投稿者: iwasakihiroshi

  • お久しぶりです。シーズンが近づいての予定発表

    お久しぶりです。シーズンが近づいての予定発表

     2月12日のブログで「1か月と9日ぶり」と書いたのだが、今回は2月22日以来で「1か月と23日ぶり」となる。このブランクの原因はハノイへの出張。今年に入ってから、4回、合計16泊も行っている。

    1月25日~2月1日  医療フォーラムの開催 7泊
    3月11日~3月13日  病院開設プロジェクトの予備打ち合わせ 2泊
    3月22日~3月26日  さくら祭りでの投資フォーラムの開催 4泊
    4月2日~4月5日   病院開設プロジェクトのスタート 3泊
    一般社団法人国際医療健康交流機構の事務局長としての仕事である。
    行っている間は自分の時間はない。行くとなればいろいろと準備はある。帰れば報告のまとめがある。徹夜まではしていないが、睡眠時間が削られる。仕事は人間利害関係の坩堝をかき回すようなもので、さすがにストレスが増えて酒量も増える。
    こうした日常は30歳代の非力一所懸命の日々を思い起こさせ、この年齢になって、こんな事態に直面するとは、まったく考えてもいなかった。人生はわからない。今年は何回ハノイに行くことになるのやら。
    トレーニングは遠のくばかり。なんとか土曜日のATAのトレーニングだけは参加したいのだが、これも振り返ると、4月7日休み、3月31日参加、3月24日休み、3月17日参加、3月10日休みといった具合で、ようやくの隔週参加。これ以外のトレーニングはまったくやっていない。
    今後を予測すると、この仕事のほかにも、2019年のラグビーワールドカップを応援する「スポーツバディ」プロジェクト、2020年に福島の復興を世界に示す「2020MICE」プロジェクトがあって、今週の打ち合わせで両プロジェクトの確かな手ごたえを得ることになった。
    そんな今後への予想展望が見えてきて、今週末はようやく仕事が一段落して、今朝はATAのトレーニングに行き、こうしてブログに向かっている。その喜びに浸っている。
    今日のメニューはスイムとバイクだが、スイムだけ参加し、そのあとは一人ジムに行ってスピニングバイク15分、マシンで筋肉に刺激を入れ、ゆっくりとストレッチで1時間。
    泳ぐ前は不安であったが、身体は動いてくれた。練習メニューのあと、ユックリと300メートルを泳いだ。身体の細胞が息づいている実感に身を浸して大きく息を吐きだした。体重増加も1.5キロほどで安堵。

    そしていま言葉を探しながら、一人頭を巡らす時を楽しんでいる。
    書く楽しみのなかには思考の思いもよらない転換がある。
    『現代を特徴づけていること凡ての中で、一つ私が好感を持っていることがある。それはスポーツである。・・・・一言にして言えば、スポーツとは、人間の諸性能の分析とその組織的な刺激とを基礎として、人間をある典型に向かって発達せしめて行く、正真正銘の行為の倫理学である』(中公文庫「精神の政治学」ポール・ヴァレリー 吉田健一訳)。
    この本は今の私の枕頭の書であり、手元において、パラパラと、何回も読み返しているのだが、いま突然に、この一文に頭がジャンプした。私がトライアスロンとブログとを不可分のものとして楽しんでいることそのものが、的確に示されていると感じている。

    この年齢で目が回るほどに忙しく仕事に向きあっているのは、ありがたいことだ。まずその思いがあって、今日は久々の「一人楽しむとき」があって、67歳という年齢を自覚しつつ、今後を考えてみる。「今後」とは人生の行く末、仕事の展望、トライアスロンを混ぜたもので、「さて、どうするか」と心のあり方を決める。
    2020年までは躊躇うことなく、怯むことなく、大股で道の真ん中を歩いていく。
    まずこれを基本的な態度としよう、と言い聞かせる。
    波乱、混乱、非難中傷、向こう傷は避けられないだろうが、覚悟して、バタバタしない。遠くに流れる雲を見つつ、微笑みを忘れず、休まず歩いていけば、いささかの価値は残せるかと期待する。
    トライアスロンは、物理的にどこまで時間がとれるかが、わからない。だから予定を作らないというわけにはいかない。スポーツとは必然的に「計画」を含む倫理学なのだよ。そうだなあ。5月の幕張スプリント、9月の99里、昨年に行った11月の奄美大島合宿、1月のグアム、来年のセントレア出場をポイントにおいてみよう。年齢からして、来年あたりはセントレアリベンジの最後のチャンスかもしれない。
    グアムより 友よ来たりて 花語る
    とむさんは、グアムのトライアスリートで、このブログをとおしてトラ友としての縁をいただいた。帰国の折にお会いしてグアムのトラライフをお聞きした。写真はその折のもの。俺の顔はひどいなあ。1月にはスプリント大会があるそうだ。行ってみたい。どなたか、ご一緒しませんか。

