投稿者: iwasakihiroshi

  • ラグビーワールドカップの記憶。その1 日本を愛する「集団の陶酔」。

    ラグビーワールドカップの記憶。その1 日本を愛する「集団の陶酔」。

    ラグビーワールドカップが終わった。9月20日の日本・ロシア戦から11月2日のイングランド・南アフリカ決勝での南アフリカの勝利まで、この間ラグビーワールドカップを第一に過ごしてきた。
    ラグビーは最も好きなスポーツだ。高校にラグビー部はなく経験はない。ハンドボール部に入部してインターハイに出場したのが、人生唯一の自慢であるのだが、高校にラグビー部があったらなあと、いまでも残念に思う。
    大学は明治ということもあって、もう50年もラグビーを見続けてきている。
    「一生に一度だ」は今回の大会のキャッチフレーズであったが、私もそんな思いでワールドカップを体験した。
    そんなことで、当ブログもだいぶお休みとなっていたが、このワールドカップの印象、思い出、感じたことなどを、人生の貴重な記録として、書き留めておきたい。いつもとは違うが、このブログをお読みの方々と、思いを共有できればありがたい。
    まずは日本のベスト8進出を決めスコットランド戦。
    この一戦だけはどうしてもナマで観たいと思い、1枚15万円のチケットを奮発した。
    横浜総合競技場は7万人収容で基本は陸上競技場だ。ラグビーをナマで観る楽しみは臨場感にある。肉体のぶつかる音、いっせいにラインがあがっていくスピードなど、秩父宮ではそれを存分に味わえるのだが、これだけ大きいと、選手とはかなり距離ができる。
    しかししかし、この試合は素晴らしい体験であった。試合を見る楽しみに加え、大観衆の一員として試合を応援する高揚があった。
    それがピークになったのは、試合終了までのカウントダウン。5・4・3・2・1・ゼロ~と会場全体で大声で叫び、腕を振り上げ、その瞬間、周りの見知らぬ方々とハイタッチ。そのうれしさ、歓びというのは、勝利への喜びであるのだが、さらに「この場、この瞬間に立ち会っている」ことの喜びに満たされる。これは得難い経験だった。

    「ラグビーロス」「にわか」なんて言葉も生まれた。これはスポーツとしてのラグビーの楽しさに目覚めたこと、日本の快進撃があってのことだが、それとともに日本を応援する「集団の陶酔」があったと感じている。そしてラグビーでは日本は「多国籍・多人種」な日本である。
    ラグビーは国と国の対戦ではあるのだが、チームは多国籍・多人種であり、その底流には同じスポーツ・文化を国を超えて共有する仲間意識がある。しかも多国籍・多人種でありながら、どのチームもその国の文化を色濃く反映させた魅力をプレーで発揮する。南アフリカはあくまで南アフリカであり、ニュージーランド、イングランドとはラグビーのスタイルが違うのだ。それはただ勝つための効率的なスタイルではなく、国の文化を感じさせるものがある。
    そのなかで、日本はいかにも日本らしい独自なスタイルで勝ち進んでいった。そのスタイルとは、まずスピード、正確な連携、そして創意工夫であり、それをささえる寡黙でひたむきな姿勢だ。私たちはそれを見て日本を誇りとし、我が日本チームの桜の戦士を応援する。

    私はこれまで、こうした日本を体験することはなかった。私の大学入学年は学生運動の頂点で、東大の入試が中止された。その学生運動のスローガンは、中国文化大革命の影響をうけた「造反有理」であり、「自己否定」が正義とされた。敗戦によって世界から否定された日本は、さらに「自己否定」の対象になった。学校における国歌斉唱、国旗掲揚が非難され、戦時中の日本の侵略、犯罪が問われ、日本であることを苦々しく、恥ずかしく思う感覚が大手を振って語られた。
    こうした感覚は何も当時の学生運動に特有なものではない。私がみるところ朝日新聞はいまもそのままだ。日本の勝利を驚きつつ、今回の「にわかの日本熱気」をどこか苦々しく思っているオールドラグビーフアンは少なくないだろう。
    ラグビーワールドカップを通して、多くの人は「新たな日本のイメージ」をサクラの戦士に見出し、その一員として「新たな国の愛し方」が自然と広がっていく様子を目の当たりにすることになった。さらに隣の席で同じように自国を応援する各国の人々に出会った。交歓もあった。
    今回の大会の余韻はオリンピック・パラリンピックにつながるに違いない。今回の大会は、日本が世界に生きる日本の新たな姿を発見するものになったと思う。
    「ああ、こういうことなのか」。私はそう思った。多くの人もそう思ったはずと思っている。
    これは大げさか? いや、大げさではないのだ。
    スポーツがいかに社会の意識を反映し、社会に大きな影響を及ぼすか。
    まだまだ語られてはいない。
    来年のオリンピック・パラリンピックが一層楽しみになった。
    写真はスコットランド戦観戦前の競技場前。

