投稿者: iwasakihiroshi

  • 風邪をひいたおかげで「運動神経を鍛える」意識に目覚める。

    風邪をひいたおかげで「運動神経を鍛える」意識に目覚める。

     本屋に行くのは大きな楽しみだ。最近は大手の書店ばかりになって個人書店の個性が失われていることを嘆く向きもあるが、一方大手書店を眺めれば「いまの世の動き」が伺えて、私としては大手書店を味気ないとは思わない。ただし、これだけの多くの本が並んでいながら、それをまるで新聞を眺めるように目を通して、買おうとは思わない、買いたいと思う本に出合わないとなると、ちょっとうろたえた感覚になる。

    これだけの本がありながら、買おうという気が起らないのは好奇心の欠如ではないか、好奇心の欠如は生きる力の欠如であり、これは危ない、と考える。「最近は面白い本がない」などという嘆きは「最近は面白いと思う力がなくなった」という嘆きに思われる。書店は好奇心のバロメータでもあるのだ。
    といったところで、風邪をひいたこの1週間は本への意欲も衰えていた。確かに身体と頭はつながっているんだ。そんななかで、思わず手にとったのが写真の「運動神経の科学」。副題が「誰でも足は速くなる」。だいぶ前に買って、おそらくペラペラめくったとは思うのだが、記憶にとどまらず脇に置いてあったのを、改めて手に取ってみることになった。風邪をひいたおかげか、身体への好奇心が沸々と湧いてきたわけだ。

    さて、内容といえば、専門的な知識が多く、文章も読みにくいうえ、最後は著者が発明した運動機器の解説になってしまい、いたってとっつきにくい。一般向けの読み物にはなっていない。
    しかし参考になるところ大であった。お勧めしたい。
    私なりの理解を以下にあげる。
    運動神経は鍛えることができる。
    それは意図に応じた自然に身体を動かす能力を高めることだ。
    そのためには体の動きを脳で認識することがスタートとなる。
    イメージしなくてはマネージできない、というわけだ。
    一方身体は表面的な筋肉だけでなく、より全身を使った動きにより対応する。
    イメージを全身を使って表現するのだ。
    全身を使うための機器を著者は開発している。
    そのトレーニング施設が神保町にある。
    http://www.hi-sports.com/school/index.html
    機械を使わなくても「歩くことから運動神経を鍛える」という章がある。
    よし、まずこれを試してみようか。
    例えば、走るために足を出すのではなく、腰と共に足を出す。
    というより腰を出してその先に足がある感覚か。

    老化が進むなかで何より痛感するのは「躍動感の退化」である。具体的には身体を動かす可動範囲が小さくなり、加えて全身を使っての稼働ができなくなっている。さらに全身でリズムを表現する力がなくなり、血の巡りが悪くなっている。一部だけをチョコチョコ動かす状態になっている。
    老化は仕方ないことであるが、だいぶ錆びついた状態なのだ。少し油をさして全身を動かす感覚を呼び戻してみたい。さぞかし気持ちがいいだろう。ジムには通っているものの、すっかりご無沙汰している「エアロビックダンス」に行こうか、なんて考えていたので、そんな意識がこの本へと向かわせたのだろう。
    花疲れ 風邪に伏して 我思う
    この月曜に風邪にキャッチされ、だいぶ回復したものの、いまだに咳・痰・鼻水という呼吸器系炎症が収まらない。
    治ったら、より意識的に、身体づくりに向かいたいと思う。
    ①歩くことから運動神経を鍛える
    ②1日30分のストレッチ+筋肉トレーニング
    ③週1のエアロビックダンス
    ④できれば神保町に行ってみたい
    そのうえで、やはり体重だな。これが大変だけど。
    6月7日のセントレアトライアスロンに向けて、意識を向けていこう。
    4月からの新年度で、新しいプロジェクトも本格スタートする。
    今回の風邪も自分を振り返るいい休養と考えるべく、いまこれを書いている。
    今日は宮古島のアイアンマンに仲間が出ている。
    いまはバイクの後半か。
    さて、こちらはリハビリで散歩に出てみるか。

