投稿者: iwasakihiroshi

  • なぜ、このブログを書き始め、そしてまた書き続けるのか。今日はその紹介です。

    なぜ、このブログを書き始め、そしてまた書き続けるのか。今日はその紹介です。

    どのような動機、経緯でトライアスロンを始めたかについては、当ブログで書いてきたが、なぜこのブログを書くことになったかについては、まだ触れていないことにきがついた。今日はそのことについて紹介します。なお、トライアスロンを始めたことについては、当ブログの第1回より縷々綴っています。ぜひご一読を。

    このこともちゃんと触れてこなかったが、私のベースをなしている仕事は雑誌や書籍の編集である。40年前に編集から仕事のキャリアをスタートし、企画、取材、カメラマンやデザイナーへの発注方法、そして原稿作成のノウハウを学んだ。本には「実用」という分野がある。健康、美容、旅行、学習、受験、料理などがそれにあたり、私はその世界でキャリアを積んだ。明星ヘアカタログ、ブルーガイド情報版などは創刊号からかかわり、日本テレビの3分間クッキングも数年間担当していた。
    それが博覧会や展示会の世界にかかかわったことから、マーケティング、セールスプロモーション、イベント、地域開発といった領域の仕事がメインとなったが、いまも編集の仕事は続けており、というよりも、それがイベントであれ、店舗であれ、基本は編集者として取り組んでいるという意識がある。
    つまりこのブログも、実用誌の編集者兼取材記者として、我が身我が経験を取材対象に、一つのルポルタージュとして、取り組んでいるものなのだ。社会が高齢化していくなかで、私のような年齢になってトライアスロンに興味をもつ人も増えていくであろう。あるいはトライアスロンに限らず、スイム、バイク、ランを始める、さらには60近くになり、まったく経験のない何かを始める人を読者と想定し、書き始めた。さらに言えば、トライアスロンを始めたのには、それは書くに足るものである、という意識さえあったと思う。例えばテニスを始めた、ではインパクトがないだろう。
    書店に行けば専門的な技術書は並んでいる。しかし、生活管理や心境も含む、初心者であるから気がつき、書けるものはあり、それなりに意義あるものとなるだろうという思惑があった。
    まずは初の練習から、トライアスロンの完走まで。これで一つのストーリーにはなるであろう。ではそのあとはどうするか。実は昨年、一昨年とブログの更新が停滞していたのは、仕事の影響が大きいが、そのあとのストーリーが見つけられなかったこともある。ルポであるのだから、日記ではない。私の日記が公開に値するとも思わない。ささやかであれ、何らかの役にたつ「実用的」なものとしたいが、実用となる根拠は「年齢のいった初心者」ということのみであり、初心者でなくなっては、私は果たして取材の素材となり得るのか、という思いがあった。

    そんな経緯を経て、今年は毎週定期的に書いていこうと前向きになっている。ひとつには、あるテーマのもとに取材を続け、継続的になんらかを書き続けるということを強く求めていることに気がついた。書くことは自分自身の生きる問題なのだ。では「実用性」はどうなるのか。この点については、生涯スポーツに取り組む一つのケーススタディとして、何らかの意味もあるのではないか、と思い定めた。であれば、依頼はない週刊誌の連載のように書いていこうと思っている。
    よろしくお願いします。
    今日は5キロランのタイムトライアルがあり、時間は27分30秒。キロ5分30秒のペースだ。だいぶ早くなったが、まだ一段あがれる感触もある。今週は寒かったが、無理に外に出ず、自宅でのストレッチに時間を使った。それがよかったように思う。要は身体づくりであることを痛感している。
    寒気吸い 激しい呼吸で ひた走れ
    最後に下手な俳句もどきを入れているのは、最後の「ジャンジャン!」という〆のようなもの。ご笑納ください、といったご挨拶で、私はこれで気が落ち着く。この俳句は勧めてくださった方がいて、そのアドバイスに深く感謝している。これを入れているから続けられたかと思う。
    写真は今日手元にとどいた新しいバイクウエア。ちょっと窮屈だけど、そのぶん身体を絞ることに向かおう。

  • 2015年の正月。バタバタとしてボーっとして情けなく。

    2015年の正月。バタバタとしてボーっとして情けなく。

    貧乏性というのだろうか。ボーっと何もせずに過ごすことが苦手だった。それが、いつからか、ボーっとする時間が増えてきた。あることから、次のことにすぐに移らない。移ることができない。ソファーでボーっとし、あるいは横になる。

