投稿者: iwasakihiroshi

  • 身体づくりの生活習慣は朝食前のスロージョグ。

    身体づくりの生活習慣は朝食前のスロージョグ。

     朝起床して、食事前に走ることを始めている。この10日間でまだ4回。初回は1キロ、次いで2キロと距離をのばして今日は3キロ。ペースは初回はキロ10分20秒でスタートして9分30秒で終了。今日はキロ9分30秒でスタートして7分ペースで終了。それからキロ4分程度の流しを2本。回ごとにペースは自然とあがっていく。

    目覚めて朝食前に走る習慣をもつ。これはトライアスロンを始めた当初から抱いていたたイメージなのだが、そこに踏み出すことはなかった。積極的に踏み出す意欲はなかった。それをいま、身につけていきたいと思っている。

    67歳となり、体力が一段落ちた。そのタイミングで昨年10月末の右足肉離れ、この8月のバイク落車による右肩のヒビと、私としては人生初の大怪我が続き、「67歳からの身体づくり」に向かいたいという思いを更新させてきた。これが基盤。
    そのうえで直接的なきっかけとなったのが「ランニングをする前に読む本」だ。
    ランニングに関する本は多く、これまでも数冊を買っているが、この本を買った理由は、著者が運動生理学の専門家・医学博士であり、「スロージョギング」を提唱し、アスリートから市民ランナーまでの指導にあたり、多くのデータをもち、自らも実践しているところにある。「医学的知見をバックボーンとした科学的実践書」なのだ。

    この本で私が刺激を受けた新発見は・・・
    ・朝食前に毎日走るのが身体にいい。
    ・時間は5分でもいい。
    ・走る時間は一日のなかで小刻みにとっていい。
    ・室内でもかまわない。
    ・スロージョグは筋肉トーニンとしても有効である。
    このうち「室内でもかまわない」について私なりの解説を加えてみる。
    自分なりの身体づくりを試行錯誤していくなかで「その場駆け足、その場ジャンプ」が有効ではないかとの手ごたえを得ていた。ようは縄跳びである。そこで家のなかで「エア縄跳び」をしてみると、血の巡り、足腰の筋肉・関節・体幹への刺激、ランニングフォームへの自覚という点で「これはいい」と思うようになった。イメージはモハメドアリだが、実際のところは年寄り向きで、「加齢による足腰の衰え」に有効と思えた。
    その手ごたえから、スロージョグは「走るエア縄跳び」として消化することができ、「よし行ってみるか」となった。

    思うところ、トレーニング・身体づくりは「生活習慣」づくりにほかならず、それを「生活習慣」として身につけるということは、私にとっては「プランをたてて取り組む」のではなく、日々の暮らしのなかで「その気になる」ように自分をもっていくことである。
    「その気にならない」日は無理せず見送り、「その気になる」日を増やしていく。
    「その気になる」ために仕事、睡眠、家事、お酒、もろもろ、大げさに言えば「毎日のすべて」を総動員して「その気になる」方法を探し出していく。
    その方法がだいぶ溜まってきたところで、「ランニングをする前に読む本」に出会ったということなのだろう。本は意志・意欲をかきたててくれるが、その前に、意志・意欲が本を発見させるのだと思う。

    始めてみて、いい感じをつかんでいる。ポイントはフォーム。腰を立て、体幹を意識して、リズミカルに、顎を少しあげ、すれ違う人には薄気味悪いかもとは思うが、軽い笑顔で遠くの空を眺める。すると風が心地よい。今日は何キロ走るかなど思わず、江戸川沿いの1キロを往復する。これは距離がハッキリしており、いつでもやめられるのがいい。遠くまで走っていったら帰って来なくてはならないではないか。それが毎日では気が重い。長距離ランは週末の楽しみとする。
    ささやかなプラスを重ね、気になるマイナス要因をできだけさけ、それをこうして書き出して暮らしに定着させる。気持ちよい毎日をつくる。
    走る足音 頬に秋風 血のめぐり
    着替えをして、走り、家に戻って軽いストレッチ。ウエアを洗濯機にかけ、シャワーを浴び、朝食に向かうまでには1時間近くかかる。食事はフルグラとゆで卵。血圧・食道炎・鼻炎の薬合計4錠を飲み、歯磨きを20分と排便。起床後、約2時間半で仕事に向かう。
    このためにわざわざ早起きしようとは思わない。成りゆきでやっていける方法を探している。
    写真は最近買ったガーミン。ちょっとピンボケだなあ。
    このガーミンも走る意欲をかきたててくれるのだ。