  • お久しぶりです。シーズンが近づいての予定発表

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    2月12日のブログで「1か月と9日ぶり」と書いたのだが、今回は2月22日以来で「1か月と23日ぶり」となる。このブランクの原因はハノイへの出張。今年に入ってから、4回、合計16泊も行っている。
    1月25日~2月1日  医療フォーラムの開催 7泊
    3月11日~3月13日  病院開設プロジェクトの予備打ち合わせ 2泊
    3月22日~3月26日  さくら祭りでの投資フォーラムの開催 4泊
    4月2日~4月5日   病院開設プロジェクトのスタート 3泊
    一般社団法人国際医療健康交流機構の事務局長としての仕事である。
    行っている間は自分の時間はない。行くとなればいろいろと準備はある。帰れば報告のまとめがある。徹夜まではしていないが、睡眠時間が削られる。仕事は人間利害関係の坩堝をかき回すようなもので、さすがにストレスが増えて酒量も増える。
    こうした日常は30歳代の非力一所懸命の日々を思い起こさせ、この年齢になって、こんな事態に直面するとは、まったく考えてもいなかった。人生はわからない。今年は何回ハノイに行くことになるのやら。
    トレーニングは遠のくばかり。なんとか土曜日のATAのトレーニングだけは参加したいのだが、これも振り返ると、4月7日休み、3月31日参加、3月24日休み、3月17日参加、3月10日休みといった具合で、ようやくの隔週参加。これ以外のトレーニングはまったくやっていない。
    今後を予測すると、この仕事のほかにも、2019年のラグビーワールドカップを応援する「スポーツバディ」プロジェクト、2020年に福島の復興を世界に示す「2020MICE」プロジェクトがあって、今週の打ち合わせで両プロジェクトの確かな手ごたえを得ることになった。
    そんな今後への予想展望が見えてきて、今週末はようやく仕事が一段落して、今朝はATAのトレーニングに行き、こうしてブログに向かっている。その喜びに浸っている。
    今日のメニューはスイムとバイクだが、スイムだけ参加し、そのあとは一人ジムに行ってスピニングバイク15分、マシンで筋肉に刺激を入れ、ゆっくりとストレッチで1時間。
    泳ぐ前は不安であったが、身体は動いてくれた。練習メニューのあと、ユックリと300メートルを泳いだ。身体の細胞が息づいている実感に身を浸して大きく息を吐きだした。体重増加も1.5キロほどで安堵。

    そしていま言葉を探しながら、一人頭を巡らす時を楽しんでいる。
    書く楽しみのなかには思考の思いもよらない転換がある。
    『現代を特徴づけていること凡ての中で、一つ私が好感を持っていることがある。それはスポーツである。・・・・一言にして言えば、スポーツとは、人間の諸性能の分析とその組織的な刺激とを基礎として、人間をある典型に向かって発達せしめて行く、正真正銘の行為の倫理学である』(中公文庫「精神の政治学」ポール・ヴァレリー 吉田健一訳)。
    この本は今の私の枕頭の書であり、手元において、パラパラと、何回も読み返しているのだが、いま突然に、この一文に頭がジャンプした。私がトライアスロンとブログとを不可分のものとして楽しんでいることそのものが、的確に示されていると感じている。

    この年齢で目が回るほどに忙しく仕事に向きあっているのは、ありがたいことだ。まずその思いがあって、今日は久々の「一人楽しむとき」があって、67歳という年齢を自覚しつつ、今後を考えてみる。「今後」とは人生の行く末、仕事の展望、トライアスロンを混ぜたもので、「さて、どうするか」と心のあり方を決める。
    2020年までは躊躇うことなく、怯むことなく、大股で道の真ん中を歩いていく。
    まずこれを基本的な態度としよう、と言い聞かせる。
    波乱、混乱、非難中傷、向こう傷は避けられないだろうが、覚悟して、バタバタしない。遠くに流れる雲を見つつ、休まず歩いていけば、いささかの価値は残せるかと期待する。
    トライアスロンは、物理的にどこまで時間がとれるかが、わからない。だから予定を作らないというわけにはいかない。スポーツとは必然的に「計画」を含む倫理学なのだよ。そうだなあ。5月の幕張スプリント、9月の99里、昨年に行った11月の奄美大島合宿、1月のグアム、来年のセントレア出場をポイントにおいてみよう。年齢からして、来年あたりはセントレアリベンジの最後のチャンスかもしれない。
    グアムより 友よ来たりて 花語る
    とむさんは、グアムのトライアスリートで、このブログをとおしてトラ友としての縁をいただいた。帰国の折にお会いしてグアムのトラライフをお聞きした。写真はその折のもの。俺の顔はひどいなあ。1月にはスプリント大会があるそうだ。行ってみたい。どなたか、ご一緒しませんか。