    この正月は1日に5キロランの練習から始まり、4日はATAの初詣ランに参加して17キロのラン。6日からスイムの練習スタート、10日土曜日はスイム&ラン、11日は谷川真理ハーフマラソン、12日はATAの新年会を兼ねての皇居駅伝で、3人1チームで一人当たり皇居を1周する。ハーフマラソンのタイムは手元時計で2時間24分35秒。天候にも恵まれ、前半は好調であったが、後半足の痛みが出て失速した。痛みというのは足の指の付け根。以前も痛くなったのだが、今回その原因の一つが分かった。5本指ソックスだ。指の付け根に布が食い込んで痛む。一歩一歩走るたびに痛む。でも原因がわかったのが収穫。
    皇居駅伝はハーフマラソンの翌日ということもあってか、なんと北の丸あたりの登り坂で歩いてしまった。足が痛んだわかではない。息が苦しく足があがらなかった。情けなかった。タイムは気分が悪いので見ていない。

    仕事のほうも、年始の打合せがけっこうたてこみ、朝早い日が続いた。これまでの準備を経て今年から本格化するプロジェクトもあり、期待が胸を満たす。
    13日は東海大学湘南キャンパスから茅ヶ崎へ。14日は福島県国見町への1日出張と移動も多い。
    15日は合間を見つけるようにしてロマン・ポランスキーの「毛皮のビーナス」へ。ポランスキーはその経緯をずっとライブで見てきた作家で、ひときわ愛着がある。この作品はポランスキーならではの小品で、味わい深く、楽しんだ。こうした映画を、信頼する少数の仲間とともに作ることのできる贅沢をうらやましく思った。
    16日は午前中に2つの打合せを済ませ、午後はプールで1時間。翌日はスイムの400メートルTTなのだ。テストで泳いで11分40秒。なんとか11分は切りたいよなあ。
    それが、いよいよ本日14日の本番では、どうも息があがり、なんと250を超えてから、ターンのたびに足をついてしまう。これも情けない。これもタイムは見ていない。
    スイムの後のバイクは風が強く、ひとりちぎられ、さらに情けない。
    そして今日の午後は、思わず、ボーっとソファーで横になる。掃除洗濯、仕事のメール、週明けの仕事への準備など、やるべきことは横において、ボーっとして自分の力を取り返そうとする。
    ボーっと見ているテレビでは阪神淡路大震災の特集が流れている。思うことは、日本人、あるいは日本のシステムを信頼している自分がいるという実感だ。
    人間にはボーっとする時間が必要であるといわれる。それは日々の滋養であるといわれる。でも、最近まで、そんなことは考えてもみなかった。
    それが、最近はボーっとする時間が増えているなあと実感する自分がいて、そんなことを考えている。
    刺すような 冬の風と日差しに 青い空
    明けましておめでとうございます。バタバタと今年もスタートしました。
    トライアスロンは情けなく、ボーっとしている自分を抱きしめてのスタートです。
    この正月の読書はバルザックの「ゴリオ爺さん」とデカルトの「方法序説」。特に意図してこの2冊を選んだわけでなく、食物を求めるように選んだのがこれで、たぶん考えることに関心が向かっているのだろう。ここには困難に立ち向かい、自分で考えようとする大人の思考のプロセスがあるので、心が落ち着いてくる。新年にふさわしい2冊だったと思う。
    写真は初詣ランのものです。
    今年もよろしくご指導ご鞭撻お願いします。
    皆様のご健勝をお祈りします。

