投稿者: iwasakihiroshi

  • トライアスロンをやっていてよかったことをあげてみた。

    トライアスロンをやっていてよかったことをあげてみた。

    トライアスロンが生活に占める割合は何パーセント?
    いつもの感じであるとこんな具合。
    仕事 60%
    生活雑事 10%
    映画・音楽・酒などの憩い 10%
    トライアスロン 20%
    新型コロナの影響で、トライアスロンの比率が高くなって30%ほどの感覚になっている。
    そうなると仕事を減らして50%程度となるか。
    デスクワークもあるので仕事に費やす時間は減っていないが意識は低くなっている。
    「生涯スポーツ」としてのトライアスロンというが、例えば私ぐらいの年齢で年に何回かマラソン大会に出る人にとって、マラソンが60%以上の存在になっている人も多いのではないだろうか。そうなると、スポーツこそが生活の軸でスポーツを第一に考えて生活を組み立てることになるだろう。
    仕事とスポーツとのバランスの話である。
    「いやいや、仕事とスポーツは50・50」なんて意見もあろうが、それは私の暮らしの実感としてイメージできない。いずれかを高い優先順位においていく以外の実践的な暮らしの方策がわからない。

    私としては、仕事を続けている限り、それが優先順位の第一になる。第一に暮らしに必要な収入を得なくてはならない。当然のことを当然に行うわけである。そして、これは私の労働観であるが、仕事をして収入を得ることは自らの行動を社会化することと思っている。あるいは、趣味が高じて仕事になることもあるだろうが、私のレベルではトライアスロンで収入を得ることなど考えられない。

    では仕事ではない、「生涯スポーツ」としてのトライアスロンにはどのような意味があるのか。
    トライアスロンをやってきてよかったことを思いつくままにあげてみよう。
    ●1500メートルを休まず泳ぐ
    トライアスロンを始めるにあたり、どこまで何ができるのか、まったくわからなかったが、「泳げるようになればいいか」と思い定めて飛び込んでみた。はい、泳げるようになりました。いまだまったく遅くて上達しないが、泳げるようになったことはうれしい。
    ●フルマラソンの完走を果たす
    最後にフルマラソンに出たのはいつだったか。膝を痛めていまは10キロが精一杯だが、フルマラソン完走はいい経験だ。
    ●琵琶湖一周を果たす
    ATAの共同練習でバイクで琵琶湖一周を果たしたのは、日本人としてうれしい。あとは富士山登山をしておきたい。
    ●サンゴ礁を泳いで楽しむ
    昨年の11月に奄美大島の海を満喫した。それ以前も伊是名トライアスロンでサンゴ礁を泳いで眺めた。
    ●スポーツのある暮らしが身につく
    トライアスロンは生涯スポーツとして始めたものだが、トレーニングも含めてスポーツを楽しむ暮らしが身についた。今後は老化の進行から、できなくなることも増えていくだろうが、それなりにスポーツのある暮らしを続けていきたい。
    ●トライアスロンを通しての知人、仲間を得る
    ありがたいことです。

    こうしてあげてみると、たくさんの「いい思い出」があり、私の人生を豊かな彩りのあるものにしてくれたと思う。「いい思い出」とは過去のものではない。明日が「いい思い出」の日となるかもしれないではないか。
    ああいいな 桜が見える ランコース
    写真はいつも走っている私のランコースに咲いていた桜。
    年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。
    コロナ騒ぎのなかで「無常」を思う。
    先のことはわからないが今日は走る。そして今できることは手洗い睡眠。
    「無常」とは今を生きる日本の英知なのだ。

  • 新型コロナでトライアスロンの時間が増えている!!

    新型コロナでトライアスロンの時間が増えている!!