  • 2月16日に67歳の誕生日を迎え、いまの我が身を振り返る。

    2月16日に67歳の誕生日を迎え、いまの我が身を振り返る。

      66歳が67歳となっても、何かの感慨があるわけではない。ただし、誕生日というのは「改めて年齢を意識する」きっかけとはなる。

    まずは身体の年齢をとりあげよう。
    「歳をとると足腰が衰える」とは昔から広く伝えられるところだが、これまでそれがどのようなことを意味するのか、実感としてとらえられなかった。しかしいま、かなり確かな実感として「足腰の衰え」を感じるようになった。その直接的な原因としては、昨年10月末の「右足太腿前面肉離れ」がある。日々、少しづつ少しづつ回復を感じているのだが、いまだに屈伸をすると太腿の「そのカ所」に鈍い痛みを覚える。さらに、肉離れはそのカ所のみならず、両方の膝の痛み、左の股間節の痛みを派生させている。これらは直接的には肉離れからおきたものなのだが、実感としては、肉離れそのものが「足腰の衰え」であって、それが衰えを拡大させているように感じている。
    そうなんだ。67歳になって、足腰の衰えを確かなものとして感じている。具体的には特に屈伸だ。屈伸がおっくうになり、足の痛みを感じるようになり、安定を欠くようになっている。そこで思うのが「土俵入り」の太刀持ち、露払いは、土俵入りの間ずっと安定した屈伸の姿勢をとり、自然に立ち上がらなくてはならない。「よっこらしょ」というわけにはいかない。あの体重でそれが難なくできるのだ。でも私はもうできなくなっている。何にもつかまらず、安定した姿勢で、自然にスムーズで屈伸することができなくなっている。足腰の衰えとはそうしたことなのだ。なるほど。
    そこで、肉離れのリハビリテーションを「足腰の強化」に向けていこうとしている。1日の間に、いろんな合間をみて合計100回の屈伸を行う。階段では一歩ずつ体重を意識して昇り降りする。膝や腰のストレッチををマメに行うなど、ささやかながら、日常を変えようとしている。
    次に感じる衰えが「酒が弱くなった」。量が飲めなくなったとともに、あまり飲みたいと思わなくなった。長らく「毎日飲む」生活を続けてきた。飲んだ帰りでも、コンビニで仕上げのチューハイを買っていた。ところが、このところ、「家に帰ってカフェラテとリンゴ」なんて好みになってきた。なんだろう。
    帰宅してお酒を飲まなくなって思うのが、その時間をどのようにして過ごすのか。まだ身についてはいないのだが、ぜひ一日の最後を、ゆったりとしたストレッチで終える生活を身につけたいと思っている。
    ということで、足腰が衰えてお酒が弱くなり、だんだんと身体が縮小していく感覚はあるのだが、意識としては逆に、身体を動かそう、筋肉に刺激を与え、血の巡りをよくしようという方向に向かっている。それは「そのほうが気持ちがよい」からで、これは最近になって発見した楽しみなのだ。動かすのがおっくうになっているから動かさない、のではなく、おっくうになっているから動かしたくなる。何かを集中して考えるのが面倒になっているが、同時に、いつも何らかをあれこれと考える楽しみを自覚しだしている。
    なるほどなあ。老いていくことの楽しみというものがあるのだ。若いうちは無意識で行ってきたことができなくなって、意識して行うようになる。そのように意識して身体や頭を動かすことが、小さな、毎日の楽しみとなるようだ。
    どんよりと 身体を包む みぞれ雨

    2月は雪の降る日が多い。でも日は格段に明るくなっている。
    私は疑問もなく、身体や頭を動かすことを楽しいと感じている。
    運動する呼吸、血の巡り、発汗、意識の集中を快感としている。
    それと、いまこうして書いていることが、私には同じことのように思えている。
    写真は江戸川沿い。昔の写真だけど、ちょっと気にいっている。

  • 1ヵ月以上のブランク。ベトナムはハノイに行ってきました。

    1ヵ月以上のブランク。ベトナムはハノイに行ってきました。

     前回のブログが1月3日。一年の計として、今年のブログのテーマに「気持ち良い身体づくり」をあげた。それ以来1ヵ月と9日ぶりのブログ。なぜこんなにも空いてしまったかたといえば、「仕事が忙しかったから」に尽きる。仕事の委細の説明は省くが、2月の30日にベトナムはハノイで日本医療のプレゼンテーションを行うというもので、日本の医師、医療関係の企業の方々約20名に参加と発表資料の作成を依頼し、旅行の手はずを整えるという制作準備に忙殺された。

    身体としてはまったく気持ち良くない毎日で、1月8日にATAの新年駅伝大会で5キロを走って以来、ほぼ運動ができない状態となった。そして1月25日にハノイに行き、深夜便に乗って帰国したのが3月1日の早朝成田。それが、腸炎のウイルスを拾ってきて、帰国日から激しい下痢。
    ハノイでは、仕事のオフィスと宿泊の部屋がともにロッテセンターにあり、食事もセンターのフードコートということで、ロッテセンターから外に出ない。一応ランニングセット一式を持って行ったが、まったく出番はなし。
    ようやくこの3連休でトレーニングに参加し、ジムに行き、こうしてブログに向かうことができるようになった。失われた日常を回復できた嬉しさに浸っている。
    そこで改めて「気持ち良い身体づくり」を考える。
    こうした忙しいなかでも、あるいは忙しいからこそ、ランニングはできなくとも、少しの時間をとってストレッチやマッスルトレーニングを行いたいと思うのだが、それができなくなってしまう。起き抜けに5分ほどのストレッチで身体をほぐす程度になる。
    どうしてそうなのか。今回の場合、「仕事」とは、まずパソコンに向かうことになる。仕事の多くは連絡・確認・指示・準備のための指示書・確認書の作成であり、朝起きると、まずメールをチェックし、その日に行うべき業務の確認と整理に向かう。つまり、身体ケアに向かうより、せかされるようにパソコンに向かう。「仕事に追われて時間がない」という感覚で、まさに「心を亡くすと書いて忙しい」そのものだ。頭のなかで「身体を考える」ウエイトが低くなっている。「身体を動かす意欲」がなくなっている。頭のなかは、仕事でいっぱいになっている。
    こうした状態にあっては、「気持ち良い身体づくり」は「忙しときは仕方ない」と思う一方、「もう少しうまい折り合いのつけかたはないものか」と思案する。
    頭のなかの仕事を追い出すことはできない。であれば、身体を動かしている時間が「仕事の整理に役立つ」という方向に向かうことになる。よく「散歩の時間が頭の整理になる」「だから毎朝の散歩は欠かせない」という話を耳にする。しかし、話には聞いていても、私の場合はそちらには向かわないのが思案のしどころなのだ。
    「気持ち良い身体づくり」とは「気持ち良く毎日を過ごす」方法の発見にほかならない。それは第一に生活の技術であり、気持ち良い習慣の形成であり、気持ち良い毎日の時間割となる。
    この時間割・日常の生活習慣を乱すものが「予測つかない異例の仕事」であり、このたびの出来事はまさにそれに当たるのだが、改めて自問自答する。これは嵐の到来のように、仕事が去るまで身をかがめているしかないのか。
    ここまでアレコレと考えてきて思うことは「考えない」。例えば食後に歯を磨くことを思案するのか。何も意識することはなく、思案するとすれば、歯がちゃんと磨けているのかということぐらいで、無意識に歯磨きに集中しているではないか。
    それと同じように考えると、「朝起きると何も考えずに身体を動かす」ということになる。パソコンのスイッチを入れる前の、朝食の前の、「毎日のルーティーン」とする。どうやらこのあたりかな。
    より意識的にチャレンジしてみよう。