  • 風邪・気管支炎で3週間のブランク。そして高血圧の診断の年末。

    風邪・気管支炎で3週間のブランク。そして高血圧の診断の年末。

    明日は大みそか。この年末は長引く風邪。結局回復までに3週間もかかってしまった。これほど長きにわたったことはちょっと記憶にない。今年の風邪は長引くとはよく耳にするが、果たしてこれは今年の風邪の特色なのか、あるいは老化現象の一つなのか、などど考えてしまう。
    この3週間の間、まずは市販薬で早めの対策を講じたのだが効果なく、自宅近くの耳鼻咽喉科へ。喉が痛むので内科ではなくこちらを選んだのだが、診断は風邪。咳止めなどの薬をもらったが、これも効かない。ついでドアをたたいたのが仕事先近くの内科。こちらではなんと咳喘息の診断。聴診器で聞こえる肺の音がちょっとおかしいとのことなのだが、どうも釈然としない。ネットで調べると咳喘息の特徴に「から咳」があるのだが、こちらは黄色い痰が出るのだよ。
    この間、仕事は立て込んでいたが、主に年末締め切りのデスクワークであったことが幸いしてできるだけ自宅作業。トレーニングはまったくのゼロ状態。ストレッチでもやっておこうかとも思うのだが、なかなか身体を動かす気分にならないものだ。
    そして22日月曜日。じつはこの日はNTT関東病院で高血圧の診断結果が出る日で、ついでに呼吸器科の診察を受けた。レントゲンの検査も受けたが、肺はきれいとのことで一安心。診断は気管支炎で、ようやく納得。これまでとはまったく違う薬を処方され、その薬のおかげか、あるいは快方へと向かう時期だったか、日々薄皮一枚を重ねるように回復に向かう。でも25日の「クリスマスでも泳ごう会」というスイムトレーニングは大いに迷ったが体調と相談して欠席。26日は納会でなんと11時からアルコールという状況で27日土曜日、3週間ぶりのトレーニング。
    3週間まるで動かなかったので、おっかなびっくりの参加だったがのだが、スイムもランもリレーというプログラム。さらに夜はそのまま南行徳チームの忘年会。
    さて、その翌日日曜日は。喉の違和感はかすかに残っているがおおきなダメージはない。安堵。でもバリバリと身体を動かすような体調でもない。それでも外に出て3キロのウォーキングに1時間のスイム。ここでようやくに回復を実感。
    今回の風邪には大いにてこずったが、ひとつの収穫があった。それは身体の声に耳を傾ける感覚だ。スポーツをしてもいいといわれても、なんか身体が前に向いていかない。そこでじっと身体の声に耳を傾ける。クリスマスのスイム連のときは、茅場町駅のベンチに座り、行くかやめるか、15分もかけて身体に問いかけ、中止と決めた。
    これを機に、この身体に問いかける感覚をしっかりと身に着けておこうと思った。一つ一つを確かめる感覚かな。
    寒空に 風邪の我が身に 問いかけて
    この3週間はなかなかに長かった。歳をとると1年があっという間に過ぎてしまうという。でも、なぜか、私にはその感覚がない。今年も長かった、が実感なのだ。今年の正月は遠くはるかな昔のことのように思えてしまう。まさか健忘症のボケ症状とか。

  • 風邪をひいてしまった。もう1週間になる。なんとかならないか。

    風邪をひいてしまった。もう1週間になる。なんとかならないか。

    先週土曜日は練習後、夜はカラオケ大会だったのだが、どうも練習後にちょっと昼寝をし、目覚めて喉に違和感を感じ、カラオケでも「風邪の到来」を感じ始めていた。それ以来、風邪の症状が続いて、もう1週間となる。
    症状は第一に咳と痰。そして鼻水。鼻水も粘着性で、痰と一緒。この1週間は展示会の取材など、外に出て体を動かす仕事が多く、なかなか回復してこない。今日・日曜になってようやく快方に向かっている手ごたえはあるものの、身体はだるい。
    幸いにして、今日の外出は選挙・クリーニング・スーパー程度で、これらは午前中に済ませ、昼からはソファーで横になりながら大学ラグビーをテレビ観戦。
    明治はかろうじて関学に勝ったけど、すっきりしない試合だったなあ。吉田、永友、元木のころの明治がなつかしい。関西の大学は全敗。関西フアンのストレスはいかばかりかと思う。
    テレビ観戦の休養がうまく働いてなんとか明日には体調もすっきりとなってはくれないか、というのが今の願い。
    このところ、毎年2回は必ずといっていいほど風邪をひく。感覚的には60歳を過ぎて風邪をひきやすくなったようにも思う。主な症状は喉と鼻の炎症で、特に喉の炎症と咳に悩まされる。そこでネットにあたってみるとこんな一文に出会う。
    『風邪をひく度にエイジング(老化)を加速させているのです。inflammation(炎症)とaging(老化)を合わせた「inflamm-aging(インフラメイジング)」という言葉もあるように、炎症と老化には深い関わりがあります。実は、風邪をひくことは炎症の一つでもあるのです。喉が腫れたり熱が出ることは、炎症を起こしているというサインなのです。』
    確かに、喉、鼻、そして全身が炎症している感覚がある。風邪が老化を加速というのはともかくとして、老化も風邪を加速させているように思う。老化~免疫力低下~風邪をひきやすい~風邪が治りにくい、ということなのだろう。
    私の場合は、55歳から一人暮らしとなって8年。食事の状態が悪くなっているのかもしれない。疲れも免疫力を低下させるので、トライアスロンも風邪をひきやすくする要因になっているのではないか。運動選手は風邪をひきやすいというのを読んだこともある。
    さて、そこでどうするか、だ。
    私の発想では、まず、歳をとって風邪をひきやすく、回復に時間がかかるようになることは仕方のないことだということ。それはいたって当然、自然の老化現象である.
    だから、その避けることのできない事実を、できるだけ気持ちよく受け入れる方法を考えよう。
    具体的にはできるだけ睡眠をしっかりとること。普段はシャワーなのだが、ちゃんと入浴して身体をリラックスさせること。食事は規則正しく野菜を多くとること。つまりはユックリとしたリズムで暮らすこと。そのうえで、うがい、襟巻など、一般に言われる予防策をまめにとること。そんなところかなあ。
    新しいことは何もない。現状を静かに受け入れ、そのうえで落ち着いて暮らしていくこと。そうしたことなんだ。風邪ひとつにしても、改めて暮らしのありかたを考える。
    独りなり やまぬ咳にて 冬の朝
    トライアスロンのおかげで身体への感覚は間違いなく敏感になっているようだ。
    それにしても、そろそろ治ってほしい。明日の目覚めに期待したい。