  • この夏を振り返り。九十九里トライアスロンの完走報告も。

    この夏を振り返り。九十九里トライアスロンの完走報告も。

    今年の夏ははどのように過ごしていたのだろうか。
    9月22日(日)の九十九里トライアスロンに向けたトレーニングに向かうつもりだったのだが、ままななかった。
    8月5日から9日までハノイ出張。19日と20日は北京出張。
    この夏はまとまった休みはとれず、おかげで恒例の大片付けもできず、いまだに居心地が悪い。
    何がそんなに忙しかったのか。手帳を見直してもよくわからない。追われるようにバタバタと暑い日々を過ごしていたのだ。ちょっと釈然としない気分がある。
    9月に入って10日(火)はパスポートの切り替え手続き。自宅から文京区役所に行って戸籍謄本をとり、千葉のパスポートセンターに行って東京に戻るまで、台風の影響で、まる1日もかかってしまった。
    これほどの台風被害は記憶にない。気持ちがざわついて落ち着かない数日を過ごした。
    1回も海練をしていないため、14日(土)午前には材木座海岸のオープンウォーター練習会に出かける。
    夕方からニューヨークから東京出張に出てきた長女を迎えて家族パーティ。
    15日(日)か16日(月)はバイク連のつもりだったが天候が悪く見送り。
    20日(金)朝にになんとか30分8キロのバイク自主練。
    そして、この日から待望のラグビーワールドカップで日本対ロシア。強くなった日本を実感。この週は禁酒をしていたのだが、やはり飲んでしまう。
    21日(土)午前はウエットスーツを着てのスイム練習。そして午後には九十九里へ向かう。
    22日(日)の九十九里トライアスロンは、4時間18分もかかってしまった。
    リザルトをみるとトランジッションで合計25分もかかっている。かかりすぎだろう。
    しかしタイムは悪かったが、スイム、バイクは落ち着いてこなすことができた。自分自身をコントロールした満足感がある。
    ランは出だしはよかったのだが、5キロあたりから左足の母指球あたりを痛めてつらかった。遅くはあってもランで休むことはないのだが、3回も立ち止まって痛みをこらえた。
    23日(月)、24日(火)は有楽町のラグビーファンゾーンに出かけて興奮。
    25日(木)から28日(土)まで中国は西安に出張。
    28日夜はアイルランド戦を見て涙、涙。
    29日(日)はジムにでかけて、バイク・ラン・スイムで身体を整え、大会と海外出張の疲れをいやして、いま、ようやく、これを書いている。
    気が付くと 秋が来ていて ランニング
    長女が来日してゆっくりと話す時を得た。いずれは介護施設に入るつもりであること、子供に手間をかけるつもりはないこと、それなりの準備を始めていることなどを伝える。 次に会うのはいつだろう。2021年にはニューヨークマラソンに行こうかなどという話にもなった。仕事の関係からエコノミーであればチケットの手当てはつけられるとのこと。膝を痛めてマラソンは休んでいるが、ちょっとその気になった。
    この年齢になり、久しぶりに子供と会うと、自然と今後の人生のたたみかたに話がいたる。漠然と思っていたことも、口に出して子供に伝えると、リアルな現実となる。
    おもしろいものだ。
    このことを機会に、当ブログで始めた「私の老年学」を別途独立させようと思っている。
    このブログは私的な体験記だが、社会学的な考察紀を考えてみたい。
    写真は九十九里トライアスロンのラスト100メートル。FACEBOOKにアップしたら「笑顔がいい」と好評であった。待っていて、撮っていただいたトラ仲間に感謝!!
    この歳で「笑顔がいい」というのは、笑ってしまうが、うれしいものだ。