  • 風邪をひいて、トライアスロンと身体のセンサーを再認識。

    風邪をひいて、トライアスロンと身体のセンサーを再認識。

    風邪をひいてしまった。スタートは昨日の午後3時ぐらい。「なんか来ているなあ」の感覚が襲う。わたしの場合は決まって喉の炎症。それがみるみる悪化して、昨夜は喉と鼻の奥の痛みと鼻づまりで寝付かれず。
    毎年冬のシーズンは2回、夏に1回は風邪をひいている印象がある。ネットで調べると「風邪の原因は免疫力の低下」とある。
    それはそうだろう。ちょっと振り返ってみよう。
    まず、このところ厳しい天候不順が続いている。次いで、先週は眠りが浅く、朝なかなか起きられずすっきりとしない睡眠状態であった。すっきと目覚めない、目覚めても疲れを残している感覚があった。風邪の予兆だったのか。あるいは風邪を受け入れてしまいやすい状態にあったのか。食事は自宅がメインだったが、あまり食欲はなく、その分酒に走った印象がある。日曜はかなり大規模な家の片付けで、だいぶホコリを吸い込んだ。そして月曜は、仕事への集中力が落ちていたなあ。仕事に向かいたかったが、結局は決算に向けた書類整理が精いっぱいであった。
    週末のブログも手がつかなかった。
    こうして書き出してみると、なんと、着実に風邪に向かっていった様子がうかがえるではないか。いろんなシグナルはあったのだ。
    体調イマイチの先週のうちに体調を戻しておく必要があったのではないか。
    であれば風邪は避けられたかのかもしれないと、考えてみる。
    具体的にどうするか。
    たぶん、睡眠かと思う。
    おかしいかなあ、と思ったら、ともかく早く寝る。
    それができなかった。あるいはやらなかった。
    ああ、そうか。
    睡眠時間がを十分とれるにも拘わらず、睡眠が不調で練習への意欲がわかない、あるいは走りに出ても走れない、そんなときは「要注意」なのか。
    トライアスロンを続けていることにより、身体が快適な状態を実感することができる。それは睡眠の状態であり、目覚めの感覚であり、食欲であり、練習への意欲であり、走り出しの感覚である。身体全体のセンサーが敏感になっているのだ。そのことをもっと自覚しよう。身体との対話だ!!
    そして具合が悪くなってしまったら。これは外出を控えて寝るしかないよな。当たり前だ!!
    悶々と 喉を腫らして なたね梅雨
    10日金曜に高血圧の検診。だいぶ下がって様子がいい状態になってきた。今シーズンのトライアスロンは5月17日の横浜がスタートだが、次回の検診は8日に予約。血液も採取して様子をみることになった。
    下がったのはやはりクスリが効いているということ、天候不順とはいえ、気候が温かくなってきたということがあげられるであろうとのこと。まずは一安心といえる。
    健康のためのトライアスロンではないが、トライアストンが身体の感覚を鍛えている。これは気持ちがいい。老人にとっては重要なことだ。

  • 新年度スタートの心境。バイクは遠藤流でいくことに決定。

    新年度スタートの心境。バイクは遠藤流でいくことに決定。

     新年度がはじまった。街には新入社員のグループが目立つ。桜は満開だ。私をトライアスロンに導いている岩田コーチは4月1日に婚約を発表した。実にめでたい。

    身辺周辺はざわざわとし、相も変わらず金繰りに頭を悩まし、心落ち着かぬ日々であるのだが、新たなプロジェクトもいくつかスタートしている。新たな価値を問いかけるものであり、海図なき航海に出帆する心境だ。心身の健康を保ち、常に緊張感をもって360度視界をめぐらし、希望をもって進んでいくことを自分に言い聞かす。
    こう書くと、なんだ、新入社員と変わらないではないか、と気がついて苦笑するのだが、その本意は、誰にとっても、年齢を重ねても、明日はいっこうにわからないということだ。
    学生時代、文芸評論家江藤淳のこんな言葉に出会った。
    「生きるということは、過去を見つめながら、明日への怯えを胸に、未来へと一歩一歩後ずさることである。時折肩をたたくものがあり振り返って未来へと顔をむける。人はそれを希望という」
    これは私なりの記憶と理解で、これを書くにあたって原典を確認したわけではない。しかしこの言葉は学生時代の私の心にしみわたり、人生観の基調となってこれまで生きてきた。ある人は明日の創造に希望を見出し、顔をあげて未来をみつめ、風を切って前へ前へと進んでいくことが人生と考えているのかもしれないが、私にはそう考えることはできない。未来は幻想であり、人は明日を過去としてしか確認できない。希望こそは生きる糧であるが、それは心のなかで作り出すものではなく、現実のなかで出会うものだ。
    そんな新年度ならではの心境のなかで、トライアスロンに話を戻すと、先週の土曜は船橋オートレース場でのバイク練習。さらに日曜日は印旛沼、手賀沼をめぐって103キロのロングライドと、バイクバイクの週末・年度末となった。
    バイクについてはポジションチェンジがなかなか馴染めない状態であったが、この2日間でだいぶ様子がわかってきたようだ。ポイントは無理なく自然に全身を躍動させること。その状態を探し出すこと、かな。
    バイクについては、どうやらさまざまな流派があるようで、どの師匠につくかがカギとなる。私としてはトライアソロンを始めるにあたってバイクを見立ててくれた遠藤さんを師匠とすることにした。遠藤さんは現在「Tail Wind」というトライアスロンショップをやっている。そこでオーバーホールをお願いし、ポジションチェンジに挑むことになった。
    具体的にはハンドルを前に出し、ペダルのクランクを5ミリ短くした。なんとかこれを身につけていきたいと思っている。そのために月に1回はバイクをお店に持ち込んで指導を受けるつもり。よし、この線ていってみよう。
    桜満開 心に期すや 新たなり
    今年も花見は靖国神社で日本酒熱燗を楽しんだ。
    トライアスロンを続けていけるのも仕事のベースがあるからだ。
    2014年度はいい形の地ならしができた年。
    2015年の新年度は地ならしから形をつくる年。
    長く続く形をつくらなくてはいけない。
    心に期すところ大である。