    もちろん新型コロナは仕事に影響が出ている。
    本来であれば、今年は既にベトナムへは2回、中国へも2回程度は行っているはずであったが、すべてがフリーズ。まさに「凍り付いた」状態にある。
    全体に停滞、様子眺めとなり、打ち合わせの回数も会議資料作成・検討の時間も減っていく。
    もともと基本がテレワークで、作業は自宅メインで必要に応じて出かけるワークスタイルだが、出かける機会が減って、自宅にいる時間が長くなる。
    そこで、トレーニングの時間もとれるようになっている。
    今回はこの新型コロナ流行と私の状態をトライアスロンの視点からスケッチする。
    ① 一日家にいるとトレーニングができる
    基本自宅作業ではあるが、普段は打ち合わせでほぼ毎日出かけている。それが出かけない日が増えており、目の前に広々と時間が広がっていることを実感する。
    午前中には3キロ程度走りに出かける。シャワーも含めて1時間程度だ。
    夕方からは泳ぎに出かける。3日続けて1500メートル泳を楽しむことができた。
    私が通っているtipness南行徳は、クラスやスクールは休止だが、個人トレーニングはジムもプールもオープンで、特にプールは小学生のクラスがなくなり、ほぼコース独占で1500メートルをノンストップで泳ぐことができた。調子と気分にのって泳いだわけだ。しかしまったく速くならないのが悔しい。
    ② トレーニングが増えると睡眠時間も増える
    トレーニングが増えることで、これまで7時間の睡眠で目覚めていたのが、8時間となった。あまりに正直な身体の反応に驚いている。自分をアスリートと自覚することはなく、ただのメタボじじいなのだが、この睡眠時間の変化はアスリートの生活を実感させてくれて興味深い。よく寝るのはウイルス対策としてもいいことだ。
    ③ 生活管理の難しさ
    要はトライアスロントレーニングを軸にした生活管理ができやすくなったということで、逆に言えば、普通に仕事をしながらのトレーニング管理はなかなか難しいことを改めて実感もしている。歳をとるとボーっとする時間も増えて、管理はますます難しくなる。
    「1日は24時間、生活管理の基本は時間割」。これが私のモットーなのだが、なかなか時間割がこなせない。あるいはできもしない時間割を作ってしまう。そこで「1日は24時間、やれることをやっていく」に変わってきた。つまり「1日のうちでこれまでやる」のではなく「やれた結果がこの1日でお疲れ様」と思っている。
    いまのうちはトレーニングを軸に「今日はここまで」できた生活を楽しみたい。
    ④ トレーニングに向かう時間の豊かさ
    これは何を意味するかというと、自宅にいる時間も長くなり、やはり新型コロナが気になるので、テレビのニュース番組やネットニュース、SNSなどを目にする時間が増えてくる。見だすと「そんあバカな~」などと思わず反応してしまうのだが、これの後味がすこぶる悪い。私は埒外の人間が遠くから当事者に石を投げつけることは好きでない。黙って応援をしたいと思う人間である。とりわけ安倍罵倒、政府非難の下品さに辟易した。
    そんななかで、テレビでエーゲ海の紹介番組があった。エーゲ海は修道士のための教会が数多くある。光景を見ているなかで、ただただすべての時間を神への祈りに向かう修道士の生活の豊かさに思いをはせた。テレビやネット情報に翻弄されている時間より、トレーニングに向かう時間の豊かさを改めて大切に思った。
    身体打つ 春の寒風 雲と青空
    単純に人に会う機会が少なくなった。そのために笑う機会も少なくなった。テレビのお笑い番組を見て、久しぶりに笑っている自分に気がついた。もっと笑う機会を増やしたい。
    スポーツの楽しみの一つに笑いをあげたい。共に走り泳ぐなかで笑いが生まれる。これはあまり語られていないが、自分の体験としてそう思っている。
    写真は富岡八幡宮。帰りがけに気が向いて、門前仲町に寄り道をしてお参りをした。門前仲町には陽が落ちる前の時間からやっている飲み屋がいくつかある。行ってみるか。めっきり酒は弱くなったが、ときどきは飲み屋が懐かしい。どなたかご一緒しませんか。

  • 風邪かなあ、ノロウイルスかなあ、コロナかな、今日は体調管理とトレーニングについて

    風邪かなあ、ノロウイルスかなあ、コロナかな、今日は体調管理とトレーニングについて

    冬は体調不調のリスクが高い。

    原因は風邪、あるいはそれに近い症状である。
    幸いにしてインフルエンザにかかったことはないが、どうやら気管支が弱い体質で、気管支炎、軽い喘息の発症はよくある。風邪もひきやすく、毎年1回は寝込むほどの症状となり、しかもそれが1週間以上も長引くことが多かった。
    しかし、昨年から、歯磨きを励行したおかげで、気管支炎にはなっても風邪までにいかずにとどまっている。どの程度励行しているかというと、以下のとおり。
    ・何かを口に入れれば必ず歯を磨く。外出しているときはそうもいかないが、1日家にいると5回も磨くこともある。
    ・歯ブラシは歯間ブラシ3本、歯ブラシ2本と5本を使い分けている。
    ・歯を磨く時間は約16分。まず歯磨き剤をなしで、歯間ブラシで全体をくまなく磨き、小型ヘッドの歯ブラシで微振動のブラッシング。それで約15分。最後に歯磨き剤を使って口腔全体をブラッシングする。口の中を洗濯する感覚だ。それでペッとすると、吐き出した歯磨き剤に小さなゴミを認識する。
    私の歯磨きの要点は、口の中のゴミをかき出すことに尽きる。
    なかなかすごいでしょう。
    そこでだ。昨日から、ちょっと体調の不安を感じている。地下鉄を降りると寒気を感じ、タクシーを拾って帰宅し、11時には床についた。そして今日の目覚めは7時半。いつもより1時間の寝過ぎで、これは体調不良の症状である。
    しかも今日は下痢に見舞われ、ひょっとしてノロウイルスを疑ったほど。おかげさまで本日は自宅業務。我慢することもなく、アレと思うと何回もトイレに行くことになった。体温をはかると36度で平熱。
    それでも夕方から外に出て3キロを歩いたりジョグしたりで約25分。汗をかく一歩手前。帰宅して顆粒の温泉を入れて風呂につかる。明日はどうするか。
    実は今日はもともと大阪の展示会に行き、久々に何人かと会う予定であったのだが、コロナウイルスに加えて東京での仕事も片付かず、出張中止としたのだ。
    そこで明日である。トライアスロン仲間は久々のロングライドに行く予定にしている。私としては大阪出張の予定をしていたため、いったんはNGとしたのだが、さてどうするか。体調次第となった。
    まあ、明日起きてから決めようと決めることにした。
    トライアスロンはトレーニングメニューが多くなる。基本はスイム、バイク、ラン。それに加えてストレッチと筋トレ。よって、いつもいつも、今日は何のトレーニングをするのか、頭を悩ます。
    プールに行くのか走るのか、あるいはジムでのバイクにするのか。今日は3キロランとしたが、これも大いに迷った末の結論である。つまり、どのようなトレーニングをするのかは、その時々の体調、気分、仕事などの条件により、その場その場で、まさに場当たりで決めている。今月は何キロ走ろう、泳ごうといった目標も設定していない。
    目標に向けてプログラムを設定する。これができないのだ。目標を立てても守ることができないのではなく、まず目標に向けてプログラムを設定することができないのだ。まず目標を立てて3種目のプログラムを設定し、例えば1週間単位でそれをこなしていく、などということはしたこともない。
    いま、このことを考えている。これまではまったくの成り行きできたのだが、ここでプログラム路線に変更するか。
    こうしたときに私の判断基準は単純である。やったことがないことであればやってみよう、なのだ。
    うーん、どうするか。
    疫病かあ だからといって いつもの春
    姉と二人の年寄りの二人暮らし。なにもなく平穏に暮らしている。自分にできることは、元気な体調を維持すること。これは年齢のせいなのか、自分にできること以外のことに関心がなくなっている。事に対し、私にできることは何かを考えて身を処するようにしている。さらに言えば、自分ができないことに口を挟むことに嫌悪感を覚えるようになっている。今回のウイルス騒ぎでそのことをより強く感じるようになった。
    今日はテレビでトリュフォー監督、ドヌーブ主演の映画「終電車」を見た。映画を見た満足感に満たされた。いいなあ。写真はネットから「終電車」の写真を落とした。