  • 私の老年学の第3回。心の収縮と自己鍛錬について考えてみました。

    私の老年学の第3回。心の収縮と自己鍛錬について考えてみました。

    前回から、だいぶ時間が経ってしまった。

    8月5日から9日までハノイ、8月19日20日が北京。海外出張は体にこたえる。時差はハノイが2時間、北京が1時間と大きな差ではなのだが、それでも身体のリズムがおかしくなり、疲れやすく集中力が衰える。ブログとも遠ざかる。
    ようやく回復し、改めてこれまでを振り返りつつ、考えを進めてみる。
    老化とは「収縮」である。
    まずこれがスタート。これは実感である。
    よって「収縮」を感じつつ、その状態をできるだけ居心地よく暮らしていく「工夫」が必要になる。若いうちは何も考えずに生きていくのだが、歳をとると漫然と日々を過ごしていくことができなくなる。何らかの「工夫」を自覚することが必要なのだ。
    そしてヴァレリーに触発されて「自己鍛錬」こそが「工夫」の要点ではないかと考えた。また、この「自己鍛錬」は何らかの「目標」を含むことにより「緊張という快楽」をもたらしてくれる。
    私の場合は、「身体の自己鍛錬」はトライアスロンだ。
    高齢者のスポーツというと、もっぱら「健康管理」の側面から語られている。
    しかしスポーツとは高度な精神活動であり、特に高齢者にとってのスポーツの楽しみとは、その精神活動の魅力にある。
    トライアスロンの大会を目標にして、仕事との調整、トレーニング、体調管理、食事、バイクのメンテナンス、大会の申込、前日の準備など、自らのあらゆる活動を総動員する。「収縮」していく運動機能を把握しながら「自己鍛錬」に励む。そんな「老人のスポーツライフ」もあると思う。
    では「心の収縮」に応じた「自己鍛錬の楽しみ」は何か。
    前回のブログ以降、そのことを自問自答してきたが、なかなか簡単には答えがでない。
    まず「読書」が頭に浮かんだが、それだけではどうもスッキリと納得ができない。そもそもなかなか読書ができなくなっていることが「収縮」の自覚症状なのだ。でも、やはり「読書」による「心の自己鍛錬」を考えてみたい。
    だだ漫然と読書をするのではなく、何らかの意図と目標をもって読書する。溌剌とした気分で読書をする。
    高齢者にとってのそんな読書の楽しみを考えてみたい。
    数年前から、生きているうちに「古典の名作」を読んでおきたいと思うようになった。
    そこで「赤と黒」「ボバリー婦人」「ゴリオ爺さん」「アンナカレーニナ」と読んできたのだが、いずれも途中まで読んでは止まってしまう。これが「収縮」の症状である。
    「途中まで読んで止まってしまう」のは「つまらない」からではない。むしろ作品に漲る緊張感に息がつまり、ちょっと距離を置いて一息つく気分で本を閉じてそのまま放棄という結果となった。本に没入していく心の力の衰え、収縮である。
    こんなことを調べてみた。
    「戦争と平和」はトルストイが34歳の時に執筆を始めたという。
    「魔の山」が出版されたとき、トーマス・マンは49歳であった。
    「八月の光」が出版されたとき、フォークナーはは35歳であった。
    「人間喜劇」を書いたのはバルザックが36歳のとき。
    なんだ、みんな若造ではないか。この若さで歴史に残る作品を書いたのか、あるいは若かったから書けたのか。我が身を顧みれば「馬齢を重ねる」という言葉が身に染みる。しかし、馬齢とはいえ、様々な経験も重ねている。そこで、年寄りが若き小説家と語るように読んでいくのはどうだろう。「ほう、そんなことを考えているのか、きみもまだ若いなあ」なんて気分で作者と語り合う。
    まずは、ただいま読みかけのトルストイと語り合ってみようか。
    「よう、ご無沙汰」の気分だな。
    あけ放ち 夜風よびこみ ストレッチ

    命あるうちに、歴史に名を刻む偉大な精神と先輩気分で語り合う。これも高齢者ならではの楽しみであろう。死んだ人を新たな友として語り合う。これを快楽としたい。
    9月22日の九十九里トライアスロンまで1か月を切った。夏になってだいぶサボったので、気合を入れないといけない。暑さのため敬遠してきたランとバイクが不安だ。手帳を見ながら、「この日はラン、この日はバイク」と書き入れてみる。収縮する日常生活に「スケジュール管理」という自己鍛錬に向かうのだ。
    写真は北京空港。今回は一人旅でちょっと緊張。

  • 私の老年学2はやや高踏的に「ポール・ヴァレリー」の講演から。キーワードは「自己鍛錬」。年寄りの自己鍛錬です。

    私の老年学2はやや高踏的に「ポール・ヴァレリー」の講演から。キーワードは「自己鍛錬」。年寄りの自己鍛錬です。

    心を溌剌とさせる「心のリズムトレーニング」とは何か。
    こんなことを書くと、心理学や認知症、高齢者介護などからの援用をしたくもなるのだが、あるいは書店では著名作家の「高齢者のための心構えガイドブック」がたくさん出てもいるのだが、ここではまったく違う方向からこの思考のきっかけを得ることにする。

    以下はポール・ヴァレリーの「知性に就いて」という講演内容の引用である。
    当ブログでは珍しく面倒な話になるのだが、私としてはここからスタートしたいので、ご容赦願いたい。お付き合いいただければ幸いだ。
    『現代を特徴づけていることの凡ての中で、一つ私が好感を持っていることがある。それはスポーツである。・・・私の言うのは、流行や模倣の結果としてのスポーツではなく、又、新聞で余りにも持噺されている種類のものでもない。私が愛するものはスポーツの観念であって、それを私は精神の領域に移して見るのである。この観念は、我々がもって生まれた性能のいずれかを、最大限度に発達せしめることをその目的としていて、しかも我々に備わっている凡ての性能の間に、ある平衡が保たれていることをも要求するものなのである。何故なら、人間を不具にするスポーツは悪いスポーツがからなのだ。又、スポーツの練習が真剣に行われている場合、それは必ず幾多の試練と、時には堪え難い欠乏と、一定の衛生と、結果に正確に現れる緊張と忍耐とを、要するものなのである。--一言にして言えば、人間の諸性能の分析と、その組織的な刺激とを基礎として、人間をある典型に向かって発達せしめて行く、正真正銘の行為の倫理学なのである。よって我々は一見逆説的に、スポーツとは反射作用の組織的な教育であると定義することが出来る。
    併し精神も、精神ではありながら、同じような方法によって処理することができる。』
    (中公文庫 精神の政治学 ポール・ヴァレリー 吉田健一 訳)
    この文を読んだのは昨年のことだが、私がトライアスロンに励み、同時にこのブログを書いていることの動機や思いに、ストンとはまってしまった。。
    『人間をある典型に向かって発達せしめて行く、正真正銘の行為の倫理学』
    『スポーツとは反射作用の組織的な教育であると定義する』
    これを私なりに「自己鍛錬の楽しみ」と名付けてみる。
    この楽しみは、誰も知っているように、一流アスリートのみの特権ではない。
    年寄りには自己鍛錬の楽しみがある。
    年寄りの自己鍛錬は、若者の自己鍛錬とは異なる。
    若者は自己鍛錬の末に「何者か」となる。
    あるいは「何者か」を求めて苦しい自己鍛錬に耐える。
    しかし年寄りはもう「何者か」となることはない。
    「いやいや幾つになっても」という声もあるのは知っているが、私からすれば「バカ言うな」の一言である。
    「何者か」になることを求めずして「自己鍛錬に励む」。それは自己鍛錬そのものが、生きていく快楽であるのだろうと思う。