  • 生涯スポーツであるトライアスロンの魅力について

    生涯スポーツであるトライアスロンの魅力について

    どうしてトライアスロンを始めたのか。ことの経緯についてはこのブログで綴ってきたが、改めてもともとの動機を振り返れば、60歳以降も続けられる適当な「生涯スポーツ」を探していた、ということがある。
    生涯スポーツとして、まず関心をもったのが合気道だ。その理由の第一は、歳をとって転ぶのは大変に危険なことで、下手をすれば命取りにもなる。そのリスクを軽減するには合気道がいいのではないかと考えた。また、一度も格闘技の経験がないので、男たるもの一度は格闘技に挑戦、との思いがあった。もう一つは社交ダンス。音楽に合わせて身を動かすのは好きで、女性が相手となるのも、新しい世界が広がりそうで期待をもった。
    そして合気道も社交ダンスもネットで調べてもいたのだから、そこでピンと来ていたらそちらに行っていただろうと、まじめに思う。
    それがあるパーティで大学時代にトライアスリートだったという人との会話から、トライアスロンへの歯車がまわっていった。
    そして5年がたったのだが、今日のテーマは「生涯スポーツとしてのトライアスロン」。それも、私と同様に、60歳近い年齢で、まったくの経験もなく始めるスポーツとしてのトライアスロンってどうなのよ、ということを考えてみたい。
    トライアスロンにはいろんな距離があるが、いまスタンダードになっているのはオリンピック距離。スイム1500メートル、バイク40キロ、ラン10キロ。このオリンピック距離を考えてみて、完走までいけるのかどうかといえば、いけると思った人はいけるというのが私の実感だ。別に根拠がどうこうというわけでなく、60年近い人生経験をベースに、なんとなくいけるという人は、続けていけばできると思う。60歳のあなた。ぜひ挑戦してください。「その気になった人にとっての生涯スポーツ」としてはお勧めである。
    そしてもうひとつ。日本トライアスロン連合はトライアスロンでの事故防止を呼びかけるメッセージで次のように語っている。
    『トライアスロンはスイム(水泳)、バイク(自転車)、ラン(ランニング)を自然の中で連続して行う魅力的なスポーツで近年愛好者が増加していますが、残念なことに競技中の死亡事例が発生しています。トライアスロンは、「レジャースポーツ」としてよりも「競技スポーツ」として認識し、十分に準備をして大会に臨んで頂くスポーツです。』
    この一文を初めて読んだときには「なるほど」と思った。競技スポーツであることはトライアスロンの大きな魅力である。ランを趣味とするが競技には出ない。スイムは好きだが大会に出ることはない。それは大いにある話だが、トライアスロンのトレーニングをしていながら競技に出ないということは考えられない。競技を目標に準備を積み上げ、仲間とともに完走を讃え合うことこそ、トライアスロンの醍醐味である。
    次はどの競技を目指すのか。周囲を眺めていても、能力のある人はアイアンマンに向かう傾向があるようだ。私の場合、とてもそれだけの能力はなく、むしろオリンピックの半分のスプリントに的を絞っていこうか、とも思っている。スプリントは幕張、横浜八景島、昭和記念公園、横浜山下公園など、比較的近場で開催される。レースも昼には終わってしまう。能力の高い人はスプリントの名のごとく、陸上でいえば中距離の感覚で、大変にきついレースとなるが、私の場合、スプリントでものんびり行くのでそれは問題がない。気軽な生涯スポーツとして楽しむには、近場のスプリントという選択もあるのだ。
    たそがれる 光に向かう 命かな
    書き出してみると長くなりそうで、次回も同じテーマでいきます。60を過ぎて漫然と生きていくわけにはいかない。60を過ぎると誰しも、多少は哲学することになる。あるいは宗教に魅かれることにもなる。それが自然な感覚と思う。
    今回は尻切れトンボでまた次回に。
    今日はスイムのタイムトライアル。はっきり覚えていないが、多分100メートル2分4秒、50メートル57秒、確かに覚えているのが25メートル23.2秒。これは嬉しかった。なんとなく、まだ2段ぐらいの伸びしろはあると感じた。頑張っていこう。。。。