  • バイク事故から1か月。だいぶ回復しました。

    バイク事故から1か月。だいぶ回復しました。

     肩のMRI診断では全治1か月とのことだった。確かに動かし方によって痛みはあるが、肩は回るようになった。そこで、今日は事故以来初めてプールにでかけた。

    果たして泳げるのか。腕を回せるのか。
    泳いでみると、ゴリゴリ感はあるものの、腕は回る。軽く8往復400メートルほど泳いでみた。久しぶりでとても新鮮な感覚があった。肩に負担をかけないように、力を抜いてピッチを上げて泳いでみると、これがいい感じだった。いままではフォームを大きく大きくと考えて、ややもするとピッチは後回しであったのだが、軽い感じでピッチを上げると、リズムが出てきて楽しんだ。
    昨日、一昨日と食事前の朝ランにでかけた。スロージョグで2キロ。出だしはキロ10分をこえるペースで、最後は8分ぐらいになる。そしてキロ5分程度の「流し」を加えて終わる。「流し」も含めて、意識しているのが楽にピッチをあげること。歩幅を考えずに、その場駆け足の感覚でピッチをあげる。つまり楽な感覚でスピードをあげる。
    楽にピッチをあげる。楽な感覚でスピードをあげる。加齢への対処としてはいいかもしれない。これでいってみるか。
    先週、今週と2周続けて土・日・月の3連休であった。ようやく夏休みをとった気分となり、落車でのショックもだいぶ癒された。
    先週の週末は16日(日)が九十九里トライアスロンで、今回は応援となった。トライアスロンをはじめて、まったくの応援となったのは、初の体験であったが、これはこれで得ることも少なくなかった。
    そこで思ったのは「なかなか大変なスポーツだなあ」ということ。私の同じ年の友人、佐藤さんはバイクで落車して、私とは反対の左側に倒れてDNFとなった。幸いに骨折はなかったようだが、擦過傷がひどい。やはり危険がつきまとう。
    最後のランは海岸沿いを走ってのFINISHとなるのだが、多くは見るからに疲労困憊。自分が走っているときは、周囲のことなど考えることもなかったが、今更ながらに「みんな大変なんだ」という至極当たり前の姿を目のあたりにして「俺もよくやっている」と自賛した。
    レースではいつも最後尾で、完走の達成感はあっても、ややコンプレックスを感じるところもあったのだが、「俺もよくやっている」と素朴に思えるようになった。
    軽いピッチで息長くやっていこう。

    日を終えて 心なだめて 月眺む
    この週末は3連休で、思い立って部屋の片づけをしたのだが、腰に痛みが出てしまった。こちらが治れば新たな課題。なんだかなあ。気が滅入るので、散髪に行って気分をスッキリさせた。
    今日は満月。写真は我が家のベランダからの眺め。FBとかぶりました。
    明日はペインクリニックに行って麻酔を打ってもらおう。

  • 肩の骨にヒビが入って思うこと。

    肩の骨にヒビが入って思うこと。

     肩は痛むが、足は大丈夫なんだから、走るとこまではいかなくとも、歩きに出て、様子をみてスロージョグとも思うのだが、なかなか身体が動かない。やはり全身の健康がなくては動く意欲は生まれないのか。