    ヴァレリーがこの講演を行ったのは1935年1月16日。ヴァレリーは1871年生まれなので、その計算からすると64歳。この時代では立派な高齢者である。ヴァレリーというと「地中海」となり、また水泳を愛したことで知られる。であれば、この講演をした64歳のヴァレリーは果たして泳いでいたのか。そう考えるのは楽しい妄想であるが、わからない。ただし、64歳でこの講演を行ったというのは、高齢者の私としては、こうした考えを自らに撞着させる大きな理由となる。
    もう一つ。こんなことを考える。
    自己鍛錬を成立させるには「目標」が不可欠である。目標の達成は「鍛錬」の成果であり、目標がなくなれば「鍛錬」の意味もなくなってしまう。
    体を鍛錬するその行為のなかに「目標」を内在させる。年寄りの「目標」はまさに自分自身の道しるべ以外のものではない。
    夏が来た 命華やぐ 正気かな
    ここでようやく「心の自己鍛錬」の話にたどり着く。
    回りくどい話となっているが、そうでなくては語ることのできない思いというのはあるのだ。付き合ってほしい。
    そこには「目標」があり、日々の積み重ねが必要と考えてみる。。
    しかし、そのような精神活動というものが実際にあるのだろうか。
    自らあやつることのできる「心のリズムトレーニング」なるものは存在するのだろうか。
    はい、この先は次回。
    ちょっと一泊置いて考えます。
    梅雨も明けて、夏が来たぞう。
    体も心暮らしも「自己鍛錬」だあああああ。
    写真はヴァレリー。けっこうカッコつけている。

  • 老化とは「縮んでいく」ことなのだ。「縮んでいきながら心地よく暮らす」とは。

    老化とは「縮んでいく」ことなのだ。「縮んでいきながら心地よく暮らす」とは。

    3か月に1回、高血圧の定期治療に行っている。今日がその日で、血圧を測り、血液と尿検査を行い、次回までの薬を買う。

    今日の血圧は127(上)、75(下)で正常。血液と尿も「貧血ぎみ」以外は正常であった。貧血はいつものことで、自覚症状もなく、気にしてはいない。
    行くたびに先生から「何か具合の悪いところはありますか?」の質問がある。
    今日は「68歳になって、老化を実感するようになりました。老化というのは収縮ですね。全体が収縮していく」という言葉が口をついて出た。そのあとは「トライアスロンを頑張ってください」といった会話で終わりとなったのだが「老化とは収縮」という自分の言葉が心に残った。
    その言葉をきっかけ書いてみたいと思う。
    そう。心身が「縮んでいく」という感覚があるのだ。
    それに合わせて「暮らし」も縮んでいく。
    体でいえば、筋肉、柔軟性、俊敏性などが衰え、躍動感が失われ、動作の幅が狭まり、緩慢になっていく。若いうちは、考えもせずに、駅の階段を1段おきに駆け上がって電車に飛び込んだのだが、とてもそうはいかない。
    すべからく意識をしないと「動かない」。それが「縮んでいく」感覚だ。
    「縮んでいくこと」自体は仕方がないのだが、その状態、その自覚は決して心地よいものではなく、そこでいろいろと動かしてみることになる。それがトレーニングである。
    若いうちはトレーニングなどなくとも動けたのが、年をとるとトレーニングが必要になる。そうか。年よりは日々トレーニングをしないとならないのだ。
    ただし私の感覚ではそれは「縮んでいくことへの抵抗」ではなく、「縮みながらも心地よく暮らす」ことであり、「心地よく老いていく」方策ととらえている。
    体が縮んでいるのだがら、心も縮んでいるはずである。例えば好奇心、感受性、集中的な思考体力などが衰え、「面倒なのでボーっと過ごす」時間が増えているようだ。
    よく「年を重ねて体は衰えても心は若い」なんてセリフがあるが、私はそうは思わない。それは自己認識力が衰えて気分だけは若いつもりの状態と考える。ボケの一種だな。
    さて「縮んていく心」に有効なトレーニングとはなにか。
    それは成長期にある人間のトレーニングではない。
    「縮みながらも心地よく暮らす」ためのトレーニングだ。
    例えば身体のトレーニングは有効だ。全身五感で味わう自然は心に栄養を与えてくれる実感がある。
    しかし例えば、最近は長い時間集中して本を読むことが億劫になっている。読み出すとすぐに眠くなり、「買ったけどめくっただけ」の本が増えていく。集中的な思考力や想像力が「縮んでいる」のではないか。
    もう一杯 麦茶がおいしく 飲めている