  • 誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を考えてみる。

    誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を考えてみる。

    2月16日で69歳となった。
    前回のブログでは「死ぬまでの暮らし計画」をご披露した。
    誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を書き留めておきたい。

    私にとってトライアスロンは「生涯スポーツ」である。
    60歳を前に「生涯スポーツ」を探していて、トライアスロンに出会った。
    「生涯スポーツ」とは、老いていくなかで、できるだけ長く続けていけるスポーツである。その効能としては、もちろん身体の運動機能の維持があるが、合わせて、生涯の趣味として「楽しく」続けていけそうなことも重要だ。
    水泳やマラソンという選択もあり得たと思うのだが、果たして水泳やマラソンを楽しむことができるのか、おそらくタイムの奴隷になって窮屈な思いをするのではないか。トライアスロンは「記録や順位ではなく完走こそが勝利である」との文化があると聞き、これはいいと思った。
    加えて、これは個人的な思い込みであるが、トライアスロンをやるとことが一つの人格表現であるように思えたのが気に入った。私の考える生涯スポーツとは、老人としての人格を規定するものなのだ。
    私がイメージする「トライアスロンを楽しむ老人」、すなわち「トライアスロンを楽しむことで実現される私がなりたい老人」とは「元気で明るい老人」である。私は「シャキシャキした老人」でいたいのだ。
    そしていまトライアスロンを始めて11年にして、トライアスロンは生涯スポーツにとても適したスポーツであることを身をもって実感している。私はただのメタボのおやじであり、スイム、バイク、ランの経験もなく、58歳からトライアスロンを始めた。レースではいつも最下位レベルであるが、こんな私でもできているので、ぜひ皆様にも「生涯スポーツ」としてお勧めする。

    さて、69歳である。このブログでも再三書いているように、このところしきりと老化を実感するようになっている。
    これからはまさに「生涯スポーツの真価」を実感する年齢になっていくのだ。
    真価を実感するためには、毎年レースに出ること。これが原則であり目標である。
    いつまで出ることができるかわからないが、まずは75歳、できれば80歳。
    大切なことはやり続けることと思う。

    ローリングストーンズのキース・リチャーズが禁煙をしたそうである。
    それを伝えるニュースに、キースのこんな言葉が紹介されていた。
    「ミックも俺も前回のツアーで、俺らはやり続けるしかないって感じたんだと思う。俺らは続けなきゃならない」
    この言葉がいまの気分にしっくりきている。
    続けていく理由や意味を考えればきりもない。
    それよりも「俺はやり続けるしかない」と思う心をもっていること。
    生きているということは、そういうことなんだと思う。
    私の「死ぬまでのトライアスロン計画」は「やり続ける」こと。
    「やり続ける」ことをもっているのはいいことだ。
    窓揺らす 春一番に 胸騒ぎ

    今日は春一番。世間はコロナウイルスで騒がしいが、いろんな予期せぬことがあるのが世の中というものなので、黙って自分で気をつけて「元気で明るく」暮らしていくほかないと思っている。ギャーギャー騒いでいるのはイヤだなあ。
    写真は話題の渋谷スクランブルスクエアからの眺め。こうしてみると、渋谷って50年前の学生時代と大きくは変わっていないような気がするけど、どう思う?

  • あけましておめでとうございます。年頭にあたっての「死ぬまでの暮らし計画」。

    あけましておめでとうございます。年頭にあたっての「死ぬまでの暮らし計画」。

    元日以来、何度かブログを書き出したのだが、何をどう書いたらいいものか、どうにも腰が座らずアップができず、とうとう1月も30日になってしまった。
    ちょっと間の抜けた感じですが、明けましておめでとうございます。
    今年も当ブログをよろしくお願いいたします。
    この1か月を振り返ると、1日にラン11キロ、2日は5キロ、3日は5キロ、4日はATAのトレーニングスタートでスイム+ラン6キロ、5日はジムでBIKE10分+トレッドミル10分+ウエイトトレーニング+スイム。体調もよく、意欲満々のスタートであった。
    ところが仕事始めの6日から喉を痛め(気管支炎)、新年の飲み会が重なって体重1.2キロ増。これはつらい。意気阻喪しつつ、心の底を流れていたのが、これからの暮らし方だった。やはり新年というのは、自分の今後に思いめぐらす時期であり、それが思い定まらぬままにきたのだが、ここにきてようやくに定まった。仕事、身体、心、人間関係と、この線でいくか、というものがまとまってきた。

    これからの暮らし方に思いをいたす直接の原因は老化の自覚にある。
    また、同年齢で亡くなる友を見送るなかで、自分の死というものが否応なく見えてくる。
    今週は月曜火曜と1泊2日で福島に出張にでかけた。上野からいわきまで特急で約2時間半。自分に向かいあう時間ができて、死ぬまでの計画を考えてみようと思いたち、メモを取り始めて計画立案となった。