    厳寒に 息吹目覚めよ ストレッチ

    今回の多忙な日々を振り返りながら「スポーツを楽しむ日々」の意味に関心が向かっている。
    私のことばかりでなく「現代にとってスポーツを楽しみ日々」について考えてみたくなっている。
    これは「現代人にとっての幸福感とは何か」につながるもので、現代哲学にとっても大きな課題であるのだが、「老人トライアスリート」としての実践のなかで、このブログのなかで、このことを考えていこうと思っている。オリンピックの社会的な価値にもつながるものだ。
    ちょっと面倒な話が多くなるかもしれませんが、よろしくお願いします。
    写真はハノイの風景。ベトナムは活気に満ち溢れていました。
    この「活気」は「スポーツを楽しむ日々」の基本的な価値と感じています。

  • 今年の当ブログのテーマは「67歳、気持ち良い身体づくり」です。

    今年の当ブログのテーマは「67歳、気持ち良い身体づくり」です。

     皆様、明けましておめでとうございます。

    今年もご一緒にトライアスロンを楽しみましょう。
    ブログも続けていきます。こちらもよろしくお願いします。
    さて、今年第1回のブログは何を書こうか。
    まずは書き出してみよう。

    今年の正月は天候に恵まれ、素晴らしい快晴が続いた。
    31日、1日、2日、3日と走った。明日も走ろう。
    右足太もも前面の肉離れの痛みがまだ消えていない。走っていても違和感があるので、走るといってもジョギングレベル。肉離れの部分に意識を集中して、違和感が高まるとスピードを落とす。
    江戸川沿いのマイコースはATA南行徳の練習コースにもなっており、1キロの距離に白線のマーキングがされている。その1キロを往復する。1キロごとにタイムを計る。でもタイムはあくまで結果確認で目標ではない。まだ目標を決めて走るところまではいっていない。でもようやく1キロ6分10秒で走るまでには回復をした。
    よし、いいぞ!!!
    ともかく少しづつ、無理をしないで、ともかく身体を動かしていけば、日一日と微妙な変化を感じることができる。今回の肉離れリハビリではそれを強く実感している。
    このままリハビリから身体づくりまで進んでいきたいとおもっているのだが、実は昨年の暮れからある問題を抱えているのだ。
    それは体重。昨年の12月5日は70.1キロであった。念願の70キロ切りが目前だあ。しかししかし、10日には70.5、20日にはなんと72.8で、31日の大晦日が71.8、そして今日は72.2キロであった。ちなみに体重は起き抜けに血圧とともにはかっている。
    血圧も12月5日は上が129であったのに、今日は上が136。
    そう。どうも体重と血圧の数字がよくないのだ。
    血圧については、寒さが原因ということにしておこう。
    体重については、自分では「快適体重」は63キロと思っている。身長は169センチである。
    この体重は高校3年生の時の体重である。
    28歳の結婚前には73キロであった。これが一番太っていたとき。
    結婚をしてだいたい68キロ程度であった。
    40歳のころに椎間板ヘルニアで1ヵ月入院をした。退院時に計ったら63キロ。何もしないで5キロも落ちた。原因を考えるとお酒しかない。それ以降、体重が増えてくると禁酒を心掛けた。それで体重は概ねコントロールでき、トライアスロンを始める前はほぼ66キロであった。
    ということは、トライアスロンを始めて太ったことになるのだ。
    現在の体重は「トライアスロン適正体重」との考えもあろう。でも、振り返ってみれば63キロの頃が一番気持ちよかったのだ。動作が軽快で窮屈感がない。
    ということで、できれば改めて63キロ体重を手に入れてみたいと思っている。トライアスロンを行い、筋トレもして63キロにしたいと思っている。
    ところが、年齢のせいか、なかなか体重が減らない。以前なら2キロぐらいは酒と食事のコントロールで数日で落とせたのに、これがいっこうに効果が出ない。
    そうだ。いきなり63キロとはいかないが、まずはトライアスロンを始める前の66キロを目標としようと、正月に走りながら考えた。
    一年の計 毎年覚悟の 走り初め
    もうこの歳なんだから、体重を気にすることもないか、などとも思うのだが。
    でも、あと5キロ落としたほうが絶対に気持ちいいと思っている。
    要は「気持ちの良い身体の状態」を見つけだして維持したいのだ。
    ということで、今年の初ブログは「気持ち良い身体づくり」となった。
    今年は67歳となるが、「67歳の気持ちの良い身体」を考えよう。
    皆さん、今年もよろしくお願いします。
    写真は今日走った江戸川沿いの光景。光の感じが気にいった。私のホームコースです。