    多分「心のリズム」というものがあるのではないか。「心が縮む」とはその「心のリズムが縮む」と考えてみる。リズムがスローになったり、不規則になったり、あるいは体と同じように躍動感が失われる。溌剌(はつらつ)という言葉が心に浮かぶ。心を溌剌とさせる「心のリズムトレーニング」かあ。
    ではどうするか。このテーマは次回以降も続いてく。
    写真は今日もらった検査結果。
    改めて、問題なし、です。

  • 10年も経って一向に向上しないスイムについての今日この頃。

    10年も経って一向に向上しないスイムについての今日この頃。

    今日はスイムの話。
    今日のスイムのレッスンでは50メートルを1分10秒で回し、3本を1セットで4セット。各セット間に1分のレスト。私の泳力ではとても回せるタイムではないので、3本のうち中1本を抜いてもらった。要は1分10秒の休みをもらっての50メートルというわけなのだが、そこでのタイムがおおむね1分5秒。ちゃんと回している人は1分で50メートルを泳いでいる。あと5秒かあ。しまわも私の場合はだんだんとタイムが落ちる。

    当ブログでも散々に書いてきたが、スイムを何とかしたいと思い続けて10年経った。10年も泳いでいきて、自分なりに「あーでもない、こーでもない」と格闘してきたのだが、なぜか、ここにきて、ようやく「泳げる」ようになってきたのではないかと思っているのだ。
    そのコツをを備忘メモを兼ねて以下にまとめてみる。
    もし間違えたことをしているようならご指摘いただけるとありがたい。
    私の場合は左ブレスなのだが、ブレスの際に伸ばしている右手が早く落ちてしまうのが、大きな欠点であった。それが自分なりにこの欠点を克服してきている。その大きなポイントは、右手に余裕をもたせること。
    これまでは落ちてしまうので、意識して右手を前に伸ばしていた。それが先のレースで、右手を強く前に伸ばすとバランスが崩れやすいことに気が付き、余裕をもって伸ばすようにして手ごたえを得た。具体的には「肩を上げない」「肘を伸ばし切らない」「肩甲骨を動かす」「腕ではなく体側を伸ばす」ということになる。こうすると、腕に余裕ができて落ちないのだ。
    それと合わせて、肘を曲げて着水する。以前は「肘を伸ばして遠くに着水」という「丸太をぶん回す」意識であったが、「肘を上げて顔の横で着水して腕を伸ばす」ようにした。静かな泳ぎである。
    これで随分と落ち着いて泳げるようになった。
    次にバタ足。
    バタ足が苦手で、そのために足への意識を怠けていたが、足の先まで全身をピンと伸ばして足でリズムをとるようにしている。曖昧な足の動きが水の抵抗を生み出していることに気が付いた。
    そしてブレス。
    ブレスの際にできるだけ上下動が生まれないようにする。これは「クローリングに合わせて顔を上げる」から「手の動きに導かれて顎が動く」意識となる。顔をあげるのではなく、自然と顔があがるようにする。

    ここまでは手ごたえを得ている。手ごたえというのは、練習の方法がわかって、練習のうえでこれが身に付き、多少は速くなったようだと感じていることである。
    練習というのは、まず丁寧なキャッチアップクロールを200。次に「けのび」「バタ足」「ノーブレス」でハードの25メートル。片手クロール。最後にゆっくりゆっくりと動作をかみしめつつ100を泳ぐ。
    そして次は何か。
    次のターゲットは「水中での手のかき」。これはもう泳ぐことの基本の基本なのだが、これがよくわかっていない。いろんな本を読み、模範映像も見るのだが、わかっていない。頭でも身体でもわかっていない。
    そんななかで、このところ「手のひらで水を押し出す」感覚がわかるようになってきた。そのためには肘の位置や曲げ具合、フィニッシュのときの手と肘の位置などがかかわるのだが、そうしたことを「手のひらへの水の圧」で感じて確かめるようにしている。
    水に浮く それがこんなに 難しい

    まあ、こんなところかなあ。
    泳ぐというのは実に難しい。
    トライアスロンを始めた当初に「レースに出れるまでいかなくとも泳げるようになればいい」と思っていた。しかし10年にしてようやく「泳ぐ入口」に立ったような気がしている。
    写真は10年前に買った「教科書」。いまだに繰り返し読んでいる。
    タイトルは「ゆっくり長く泳ぎたい!」であるが、いまはこれができる人は「速い」ことを知っている。

  • ジャニー喜多川氏の訃報に、我が身の終活を思う。

    ジャニー喜多川氏の訃報に、我が身の終活を思う。

    これはおそらく65歳になったあたりからかと思うのだが、マスコミの伝える著名人の訃報が気になるようになっている。年齢、死因、死ぬまでの様子などをチェックして、我が身に重ねてみる。
    ジャニー喜多川氏、解離性脳動脈瘤破裂による“くも膜下出血”。87歳。この2年ほどは入退院を繰り返していたという。
    仕事の立場、内容からして、85歳までは現役で仕事をしていたのではないか。その資産からしても最高レベルの治療、ケアが行われたであろう。最後は脳動脈瘤破裂というが、それは老衰による脳血管の劣化ではないか。あるいは高血圧症であったのか。戦中から戦後の食料欠乏期に成長期を送ったことは、彼の寿命に影響しているのか。などなど、とりとめもなく、頭を巡らせる。そして自分自身に重ね合わせてみる。