  • トライアスロンの勧め。60歳を過ぎたら、スポーツなのだ。

    トライアスロンの勧め。60歳を過ぎたら、スポーツなのだ。

    仕事の大先輩である吉原順平先生(映像プランナー)が82歳で亡くなり、木曜夜にお通夜にうかがった。私から見ると吉原先生は博覧強記の岩波文化人を絵にかいたような方で、何かの仕事の折に、当時の逓信博物館の解説パンフレットが実によくできていて、という話をしたら「あれは私が書きました」とおっしゃられて驚いたことを覚えている。
    たぶんデカルトもマルクスも読んでいるんだろうな。そうした知識人の雰囲気を感じさせてくれる方は、最近は見なくなった。
    http://www.asahi.com/articles/DA3S11456354.html
    しかし、歴史に残るような大文化人であり、各界のお歴々が弔問に訪れる風景をイメージしていたのだが、思いのほか淋しい印象があった。この2年ほどは入退院を繰り返していたとのことで、仕事とは遠ざかっていたとは思うのだが、「これだけの人にしてこの程度なら」と思いつつ「俺の時はどうかなあ」などと頭が働き、我が葬儀のリアルなイメージが浮かんでくる。ひっそりしているだろうなあ。
    葬儀は無宗教で、クラシック音楽が流れるなかで献花となったが、ご遺体の顔が見える配置であれはどうかなあと、これも思いつつ「俺のときはごくごく一般的なコースでいこう」と考える。弔問客にとって見慣れたいつものパターンで、なんらの違和感もなく帰途につく。そんなのがいい。
    帰りは仕事仲間と二人で赤坂見附の寿司屋に入る。仲間のほうは最近肝臓を患ってアルコールはなし。話題は自然と健康や終活のことになる。「残りはあと20年なんだね」「まあ、お互い健康第一で気をつけていこうや」といったことで、まあ、当たり前の話であっても、それ以外にあろうはずもない。

    なにも健康のためにトライアスロンをやっているわけでも、トライアスロンをやっているから健康には自信があるわけでもまったくないが、こうした機会には、改めて、この年齢でトライアスロンに向かっていることの意味を思う。これは何回も書いているが、やはり、心身ともに緊張感をもって老いへの日々を過ごすということと思う。緊張といえば仕事の緊張が思い浮かぶが、試合に臨み、トレーニングを管理していく緊張感は、むしろ仕事でのストレスを癒してくれる力がある。
    身体の緊張については、コンディションを意識し、身体を動かす爽快な緊張感であり、これは常に意識をしている。毎日家をでて駅に向かうときも、身体は軽いか、足は動いているか、股関節はスムーズか、自然と意識が働く。
    死ぬまで仕事をしていくと思っている。しかし、仕事すなわちお金を稼ぐということは、刺激的な楽しみはあっても、不愉快なことに耐え、受け入れていくことでもある。そうしたなかで、トライアスロンによる心身の緊張は、心の救いになっているように思う。
    不機嫌な顔をした同年齢を多くみる。さらに言えば、不機嫌は社会全体を覆う時代の心理のように思える。さて、私も不機嫌に見えるのか、定かではないが、少なくとも、トレーニングや試合の折は不機嫌ではない。これは実に大切なことなのだ。
    そんな毎日は健康的であり、健康的な毎日を過ごしつつ、ひとつひとつ死への準備をととのえていく。これが私の暮らしのありかたか。葬式に行くと、そうそう、あれも準備しておかなくては、などどリストが追加される。今回は、葬式のスタイルのイメージがはっきりとした。息子さんの挨拶を聞きつつ、これはどうするか、結論は出ないままに、済ませておきたいことはいろいろあると考える。
    通夜がえり ほろ酔い眺むや 秋の月
    こんなことを書くと、まだまだ若い、なんて意見も聞かれる。何の根拠もないが、長生きしそうな気もしている。あと20年もあるという見方もあろう。でも、60歳以降の日々は、それまでの日々とは、明らかに違うのだ。だから、60歳を過ぎたら、スポーツなのだ。