    気が付くと、腰も少し傷んでおり、足がつり気味の状態にある。
    昨夜、一昨夜と長時間睡眠をとった。11時前には床につき、翌朝5時には目覚めるのだが、二度寝に入り、起きるのは8時ぐらいになる。
    身体が睡眠を欲しているのだろうか。そこま大きなダメージを受けていたのだろうか。
    あと1週間以内に開催される九十九里トライアスロンは、もうほとんどあきらめている。
    「ほとんど」というのは、その日になって肩が回るのであれば出てみようか、の思いが残っている。
    しかし木更津大会以降はまったく身体を動かしていない。
    どこかお休み気分で、夜は酒に走っている。
    これはこれで気分のいいものだが、それもそろそろ飽きてきたか。
    身体の「動き出せ」というシグナルを、じっと待っている。
    今日は珍しく終日自宅作業で、夕方に軽いスロージョグにトライ。
    1.62キロを16.09分。スピードはキロ10分の超スローペース。
    右肩が痛むので、腕は振れない。
    リズム、リズムと言い聞かせて、気持ちよく走った。
    これをスタートにできるか。
    絆創膏を貼り変えた。
    擦り傷はだいぶ回復している。こんな大きな傷を負ったのも初めてだが、肉体の再生能力に驚かされる。
    ただし、肩の痛みはまだまだかかりそうだ。
    もう少し痛みが和らいだらリハビリを開始しよう。
    自己管理はスポーツの大きな楽しみであるが、けがの回復も「肉体の自己管理」であることを実感している。
    今日から気温も風も秋の到来を感じさせる。
    あんなに暑かった夏も、ある日に秋のスイッチが入る。
    当たり前のことなのだが、この変化を実感するのも生きていることの楽しみだ。
    秋風に 背中おされて スロージョグ
    今回の事故を、自分を見直す契機にしたいと思う。
    改めて、気持ちのよい身体づくりを考えたい。
    私が考えるところ、身体づくりとは毎日の生活習慣であろう。
    つまりこれは、事故を契機に、生活習慣を見直そうということなのだ。
    具体的には、身体づくりのために毎日1時間の時間をとる。
    まとめで1時間ではなく、20分×3ぐらいで考える。
    できるかなあ???
    写真は北京空港。4日・5日の1泊で北京に行って打合せを2本。
    タクシーの乗り降りに腕が痛んで難儀した。初めて地下鉄に乗った。
    それが多少の苦痛ではあれ、初体験には、心動かす何かがある。
    おもしろいなあ。

  • レースでバイク落車、DNF、肩の骨にヒビの顛末をご報告。

    レースでバイク落車、DNF、肩の骨にヒビの顛末をご報告。

     8月26日木更津トライアスロンのスプリントで、バイク落車をしてDNF。右肩にヒビが入り、9月16日の九十九里トライアスロンへの出場が危うくなってしまった。

    木更津トライアスロンはうだるような暑さだった。あまりの暑さに、バイクは3周が2周となり、ランは2周が1周になったほど。
    そのバイクの2周目。1周を終えてようやく調子がでてきた。無理なくペダルを回す感覚をつかみ、珍しく2人を追い越し、さあ、いいぞと思っていた。下を見て一心不乱にこいでいたら、いきなり視界がコンクリートから芝生になった。ようは前をちゃんとみないでコースアウトしたわけだ。おお、これはいけない。ちゃんとコースに戻ろうとそのまま走ったら、コンクリートと芝生の境の段差にタイヤをとられて、右に落車した。
    倒れる直前は、ああ、いけないんじゃないか、ああ、やっぱりだめだ、ほら、転んだ、という感覚でいまだに回転していく光景が目に焼き付いている。
    そのまましばらく仰向けで深呼吸。すぐに思ったのは鎖骨は折れていないか。ああ、大丈夫そうだ。次々とくるバイクが「大丈夫ですかあ」と声をかけてくれる。「大丈夫ですよお」と応えながら、起き上がろうとコンクリートに手をつくと、これが熱い熱い。まともに手がつけない。どうしたら立てるんだ???
    それでも何とか立ち上がり、傷を確かめると肩、ひじ、ひざに酷い擦り傷。でも骨折はなさそうだ。バイクを起こし、またがって走り出す。いけるかなあ、と思わないでもなかったが、あまりの痛みに棄権を申告。救急の場所を聞いて、バイクを押して歩きだす。
    救急では、若い女性が3人も熱中症で横になっていた。応急治療は消毒液を傷口にかけるだけ。あまりの痛さに叫び声があがる。このままにしておいてください、とはいうものの、傷はむき出しで風が吹いても痛いじゃないか。
    帰宅し、大型バンドエイドを6枚も貼って手当て。翌朝に目覚めると回復の感覚があり、ひと安心したが、気になって整形外科に行くと、レントゲンではわからないとのこと。数日後に検査クリニックでMRT検査、不完全骨折・ヒビが判明した。全治1カ月という。
    擦り傷は日々目に見えてよくなっていく。しかし肩の痛みはなかなか薄れない。基本回復基調であるが、2週間目の今日はまだまだ痛い。
    落ち着いて数えてみれば、九十九里は3週間後か。確かに、あと2週間はかかる感覚がある。参加を見送り、応援に回るか。
    レース中の事故、レース中の落車、骨のヒビ、いずれも初体験である。事故後数日は、いったん止まっておけばよかったのにと、後悔ばかりが頭をめぐり、なかなか受け入れられなかった。2週間たって、ようやくちゃんと直さなくてはと気分の切り替えができた。
    擦り傷を 陽に焼かれて かみしめる
    事故というのは、あぶない、あぶないと思いながら落ちていく感覚がある。あぶない、と思えばやめればいいのに。なぜ止まらない。なぜ咄嗟に全停止しないのだ。
    バイク事故の多くは前方不注意なんだ。スマホを見ながらで事故を起こして大事に至ったニュースもある。
    あまりに暑かったから、ボーっとしていたのかな。あぶないと思った際の反応が鈍かったかな。
    昨年の10月30日に大阪道頓堀で右足肉離れで回復を実感するのに半年近くかかった。そして今回の事故。今シーズンは事故に見舞われた。そうした年もあるのだろう。
    気分サッパリ、今年はあきらめて、改めてリセットしよう。
    今年は老化の階段を確かに一段降りた感覚があった。
    そのうえで、新しいからだづくりに励んでみよう。今年はトライアスロンを始めて9年目で67歳。この事故をこれからの9年に向かうキッカケにしたいと考えている。
    写真は木更津レースの会場。見晴らしがいいんだよ。