    私が死ぬ年齢はいつなのか、死因は何か、死ぬまでにどのような経緯をたどるのか。もちろんそんなことはわかりゃあしないのだが、そのイメージを描き、それにそった終活をしていきたいと考えている。私にとって終活とは、生きて元気でいる間に済ませておきたいとをやっておく、ということである。

    85歳までは現役で働き、2年をかけて死亡への道を歩み、87歳で死亡。
    私には、これはとても望ましいシナリオに思えている。
    人生100歳とは言われるが、85歳を過ぎると、心身ともに相当に衰えるであろう。しかし85歳までは元気でいることはできそうである。私が戦後の食料事情の回復期に生まれたことを考えると、5年延ばし、90歳まで現役年齢は伸びそうでもあるが、多分この5年の衰えは大きいだろう。
    次に重要なのは、現役から死亡までの期間。ピンピンコロリが望ましくとも、2年程度はかかるであろうし、それ以上は考えたくないなあ。80歳を過ぎたら、がんが発見されても、治療は拒否したいと真面目に考えている。

    さて、85歳まで現役でいるということを、考えてみる。
    走り、泳ぎ、自転車を高速で走ることができる、というと、まさにトライアスロンができていれば「心身は現役」であるが、果たしてどうなるか。挑戦には値すると思う。
    気を付けなければならないのは「けが」だな。もう大怪我をすると帰ってこれない年齢になった。怖いのはバイク。昨年は落車で骨にヒビが入ったが、そのおかげでだいぶ慎重になった。であっても事故は起こりえる。乗る機会、時間を少なくするのも具体的な方策だ。
    今日もまた 泳ぎ疲れて 昼寝落ち
    運動して疲れるというのは快楽だ。シャワーを浴び、お腹を満たして昼寝に落ちる。この快楽を味わえている限り、心身は現役ということだろう。
    85歳までは、そうした快楽を自在にコントロールできるようでありたいと思う。そして入退院を重ねつつ、身辺を整理して2年で消灯。このあたりが理想だなあ。
    6月23日の館山トライアスロン(スプリント)は無事完走。今年はあとは9月22日の九十九里トライアスロン(オリンピックディスタンス)。シッカリと身体をつくってその日にそなえたい。
    写真は銀座4丁目のライオン。私が知っているなかでビールが一番うまい店。リニューアルしてからはあまり行っていないが、もう少し行くようにしよう。最近あまりビールが飲めなくなってきたのだが、おいしくビールが飲めるのも現役の条件の一つなんだ。

  • いよいよシーズンイン。最近はちょっとスピードというものに目覚めてきた。

    いよいよシーズンイン。最近はちょっとスピードというものに目覚めてきた。

    横浜トライアスロンのスプリントはスイムで足切りになってしまった。25分が制限時間のところろ、29分ほどかかってしまった。原因は息切れ。300メートルほど泳いだところで息が切れて一休み。そのあとは、100メートルほど泳ぐたびに息切れとなり、落ち着いて泳ぐことができなかった。いったん脈拍があがるといけないなあ。とても残念。
    さらに、失意の横浜大会のあと、バイク練習で落車してしまった。ちょっとしたカーブのある場所で、タイヤが横滑りしてバランスを失い、倒れながら金網のフェンスにぶつかった。倒れたときは、息もできないという状態で、文字通り「天を仰ぐ」。チームでの練習ライドだったので、仲間が驚いでかけつけてくれた。ありがたかった。
    幸いに右膝から出血したものの、大きなダメージはなく、2週間たったいま、絆創膏もはずしている。というわけで、今シーズンは実に冴えない感じでシーズンインとなった。

    実は今シーズンはちょっとした心境の変化があり、それなりに「やる気」であっただけに、本当に残念なのだ。
    それは「スピードへの挑戦」である。私のようなロートル・ヘッポコがこんなことを書くと、ほぼ冗談かとなるところだが、他に言いようもない。「スピードへの挑戦」なのだ。
    スイム、バイク、ラン。どの大会、あるいは練習に行っても、いつも最後尾である。それは不本意であるが、だからといって前向きにスピード練習に取組んできたわけではなかった。大切なのは「安定した呼吸」で、調子よくスピードをあげるにしてもその範囲内。タイムは目標ではなく「結果」であった。生涯スポーツとして自分で楽しむことが基本で「競う」という考えはまったくなかった。「どうぞどうぞお先に」という姿勢である。