    第一のメモは「死ぬ年齢」である。これを85歳前後とした。次に「死ぬまでの介護期間」であり、これを2年と考える。最後の2年は介護施設に入る。それまでは元気で暮らす。これを基本の前提とする。なお、80歳を過ぎたあたりで、病気への治療は基本的に対処療法に限ることとする。ガンも同様である。昨年には大腸の初期がん手術をおこなったので、いつがんになってもおかしくない。
    次に83歳までは「元気で暮らす」メモを書く。
    ①【仕事】仕事を続けて生活を管理し、最後の2年の費用を用意する計算。
    ②【心身管理】老いの収縮が進むなかで、心身とも健全に保つプログラム。
    ③【生活】生きているうちに取り組みたいテーマ。
    ④【終活】3人の子供たちに伝えること、時期、方法。
    書き出してみると、これまでも漠然と思いを巡らせていたこともあり、悩むこともなく、すらすらと、これで行こうという「死ぬまでの暮らし計画」ができあがった。
    この2月で69歳となる。ほぼ15年の計画となる。15年というと漠たる未来ではなく、確かな明日という手触りだ。
    計画といっても、何をいつまでに行うといった体裁のものではない。終着点は死でありそれは目標ではなく到達地である。暮らしの計画とは、それに向かっていく「歩き方」「毎日の暮らし方」といったようなものだ。だって来週にガンを発症してもおかしくないのだから。
    ということで、「私の死ぬまでの暮らし計画」をテーマに筆を進めていくことに腹を据える。
    ちょっと長くなりそうだが、できるだけ簡単に私の「計画メモ」をご紹介する。
    【仕事】私はフリーのイベントプランナー(自営業)であり、メインの仕事は一般社団法人国際医療健康交流機構の事務局長であるが、幸いに立ち向かう仕事は多く、元気なうちは続けていくことができそうな状態にある。「無理せず、続ける、カラリで、若い人の力に」とメモ。
    【心身管理】いま3か月に1回高血圧の治療でNTT関東病院に通っており、6か月ごとに血液と尿検査を受けている。担当の医師にはこれを健康管理の基本にしていることを伝えており、先生も「そろそろ内視鏡検査ですよ」などと声をかけてくれる。そのうえで、83歳まで元気に暮らすための基本は「身体づくり」。このところテレビでも取り上げられているが、筋トレとストレッチングトレーニングに励み、老化に向かう肉体改造を行う。「肉体改造」なのだ。トライアスロンについては、「できるだけ続けていく」のであるが、肉体改造に合わせて「ギアをあげる」。近いところでは2021年に大阪でワールドマスターズゲームがあり、それを目標にする。ワールドマスターズゲームへの参加については、今後もこのブログで扱っていくので、よろしくお願いします。あと「ケガをしない」。これは何より重要。
    【生活】自分のホームページを作りたいと思い、昨年はワードプレスの勉強を試みてきたが、どうにも手掛かりがもてない。そこで作戦変更でbloggerにすることに決めた。昔使っていたが、調べてみるといろんなことができる。ホームページとしては「岩﨑書店」といったものを考えている。もともと(いまでも)編集者であり、WEBというツールを使っての「ささやかな個人出版社」を運営したいのだ。基本は私からのメッセージ発信であるが、できれば編集者として、若い人の表現を編み出すことができれば本望。まあ、遠くを望まず、畑を耕すようにできることをやっていきたい。このブログもそちらに合体させる。
    【終活】妻が他界してもう13年になり、3人の子供はそれぞれ結婚して独立した家庭を営んでいる。そこで話は飛ぶが、「死ぬ1年前(いつ死ぬかがほぼわかり、意識もシッカリしている時期)に3人を集めて伝えるべきことを伝える」とメモを書く。すると、これからの日々はその日のための準備ともなる。それが「終活」となる。さらに調子にのって「帝国ホテルに部屋を予約」とメモしたのは我ながら笑ってしまう。
    「この通りにいくかどうか」などという野暮な話ではない。
    こんな感じで毎日を暮らしていくという自らへの言い聞かせのようなものなのだから。
    最近、ユックリとしっかりと、姿勢よく歩くようにしている。
    このリズムで暮らしていくイメージトレーニングだ。
    こうして書き出すと、やることは多く、これからの「暮らしの時間割」を考えないとならない。
    どうも、妙な新年のご挨拶になってしまった。
    皆様、今年も元気にまいりましょう。
    よろしくお願いします。
    冬は鍋 タラに湯豆腐 体重計
    写真はいま福島県双葉町で建設が進んでいる「伝承館」の建築風景。復興の記憶と記録を伝える施設となる。この6月にオープンの予定。ここでオリンピック・パラリンピック期に、世界に向けて復興を伝える国際イベントをやろうと、5年前から提案しているが、これまでの反応は思わしくない。福島への出張で現場を見てきた。なんとか実現したい。

  • 68歳が心身のターニングポイント。「もうちょっとやってみよう」の気分!!

    68歳が心身のターニングポイント。「もうちょっとやってみよう」の気分!!

