
    実は横浜大会はセントレアの準備・テストという思惑があった。横浜で惨敗したらどうであったか。そう思うとタイムオーバーでも続けさせてくれた大会に大いに感謝である。
    セントレアはダメモトと思いを定めての参加である。まだ制限時間の発表はないが、プールでは100メートルを2分30から40秒で回すことができる。3分のラップで泳ぐとすれば1.9キロで57分となる。休まず泳ぎ続けるイメージはできた。積極的に向かっていきたい。バイクは後半が苦手の坂道で、どうかなあと心配している。バイクを越えれば、ランはキロ7分のペースで2時間30分は現実的な目標になるだろう。
    などと電卓片手にいろいろと考えているが、正直な気分は「どうなることやら」。しかし、横浜での手応えを胸に、気持ちをしっかりもち、笑顔で、積極的に向かっていこうと思っている。何はともあれ、いい経験ではないか。
    写真は横浜でのバイク姿。このアングルだとお腹が目立たない。(笑)

  • 2015横浜トライアスロンの報告1 私の横浜への思い入れ。

    2015横浜トライアスロンの報告1 私の横浜への思い入れ。

    2015年横浜トライアスロンの報告です。語りたいこと、聞いてほしいことがたくさんあって、2回の分割になります。語りたいことの多くは個人的な思い出で、トライアスロンの観点からはまったく意味のないことかと思います。すみません。

    この横浜トライアスロンについては、私は個人的な思い入れがある。その思い入れは「ニューグランドホテル」につながり、このホテルの前をバイクで疾走することが、憧れであった。憧れというより、使命にすら思っていた。そのことをお伝えする。
    私は横浜生まれの横浜育ちであるが、その私が故郷の思い出として、大きな愛着を感じるているのがニューグランドホテルである。私の母親は横浜で生まれ、第二次大戦の戦火を受けてきたのだが「横浜市民はニューグランドホテルに感謝しなくてはいけない。戦後の食糧難の折に、ニューグランドの支配人が、横浜市民は飢えています、といってマッカーサーにかけあって、食料が放出された」という思い出話を、それこそ、何回も何回も聞いて、私は育った。
    なお、いま、そのことを歴史的事実として確認しようという気持はまったくない。ただ母はそう信じて疑いがなかった。そして、私にとっても、そのエピソードは、いまだに、横浜を振り返る基点となっている。
    次に、話は高校卒業に飛ぶ。私の卒業した高校では、卒業式は午前、そして夕方からニューグランドホテルで謝恩会をするのが通例であった。おそらくいまもそうであろうことを願う。卒業の前に、ホテルでテーブルマナーの講習もある。要は、社会人としてのスタートを飾るのが謝恩会で、午前の卒業式は制服であるが、謝恩会では、背広、ないしカクテルドレス姿となる。ちなみに私の高校では、1クラス50名のうち、10名が女性という変則的な共学であった。40名の男子が10名の女性を守るといったジェントルマンシップの校風があったかと思う。
    なお、私の通った関東学院というと、最近では金沢八景の大学といった認知も広がっているが、私の時代はあくまで、三春台(黄金町)の中高生活となる。
    さて、ニューグランドの謝恩会だが、まず基本的に私たちはこのホテルで謝恩会を行なうことに特別な意識をもっていた。謝恩会により、学生から社会人になるという一種のイニシエーションについて、誇りと愛着をもっていた。そして、この謝恩会において、男女それぞれ1名が代表スピーチを行うのだが、なんと、男は私が指名された。指名者は先生方である。なお、女性の代表スピーチは、学校の宗派(バプテスト派)の牧師の娘さんで、話も慣れており、誰にとっても異論のあろうはずがない。
    では、なぜ男は私なのか。成績は学年で50位程度でしかない。何か特別な賞を受けたこともない。いたって平凡で特徴のない、ただの男の子であった。ひとつ選ばれる理由をあげるとハンドボール部でキャンプテンであったこと。でも私がキャプテンであった間のクラブの成績はまったくさんざんで、いま、思い出すこともできないほどだ。おそらく適当だったんだろう。
    ニューグランドで一張羅の背広を着て挨拶をした。
    さらに、初めて付き合った彼女と別れたのもニューグランドであった。その日の待ち合せに彼女は来ることはなく、1時間以上待って、そのあと私がどこに行ったか覚えていない。
    ということがあり、私にとってニューグランドの前をバイクで走り抜けるということには、特別な思いがあるのだ。いまは市川の江戸川沿いに住んでいるが、横浜に行くたびに言葉にしがたい特別な郷愁を覚える。
    それがこの大会で、一昨年はスイムでタイムオーバーとなり、ニューグランドはかなわぬ夢となった。一昨年はオリンピック距離であったが、今回はその半分のスクリント。これでなんとかニューグランドホテルの前を疾走したい。私の横浜トライアスロンへの夢はここに尽きるのだ。
    だから「一度は」の気持ちなのだが、年齢も年齢で、だんだんと衰えていく。よし。今年で決着をつけよう、といった前のめりの気分での参加であった。
    春になり 始めよう 私の思い
    横浜トライアスロンはスイムの時間制限が厳しい。説明会でも「日本一厳しい」との発言もあった。制限時間は25分。これを目標にいろいろとやってきた。果たして結果は。
    無事完走したのだが、細かく見ていくとコトは簡単ではない。
    記録を見るとスイムは1分オーバーなのだ。ええ??
    詳しくは次回に。
    写真は私の走る姿だが、どうもお腹が出てみっともない。
    でも、これが私の姿で、私にとって気持ちの良い頃合い体型なのだ。
    「私は私」と開き直っている。(笑)