    それがスピードに目覚めた。きっかけはランだ。どうも走るのが遅くなり、以前はキロ7分の感覚で走ると、実際はキロ8分になってきた。そこで長い距離はできないが、20メートルほどスピードを上げて走っては、歩いて息を整えてまた走るという練習を繰り返した。その時はキロ5分、あるいはキロ4分半ほどのスピードとなる。すると普通の走りも速くなり、6分30ぐらいで巡行走行、タイムトライアルでキロ5分45秒ぐらになってきた。感覚としてはもうちょいあげられるようである。それが面白くなった。
    味をしめて、スピニングバイクにも挑戦。以前は80回転/分ぐらいで回していたのだが、100を基準にして、120で30秒回して1分半は一休みで、また120を30秒といったことをすると、黙っていても100近くで回すようになった。
    なるほど、刺激を入れればスピードはあがるのだ。ただしバイクは15分、もランも15分程度の短時間ですませる。スイムはまず500をユックリ泳いであとは25メートルのダッシュを繰り返し、30分程度で終了。その代わり、週に3回、できれば4回はジムに行くようにする。
    横浜もそんな感じで臨んだのだが、それが原因なのかどうか、スイムで早々に息が切れてしまった。なかなかに難しい。
    次の大会は6月29日のタテトラのスプリント。さて、記録はどんな具合になるのか。楽しみのような怖いような、なかなか新鮮な気分でいる。
    五月の陽 風に誘われ 海岸に
    トライアスロンを始めて10年、この歳になって新たな局面を迎えている。
    さして上達はしていないが、最後尾とはいえ、自分なりにコントロールできるようになったのだろう。少し余裕ができたということか。そこでスピードに目覚めた。続けてやっているといろんなことがあるものだ。面白い。
    新たな楽しみとして、スピードへの挑戦に向かいたいと思っている。

  • 令和元年の連休は暮らしのリセットと横浜トライアスロンへの準備。

    令和元年の連休は暮らしのリセットと横浜トライアスロンへの準備。

    昭和26年生まれで、平成元年のときに38歳。そして平成で30年の時を経て、68歳の高齢者として令和の時代を迎えることになった。

    日常生活では元号を使うことはほとんどない。もっぱら西暦を使っている。元号は日本固有の文化として尊重しているが、特に強い思い入れがあるわけではない。「令和」についても、歴史や文学など、その方面のいろんな人間が考えて、大方の納得のいく仕組みのなかで決められたものであろうし、そのまま素直に受け入れている。これが私の考え方。
    「令和」が気に入らないという長文の書きこみをFBなどで見かける。意味が気に入らない、安倍が決定に介入したなど。その方面でご飯を食べている学者やコメンテータはそれが仕事と思うのだが、誰に頼まれたわけでなく、その「気に入らない」心情を世間に向けて、しかも長い時間をかけて所見を整理し、縷々書き込まずにはいられない情熱や衝動というのが私にはわからない。何をそんなに力んでいるのだ。私にはそんな時間が情けない。
    などど思いながら大型連休に入った。正月から息せき切って走って一息つくのが5月の連休だ。雑然とたまってしまった資料を片付け、打ち合わせもなく自分の時間に浸り、早寝早起き。
    FBではあちこちでのトライアスロン合宿の様子が伝えられる。陽気もよくなり、いよいよシーズンインを前にして気分のギアも一段あがる。今年は5月19日に横浜トライアスロンのスプリントに参加する。
    横浜トライアスロンはスイムのタイムが厳しいことで知られている。スプリントは25分。100メートル2分の人であれば、計算上は15分であるが、私のように100メートル3分となると、22分30秒となってギリギリだ。どうしてこんな厳しい設定にしているのだろう。横浜の市街地がコースでもあり、時間が厳しいことはわかるが、あと5分伸ばせないものか。5分でだいぶ違うぞ。そうすれば何十人かはハッピーでいい思い出としてレースを終え、中華街にでも繰り出して楽しい時を過ごすことができるじゃないか。

    前回の横浜のスプリントは2015年の参加。リザルトは以下。
    トータル 1:56:38
    スイム  0:26:05 750メートル
    バイク  0:55:41 20キロ
    ラン   0:34:52 5キロ
    スイムは1分5秒オーバーしているのだが、見逃してくれた。全体の制限時間は2時間だが今回はだいじょうぶか。あれから4年。実感としては衰えている。
    ということで、積年の課題であるスイムのスピードアップに、相変わらず、ああでもない、こうでもないと取り組んでいる。現在のところ、25メートルを35秒、少し油断をすると40秒、気合を入れて30秒、全力で25秒といったところで、なんとか普通に泳いで30秒切りを実現したい。あと5秒プラスのアップだけど、これが大変。ポイントは体の姿勢にあるとは思うのだが、なんとか横浜大会をクリアすべく、頑張っていきたいと思っている。
    ランはだいぶ衰えているぞ。バイクは昨年12月の奄美大島以来まったく乗っていない。横浜の前に2回は乗っておきたいなあ。連休最後の月曜の天気予報を見ると降水確率40%。オープンウォータースイムは今シーズンのぶっつけ本番となる。これも気になるなあ。
    レースに出るとなると、いろいろと準備が多い。バイクのサイクルメーターを直して、レンタカーを予約して、レース案内を熟読してなど、いま、やるべきことのリストアップを始めている。レース前の緊張感と準備を楽しもう。
    夏レースへ 準備書き出し 肌さすり
    毎日それなりにやることがある。できるだけ前向きな気分でそれらをこなして日々を送っていく。私はこれを生きていく要諦と思っているが、こうした状態にするには「意識的」でなくてはならない。何も考えずにその状態を維持することはできない。私にとって大切なのは日々の暮らしであり、元号が変わろうが、同じように日々の諸事を作り出し、穏やかに暮らしていく人生を大切に思っている。そうやってろうそくの火が細くなるように年齢を重ねる。
    そんな私には社会的な非難の感情にとらわれて費やす時間が情けない。そうなったらきりがないだろうに。写真は横浜トライアスロンのホームページから。ささやかな私の挑戦!!!