  • 苦手なことを覚える楽しみ。こちらはスイムのパーソナルコーチの麻生さん。

    苦手なことを覚える楽しみ。こちらはスイムのパーソナルコーチの麻生さん。

     58歳でトライアスロンを始めたとき、スイムもバイクもランも、なんの経験もなかった。競技に出たことも、誰かからコーチを受けたこともなかった。競技用のバイクは乗ったことすらなかった。時折ジョギングで汗を流すことはあったが、それも自宅の周囲だけで、誰かと一緒に走ることもなかった。

    3種目とも、一から学んできたわけだが、それから9年にして、思うことは、9年にしてようやくコツを身につけることが多々あるということ。この年齢にして、まだまだ上達というものを感じるところがあるのだ。
    このブログでも再三書いているが、スイムには苦労している。好きなのだが、うまくなれない。そこで、パーソナルレッスンを受けている。コーチはINFINITY SWIM SCHOOLの麻生 剛弘(アソウ ヨシヒロ)さん。
    私が通っているTIPNESSで個人レッスンを開いている。習い始めてもう数年になるのだが、ブランクの期間もあり、このところ、改めて、月に2回程度、マメにレッスンを受けるようになっている。毎回30分で3000円+消費税。

    ともかく泳ぐのが遅い。しかし我ながらおもしろいのは、バイクもランも遅いのだが、遅いことが気になることはない。でもスイムは遅いことに腹がたつのだ。もっと速くなりたいと心から思うのだ。我が身を顧みず、なんとか100メートルを2分ペースでスムーズに泳げるようになりたいのだ。
    そこで一念発起して、麻生コーチにお願いをしている。言い換えれば、それは何とか達成できるのではないかと、思っているわけなのだ。
    現在のところは、2分40秒もかかってしまう。昨日のスイム練習では50メートルで60秒だったが、これはハイペースでのタイム。それでも2分を目標に掲げて行けるところまで行ってみたいと思っている。
    それは、だんだんと上達していく手ごたえを感じているからだと思う。個人レッスンはわずか30分であるが、毎回テーマを設定して、ポイントの修正をおこなう。
    今日のテーマはストローク。特に入水の深さ、水中での手の動きを確認した。そうした積み重ねにより、徐々にではあるが、水中での身体の使い方を覚えていく。「手のひらに水の粘りを感じる」ための力の入れ方、肘の使い方、ローリングの感覚が一連の動きとなり、泳ぎのてごたえを感じる。スカーリングを練習する意味がようやくにわかった。