  • 仕事のほうは3月納品の最後の追い込み。明日は仕事を仕上げてアクティブレスト。

    仕事のほうは3月納品の最後の追い込み。明日は仕事を仕上げてアクティブレスト。

    毎週続けるつもりだが、とうとう先週はブランクになってしまった。3月末は行政関係の仕事の納品時期であり、福島県国見町の道の駅(2016年11月完成予定)の実施計画のとりまとめに追われていた。

    写真はその外観予定図。なかなかの迫力です。私の担当はこの施設内の「子育て支援施設」。こう書くと固いイメージですが「東北のママたちのネットワーク拠点」がコンセプトです。
    さて、話をトライアスロンに戻すと、まずはこのところ継続的に扱ってきた「左足の指の付け根が痛む」件。どうも、靴がしっかりとフィットしていない、靴の中での遊びが大きいうえ、ゴム紐にしているために足の遊びが大きく、それによって足の指を必要以上にたたきつけることになっている、ということのようだ。
    以前は大きな痛みはなく、フルマラソンも走っていたのだ。そのことを、その感触を思い出そう。しかし、進歩しているかと思えば、なかなかそうでもない。一筋縄ではいかないものだ、というのも、まあ、楽しみの一つと思っておこう。
    まずは、ゴム紐から普通の紐に変えて試してみよう。
    ちなみに、今日のラントレは1周2.1キロのコース。休み時間を5分とっての3周。1週目から、12分4秒、11分40秒、11分30秒と時間を短縮できた。3周目がいちばん楽に走ることができ、ちょっと手ごたえをえた。そして足の痛みといえば、ちょっと微妙だが、痛みを感じたわけではない。軽いしびれというところか。
    この件を取り上げるのは一段落。あとは新たに靴を探して向かっていこう。

    次の話題はスイム。問題はスピード。泳ぐ感覚はだいぶつかめてきて、藍コーチからも「もう一皮」と励まされているのだが、遅いのが悩み。皆さんと連なって泳ぐドラフティングの練習でも一人遅れてしまう。
    自分のペースのタイムは50メートルで約1分20秒。1分30秒のサークルであれば、まあ、安定して泳ぐことができる。まずこれを何とか1分15秒、できれば1分10秒まで短縮したい。それも無理せず安定して泳ぐところまでいきたい。
    で、どうするか。
    こう言ってしまうとあまりに当然の話であるが、やはりトレーニングしかない。ちょっと集中して泳ぐことに力を傾けたいと思う。
    以下にそのプログラムを書き出す。
    現在は火曜日と土曜日の週2回がATAのトレーニング。まずこれに週2回は自主練を加える。木曜は50メートルのサークルトレーニングでスピードアップを狙う。そして日曜日には技術トレーニングでフォームのチェックを行う。あと、自主練ではノンストップ500メートルを必ず入れる。
    それに加えて、オープンウォーターなど、別途の練習会に積極的に参加する。
    こんなところかなあ。
    ともかく、6月7日のセントレア(ミドルアイアンマン)に向けてスピードアップを強化する。
    菜の花が 彩り添える ランコース

    明日は板橋シティマラソンなのだが、納品の仕上げで不参加とする。頑張れば行けないこともないのだが、タップリと寝て回復したい気分がある。睡眠を十分にとり、スイムの技術練習でアクティブレストとしよう。
    アクティブレストとは私の理解では「練習としての休養」。いろんなことを覚えるなあ。

  • 今年3回目のハーフマラソン。あーでもない、こーでもないと試しつつ、痛みの出ない走りを模索する。

    今年3回目のハーフマラソン。あーでもない、こーでもないと試しつつ、痛みの出ない走りを模索する。

     この日曜日は「かつしかふれあいRUNフェスタ2015」。荒川沿いを走るハーフマラソンで第1回の開催。1月の谷川真理、2月のお台場FUNRUNに続いての今シーズン3回目のハーフマラソン。