  • ベトナムレポート。「日本はすごいなあ」という私の実感。

    ベトナムレポート。「日本はすごいなあ」という私の実感。

     ベトナムはハノイに来ている。昨年は多分9回ベトナムに来た。しかし、仕事で動くばかりで、自分の時間はまったくなかった。それが今回はなんと、この週末がフリーとなった。今日は土曜日。午前中は業務レポートを書いたり、確認メールを送ったりで、仕事がらみであったが、12時ぐらいで切り上げ、フリーの時間になった。

    そこでロッテセンター近くの宿泊先から、ホーチミン博物館、ハノイの中心部まで行き、メトロポールホテルを目標とすることを大まかなプランにして出かけることとした。トレーニングのつもりですべて徒歩である。
    今回は、トライアスロンを離れて、ベトナムでの感想報告になります。
    ホーチミン博物館はちょうど昼休みの時間となり入場できず。午後のオープン時間を待つほどの熱意もなく、メトロポール目指してひたすら歩く。メトロポールホテルのバーでジンライムを飲みたいのだ。
    だんだんと中心部になり、外国からの観光客の姿が目に付くようになる。
    ベトナムはなかなか魅力的である。路面店が多く、店の前では人々が椅子とテーブルを出して、憩いの時を過ごしている。そこに日常があるので、こちらも安心して歩くことができる。
    この安心感がベトナム観光の基本的な価値だな。
    しかし水は安心できない。よって食事の店探しはかなり慎重になる。
    トイレはどうしようかなあ。日本のようなわけにいかないなあ。
    バイクの音がうるさい。いつも注意していないとひかれそうになる。
    安心ではあるが、ハノイを歩くには緊張感が必要なのだ。
    などど考えつつ外国人観光客の姿をながめていると「外国から日本に来た観光客はどんな気持ちで歩いているのだろうか」との思いが湧いてきた。
    そこから外国人への日本ガイドを勝手に妄想することになった。
    以下は、私の日本紹介の妄想である。
    日本にはアジアならではの混沌と活力があります。そして伝統と最新の現代の同居があります。このエキゾチックなアジアの魅力を、日本独自な感覚で味わうことができます。
    食事はどの店でも衛生面の心配はありません。一人の昼食からカップル、仲間とのディナーまで、レストランは豊富です。おなじみのハンバーガーショップやコーヒーショップも多いので安心してください。どこにするか、大いに迷うかと思いますが、どこも安心で清潔です。衛生はもちろんのこと、特殊なバーでなければ、法外な値段をとられることはありません。もちろん味とサービスは世界のトップレベルです。
    水道の蛇口から出る水は、場所を問わず、安心して飲むことができます。
    都会であれば、駅やお店など、清潔なトイレを15分以内で見つけることができるでしょう。
    ブランドショップの豊富さは、言うまでもありません。
    夜遅くなっても安心です。暴力の心配なく道を歩けます。タクシーの呼び出しもあります。タクシーは清潔で値段はメータどおり。チップの必要はありません。大都会と地方とはもちろん違いますが、衛生、安心、安全、便利は日本のほぼどこの町でも手に入れることができます。
    財布を落としても届くという話がありますが、これは事実です。100%とは言いませんが、財布お落としても戻ってくる可能性は5割を超えるでしょう。
    「これはすごいことなのだ」とハノイの下町を歩きながら考える。
    今日はgoogle mapを見て歩いた。googleは外国旅行のありかたを根本的に変える。
    マップを見ながら、ほぼ不自由なく4時間を歩き、目的を達することができた。
    では、日本をgoogleで旅行したらどうなるのであろう。googleのマップ、自動翻訳、各種ガイドを使えばおそらく、東京の地下鉄でも乗りこなせるのではないか。
    そう思うと、日本はますます魅力的なのである。
    もし、アジアに旅行したいと思っているが、どの国に行くべきかを迷っているのであれば、ぜひ日本を勧めたい。ハノイ観光を楽しんでいるあなたも、ぜひ日本に来てください。
    もし日本に来ることでかかる費用が、他の候補地の倍はかかるとしたら。
    「それでも日本です。日本にはそれだけの価値があります」
    そう実感する。
    極東の島国で、約3万年の月日を重ね、独自な文化を築きあげてきたこの国を楽しんでほしい。
    ベトナムで 熱帯の風に 里ごころ
    「日本衰退」の言説が巷にあふれている。
    果たしてそうなのか。私は違和感を覚えている。
    私はこれからの日本の成長を実感している。
    「日本とは違って成長著しく活気あふれる」中国、ベトナムへ出向き、仕事をしている現場実感から、そう思っている。来るたびにその思いは深まっている。
    写真はハノイ旧市街の中心地。
    とても魅力的ですが、ここを歩きながら「日本はいいぞ」を実感しました。