  • 琵琶一ライド175キロ無事完走。いろんな意味でいい経験になりました。

    琵琶一ライド175キロ無事完走。いろんな意味でいい経験になりました。

     ATAの5周年記念琵琶湖一周ライドに参加。175キロをなんとか完走できた。私としては相当な冒険であったが、思い切って参加してみた。

    まず、日本人なら一生一度は琵琶湖一周という思い。これが一番大きな参加の動機。少々の無理はあっても、やれるときにやっておきたい、済ませるものは済ませておきたい。琵琶湖一周もその一つだ。
    九十九里トライアスロンでのライドの結果も大きい。バイクは基本的になじめず、敬遠気味であるのだが、このところは小島コーチの親切指導もあって、多少は腕をあげたように思っていたのだが、九十九里ではまったくの惨敗。このロングライドで落ち込んだ気分をリカバーできればとの期待があった。
    それと、練習とはいえ、大会に向けての実戦練習ではなく、ツーリング的なものではないかという判断。さらに遅れたら伴走のクルマにお世話になろうと腹をくくり、これらが背中を押して申し込んだ。
    バイクは前もって草津のホテルにヤマト便で輸送。オーストリッチのペラペラの輪行バッグで送り、帰りもホテルから着払いで送ったのだが問題はなかった。バイクの輸送については、これまで箱型のケースを使っていたが、こちらのほうが手軽。空気入れまで送ることはできないが、現地でその手当ができるのなら、これでいけることがわかったのが第一の収穫。なんでもやってみることだ。
    前日に現地入りし、京都のお店で懇親会。関西の方々と親交を広げた。つい最近までプロのロードバイクレーサーだったという辻さんの話がリアルで凄かった。後ろに走っている選手はチームの誰なのか、音でわかるという。これもいい経験だった。
    当日は天気予報では雨模様であったが、何とかもって7時にいよいよスタート。約40人を3グループに分けて、もちろん私は一番遅いグループ。
    走り出してみると、速度はだいたい27キロから30キロ程度で、気持ちよくついていけるではないか。コースはフラットで適宜に休憩もはいる。これならなんとかやっていけるかと安堵して琵琶湖の風景を楽しむ余裕も。約80キロを走ったところでドライブインで昼食。
    天ブラ蕎麦で腹を満たして、午後は道も紅葉の山道が増え、いい気分で走れたのは110キロぐらいまで。その後は坂道で遅れる、1時間ほど雨が降る、足が痙攣をはじめる、といった具合で、かなりきつくなってくる。
    それでも何とかいけたのは、関西のコーチのおかげ。遅れると「大丈夫ですよ。25キロペースで行きましょう」と先導してくれる。これはありがたかった。気持ちを切らずにペダルを回し続けることができた。
    目指すは琵琶湖大橋だが、その姿がなかなか見えない。道は県道になってクルマの通りも多く、しばしば信号で停止する。疲れた身体でストップ、スタートのたびに転倒しないかと緊張する。サイクルメータは故障してキロ数もわからない。果たして完走できるか、不安になった。
    といったぐあいで琵琶湖大橋までの30キロは実に大変だったが、マラソンと同じでいつかは到着する。琵琶湖大橋に着くころには雨もあがり、皆で記念撮影。
    ここまで来ると完走できるという確信が生まれる。残りは15キロ。琵琶湖大橋の坂を上り、夕日に向かって走るのだが、最後の15キロはつらかった。これもマラソンの40キロを過ぎた最後がつらいのと同じか。
    残り3キロではチェーンがはずれるといったアクシデントもあったが、出発地の草津駅前にゴール。時間は5時近くになっていたか。約10時間近いツーリングであった。
    なんとか完走できたのは、基本的にはグループ走のおかげだが、やはりコーチの先導が大きい。感謝です。
    琵琶の海 秋雨をはじき 巡るなり
    なんでもやってみることだ。いくつになっても初めてのことはいい体験となる。それが今回の感想で、思いはそこに尽きる。やれることはやっておこう。
    一度は富士山に登ろうと思っており、来年の富士登山をトライアスロン仲間に呼びかけた。