    先の2回の大会では足の指をひどく痛めた。その原因はフォアフットにあるということで、今回のテーマは「足の指を痛めない」ように走ること。フォームとしてはフラットフットになる。果たしてこれで足は痛まないのか、あるいはスピードをあげて走ることはできるのか、そして何よりも自然に心地よく走ることができるのか。
    さて当日。前日の土曜日、前々日の金曜日も飲みが入りけっこう身体に効いている。最近は飲みが2日続くとダメージを受けるようになってきた。身体の芯が疲れたような感覚に胸焼けがひどくなってゲップを繰り返す。では控えれば、というのはわかるが、そうはいかないのが酒飲みである。
    当日は雨模様の天候。前日の夜は雨となったら取りやめと思って床についた。寝坊して慌てて目覚めると実に微妙な天候。降っているわけではないが、今にも泣き出しそうな空。どうしようかと思いつつ準備を進め、気になっている右足小指のマメを削ったらなんと出血。ああ。慌ててバンドエイドを貼るが小さくて大きなサイズに貼り替えなど、まったくの戦意喪失であるが、それでも準備は進み、落ちつかないまま外に出る。
    最寄り駅は京成の堀切菖蒲園。この駅に行くのも、この路線に乗るもの初体験。この年になっての初体験というのはなんでも面白い。ようやく気分も前向きとなってきたが、降りると雨が降り出した。帰ろうかと思うのだが、この雨がまた微妙で、とりあえず行ってみようかと、足を進める。そう、とりあえず、とりあえずと言い聞かせているうちに荷物を預けてスタートラインに立ったが、それでも降りだしたら10キロで止めようと言い聞かせる。

    いつものレースどおり、最後尾からのダラダラスタート。ほとんどハーフジョグぐらいの感覚で、息が切れない程度に走り出す。そうすると雨があがってくるんだなあ、これが。10キロ折り返しのところでUターンしようか迷いもしたが、ようやくそこで腹をくくった。
    ともかくフラットフット。それに加えて腕をしっかりと振り、一歩一歩直下にしっかりと足を落としていく体重移動の感覚を全身で確かめる。手元時計の感覚はキロ7分半ぐらいかなあ。ペースはあげず、ともかくフォームに意識を集中。エイドステーションではユックリ休んで給水。まんまLSDのトレーニングとなった。
    そして折り返し地点では、右はまったく問題ないものの、左に違和感が発生。さあ、本番はこれからだ。
    右はなんともないが左はだんだんと痛みが増していく。でも前2回のような耐えられない痛みは襲ってこない。さらに意識して腰を回すと痛みが和らいでいく。そのおかげか15キロ前後で、両足ともほぼ痛みのない状態となった。でも、ちょっと油断をすると痛むのだ、これが。油断というのは体幹への集中意識。この意識が働いて全身を使っている感覚があると、なんとかいけそうな気分となる。スピードも上げたり落としてみたり、ともかくいろいろ試して「痛まない形」を探し出す。
    そして最後の3キロは意識してスピードを上げてみた。といっても7分を切るぐらいだと思うが、このフォームで速く走るにはどうするか、そのイメージをつかみたかった。面白いのは足の痛みはスピードとは関係ないこと。スピードを上げても痛みが増すわけではない。フォームへの意識が働いたか、かえって痛みが和らいだ。
    雨空の 遠くを眺め 風寒し
    タイムはネットで2時間42分。今回は仕方ないな。手ごたえとしては70%。
    問題に向けていろいろと考えてみて、試してみて、修正をして、確かめて、悩んでみる。
    たぶん料理を作るのもそんな感覚かなあ。
    ポイントは連続的な行為であるということ。
    早々に帰宅して風呂。ダメージは前2回より少ないことに安堵。
    次に走るときはどうなっているか。土曜日の練習が楽しみだ。

  • 忙しかった2月を振り返り、仕事とトライアスロンをあれこれ考えてみる。

    忙しかった2月を振り返り、仕事とトライアスロンをあれこれ考えてみる。

     2月というのは、会社の決算及び確定申告の準備、年度末納品の仕事のまとめなど、バタバタと忙しいのだが、今年は3月11日に発行する32ページのフリーマガジンの編集があり、なかなか厳しい状況であった。フリーマガジンについてはなんとか間に合い、木曜日に校了で安堵。私は何はともあれ発行日を守ることが第一と思うタイプだ。井上ひさしは遅筆のために何回も芝居の初日をはずことがあったと聞くが、そうした求道的な作品至上の考えは肌にあわない。私はそんな風には暮らしていない。

    先週金曜は2017年春に完成予定の福島県国見町の道の駅の会議で国見町に日帰り出張となった。帰りの新幹線はシートを廻して5人で酒盛り状態。土曜朝も酒が残り、胸やけもひどかったが、我が身を励ましトレーニングへ。
    土曜のスイムは100メートル、50メートル、25メートルのタイムトライアル。100メートルが2分6秒、25メートルで多分26秒であったか。前回のタイムトライアルと比べるとタイムはかなり落ちており、やっぱりこの1か月の多忙、特にこの数日の寝不足と二日酔いの影響かなあ。本当に進まない。

    仕事の忙しさとトライアスロンについては、両立が前提、というよりいたって当たり前のことなのだが、この忙しい1か月を過ごしたあとに実感したのは、なんと身体を動かしたいとういう欲求だ。けっこう身体がなまったような、明らかに運動不足の感覚があり、日曜は曇天だったが江戸川沿に走りに出てLSDを1時間。たっぷり汗をかいたあとのシャワーの気持ちよいこと。だいぶトレーニングが身についてきたのかと感慨深い。