    ああこうなのか 泳ぎながらに 一人合点
    両手の指先から両足の指先まで、頭から腰の位置、バランスとリズム。スイムはまさに全身のスポーツで、学ぶことに尽きることはない。学び、身につけることに楽しみを見出している。
    写真はINFINITY SWIM SCHOOLのホームページに掲載されている麻生コーチの姿。侍スイマーとは知らなったなあ。驚き!!!
    みなさん、お勧めです。INFINITY SWIM SCHOOL。麻生 剛弘(アソウ ヨシヒロ)さんはとても素晴らしいコーチです。
    http://infinityswimschool.tokyo/revolution/

  • 58歳でも始められるから、67歳でも続けていけるに。

    58歳でも始められるから、67歳でも続けていけるに。

     7月25日にこんなメールがブログのサイト管理者から届いた。

    ブログを開設してから、もうすぐ9周年!!
    あと2日で9周年になります。
    この9年間にあなたのブログで生み出された訪問回数は・・・
    129,425件 になります。
    最初に書いた記事は “58歳トライアスロン始めるの記” でしたね
    http://tryathlon.at.webry.info/200907/article_1.html
    訪問回数の129,415を9で割ると14,380。毎年1万4千を越えるアクセスがあったとは。
    まず驚きであり、実に嬉しく、ただただ感謝です。
    このブログをきっかけの一つとしてトライアスロンを始めたという方もいらっしゃる。
    マラソンを始めた方もいらっしゃると聞いた。
    こうした話は特に嬉しい。始めるきっかけになったというのは書く者の最大の喜びだ。
    また、私のブログを読むことで、自分の3年後や5年後の参考にするという声もいただいた。
    このブログでは実用的で役に立つことを心掛けており、これもありがたい。
    58歳でも何かを始めることはできる。これはこのブログの基本的なメッセージである。私には定年はないが、定年を前に何かを始めてみようと思う方は多いであろう。このブログで、私の実体験を伝えることで、そうした方の背中をいささかなりとも押すことができれば嬉しいと思った。
    そして9年がたった。改めて、67歳でもまだまだ続けていけることができる、ということをメッセージとして伝えたいと思う。
    9年の間に多くのトラ仲間を得たが、いまはお休み状態の方も少なくない。仕事や結婚、出産などの大きな人生の転機がきっかけとなるケースが多いように思うが、例えばアイアンマンなど、大きな目標の達成を機に休止に入る方もいるようである。
    私の場合は、ともかく続けていくことを第一に考えており、振り返ればこの9年は仕事上の大きな転機であったのだが、それでも続けてこれたのは、やはり「生涯スポーツとして始めた」ことが大きいだろう。生涯スポーツということは、身体が動くうちは続けるということである。続けるということは、私の感覚では、少なくとも年に1回はレースに出る。週に1回程度はトレーニングをする生活を営むことである。そして大きな目標など設定しない。目標を持つから続けていけるという考えもあろうが、私は続けていけば、それなりに、自然と目標はできていくという考えだ。
    こうした、いわばお気楽な取組み姿勢が続けてこれた大きな理由になっているように思う。
    いまひとつはマイペース。レースに出れば、スイムもバイクもランも、どの種目もほぼ最下位である。トレーニングでも、いつも最後尾で、一人別メニュー。初心者も数か月たてば、みるみる私を追い越していく。なにをやっても、なかなかうまくはいかない。もっと若い年齢から始めていれば、もう少し上達できたかと、思わないでもないが、そんなこと言っても始まらない。これはけっこう精神的につらいんだ。
    だから、あきらめる。そういうと「あきらめちゃいけない」という声が四方八方から降りかかるのであるが、あきらめているから楽しむことができて続けていけることはあるのだ。そう思っている。

    嵐きて 雲の流れに 胸騒ぎ

    このところ、それこそ歳のせいか、すぐに息切れとなる。特にスイムでの息切れがひどくて意気消沈している。どうも70歳を前に、一段階段を降りた感覚を覚えており、今後トライアスロンを楽しむには、もう一段トレーニングに打ち込む必要があると感じている。具体的にはトレーニングの時間を増やすということになる。
    それはどのようにすれば可能であるか。もちろん仕事優先である。そのうえで、これは単に時間管理の問題ではなく、意識のコントロール、暮らしの習慣、さらには生きていく価値観そのものにかかわるものなのだ。
    まあ、やってみようと思っている。
    そんな「私のトライアスロン」をこれからも書いていきます。
    写真は嵐到来をニュースが告げる夕方の我が家からの光景。