  • 大晦日に皆様へのご挨拶、ご愛読感謝です。来年も引き続き、共にトライアスロンを楽しみましょう。良いお年

    大晦日に皆様へのご挨拶、ご愛読感謝です。来年も引き続き、共にトライアスロンを楽しみましょう。良いお年

     今日は大晦日。これから3日までは、地下鉄に乗っての外出の予定はなし。私の年末年始の生活の基本は「片付け」。

    散乱している仕事の資料を、パソコンのファイルとメールを片づける。本はブックオフ送りをより分ける。洋服や暮らしの様々な小物もいらないものをより分ける。片付けたあとは拭き掃除。掃除はいつもしているので、大げさなことはしない。
    「片付け」の第二は先送りになっていた「宿題」の片付け。今年は「AIと医療」と題するレポートに向かう。ストーリーは見えているのだが、まとまって執筆に向かう時間がとれなかった。なんとかこの休み中に仕上げたい。
    「片付け」の第三。これが一番大切なのだが、人生の棚卸しを行う。現状を書き出して、新たな年に立ち向かっていくこと、捨てていくことに振り分ける。人生捨てなくては拾うことはできないのだ。そのうえで、新たな年に行いたいことに優先順位をつけ、取組む態度を自分なりに明確にする。何も目標設定などはしない。大切なのは態度と持続を楽しむことであって、目標の達成などではない。人生はスポーツ大会ではないのだ。人生一寸先は闇なのだ。これが私の考え方。
    そして「片付け」の第四は「トライアスロン」。この一年を振り返り、買い替えるグッズやウエアを、これもリストアップ。出場する目標大会をピックアップ。年間のトレーニングイメージづくり。そして「身体自体のリセット」。リセットといっても大げさなことではない。毎日2時間ほど、丁寧にストレッチをして、走る。でも、これがいつもはできそうでできない。
    なお、この休みの過ごし方は基本夏休みも同じ。年に2回、半年ごとに「片付け」をしていることになる。
    そこで、この一年のトライアスロンを振り返る。
    出場した大会は、幕張(スプリント)、木更津(スプリント)、九十九里(オリンピック)の3つ。真鶴のオープンウォーター1500メートル。このほかランの草大会を2つ。
    まずはここから考える。これは妥当であるのか。そのうえで翌年はどうするのか。
    2017年からは「トライアスロン大会は近場のスプリント」「ランもスイムも近場で、できれば毎月」を基本方針に考えてきた。つまり特別なことはせず、負担を感じない程度に、練習もレースも日々の暮らしのなかで平板に過ごしていく、ということだ。
    振り返れば、この基本方針は妥当であったと思う。私なりの、これからも長く続けていくトライアスロンライフの原型を確かめたように思う。
    そのうえで、翌年を考えると、レースはもう一つプラスしたい。昨年も横浜に申し込んでいたが抽選で落ちてしまった。ランやスイムの草大会は月一ペースに上げていきたい。これがまずレースのスケジュール。
    では、トレーニングはどうか。
    スイムはフォームの改造に取組んでいるが、これを自分のものとし、100メートル2分に挑戦。
    ランは草大会への出場を増やし、10キロ1時間(キロ6分ペース)に挑戦。
    こうして書き出しても私にとっては高いハードルなののだが、できないことはないと楽観的に考えている。来年は67歳。なんとか来年と再来年で実現したい。
    バイクはどうか。正直なところイメージがつかない。本当は新車を買いたいが、これは収入しだい。バイクはちょっと置いておこう。
    そして、基本は「身体づくり」でこれが最大の課題であることを改めて確認。

    10月末の「肉離れ」はまだ完治しない。階段の登り降りにもまだ痛みを感じている。
    この肉離れのリハビリテーションを契機として「身体づくり」に向かいたいと思っている。
    「身体づくり」については、整体やトレーニングの専門店に行こうかとも思っていたが、とりあえずやめて自主トレにする。行ってみたい思いはあるのだが、それに費やす時間とお金に自信がない。新たな苦労を背負うような気もする。
    一方自主トレのイメージも湧いてきた。ポイントは「ちょこちょこ」。暮らしの場面の転換期に「ちょこちょこ」とマメにやる。例えば家に帰ったらまず腕立て20回を、といった具合。別にそれを決めるのではなく、翌日は腰のストレッチでもよい。そして週に1回ぐらいは1時間程度を。ともかく「ちょこちょこ」やっているうちに、何らかの変化が生まれるのではないか。であれば「ちょこちょこ」が増幅していくのではないか。そんなことを考えている。
    あと、節酒。実は年末の風邪以降、酒への欲求が低下している。「酒を飲まない爽快感」を味わうようになっている。
    大晦日 振り返ってみては 独り言
    肉離れから2か月。回復は遅々としているが、それでも毎日毎日ささやかな回復を感じている。昨日とは微妙に違うのだ。気が付くと屈伸ができるようになっているのだ。まだ痛みはとれないが、リハビリテーションの楽しみを感じている。

    当ブログをお読みいただいている皆様。
    ありがとうございます。
    来年もトライアスロンもこのブログも続けていきます。
    よろしくご愛顧願います。
    お気軽にメールをください。
    皆様、良いお年を!!!
    写真は北京の公園の朝の光景。
    中国の公園は見慣れた光景なのだが、走っている人はいない。

  • 11月は病気休養のひと月となった。休養で「老化」を実感する。

    11月は病気休養のひと月となった。休養で「老化」を実感する。

     11月中はATAのトレーニングはすべてお休みとなってしまった。記憶では、1か月の休養は、トライアスロンを始めて9年、多分、初めてのことと思う。それだけトレーニングが私の暮らしの一部になっているということなのだろう。

    その原因の第一は右足肉離れ、そして風邪、喘息、蓄のう症。次々と襲う病気のなかで、毎週「この週末はOKかなあ」という期待をもちながら、結果1か月の休みとなってしまった。
    それに、この身体の具合に合わせて、どうやらたまっていた疲れが出たようにも感じている。どの程度の期間の疲れがたまっていたのか、私にもよくわからないのだが、ともかく倦怠感が抜けず、眠くて、よく寝た。仕事はけっこう忙しかったのだが、仕事が終わるとすぐに家に帰り、食事を済ませて床にはいる。だいたい10時には寝てしまう。そして起きるのが7時とか8時とか。我ながらよく寝るなあと思うのだが、これが眠れてしまうのだ。
    そこで「体の具合も悪いし、トライアスロンはシーズンオフでもあるし、この際しっかり休んでおこう」との気分となり、この1か月は静かに暮らしてきた。
    歳をとって静かに暮らすというのはこういうことなのか。
    そんな実感ももった。
    それは落ち着いた状態のなかで、だんだんと自分自身のの全体が委縮していくような感覚だ。1日の中で、身体を動かす時間が少なくなる。「エイッ」っと力を込めることもない。外に出て外気にあたることも少なくなるので、五感が刺激されなくなる。仕事以外は頭を働かせることが面倒になり、好奇心はすっかりと衰える。時の流れが目の前の他人ごとになる。しかもそれは暖かい布団にくるまれて、ゆっくりゆっくりと眠りに落ちていくような快感でもあるのだ。
    「浮世のバカは起きて働く」という言葉を思い出す。
    なるほどなあ。衰えていくということはこういうことなのか。
    そんな思いが、とりとめもなく、頭に浮かんでくる