    さて。トライアスロンに挑戦することは仕事にもプラスに働くといった紹介をよく目にする。我がATA校長白戸太郎の『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』といった本もある。私が仕事ができるかどうかはさておき、以前順天堂大学の野川先生から「トライアスロンはむしろ年寄り向け。時間も金もかかる」と言われたことをよく思い出す。これもお金はさておき、確かに時間はかかるが、要は「時間管理」なのだ。若いうちは自分の時間を自分で管理できないことが多い。「仕事ができる人は時間管理がうまい」などともよく言われる。これをあわせると、トライアスロンはある程度自分で時間を管理できる立場にある人間に合っているという平凡な事実につきあたる。
    さて。ここまできてこのブログをどのように納めるか。

    大きく出れば、人生は毎日をどのような時間割で過ごすのか、ということに尽きる。そこにトライアスロンを含めば、その分何らかの時間が削除される。人生捨てなくては拾うことはできない。私が削除している時間をあげると、すぐに思い浮かぶのが映画と読書かな。あとはお酒。独身であるので家族の時間も削除されている。
    残念なのは映画と読書だが、そのぶん「いま何を読むか、何を観るか」の選択意識が強くなる。それでいいではないか。いつも今日はどの時間で練習できるか、を考えている。えらい貧乏性とも思うが、時間割に対するそんな意識は私にとっては心地よい。
    「最低限の荷物をまとめて狩りにでかける狩人」というのが、いまの私の基本イメージであるのだが、おそらく狩人にとって、確かな明日というものはなく、経験をバックに、風を読み、獲物を探しゆく毎日なのだろう。
    と、ここまで考えていくと、トライアスロンはまだまだ続けていこう、ということを確信する。まどこっろしいけど、このようの考えていくと、自分が整理できるようで、これも心地よい。
    いきなりの 吹雪にまかれ 一人きり
    写真は国見町の吹雪の様子。でも春は近い。レースまでの時間割が気になってきている。

  • 足の痛みを足と語り合う。じっくりゆっくり付き合っていこう、という枯れた心境。

    足の痛みを足と語り合う。じっくりゆっくり付き合っていこう、という枯れた心境。

      足の痛みというのは、難しい。この前の日曜にお台場のハーフマラソンに参加。天気もよく、まあ、調子よく走っていたのだが、15キロあたりから足が痛み始めた。主に左足の指の付け根が痛い。特に親指は指先から母指球にかけて痛む。足を地面に打ち付ける度に痛みが増し、右の足にも痛みが始まり、左足は、もう、電流が走るような痛み。あまりの痛さに立ち止まり、何回も歩くはめに。でも歩いても痛い。そこで痛みの少ないフォームを探しながら、ソロソロと走る。

    終わってソックスを脱ぐと、見た目はなんともない。まったく平気な面をしている。そして痛みもひいていき、足も引かずに歩いて帰路につく。あとは風呂に入ってモミモミ。じわっと痛みは残るが、常に意識するほどではない。なんだかなあ。
    この痛みは以前からあったが、それでもフルマラソンをこなしてきた。それがひどくなった。先月の荒川ハーフマラソンも痛みが出て最後は悲鳴をあげながらとなったが、立ち止まることはなかった。
    こんな状態ではとてもフルマラソンなんて出られないなあ、というのが直後の感想。

    そこでいろいろと考えることになる。前回のハーフでは、5本指ソックスが原因の一つかと思い、今回は普通のソックスにした。靴は前回はレース用のものだが、今回は練習用のものにした。こちらのほうが足に余裕があり、ゴム紐にしているため、着脱しやすく重宝している。前回より痛みがひどいのだから、この靴が原因の一つかもしれない。ソックスについては、まだ判断保留だが、当面五本指ははかないなあ。
    一番の原因と思っているのがフォアフットのフォーム。このフォームを意識しだしたのは、いつからだったか。去年は青梅、板橋Cityに参加し、共に完走できたのだが、さて、このときのフォームはどうだったか。なんと、思い出しても、よくわからない。でも、今年のマラソンシーズンは、フォアフットへの意識が高まっていることは確かだ。
    だから、フォアフットをやめてみる。これが一番ということで、今日のラントレはフラットフットを意識したのだが。今日のメニューはキロ7分のジョグを1時間だったのだが、45分で痛くなり、やむなく中止した。日曜の痛みが残っていたかなあ。
    そして足の底を鍛える。タオルギャザーなど、足指トレーニングを研究しよう。それとソックスだが、ショップで相談をしてみるか。