  • 私の「人生100歳時代」を支えるトライアスロン。

    私の「人生100歳時代」を支えるトライアスロン。

     今朝のトレーニングのあと、ハーフパンツとTシャツ姿、ママチャリで家に帰るときに、子供時代の夏休みの感覚が鮮やかによみがえり、その瞬間にちょっと胸がドキドキした。あの日あの時あの風景といった思い出ではなく、このムッとした空気感と陽射し、そのなかで、こんな格好でで、自転車をこいでいる感覚が少年時代を蘇らせたのだろう。それが10歳程度とすると、57年前となる。これだけ前のこととなると、懐かしさではなく、実感として、細胞レベル、皮膚感覚での少年時代の肌触りであった。

    それはとうに失われてしまったものであり、今日の体験は錯覚がもたらしたものであることはよくわかっている。しかし、こんな錯覚の楽しみも年齢のもたらすものなのであろうか。であれば、それも楽しんんで味わうことにしよう。

    人生100歳時代という。
    人は70歳程度までは、特に健康に留意しなくとも生きていくことはできる。しかし70歳を越えて元気で生きていくためには、それなりの身体ケアが必要になる。ある医師に言わせと100歳時代とはそうしたことだそうだ。私は100歳を目指しているわけではまったくないが、生きているうちは元気でいたい。よって人生100歳時代にトライアストンは大いにお勧めと思う。
    そしてもう一つ。いま世界というより、人類は大きな転換期にあり、先のことはわからなという。だから、この時代に求められるのは狩猟民族の生き方であるという。明日の獲物の保証はない。できるだけ身軽な状態にして、常に周囲の環境に柔軟に対応し、日々工夫を凝らして生きていくいくことになる。
    妻を亡くし、3人の子供たちはそれぞれに独立し、この南行徳に居を構えた折に、引っ越しの通知葉書に「最低限の荷物で獲物を求める狩人の心境です」との一文を書いた。この心境に変わりはない。もともと明日のことなどわからない。さらに67歳ともなれば、明日のことなどまったくの白地図であり、経験を頼りに、状況を分析し、目の前の狩りに全力を注ぐ毎日である。

    そんなつもりはなかったが、どうやら、知らず知らずに、人生100歳時代に適した暮らしを営んでいるようであるが、では我が身として、人生100歳時代をどのように考えておくべきか。
    トライアスロンのレースで、私は目標のタイムを考えることはない。最も重視しているのは、安定した呼吸と脈拍と意識であり、記録はその結果である。大切なことは緊張感をもって「前に」進む心のコントロールであり、常に「現在」こそが、貴重な価値となる。実際にスイムでは「現在、現在」と頭のなかで言葉を繰り返している。そしてこの「現在」を支えるものは「過去の積み重ね」としてのとトレーニングあり、ゴールは確かにそこまで行かなくてはレースとして成立しない目標ではあるが、それは絶対に到達しなくてはならないものでもなく、むしろ現在に輝きをもたらすものであり、現在の延長にある「結果」のように思われる。
    では「死」はどうだろう。死への恐れなどはまったくない。呼ばれれば「はーい」と気軽に答えて迎えの車に乗る心境である。

    となると「死」はゴールですらない。人生100歳、ともかく「いまを元気で生きていく」ことに尽きる。その要諦といえば、私は「日々の時を過ごす快適なリズム」であり、いきなりだが、トライアスロンの魅力もそこにあると思っている。「現在だけに集中して身体の鼓動に耳を傾ける」。そして身体の鼓動とは、感情や思想の揺らぎとも言い換えられる。
    したたるや 吹き出す汗が 地に文様
    心も身体も気持ちよく汗をかく毎日を送ろう。
    ここらあたりが人生100歳の心構えのようだ。
    写真は新横浜公園でのラグビーイベントを終えての記念写真。
    元日本代表の斎藤裕也さんは明治大学のころから見ていた。
    こんな写真が撮れるなんて、去年は考えてもいなかった。
    人生は驚きに満ちている。