    そこで思う。トライアスロンを続けている日々がいかに刺激に満ちたものであるのか。
    目ざましのアラームでで早く起き、トレーニングウエアの準備を整え、トレーニングを意識したやや多めの食事をとり、ストレッチで意識を高め、ジムに行き、着替えてシャワーを浴びてプールに入る。全身が水に反応し、水中で吐く息と身体が水に浮く感覚を確かめる。スイムでしっかりと身体を温め、次はラン。日差しの中に飛び出して眼を細め、風の強さを全身で感じる。準備運動で改めて全身にスイッチを入れる。走り出し、苦しい呼吸のなかで、自分がどこまでいけるか挑戦する。
    これらは毎週の、当たり前の、トレーニングの流れなのだが、こうして書き出せば、実に豊かな心身の活動であることがわかる。これはここまで積み上げた大きな資産だ。
    陽だまりに 一人思う 老いの坂
    この1ヵ月は、心身のいい休養になったと思う。50歳で妻が癌を発症して以降、この15年はまさに疾風怒濤の、激しい緊張に包まれた日々で、こうした、自分一人の休養をとったことはなかったように思う。そのことをこうして言葉にして、しっかりと自覚する。
    老いていくことは、心身ともに、そして暮らしの活動範囲が、委縮していくことであるようだ。そして委縮の果てに永遠の眠りが訪れる。であれば、加齢のなかで衰えつつも、心身に刺激を与え、毎日あちこちへと出かけていくようにしよう。
    それに疲れたら、今回は1か月の休養となったが、休養は1週間ぐらいいだろう。
    そうした暮らしへの意識を高め、否応なく委縮が始まるまでは、元気に励んでいきたい。
    写真は奄美大島。来年も行こう。

  • 風邪から喘息、蓄のう症発生。長引く風邪は耳鼻咽喉科へ。

    風邪から喘息、蓄のう症発生。長引く風邪は耳鼻咽喉科へ。

     毎年風邪をひく。風邪をひくと長引くようになった。昨年は年が明けて2月に入ったあたりで風邪をひいたように記憶している。ブログで振り返れば確かめられそうだが、いまはちょっと面倒臭い。いずれこの数年をひっくり返して「我が風邪の歴史」をたどってみたい気分もある。

    それはそれとして、11月2日から5日まで、奄美大島に行ってきた。奄美大島で農業を営んでいる岩田コーチご夫妻を訪ね、合宿を楽しもうというわけだ。こちらは私を入れて5名、ATA南行徳のメンバーで、今年の春から計画をしてきた念願のツアーだ。
    ああ、それなのに、10月26日に大阪道頓堀で右足太腿前面を肉離れ。足を引きずりながらの「合宿応援参加」となった。「応援合宿参加」の楽しさは、改めて報告するとして、今回は風邪にまつわる話。
    合宿参加2日目、11月3日から咳が出るようになった。4日、5日と咳は激しくなり、4日からは身体のだるさを実感するようになった。風邪の症状である。合宿を終えて帰ってからは、症状は一層悪化して医者に。「飛行機で拾ってきましたかね」と言われ「なるほどそうなのかもしれない」。薬をもらって以降、基本的には回復基調で、週末の11日土曜日、12日日曜日に休めばOKだろうと思っていたが、そうはいかなかった。
    改めてひき戻した感覚があり、特に痰のからんだ咳が止まらない。一昨年あたりから、風邪から喘息に移行という状態が増えている。それかなあ。改めて病院に行くと、先生もわかっていて、アレルギー、気管支炎、痰の薬を出してくれる。これでいいかと思い18日、19日の週末を静かに過ごしたのだが、基本的には回復基調にあるものの、回復のスピードが遅い。これはどこかおかしいぞ、ということで、身体の状態を振り返ってみた。
    まず考えたのが、痰咳の原因だ。これは鼻汁が喉に落ち、それが痰になっているのではないか。実感としてどうもそんな感じがする。そこで、ネットで調べると「副鼻腔炎」にはそうした症状があるという。なるほど、これかな。ということで、24日に耳鼻咽喉科に。その診断は想像どおり、と言おうか、想像以上と言おうか「蓄のう症」であった。鼻の奥を目視して「これは完全に蓄のう症ですよ」と診断され、軽いショックを受けた。そのうえで、鼻汁を吸引し、実にスッキリした気分になった。これまで感じていた倦怠感も蓄のう症によるものかもしれない。
    いま自分がかかっている病気についての情報を整理しよう。
    まず、風邪から副鼻腔炎と喘息をおこした。
    ネットには「副鼻腔炎は、副鼻腔の粘膜にウイルス・細菌が感染して起こる炎症です。炎症が起きると、鼻づまり・鼻水・頭痛・咳(せき)などの症状が現れます」「風邪や喘息などの細菌による感染が原因で起こります。通常は、1~2週間で治ります」とある。このケースだろう。では、副鼻腔炎と蓄のう症の違いはどこにあるか。
    「風邪の症状が2週間ほど続いているなと思ったら、内科か耳鼻科へ行ってみると急性副鼻腔炎と診断されることが多いので、ぜひ受診してみて下さい」「急性副鼻腔炎の症状が3か月以上続いたら慢性副鼻腔炎と呼ばれる」「慢性副鼻腔炎こそがよく私たちが耳にする蓄のう症の別名」といった記載がある。
    ということは、私の場合、急に慢性状態になったのか、あるいはもともと副鼻腔炎をもっていて、それが今回の原因でもあったのか。そこがよく分からないのだが、1年を通してアレルギー性鼻炎を発症している状態であり、鼻が弱みであったことは確かだろう。
    ネット記事のクリップを続けていこう。
    「副鼻腔炎の場合は、痰(たん)が絡むような咳(せき)が特徴です。風邪やのどの痛みからくる咳(せき)は、空咳(からせき)やのどのガラガラを感じるでしょう。しかし、副鼻腔炎はのどに鼻水がたまっているような、粘り気を感じます」
    はい、その通り。その感覚を自覚して「これまでと違うぞ」「おかしいなあ」となったのだ。
    肝心の治療であるが、医師から言われたのが「時間がかかる」「経過をみて場合によっては手術も」ということ。「それは大変」とも思うが、そうなってしまったら腰を据えて治せばいい。アレルギー性鼻炎で長年苦労しているので、併せてこちらの治療もお願いし、アレルギー検査のための採血を行った。
    次の予約は1週間後。もらった薬は抗菌剤、痰と咳のクスリ、鼻づまりを改善する液体。ポイントは抗菌剤だな。これは初めてのクスリだ。
    日常生活については「気をつかうことは何もない」とのこと。ごくごく普通に暮らしていけばいい、ということで、これは安心した。
    どうも風邪から蓄のう症とは珍しいことではないようだ。副鼻腔炎・蓄のう症も、まあ、ポピュラーな病気であるようだ。あまりおおげざに気落ちせずに治療に励みたい。
    風邪が長引き 蓄膿症へと バトンタッチ
    事態は風邪から蓄のう症と喘息に移行した。結局11月はトレーニングに行くことはできなかった。診断としては「もうトレーニングしてだいじょうぶですよ」となるのかもしれないが、どうも身体がスッキリしない。あともう一皮二皮なんだけどなあ。第一に寝ても寝ても身体が睡眠を欲している。起き抜けの爽快感がない。ということで、今日もトレーニングはお休み。ともかく体力回復。まずは散歩に出かけて身体の反応を確かめるか。
    写真は奄美大島の光景。いいところでしょう。