    足の痛みを振り返ると、初めに遭遇したのが足底腱膜園。ソールを特注した。次がアキレス腱。共にメインはあ左足で、今回の痛みも左足だ。身体のバランスなのかなあ。
    まめにストレッチングを行い、いまは双方ともなんとか何とか収まっているが、これもいつ出てくるか、戦々恐々ではある。
    つまり、いつも常にどこかが痛んでいるという感覚がある。
    そして、ストレッチも大切であるが、筋肉を鍛えることが必要との認識がある。
    それで、今回のことで感じるのは「まあ、仕方ない」。イライラせず、ゆっくり、じっくりと痛みと付き合い、いろいろとためしてみる。そうするといつしか痛みは薄れるか、なくなるか、違うところに移転する。まさに肉体との会話だなあ。
    足の痛みとの格闘の果てに、随分と枯れた心境になったことを実感。これを収穫としよう。
    菜の花や 走るリズムで 目にさやか
    春が近くなってきた。このところ、この1年のレース予定に取り組んでいるが、まずは5月17日の横浜・スプリント、6月7日のセントレアで初のハーフとなる。どうなることやら。セントレアをターゲットに身体をつくっていこう。
    写真はレースではいた練習用のシューズ。気に入っているんだけどなあ。

  • バイクをオーバーホール。今日は船橋オートレースをぐるぐる。

    バイクをオーバーホール。今日は船橋オートレースをぐるぐる。

     5年前に買って以来初めて、バイクをオーバーホールに出した。どこでオーバーホールするのか、大いに迷ったが、トライアスロンを始めたときにアスロニアの店長だった遠藤さんのお店TailWind http://www.tailwind1306.jp/にした。

    スイムもランもバイクも、自己流ではどうにもならない。では誰についていくかが問題となる。もちろん基本はATAのレッスンだが、それはベースで自己トレーニングが必要になる。
    特にバイクは指導を受けなければまったくわからない。果たして自分のフォームが適正なのか、ハンドルやサドルはベストポジションなのか、どのようにしてトレーニングをすればいいのか、わからない。わからないままにトレーニングをしても、もちろん当初よりはましになっているが、しっかりとした手ごたえをつかむことができず、大げさに言えば、闇の中での格闘となる。
    そこで、オーバーホールにあたっては、もちろん第一には価格だが、誰に指導を受けるのかが要となる。そこで、トライアスロンを始めるときにいまのバイクを決め、ポジション調整を行った遠藤さんにお願いしていこうと決めた。私の初めての状態を知っている人にお世話になっていこうというわけだ。

    バイクをもっていき、まずローラー台で漕いで見てもらう。そこでハンドルの位置を前にしてみようということになった。つまりフォームの変更となる。
    ただし遠藤さんによればフォームが問題ではなく、楽に体を動かすことのできるポイントがあり、その結果がフォームになる、ということ。
    そのポイントとは。あくまで私の理解であるが、1おなかを出す。これが第一。2手を内側から絞るようにしてハンドルを抑える。3腰と肩でリズムをとるようにして足を直下に落とす。4ペダルを足で漕ぐのではなく、まわっているペダルの上に足を乗せているような感覚をもつ。5これまではつま先に力を入れるため、かかとが上がっていたが、かかとを下げて地面と平行にする。これらが一連の動作となって、ネコ科の動物が走るような感覚で、前に進む。
    これまでは、懐を深く、背中を丸め、腰は動かさず、つま先で蹴るようにしていたのだが、まったく違うことになる。
    ちなみに、スイムの場合、ストリームラインの維持は基本中の基本であるが、いま受けているレッスンでは、無理してストリームラインはとらず、楽な位置に手を伸ばすことで、身体をフラットに保つことを重視する。

    要はその人にあった方法、ということである。私の場合、まず身体が半端なく硬い。筋力も十分ではない。体重は太目であり、年齢は64歳になろうとしているという状態にあった方法となる。その方法とは、私の考えでは「自分が楽な方法」となる。私にとってトライアスロンとは、苦しいことに頑張って取組むのではなく、楽に身体を動かす状態を手探りで探していくことなのだ。かっこつけて言えば「自己との対話」だな。
    よって「楽に体を動かす」ことを第一に説く遠藤方式でいくことにした。
    今回のオーバーホールでは、ハンドルの位置を前にし、ペダルのクランクを5ミリ短いものに取り換えた。
    そして今日は船橋オートレース場を借り切ってのトレーニング。さて、その結果は、なかなか難しい。走っていると、自然と腰が前にいってしまうのは、ハンドルを前に出したため。もっと後ろに座るようにアドバイスされていたが、なかなかそうはいかない。
    でもクルクルとコースを回りつつ、ポイントに集中していくと、少し感じがわかってきたかなあ。お腹と腰なんだよね。「いいかなあ」と思う瞬間は、お腹と腰の自然な動きを感じ、楽になった手ごたえは得たが、スピードが上がらない。いつものように一人大きくちぎられることになった。
    でも「ああ、確かに楽だ」という体験を我が身に刻んだことで、今日はよしとしよう。
    寒空に ペダルのリズム クルクルと
    寒かった。終わって仲間とららぽーとで食事。大いに賑わっており、初体験の私はお登りさん状態。
    初のオーバーホールを済ませたバイクを、初の船橋オートで初走行し、初のららぽーとで食事を楽しみ、さらにららぽーと内のサイクルショップ「セオサイクル」に行き、その大きさ、品ぞろえにびっくり。
    今日は初体験が重なった刺激的な一日となった。
    この週末、仕事の原稿が重なってしまったのだが、明日はハーフマラソン。大丈夫かなあ。よし!!リズムよくテキパキとこなしていこう。
    写真は船橋オートレース場。取り壊されないように500円の寄付をしてきました。