  • 今年の初レース、最下位にして1位のメダルをゲットとは。

    今年の初レース、最下位にして1位のメダルをゲットとは。

     この前の日曜日は房総アクアスロンに出場。500メートルのスイムと5キロのラン。タイムはスイムが18分23秒。ランが40分33秒で、合計が58分56秒。総合38位。といっても完走は38名なので、最下位。でも60代の参加者は私一人なので、ショートの部男子60歳から69歳で1位となって、表彰の金メダルをいただいた。

    なんだか漫画のような結果で、一人笑うしかない。
    振り返ってみると、スイムのは新しいウエットスーツ初体験で、このところはフォーム矯正にも取り組んできたのだが、それが実ったとはとても言える状態ではなかったなあ。ゴーグルが曇ったこともあって、途中4回ほど立ち泳ぎが入ってしまった。なんだろうなあ。感じたのは疲れ。フォームが安定せず、リズムがつくれず、腕でかいて疲れでしまった。息があがったような感覚があった。フォーム矯正が不十分であったということか。なんかおかしいなあ、おかしいなあ、と思いながらの500メートルとなってしまった。
    ランのは小雨まじりの天候が気持ちよく、いい感じで走れたのだけど、タイムが悪いなあ。体感ではキロ6分半から7分ぐらいのペースを感じていたのに、この結果には失望だなあ。
    このように書き出してみると、要は練習不足!!ということなのだ。加齢による体力の衰えを感じつつ、どうも衰えという布団の中でまどろみたくなる自分がいる。まあ、こんなもんだよと自分を納得させたい気持ちがある。
    さてどうしよう。
    トライアスロンに向けて、もう一段戦闘的なチャレンジスピリッツが必要なように思われる。「やってやろうじゃないか」のファイト気分を掻き立てないとならない。どこか後遺症が残っている感覚はある肉離れも「完治した」と思いきってしまう。これがまずは心の置きどころ。
    そして、日々の習慣のつくりかた。どのようなトレーニングを行うかというのは、どのような日常生活を過ごすかということに他ならない。ファイト気分をかみしめる日々の作り方を探し出していかなくてはならない。
    梅雨の入り 房総海辺 初レース
    ということで、「やってやろう」の気分であるが、今週は風邪をもらってしまったようで、喉が痛み、今日はトレーニングを休んで眠ることにした。とても残念だけど、相撲取りではないが、「寝るのも稽古のうち」と思って割り切ろう。
    67歳になって、トライアスロンとはもう一段深い付き合いを作っていかねばと思っている。やらねばならぬの気持ちである。
    ここで止まっては、ここで辞めては、もう戻ることはできないだろうから。
    挑戦を楽しんでみたい。
    トライアスロンは挑戦の気分をつくってくれる。それがいい。
    写真は、恥ずかしながらの頂いたメダル。
    笑ってしまうが、大事にしよう。
    今日のラグビーでのイタリアへの敗戦は悔しいなあ。ホント悔しい。
    最後のノックオンは誰だ???

  • 睡眠不足で体調不十分であったが、素晴らしい好天を満喫。

    睡眠不足で体調不十分であったが、素晴らしい好天を満喫。

     今日は陽射しと風が心地よい素晴らしい好天だった。ランのトレーニングでは、「流し3本」のあと、公園内の1周1200メートルのコースを4周。気持ちのいい汗をかいた。こんな素晴らしい日を、全身で味わえることの幸せをかみしめた。何度も何度も「ありがたい」とつぶやいた。

    身体が元気でいい天気の日を楽しむことができる。ささやかなことだが、ありがさを痛切に実感するもの、歳をとったということなのだろう。
    実は今日は体調はよくなく、スイムもランもひとり本数を減らしてのトレーニングだった。原因を振り返ってみると、今週は睡眠不足の日があった。どうも睡眠不足が堪えるようになった。もう徹夜など考えられない。身体に力が入らず、息がすぐにあがってしまう。リカバリーも1日寝れば回復とはならない。数日をかけて徐々に回復していく。今日の午後は昼寝をすることができた。これで今晩、明日としっかり寝れば、回復となる。