  • これも老化か。道頓堀のなんでもない階段で肉離れ転倒!!!

    これも老化か。道頓堀のなんでもない階段で肉離れ転倒!!!

      右足太腿の前面に肉離れを起こしてしまった。今回のはこの顛末のご報告。

    コトが起きたのは10月26日の午後6時。場所は大阪道頓堀。この日の出張仕事は終え、久しぶりの大阪の知人とビールと日本酒で今井のうどんを楽しみ、「さあ帰るか」と店を出る。大変な人手と活気に心躍る。今回の衆議院選挙では「景気の回復実感はまったくない」と連呼されたが、私の実感アンテナとしては、一昨年あたりからだいぶ回復している。「実感はまったくない」という人間が安定した立場でけっこうな収入を得ている。こっちはギリギリで生きているので、アンテナ感度のできが違うんだよ。おっと話が横にそれた。
    「結構いいじゃない」と明るい気分で道頓堀に向かい、橋の横の階段を数段下ったところで、右足太腿前面に「ピキッ」と衝撃が走り、その場で転倒した。自分の感覚としては、普通に階段を下っていたらいきなり起きた。けつまずいたわけではない。前に転がったわけでない。その場で、ゴロリと倒れ、ひどい痛みにのたうち、息を整える。その瞬間に頭に浮かんだことは「果たして東京に帰れるか」。すぐにはわからない。いくつか深呼吸をすると、多少は落ち着き、知人の心配する声にも「大丈夫、大丈夫」と返事をする状態になる。
    しかし、痛みはひどく、右足はまったく効かない。通りがかりの人も心配して声をかけてくれるが、「大丈夫、大丈夫」と返す。おもしろかったのは、外国人のおばちゃんが「OK?」と声をかけてくれたこと。異国の遠い空、どういうわけか一人道頓掘を歩く外国人のおばちゃんに何ができるわけでもないだろうが、咄嗟に声をかけてくれたんだ。「偉いよなあ。見習わなくちゃ」などど頭を巡らせているうちに、ようやく自分を取り戻してきた。この間2分ぐらいかなあ。
    次は立ちあがること。右足に力を入れると激しい痛みで、一人では立ち上がれない。知人に助けてもらいながら立ち上がる。ここでまた深呼吸。次に歩き出す。右足を膝を伸ばしたままの状態でれば、何とか歩けることがわかり、ともかく安堵。「大丈夫だ。さあ、帰ろう」と地下鉄駅に向かう。ゆっくりゆっくりで歩くことができ、知人とも会話ができる。するとダンダンと元気もでてくる。「ああ、これで帰れそうだ」とここでようやく一安心となった。
    次は地下鉄の駅。一歩一歩、右足の膝を曲げなければ、階段の登り降りもできる。
    ということで、足を引きながら新幹線へ。ここではどのようにして席に座るかが大問題。これも右足を伸ばしたまま、あちこちをつかまってようやく腰を下ろす。
    アルコールはいけないかなあ、などとも思ったが、気持ちを落ち着かせたく、缶ウイスキー水割りをチビチビとやりながら、いろんなことを考える。
    やっぱ老化かなあ。身体が固く、特に太腿の筋肉が固くて正座もまともにできないほど。老化はこうした弱いところに出てくるんだなあ。治ったら下半身ケアに取り組もう。
    しかし、どんなに金を持っていても、生活保護を受けていても、転ぶときは身一つ。老いるということはまさに身一つなんだよな。もちろん死んでいくのも身一つ。改めて「身一つ」を噛み締めた。いやいや身一つがいやなわけではない。「そんなもんだよ」とサッパリとした気分でいる。
    新幹線で東京着、ゆっくりゆっくりで地下鉄駅に。おお、痛みがひどくはなっていない。右足を曲げない歩き方にも慣れてきた。地下鉄では前の席が空いた時には座るかどうか迷ったものの、痛みを感じつつ座る。こうして一つ一つを確認していく。不自由ながらも上達していくのが面白くもある。膝は曲げられないが、足の指先に意識でいて力を入れてみる。なるほど多少は歩きやすいか。南行徳の駅に着きタクシーに。タクシーの座席に座れるのが、心配であったが、足をひいて歩くのもいささか疲れた。
    無事帰宅し、まずはロキソニンを飲み、ボルタリンを塗り、冷蔵庫に常備している保冷剤でアイシング。次の問題は、どのようにして布団を敷き、横になるか。私は畳の部屋で布団を敷いて寝ているのだ。ただ立っているのは問題はない。痛みもひどくはない。しかし右膝を曲げると全身が痙攣するほどの激痛が走る。そろりそろりと、動作の一つ一つを確かめつつ。やってみればそれほどの難儀ではなかったが、どうやって横になるのかがわからない。いろいろと考え、試し、最後は倒れるように横になった。
    そして最大の問題が訪れる。深夜にトイレで目が覚める。さあ、どうやったら起きることができるのか。これが実に大変だった。這っていくしかないかとも思ったが、這いながらあちこちにつかまり、ようやくトイレへ。ああ。
    台風来たり 道頓堀で 肉離れ
    今回のことは「普通に階段を降りている」状況での発症が情けない。こんなことは生まれて初めてだ。だから「老化だなあ」と思ってしまう。このようにして、弱いところから、だんだんと老いていくという実感が生まれてくる。
    写真は転倒直前の道頓堀。これから橋に向かい。橋の横の階段で転倒した。