    土曜のスイム。100メートルを3分サイクルで6本。
    1本目が2分30秒。2本目は40秒、3本目が45秒。以降、40秒から45秒。
    目標は100メートル2分なのだが、遠い夢に終わりそうだなあ。
    25メートル全力は28秒。28秒+5秒で2分15秒を目指したい。

    先週のランでは、3キロを20分50秒。
    最後に1キロのタイムトライアルで6分13秒。
    これにはかなりがっかりした。だいぶ落ちている。
    衰えもあるが、このところの練習不足もあるぞ。
    1キロ6分で3キロ、1キロのトライアルは5分30の復活を目指したい。
    こうしした数字を書きだすと、若いうちにやっておきたかったと思う。
    若いといっても40歳でもいい。どの程度のタイムでできたか。
    そんなことを考えてしまう。
    マメにタイムをとるほうではない。タイムを目標においたこともなかった。気持ちよく泳ぎ走ることが第一で、タイムは目標ではなく結果と考えてきた。
    そしていま、心身の衰えを自覚するなかで、タイムを目標にしようとしている。
    これはどうしたことなのか。
    68歳が私の心身にとってのターニングポイントとなっていることを強く実感している。
    このブログでも何回か書いてきたが、このところ心身の衰えを強く自覚するようになった。特に下半身の筋力が衰えている。この状態で「気持ちよく」なんて言っていると、衰えていくばかりではないか。そこで老化の進むなかで「もうちょっとやってみよう」の気分となっている。
    「現状のトレーニングではここまでであるが、もう少しトレーニングをすればパフォーマンスは向上する」。これは科学的に正しいことであろう。私の「もうちょっとやってみよう」というのは、これに「幾つであっても」を付け加えることである。
    「幾つになっても、もう少しトレーニングをすれば現状よりパフォーマンスは向上する」というわけである。
    そこでいまの課題はこのようになる。
    ・どうしたらトレーニングを増やすことができるのか
    ・どのようなトレーニングを行えばいいのか
    これをいま書くことで考えている。
    基本は生活習慣であり、生活習慣とは時間割である。
    問題なのは、日が落ちてからの時間が難しくなっている。
    以前は帰宅してからジムにでかけることも少なくなかったが、それがそうはいかなくなっている。帰宅してお茶を飲んで一息つくと、なかなか動けない。なかなか動き出せなく、眠くなってうたた寝となる。
    そして仕事との兼ね合い。朝型人間なので、朝には身体が動くのだが、朝は仕事が優先される。

    いま私が考えるポイントは以下。
    ・自宅でできるトレーニング(筋トレとストレッチング)をマメに行う
    ・6時起床、11時就寝
    ・お酒の時間を削る
    ・休む時間をうまくとる
    ・暮らしのリズムを意識する
    要は心身共に疲れた状態でいないこと。トレーニングを楽しむこと。
    機嫌よく暮らすことはとても大切なことであり、そのためにはそれなりの努力を必要とする。

    写真は奄美大島。サンゴ礁でのスイムを満喫した。
    こんなことができるとは考えてもいなかった。
    これもトライアスロンのおかげだ。
    ありがたい。

  • ラグビーワールドカップの記憶。その5 「楽しむ」ことが価値となって世界を変えていく

    ラグビーワールドカップの記憶。その5 「楽しむ」ことが価値となって世界を変えていく

    振り返ればラグビーワールドカップは「国際スポーツ大会」を越えた「祭り」であったと思う。
    試合は勝つことが価値となる。しかし「祭り」は勝つこと以外も価値となる。
    試合のなかで観客は受動的存在である。しかし「祭り」では観客も積極的な参加者となる。
    試合はアスリートファーストとなる。それはいい。しかし「祭り」は皆で楽しむものでアスリートもその一員である。私はアスリートファーストを当然のこととして語ることに違和感を覚えている者である。アスリートはどう思っているのだろうか。
    試合後に選手が家族を腕に抱いて観客に挨拶する。これはラグビーでは見慣れた光景である。
    今回の大会でも、トンプソンルークが、アイルランド、ウエールズの選手が、子供を腕に抱いて場内を巡った。
    子供の前であれだけ激しく闘ったあとで、観客と同じ家庭人に戻るのだ。
    ラグビーには国際大会とはいえ、日常生活の「のどかさ」がある。
    イングランド、スコットランド、ウエールズ、アイルランドというチーム編成はサッカーも同じだが、ラグビーではアイルランドは国境を越えて南北一体である。フィジー、サモア、トンガという南太平洋の小国が自国の誇りをかけて独自の個性を爆発させる。その頂点にあるのはニュージーランドであり、南アフリカだ。ともに国際政治経済の舞台での主役ではない。ここは強国が対峙して国の威力を見せつける場ではない。
    そしてチームの編成は多国籍である。しかし国への愛着こそがチームの誇りとなっている。私たちはこうした「ONE TEAM」の姿に「ダイバシティー」とはどのようなことなのかを見る。
    私はラグビーチームは基本的には「ラグビー好きな仲間たち」を価値にして成り立っているように思える。そのチームのバックボーンにあるのが、仲間が集まってラグビーを楽しむことできる土地への愛着と尊敬ではないか。なんといっても、日々その土地に転がり、土をなめるのだ。私は勝手にラグビー選手に農夫の姿をみている。
    ここでラグビーを楽しむ仲間が集まって遊んでいるうちにチームができてそれが自然と大会となる。「ここ」はチームを育てる地域社会という土壌であり、「ここ」と「ラグビー」は不可分なのだ。
    ラグビーにはそんな子供時代の記憶を思い起こさせる「素朴」なテイストがある。
    こうしたラグビーの特性が、このワールドカップを「祭り」としているように思う。
    しかしラグビー以外のスポーツにも「祭り」の芽はあり、水をやれば花開くはずだ。

    ささやかながら、ここで私のトライアスロン体験を挟みます。
    沖縄の伊是名島で開催されるトライアスロン大会がある。高校は本島に行くためボランティアは小学生に中学生である。スイムでサンゴ礁を泳ぐ、バイクでは島をめぐる。ランでは島の山道を走る。沿道では、子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで、総出でで声援をおくってくれる。大会の夜は体育館で参加選手も大会関係者も泡盛を飲んで踊りまくる。なんと子供も一緒に踊るのだ。そう。盆踊り状態。さらに宿泊先である民家に戻り、家の方々と島唄をうたう。まさに年に一度の島をあげての祭りである。
    この大会に参加した者の意識としては、レースに出たというよりも、村祭りに神輿を担ぎに来た感覚であった。これは実に新鮮な体験で嬉しかった。もちろん国際大会とは比較にもならないが、ここには選手と観客が同じ地平に立って祭りをつくる一体感がある。