  • 伊是名トライアスロンの中止で今シーズンは終了。

    伊是名トライアスロンの中止で今シーズンは終了。

    台風19号がこなければ、今頃は伊是名の星空を眺めつつ、明日のトライアスロンへの緊張を高めていただろう。
    中止のために今日は打合せが11時渋谷、15時丸の内、17時品川と3本。3つとも明日を占う大切な内容で身が引き締まる。19時過ぎには南行徳に戻り、定食屋さんで秋刀魚定食。ビールは頼まず、缶コーヒーを買って帰宅。テレビをつけるとアギーレジャパンとジャマイカの試合。なんともスカッとしない内容で「見なけりゃよかった」の気分でパソコンのスイッチ。もちろんお酒はなし。意図してだんだんと酒を減らしており、酒のない暮らしに慣れようとしている。酒のない状態の気持ちの良さを身につけようとしている。
    明日は8時半からスイム、10時からランのトレーニング。けっこうハードな練習となりそうで、本当は寝る前にストレッチをしたいのだが、だいぶ面倒な気分になっているなあ。伊是名がなくなったので、今シーズンは終了。まあ、いいか。
    トライアスロンを始めていなかったら、こんな日はどのようにして過ごしていたのだろう。そんなことを考えてみる。きっと飲みにいっているのかなあ。なじみの飲み屋があるんだろうなあ。あるいは、終わりのない仕事に首までつかり、神経的に疲れ果てているのかもしれない。それとも頑張って彼女をつくり、一緒にサッカーを見て「だめだねえ」などと言い合っているのかもしれない。
    そしていま、そのいずれでもないことに安堵している。酒であれ、仕事であれ、彼女であれ、それに傾斜した人生を歩もうとは思っていない。これもトライアスロンのおかげだ。心身ともに落ちついた状態を保ち、適度の緊張感に包まれた毎日を過ごしていたいと思う。何かを成し遂げるといったたいそうな目標や目的をもつのではなく、そのようにして日々を送ること、そうした毎日を愛すること自体が、とても大切に思える。
    まず健康であること。日々の季節の移ろいを肌で感じること。楽しみを分かつ友をもつこと。そして仕事に誠実に向き合うこと。いま大切にしたいのは、こうしたことだ。
    秋の宵 トライアスロンを 振り返り
    健康、季節感、友はトライアスロンのおかげ。そして仕事に向かう態度も、トライアスロンのおかげだ。とにもかくにも誠実に向き合わなくてはトライアスロンはやっていけないスポーツなのだ。

  • 20日の99T(九十九里トライアスロン)に向けて

    20日の99T(九十九里トライアスロン)に向けて

    20日に99T(九十九里トライアスロン)が開催される。
    http://www.99t.jp/
    第1回の開催で、2000名が参加と、国内最大規模となる。トライアスロンスクールでお世話になっているアスロニアの企画で、ATA南行徳からも25名が参加の予定。土曜日の開催なので、土曜日は大宴会大会で盛り上がろうと、企画も進んでいる。
    振り返って気が付くと、最後のオリンピック距離の参加は一昨年の館山。昨年の館山はスイムでオーバータイム。今年は幕張、沼津の駅伝に参加はしたものの、ともにスプリントなうえ、ともに天候不順で、幕張はランのみ、沼津はバイクとランのみ。
    皆が参加する久しぶりの大会だけに、何とか気持ちよくレースを終え、明るい気分で大宴会に臨みたい。ということで、自分なりの準備を重ねている。
    ポイントをあげると、まずはスイムの克服。何とか休みなく泳ぎ切りたい。バイクはだいぶフォームができてきたので、さらにDHポジションに慣れておきたい。ランは昨年末以来の左足のアキレス腱炎をなんとかしたい。そして、体重を減らして身体を絞っておきたい。
    スイムについては、今年はOWSに励み、2つの大会に出場、6つのレッスンに参加した。この年齢になって、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。あとはレースまでにもう1回のOWSレッスンがある。要は海で長時間泳ぐことに慣れること、慣れて力を抜いて泳げるようになることなのだが、なんとか勝負になりそうな気持ちにはなっている。
    嬉しいのは足。先週より、ようやく痛みが減っており、今週は月曜、木曜と週に2日、10キロを走ることができた。ストレッチを頻繁にし、ふくらはぎのマッサージを丹念に施したのが効を奏しているようだ。これでだいぶストレスがなくなり、前向きな気分になった。
    バイクのDHポジションについては、今日のレッスンでコーチに確認。ロードバイクの場合、まず下のハンドルを握るのが基本。DHバーが楽であるのなら、多少前座りで乗るが、楽でないようなら、下のハンドルで問題なし。DHバーを外せば、その分車体が軽くなるということ。なるほど。下のハンドルはDHバーよりはるかに安心感と安定感がある。DHバーはつけていくが、基本下のハンドルにし、違う姿勢になりたいときにDHバーでいくことにしよう。
    そして体重。最大72.5が、67.5まで落ちてきた。20日までに66、来月の伊是名までには65まで落としたい。
    ということで、何とか大会への準備が整ってきた。あと2週間。14日、15日の連休を仕上げ、以降はコンディション維持でいこうか。
    目標は一昨年の館山のタイム、3時間半を上回ること。

    ちょうど仕事がたてこみ、時間の配分が難しくなっている。しかしレースに向けた体調はいいので、気持ちのよい緊張感がある。巡航速度でテキパキとやっていこう。

    さあいくぞ 夕日に向かい 走り抜け
    この年齢になると、いつ何かの病気を発症し、あっという間にあの世へいってもおかしくないと思っている。予定なんてたてられない気分がある。そんななかで、レースは確かな目標になっている。「先のことはわからない」を前提に、65歳を一つの区切り、目標にしたいと思うようになっている。あと2年だ。そんなに時間はない。
    これについては、次回に。