  • トレーニングに励んだこの連休。でもイマイチの体調でスッキリせず。

    トレーニングに励んだこの連休。でもイマイチの体調でスッキリせず。

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    今日は連休の最終日。ATAの仲間と、印旛沼へのロングライドに出かけた。走行距離は約120キロ。テーマは新たしいポジションへの対応と坂道。ポジションへの対応はだいぶ自分のものになってきたように思う。やはり長い距離を走ることは有効だ。しかも巡航速度は約21キロ。平地を走っているときは25キロをちょっと超えるぐらいで、これがちょうど自分に合っていた。平地であれば30キロもこなせるが、とてもペダリングを意識する余裕はなくなってしまう。ちょっと余裕をもてる自分に合ったスピードでの長時間ライドはいいトレーニングになる。
    坂道のほうは、相変わらず置いていかれてしまうが、それでも少しの手ごたえはあったかな。私なりのポイントとしては、積極的に坂に向かっていくこと。これが第一。坂の手前から加速をつけて勢いよく登っていく。そしてペダルに意識を集中してクルクル回す。しかし、ちょっと長い距離になると、みるみる置いていかれてしまうんだなあ、これが。情けない。

    連休を振り返ると、土曜日はバイク20キロ+ラン3キロのブリックトレーニングを2セット。日曜日は片瀬江の島海岸でオープンウォーターの練習会。その後小田原に行き、小田原の祭りと味を楽しんだ。月曜は夕方に1時間半のスイム自主練。火曜日は1時間の朝スイム練習。自宅に帰って1時間のスロージョグ、そして今日のバイクトレーニング。こう書き出すとけっこう練習しているようだが、いまいちスッキリしない。
    というのは2週間に及ぶ風邪をいまだ引きずっている感覚がある。咳と痰はだいぶ収まってきたものの、練習後の疲れがいつになく大きく、咳と痰は昨日からぶり返し、今朝はだいぶ痛む状態に。トレーニングを休もうかと思ったが、「まあ、ようすを見ながら」と言いきかせてでかけて、何とか皆についていけたので、まあ、よかった。

    5月17日は横浜トライアスロンのスプリントで今シーズンをスタートする。横浜は一昨年にオリンピック距離で出て、スイムで足きりとなった。今回は750メートルを25分以内。100メートル2分40秒とすると、750メートルで20分となる。スムーズにいけばいいのだが、何かあるとアウトになるギリギリのところなのだ。
    そして6月7日はセントレア大会でこちらはミドル。スイム1.9、バイク90.1、ラン21.1。この大会に向けてバイクを鍛えているわけだが、さて、どうなることやら。7割がたはDNFと思っているが、まあ、私なりに、やれるだけやってみよう。
    五月の風 光を浴びて ペダル漕ぐ

    今年はトライアスロンを頑張ってみようと思っている。今後も息長く楽しむにはどの程度がいいのか、探ってみようと思っている。年齢と仕事の状態を考えると、今年はチャンスと考えている。
    ということで、今日は喉の痛みを感じつつ、頑張ってしまった。自己診断としては風邪を引きずっての気管支炎。明日の朝はどうなっているやら。医者に行ってみよう。
    トライアスロンを始めるにあたって大切にしたのが、ストレスをもたないこと。ゴルフなんてストレスになるだろうなあ。マラソンもスイムも記録を目指してストレスをためそうだなあ。でもトライアスロンは、ストレスが少ないように思えた。改めて、ストレスをもたずに楽しむことを大切に、と自戒する。
    画像は今日走ったコース。