    このブログでは、何回も「楽しむ」という言葉を使った。
    団塊の世代の名づけ親である堺屋太一は、googleが出現する以前に「これからは選択のコストを下げることが価値となる」と予測した。慧眼恐るべし。そして、「明治は強い国家を目指した。戦後は豊かさを目指した。これからは楽しさを目指すべき」と指摘した。
    スポーツは楽しさをもたらす。それはわかっている。しかし今回のラグビーワールドカップは、他の国際競技とは何かが違う楽しみもたらした。それはラグビーそのものの面白さ、日本の快進撃。いや、それだけではない。それだけではないことを考えて、このブログ連載を書いてきた。
    それはスポーツのもつ「祭り」の豊かさである。
    この大会は「祭り」としてのスポーツ大会の魅力を、「スポーツ大会を祭りに育てる」気づきを与えてくれたと思う。

    スポーツは楽しいものだ。スポーツには様々な楽しみがある。
    しかし、皆が楽しむためには、それなりの配慮、工夫、創意が必要なのだ。
    ただ選手が強くなればいいのではない。面白い試合であればいいのではない。贔屓チームの勝利が至上なのではない。「NO SIDE 良き敗者」こそが本質的な価値なのだ。
    「楽しむ」ことに向けて、様々な営為が積み重なっていく。
    それは地域社会が総出となって取り組む、とても高度な集団のマネージメントであるのだ。
    そうしたスポーツの楽しさを「祭り」という視点から考えてみよう。
    応援の楽しみはさらに広がるだろう。それが誰であれ、そのとき共に応援する人に寛容になるだろう。
    一人でもいいではないか。
    68歳独身の私はラグビーワールドカップを人生一度の「私の祭り」として堪能した。
    オリンピック・パラリンピックも祭りである。世界最大の祭りである。
    2020年には、大会会場ばかりでなく、日本全国で、さらには広く世界で、無数の多彩な祭りが生まれることを私は期待する。
    私自身もどのような「私の祭り」とするか、そろそろプランを立てなくてはならないのだ。

    私は2020東京オリンピック・パラリンピックは、人類にとって大きな価値を持つものになると考えている。
    話が大きすぎるだろうか。委細の説明は別の機会とするが、私は真面目にそう考えている。
    この時代に、この世界の状況で、世界で最も精緻な都市東京で、誰もがスマートフォンを持って自動通訳と地図案内と観戦案内・観光案内を使いこなし、SNSでつながり、AI技術開花の入り口という時に開かれる、世界が集うオリンピック・パラリンピックという「世界の祭り」。この意味するところを考えてみよう。
    そして2023年にはヨーロッパ・揺れるECの中枢フランスでラグビーワールドカップが、2024年には近代都市の代表である華の都パリでオリンピック・パラリンピックが開催される。さすがにフランスもスポーツのもつ豊かな可能性に気づいていると考えたい。日本・東京からフランス・パリへ。この共同的チャレンジは「共に楽しむことを価値とする」寛容の時代への人類史的な転換となるだろう。
    私はそのように考え、その現代史に参加できる幸運を喜び、「楽しみ」にしている。
    最後に私の感想。
    一番興奮した試合は、もちろん日本・スコットランド。説明不要。
    ラグビーの魅力を堪能したのは3位決定戦ニュージーランド・ウエールズ。両チームに惚れ直した。
    選手のプレーを楽しんだのはフィジー・ジョージア。フライングフィジアンの魔法に浸った。
    ジャパンで最も印象に残った選手はなんてったって福岡。ナマ福岡のスピードは奇跡なのだ。
    そしてラファエレティモシー。いくつもの起点になっていた。
    立川に代わるセンターは誰なんだと思っていたが、中村とともに、見事にその任を果たした。
    こう書いてみると、バックスの野生そのものの躍動が好きなんだなあ。

    写真は決勝戦のパブリックビューイング観戦後に訪れた有楽町のファンゾーンでのスナップ。
    今回の「私の祭り」はこれでお仕舞い。ありがとう。
    次は2020年。もう来年だ!!

  • ラグビーワールドカップの記憶。その4 日本が発見した「スポーツの豊かな楽しみ」

    ラグビーワールドカップの記憶。その4 日本が発見した「スポーツの豊かな楽しみ」

    このワールドカップを通して、多くの日本人はこれまでにないスポーツの楽しみ方を発見することになったと思う。選手のみならず外国の応援団を迎える楽しみ。交流する楽しみ。大声で共に君が代を歌い日本を応援する楽しみ、レプリカジャージーを着る楽しみ、ハチマキをする楽しみ、ビールを飲む楽しみ、日本以外の国々を応援する楽しみ、世界トップのゲームを堪能する楽しみ、そして日本チームの奮闘をハラハラドキドキ息もできないほどに見つめる楽しみ。

    これらの様々な楽しみが「ラグビーというスポーツのの豊かな楽しみ」であることをワールドカップは教えてくれた。
    さらに、SNSによる楽しみも、あげておかなくてはならない。
    このワールドカップはスポーツとSNSの新たな関係を拓いたものとして歴史的な意味をもつものになった。