  • 今日は体重管理の話です。筋トレの身体づくりに向かいます。写真は昨日の昼食。なぜか写真が天地逆となる?

    今日は体重管理の話です。筋トレの身体づくりに向かいます。写真は昨日の昼食。なぜか写真が天地逆となる?

     なかなか体重が落ちない。これも年齢のことがあると思う。高校時代はハンドボール部だったので体重を考えることもなかったが、受験勉強に入って以降、ダイエットはいつも課題になっている。理想体重は33キロだが、ちょっと油断すると68キロ、そして70キロを超えるまでになってしまう。ちなみに身長は長らく170だったのに、最近はかると169と言われる。これも年齢化かなあ。

    さて、トライアスロンをやっているにもかかわらず、71キロとなった。焦って70を割るまでにしたが、そこからがなかなか減らない。今日久しぶりにはかってみたら68.4キロ。まあ、一安心だけど、満足ではない。
    思い起こすと、高校以降で33キロになったのは2回。1回目は大学生の時で、受験太りから脱却すべく、この時は単純に昼飯を抜いた記憶がある。
    次に太ったのは社会人になってからで、これは独身生活の不摂生。73キロぐらいとなった。それが28歳で結婚して68キロへ。結婚したら太るのが普通なのに結婚して体重が落ちるとは!!!ある女性から「お気の毒に」いうセリフとともに笑われたことを思い出す。笑うことかいな。
    でもそんなに厳しく栄養管理をされていたわけではなく、独身の暴飲暴食がまともな食生活になったということ。ちなみに妻はダイエットとは無縁のスリム体型。私の実感では、太めの奥さんだと亭主も太る傾向がある。食生活の問題だな。
    と考えると、私の妥当な体重は68キロ程度ともいえるのだが、40を前にして再び63キロに落ちる事態が発生した。なんと椎間板ヘルニアによる1か月の入院で、その間、寝ているばかりで、3食きちんと食べてこれだけ落ちた。理由を考えると「酒」。「酒」を飲まない。それだけで体重が落ちていく。
    しかも重要なのが63キロになると、身体が実に気持ちいい。軽く快適である。でも酒を飲まないのは楽しくない。当然退院後は見事にもとに戻っていく。
    その後、大きな生活の変化としては、50歳から57歳までの妻との闘病があるが、この間は体重どころではなく、どんな体重であったか、まったく記憶にない。
    次がトライアスロン。67キロぐらいでのスタートで、体重は落ちていくものと思っていたが、これが落ちない。体脂肪は20%を割るようになったが、体重は落ちない。
    でも「体は絞れてきたので、まあいいか」と軽く考えていたが、一昨年、忙しくトレーニングも大会も低調となったら、とうとう71キロになってしまった。

    そこで冒頭の「なかなか体重が落ちない」という話となる。
    落とす方法は「酒」と明快な因果関係がある。しかも年齢を重ねるとともに、酒を飲むと疲れるようになった。飲まない翌朝は目覚めがいい。それならやめろよ!!!と言いたいところがやめられない。でも、家ではできるだけ飲まないようにしようと、酒の買い置きはやめ、できるだけ飲まない日をつくる。
    でも、歳のせいか、なかなか落ちていかないのだ。
    体調好調な63キロにまで落とせば、トライアスロンも一段アップすると思う。
    長い前置きとなったが、これからが本題。週刊誌で次の一文に出会った。
    「加齢とともに痩せにくい、疲れやすいといった老化現象が現れるのは、成長ホルモンの減少も原因なのです。でも筋トレをすれば何歳のひとでも成長ホルモンの分泌量を増やせます」
    これかあ!!!と思った。もともとはウエイトトレーニングには関心がなかったのだが、最近は筋力の衰えが気になりはじめていた。特に下半身と体幹。でも体重低下に筋トレという発想はもっていなかった。
    ということで、筋トレ、やってみましょう。ただしジムでマシンというより、自宅で継続きるプログラムを考えよう。基本はこれまでもやっていたストレッチに筋トレを加える。 朝夜10分ずつをできるだけ毎日。加えて週2回は1時間はいきたいなあ。まずこれで手ごたえを感じるところまで、手探りでいってみよう。
    ダイエット 昨日も今日も 豆腐鍋