  • 私の週末日記。トレーニング、仕事、家事で心地よい緊張感。

    私の週末日記。トレーニング、仕事、家事で心地よい緊張感。

    この週末。土曜日はATAで8:30から1時間のスイム練習。13:30に稲毛海岸のOWSのレッスンに。波が荒く、泳力のなさを思い知らされる。スピードがないので波にもっていかれる。力んでバテる。最後の10分泳では3回も中断して回りを見てしまった。確かに波は荒かったが、これではいけないなあ。一進一退だ。

    帰宅後は江戸川沿いのランを5キロ。時間は17時ぐらいから。風が涼しく気持ちのいい気候で、多くのランナーが出ていた。我がATA南行徳のエースである井出さんと偶然遭遇。井出さんは疾風のごとく走っていたが、私は痛めているアキレス腱の様子を確かめつつのビルドアップ走で、約35分。
    夕食はスーパーで買った握り寿司。缶ビールに日本酒少々。ソファーで横になってうたた寝。パソコンに向かう気力を失い、テレビ、読書で11時半に就寝。
    日曜日。なんと8時半の目覚め。たっぷり9時間の睡眠。起きて30分ほどボーっとして覚醒を待つ。最近は起きてすぐに動くことができない。何はともあれ小水をすませ、長くて30分、短くて15分はソファーに座り、テレビにスイッチを入れ、ボーっとして覚醒を待つ時間が必要になっている。それからおもむろに手と顔を洗い、うがいをし、体重計に乗る。ここで一段落。
    布団を畳み、仏壇にお線香をあげて朝食。朝食はこのところトースト1枚と温泉ゆで卵1個が基本。牛乳は欠かせない。トーストはコンビニパンに代わることもある。たとえば、アップルパイとかドーナッツ。要は甘いもの。
    朝食後に歯磨き。これもテレビを見ながら約20分をかける。そうしているうちに大をもよおしてトイレに。簡単なストレッチングを15分ほど。決まってまたもよおしてトイレに。毎朝2回のトイレが必要となっている。とはいえ、2回目はほぼ水の状態。

    通常はそこで、パソコンに向かい、メールチェックから仕事にと向かうが、今日は洗濯、掃除、アイロンかけと家事に向かう。アイロンかけはシャツを7枚。汗びっしょりで終わるともう11時30分。昼食の時間ではないか。
    レタスを洗い、豚しゃぶを作って昼食。デザートはヨーグルトに蜂蜜とドライフルーツを混ぜたもの。これは自宅昼食の定番。それから、ソファーに横になって、なんと昼寝を1時間。我ながらよく寝るのにはあきれるが、この昼寝でかなり身体の回復感があった。
    ここからようやく仕事に向かい約3時間。昼寝のおかげでけっこう集中できた。仕事の中身はある会の25周年記念誌の編集。24ページほどのボリュームで会員のみに配布するものなのだが、これがなかなか難しい。さて、どうしたものかと悩みつつ、資料をひっくり返して年譜を打ち込んだ。会員にとっては、特にその中心で会をひっぱてきた人にとっては、貴重な歴史のクロニクルになるものだ。25年だよ、25年。それはどのようなものであるべきか。どうも糸がほどけない。10月末の例会で配布の予定。時間も迫ってきたので緊張が高まって頭から離れない。

    4時半を過ぎて迷う。このまま仕事を続けるか、トレーニングに向かうか。スイムかランか、ストレッチか。3時間の作業である程度の成果がでたこと、そのために指と頭が疲れたことから、スイムに決定。水に入って気分転換したい、昨日のOWSのレッスンをフィードバックしてみたいという気分が働いた。プールはあっさり済ますつもりだったが、ああでもない、こうでもないと考えていたら約1時間半。2000メートル。ジャグジーでじっくりと足を泡でマッサージ。このアキレス腱は何とかならないか。祈る気持ち。
    帰宅後パソコンを開けると仲間たちの洞爺湖アイアンマンの報告が。この2日間、ほぼ誰とも口をきいていない。気持ち良い緊張感のなかにいる。
    秋の空 うつろい眺め 川沿いラン

    夏が終わろうとしている。日照りと熱風の夏だった。なぜか、あっけなく終わったような気がしている。過ぎたことは、すべてあっけない。
    写真はOWSの海。けっこう荒れているでしょう。大変でした。
    OWSとはOpen Water Swimの頭文字で、海や湖など開かれた場での水泳。