    一方で「スポーツは純粋にスポーツ(ゲーム)のみを楽しむべき」とする考えがある。
    この点について書いておきたい。
    SNSでも、ゲームは評価しつつも、日本を応援する熱狂が恐ろしい、オープニングの太鼓の演出がダサい、開・閉会式に安倍首相がいたのが気に入らない、といったメッセージがアップされていた。そうした人はいるだろうなあと思っている。応援の熱狂についてはナショナリズムへの恐れ、演出については日本風への恥ずかしさ、安倍首相については「安倍嫌い」の感情だろうが、「首相としてもっと他にやることはあるだろう」には「なんだかなあ」。
    しかしこうした声が大きく広がることはなかった。
    それはそうだろう。
    私から言わせれば、それは「料簡が狭い」となる。
    当たり前だが、開催国の政府代表を招待するのは大会委員会の仕事だ。安倍首相が「俺を出せ」といって始まる話ではない。会場でどこに座り何をするのかを決めるのも、安倍首相ではなく、大会委員会である。国際大会は政治的な社交の場でもあるのだ。だから決勝戦にはヘンリー王子も南アフリカ大統領もやってきた。安倍首相はその夜は首相としての仕事を行っていたのだ。
    ラグビーの蘊蓄に熱をあげるラグビーフアンの間では、日本は予選突破不可能、ジェイミー・ジョセフを解任しろといった声もあった。監督気分で贔屓チームを分析、論難するのも「純粋なスポーツの楽しみ」ではある。だがそうした人々はこの日本快進撃という「予測外れ」を心より楽しめたのであろうか。
    楽しみは人それぞれであるが、私は物知り目線でゲームを語る人より、無心で応援を楽しむ人でいたい。
    スポーツは文化である。日本代表の選手からは「日本にラグビー文化を育てること」をミッションに掲げるコメントが多く聞かれた。「ラグビー人気」ではなく「ラグビー文化」というのがラグビーならではだ。
    「ラグビー文化を育てる」には日本代表は強くなくてはならない。選手はそれが日本のためになると思うから厳しい練習も耐えられる。
    ラグビー文化は確かに育ったと思う。
    ワンチーム、ノーサイド、品位、情熱、結束、規律の尊重。
    それを愛する気持ちの良い精神を養ってくれたと思う。

    こうしたスポーツの力をみると、スポーツが政治から免れると考えるわけにはいかない。会場で政治メッセージをアピールするような、幼稚な政治のもちこみは遮断されるべきだ。しかし、南アフリカの監督とキャプテンは「今回の優勝が国を一つにまとめる力となることを期待する」メッセージを述べた。これは政治的な発言ではないが、社会を動かす力をもつということで、政治的なものだ。
    スポーツは地域を強くする。スポーツは豊かな体験をもたらす。スポーツは文化であり政治も含むものである。だから常に周囲に気を配り寛容と尊重の精神をもって臨むのがマナーだ。
    いま人類が直面しているグルーバルな世界ではこのマナーが重要であること、そして日本がこのマナーにふさわしい国であることを日本は確かめた。
    来年の東京オリンピック・パラリンピックが楽しみだ。
    写真はスコットランド戦プレミアムシートのカードとランチボックス、着ていったレプリカジャージー。
    いい思い出になった。

  • ラグビーワールドカップの記憶。その3 はたしてこれは「一過性のもの」なのか?

    ラグビーワールドカップの記憶。その3 はたしてこれは「一過性のもの」なのか?

    ワールドカップの始まる前の心配事は観客の入りであった。日本戦、準決勝・決勝戦は問題ない。ティア1の国々同士の対戦、決勝トーナメントも、まあ、そこそこ埋まるだろう。しかし、予選はどうなのか。ジョージア・ウルグアイに人は集まるのか。多くの試合で、空きが目立つ客席の様子が世界に放映されることになるのではないか。大会関係者もテレビのインタビューで「目標は客席を埋めること」と話していた。
    しかし、いざ切符販売となると、予選からけっこう埋まっていき、正直ちょっと驚いた。そして最終的にはチケット販売率は全会場を通して実に99・3%になったという。果たして日本が勝ち進んだからこれだけチケットが売れたのか。それもあろうが、終わって振り返れば、釜石でのフィジー・ウルグアイも、福岡でのイタリア・カナダも、大会前からしっかりと売れていたのだ。
    私は日本の快進撃は「あり得る」と思っていた。しかし、これだけのチケット販売は考えられなかった。ラグビーはそんなに人気のあるスポーツではない。私がラグビーフアンと知っている友人からは開幕直前に「全然盛り上がっていませんね。誰も知らないですよ」と言われて返事ができなかった。
    これだけ観客を集めたことはまさに大会関係者の努力のたまものなのだが、それだけではないだろう。
    私が思うのは、地域の人々の力、そして地域と今大会のかかわりだ。
    札幌、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、福岡という大都市はさておく。
    釜石、熊谷、静岡、大分、熊本はいずれもラグビーが盛んな地域である。昨日今日のことではなく、ラグビーは地域の文化としてしみついている。
    よって大会の運営にかかわるラグビー関係者ばかりでなく、地域のラグビーを愛する人々、さらには近所や親戚や友人のラグビー少年を愛する多くの人々が、地元での大会の成功を我が事として祈り、その底力を発揮したであろうと考える。
    開催地のみならず、キャンプ地も、地域としてワールドカップを迎えるさまざまな準備を重ねてきたことであろう。会場案内やファンゾーン警備などのボランティア、外国の国歌を練習する子供たち、それを応援する家族、外国人客を迎える宿泊、飲食、交通などの関連企業など。こうした積み重ねと結束が今回の結果を支えたのだろうと思う。

    「地域のラグビーの底力」。
    これはしっかりと頭に刻んでおきたい。
    というのは、大会後にはもう、「この熱気はいつまで続くのか」といった話が出てくる。確かにこれほどの熱気は長く続くものではない。ラグビー関係者がこの盛り上がりを生かしていかなくてならないと考えるのは当たり前のことだ。しかし「まあ、落ち着けよ」と私は言いたい。
    「ラグビーを支える地域の底力」はしっかりと地域に蓄積されたと私は考える。これは決して「一過性」といってすますものではないのだ。