    このブログを書き続けていく目的の一つに「老化を詳細に記録する」ということがある。というより、トライアスロンを続けていくことのなかに、「老化のプロセスをリアルな手触りをもって感じたい」という気持ちがある。それは老化への好奇心だ。老化とはどのようなものなのか、正面から向かい合いながら死へのプロセスを歩いていきたいと思っている。
    そしていま、67歳4か月。「睡眠不足が堪えるようになった」という一項が加わることとなった。眠ることが惜しくて夜中に深酒をしていた若い頃があった。毎月数日は仕事で徹夜の日々があった。懐かしいわけではない。いまに至るまで歳相応に生きてきたかなあと思うばかりだ。

    陽射しと風 走る力が 身を浸す
    この月曜からまたベトナムだ。帰りのフライトが金曜ハノイ0:55-成田7:35。時差は2時間なので、日本時間では2:55発で7:30着となる。いつもは11時就寝6時起床である。間違いなく睡眠不足となる。その日は12:00、14:30と打合せが入っている。翌日土曜日は睡眠不足を抱えてのATAとトレーニング、日曜は房総で500メートルスイム+5キロランのアクアスロンに参加する。
    トレーニングもレースも体調がいいからこそ楽しめる。残念だがいたしかたない。強行軍で海外のレースに参加するシミュレーションと思ってやっていこうか。
    写真は今日の黄昏の空。刻々と色が変わっていく空に心奪われる。

  • 5月の3連休で心身を回復、今年の大会を決定!!

    5月の3連休で心身を回復、今年の大会を決定!!

    この連休後半は心身ともに休むことができた。昨年の12月末から連休前半までの多忙で疲れがたまっていたが、ようやく身体の回復を実感している。

    連休金曜はジムとスイム、土曜はATAのトレーニングでスイムとラン、そして日曜は午前中のバイクと夕方にスイム。ひととおり身体を動かして、シーズンインへの最低限の準備に手をつけた感覚がある。
    バイクは年に一度のメンテナンスに出して、サドルを交換、タイヤを25ミリにした。ヘルメットを買った。ウエットスーツを採寸して6月頭には届く予定だ。9年前にトライアストンをスタートしてから、ヘルメットもウエットスーツもそのままで使ってきた。交換への限界かと思う。
    今年の出場大会も決めて申し込んだ。6月10日の南房総アクアスロン、7月1日の昭和記念公園スプリント、8月26日の木更津スプリント、9月16日の九十九里オリンピックディスタンス。そのうえで、シーズンオフには昨年もお世話になった奄美大島合宿、1月にはグアムのスプリントに参加したいと思っている。
    そしてできれば、来年のセントレアミドルを目標にしたい。セントレアは一度参加してバイクで足切りにあっている。あの時のバイクは山岳難コースであったが、いまではだいぶ平坦なコースになっているとのこと。年齢的にも、いまのうちにセントレアをリベンジしておきたい。

    ひさしぶりにこの3日間、身体を動かして感じたこと。第一にあげられるのは衰えの実感だ。衰えというのは躍動感の喪失だ。そして昨年10月末の肉離れの影響。どうも回復が思わしくない。久しぶりに1時間のバイクにトライしたが、帰宅後昼寝をして起き上がろうとしたら、肉離れをした右足太腿がつりそうになった。股関節にも痛みがある。身体は動くのだが、肉離れを契機に一段階段を降りた感覚は否めない。
    2020までは仕事に励むつもりである。そのうえで、今年の大会の予定を決め、来年の目標を定め、身体の老化を実感するなかで、さて、どのようなライフスタイルをつくっていくか。この状況にあったライフスタイルをつくっていかなくてはいけない。久々の連休最後の日にそんなことを考えている。
    イメージとしては「ゆっくりと絶え間なく歩く」。忙しくとも睡眠はシッカリとって、バタバタとぜず、丁寧に目の前のことに向かっていく。そして、緊張感をもって絶え間なく動く。ちょっとストイックな感覚かな。
    これは12月末からの多忙ななかで学習したことであり、この要諦は「疲れない」ように毎日を過ごすことなのだ。

    五月晴れ まばゆい光が 誘い来る

    このブログもこのぐらいの長さにしたいと思っている。
    1回1回の書く時間を短くして、できるだけ回数を多くしたい。
    トライアスロンから少し話題も広げていきたい。
    そんなことを考えている。
    写真は今日のバイクトレーニングのコース風景。