    朝食は食パン1枚に温泉卵、牛乳。昼食は外食が半分ぐらいで、写真は昨日の昼食。茅ヶ崎の「おかむら」というお店で、もちろんおいしかったです。
    そして夜は意識して鍋。豆腐に鶏肉、鱈、白菜が定番。何もないときは白菜に、なんとソーセージをぶちこみポン酢で食す。高血圧にもいいメニューと思っている。

  • 高血圧の治療に向かう。原因を求めれば老化。暮らしの形を考える。

    高血圧の治療に向かう。原因を求めれば老化。暮らしの形を考える。

     高血圧の治療について。どのように書いていこうかと思いつつ、なかなか気持ちが定まらない。状況の説明はできるが、その状況をどのようにして受け止めていくのか。それが定まらないと書き始めることが、なかなかできない。いやいや、それは書いているうちにはっきりとしてくるだろう、書くということは見えている結語に向かい言葉を構築することではなく、言葉をつぐみつつ、何かを見出していくことであり、思考とはそのようなものだ、とも思う。

    まあいいや。始めてみよう。
    直接のきっかけは作年末、12月の運動測定検査。東京都体育館で行っているもので人気のプログラム。申込みも大変で、指定された解禁時間に電話を重ね、ようやくにして申し込んだ。
    検査は口に呼吸計測器をつけ、ベルトの上を走るというもの。前々からやってみたったんだ。それが、高血圧でできなかった。口に装置し、ベルトの上に乗り、歩き出したのだが、その時点で血圧が200ということで、中止となった。いやあ、ショックだった。
    プレイを始めて中止となるのは本当につらい。まず呆然とし、そして、恥ずかしさが襲う。トライアスロンでスイムのタイムオーバーで中止、あるいはマラソンでタイムオーバーと、中止は何回も経験しているが、本当に情けなくなる。どんな表情をすべきかさえ、わからなくなる。
    それはそれとして、血圧の話。
    トライアスロンを始めた当初、5年前に人間ドックに入ったが、その時点では問題なし。それからの変化と言えば、トライアスロンを始めたことであり、それが高血圧の原因なのか。そんなわけはないだろう。端的にはまず老化、あるいは食生活。特に塩をとっているわけではないが、やはり独身生活のため、調理済食品をボイルして食べるといったことが多く、その影響かなあ。
    でも、何より老化だろうな。であれば、どのようにして付き合うか。
    まずは、ちゃんとした診断を受けること。それでNTT関東病院へ。この病院はもう「内科」というものはなく、心臓内科、循環器内科など、細分化されている。私は高血圧腎臓内科となる。そこで血液と尿検査、心臓エコー、毎日朝晩自宅の血圧計で血圧を測る。薬を朝食後にとる。
    初診から約50日。今日は2回目の診断日。今日は心臓エコーと尿検査の結果がメインであったが、尿はきれい。心臓は「左室肥大傾向」で「中隔壁厚」が標準値7~11ミリのところ、ぎりぎりの11ミリ。これが問題とのこと。
    血圧は上が140前後なので、これを10下げたい。そのために、薬(ノルバクス)の量を2倍にする。
    63歳の年齢からすれば、また、父親は高血圧で、母親も脳梗塞を患ったという遺伝を考慮すれば、まあ、それほどひどいものではないように思う。
    そこで医師に質問。「トライアスロンをやっていて5月の大会に出るのですが、19度の海水に飛び込むことになるのです」「ええ、、、、」「どうですかね」「トライアスロンですか。ジョギング程度であれば問題はなにですが」「それはわかります」「では、5月までにあと10下げるようにしましょう」ということになった。
    医師は若い女医さんで、多分30歳前後ではないかなあ。あまり会話が広がらない。「5年前の人間ドッグは問題なしで、その後変わったことはトライアスロンを始めたぐらい」と投げかけても「塩分ですかねえ」ぐらいで会話が途絶える。
    しかし、的確な対応ができればいいわけで、応対の器用さが大きな問題であるわけでは、もちろんない。

    さて、私なりの整理としては、欠かさず薬を飲む。そして体重を落とす。トライアスロンは続けていく。ただし、急な気温変化は要注意。とくにスイムのスタートに要注意。
    これらが主な対策方法であるのだが、それ以前に、この5年間で、もう一段老化が進んだわけで、それにふさわしい日常生活のありかたをつくっていくことかと思っている。
    トライアスロンをすることで老化に抵抗するのではなく、トライアスロンによって老化に敏感になる、というのが私の持論だが、今回の高血圧はまさにこのことかと思う。
    老化とは、増えていくハンディ、不自由を重ねつつ、身の丈に合った、それなりの暮らしのありかたを模索していくことのようだ。
    年明けて 暮らしの形を さぐるなり
    考えてみると、25年前に椎間板ヘルニアで入院して以来、なんら持病のないままにここまで齢を重ねてきたわけで、その間、タバコも酒も楽しんでいたことを考えると、丈夫な体に生んでくれてた母親に感謝の心境だ。