    また、今回予選突破をクリアしたため、次回のベスト4の可能性を占う記事も見受けられる。選手が次回の目標を今回以上とするのは当然だろう。しかしそれを受けて「今回のようにいくと思ったら大間違い」「そのために協会は何すべきか」なんて記事が早くも出てくる。
    次回にベスト4を目指したいという選手の熱意を心地よく受け止め、ねぎらい、これからの4年を楽しめばいいではないか。
    「次回はこうはいかない」なんて声には「だからどうした」と返してやりたい。
    次回のことはわからない。
    同じことが起こるはずもないではないか。
    わかっているのは選手もフアンも4年後を楽しみにしているということだけだ。
    4年後はフランス。
    選手は準備を重ねる。
    フアンは、いくらかかるか、貯金をしなくては、などど考え始めている。
    その時間を楽しもう。
    写真は秩父宮ラグビー場でのイングランド・南アフリカ決勝戦のパブリックビューイング。
    南アフリカは強かった。大会前の熊谷の日本・南アフリカはナマで観たが、2段以上ギアがあがっていた。
    大会を通してチームが出来あがっていった感じがする。

  • ラグビーワールドカップの記憶。その2 日本が「世界の社交場」となった。

    ラグビーワールドカップの記憶。その2 日本が「世界の社交場」となった。

    日本・南アフリカ戦は、とてもじっとしていられない気分で、調布のファンゾーンにでかけた。
    南アフリカはもちろん、多分ウエールズやアイルランドなどの国の人も集まり、ビールでワイワイと盛り上がっている。フアンゾーンには試合とは全く違う、立ち飲みバーのような気軽な雰囲気がある。
    試合のほうは、残念ながら、「力の差を感じた」ともいえるのだが、私の主観では、「次にやったら勝つかもしれない」。試合後は呆然とし、2・3日はひどい精神状態であった。
    帰りの京王線車内、新宿駅では、南アフリカのフアンが歓声をあげ、歌を歌って騒いでいたが、大きなトラブルは起こらなかったようだ。
    スコットランド戦のあと、帰りの東京駅で、おそらくスコットランド人から、日本語で「おめでとう」と祝福された。さらに地下鉄の大手町駅で、アルゼンチン人という男からスマホを向けられ、感想を求められた。
    みんなビールを飲んでるのだが、暴力はなく、落ち着いて安心していることができた。
    サッカーに見られるような、フーリガンの暴力や、度を越した騒ぎというものはなかった。
    スポーツライターの藤島大によると、ラグビーは性善説に立つスポーツであるという。誰も悪意をもって反則を仕掛けたりはしない。ゲームを楽しむためにルールはもちろんマナーを守ることが前提になっている。
    私はこの性善説と同時に、「ラグビーは肯定的である」ことを好ましく思っている。ペナルティを犯した選手には厳しい目が向けられるが、ミスをした選手を責めるようなことはない。野球では選手に罵声を浴びせる観客をみてきた。しかしラグビーでは、調子を落として成果が出ない選手にも、心配はしても罵ることはない。
    ゲームは激しいが、それを取り巻くものは基本的に穏やかで、肯定的で、性善説に立っている。あるいはそうでなければ、あれだけ激しいぶつかり合いなどはできないともいえる。
    だからラグビーは見ていて気持ちがいい。応援するチームが負けても、怒りを爆発させるようなことはなく、相手の強さを認める。それは不機嫌にもなるだろう。でも、こうした日もあるさ、これもラグビーとあきらめる。そして次の機会をまつ。次に向けてチームが努力することを信じている。もちろん負けた相手への尊敬も当然のことだ。
    イギリスでは、決勝で負けたイングランドの選手の態度が「良き敗者」ではなかったとの批判が起き、論議を
    呼んだ。このエピソードもラグビーらしく気持ちよい。
    ラグビーに罵声や無礼は似合わない。相手を尊重し、マナーに価値を置く。
    だから競技場も気持ちよい。両チームのフアンが安心して隣同士の席に座って応援する。
    選手も観客も気持ちよく楽しむことを第一に心がけ、気を配り、実践している。
    勝つにしろ、負けるにしろ、安心して気持ちよく試合を楽しむことは、スポーツの大切な価値だ。
    海外からの選手、ジャーナリスト、応援の人々が、こぞって日本への評価と感謝を表明してくれた。
    これを素直に受けいれて喜ぼう。
    カールルイスは「スポーツは社交である」と言った。
    そう。日本は、今回のワールドカップを通して、国際的な社交の舞台となったのだ。
    日本は舞台を整え、世界の人々を迎え、世界から評価され、尊敬された。
    舞台は競技場ばかりでない、キャンプ地で、フアンゾーンで、飲み屋・パブで、和やかな社交が展開された。
    そして海外からの人々も、日本を舞台に、21世紀の国際的な社交とはどのようなことなのかを体験し、学ぶことになったのだ。
    今回のワールドカップで日本は、国を越えた、素晴らしい社交場の姿を見せてくれた。
    海外のジャーナリストが伝えたのはこのことなのだ。
    これはだれかが意図して仕組んだものではない。様々な化学反応が生まれこうなったのだ。でも、こうした化学反応が起きる土壌はあった。その土壌は日本が長い歴史のなかで養ってきたものであり、ラグビーというスポーツが試行錯誤しながら育んできたものだ。時の積み重ねこそが素敵な化学反応を用意してくれる。
    写真は調布のファンゾーン。おめでとう南アフリカ。