  • 「老化」とどうやってうまく付き合っていくのかを模索中。

    「老化」とどうやってうまく付き合っていくのかを模索中。

     毎日、朝食後、血圧の薬2種類と過剰な胃酸の分泌を抑える薬、合計3錠を飲んでいる。おかげで血圧は上は130、下は70程度で落ち着いている。胸やけもおさまっている。

    血圧では3か月に1回のペースで病院に行き、毎日つけている血圧データを見せ、血圧を測って薬を買ってくる。一般に高血圧は複合的な原因なのだが、まあ「老化かなあ」ということになっている。若く気さくな女性の先生だが、いつも大きなマスクをしているので、顔はよくわかれない。大きな目できっと美人と思うのだが、道ですれ違ってもわからないだろう。今度マスクをとった顔を見せてもらおう。
    それはそれとして、血圧が落ちついてきて、少し余裕もでき、先生に体の具合が思わしくないところを訴え、他の科を紹介してもらうことにした。
    まずは耳鼻咽喉科。
    季節を問わず、朝の鼻水がひどい。ティッシューでは痛くなるので、タオルで鼻をかんでいる。鼻水はほとんど水状態。それにうんざりし、レーザーで鼻孔を焼く手術を申し込んだのだが、若くてくせ毛、昔のヒッピー風な耳鼻咽喉科の先生から「レーザーで鼻水は治りませんよ」と言われ、アレルギーの薬1錠が追加となった。ただしこの薬は対処療法で、元を断つわけではない。「要は鼻をかむか、薬を飲むかです」とおっしゃる。この言い方はおもしろかった。納得。
    耳鼻咽喉科では、このほか「誤嚥」の診察もお願いした。ときどき食後になんか違和感を覚えるのだ。友人が喉頭がんとなり、こちらも気になってきた。鼻孔から喉にかけて、内視鏡の検査を受け、感染症や異常は見当たらないとの診断。
    鼻水も誤嚥も、原因といえば、結局は「加齢」であるという。歳をとるにしたがって、あちこちに不具合が生じ、日々飲む薬が増えてくるのだ。
    大腸内視鏡検査も申し込んだ。これは「下痢で悩まされている」ため。朝食後のトイレが、子供のころからの私の習慣だ。便秘になったことはない。それが、いつごろからか、1回ではおさまらず、10分後に1回、さらに15分後に1回という具合に、数回トイレに行くようになった。行くたびに便の水分が増え、3回目には完全に液体状態となる。さらに、昼食後にも行くようになった。加えてランのさなかにもよおすようになり、振り返ると、昨年末の20キロマラソン、今年に入っての10キロマラソンで、ともに走っているさいちゅうにトイレに駆け込むことになった。これは実に情けない。走りながら「もつかなあ」と自問しつつトイレを探す。爆発したら大変だもの。
    それを訴えると、「大腸炎かもしれませんよ。大腸の内視鏡検査を受けたことはありますか」「いやないです」「やってみますか。年齢的にも一度やってみる価値はありますよ」。こちらも年齢か。こういわれると、なんでもやってみたいタチである。「なるほど、やってみましょう。肛門のヴァージン体験だな」「ワハハ」といったお気軽な会話で、来年の1月5日、正月明けに大腸内視鏡を受けることとなった。
    椎間板ヘルニアは、坐骨神経が少し痛むものの、小康状態を保っている。
    歯頚が腫れて化膿したが、処置をしておさまった。ちなみに歯磨きは家にいるときは毎食後20分。2か月に1回は歯医者で定期処置と、かなりケアしているのに、こうしたことが起こるのだ。
    本によればヘルニアの再発も、歯頚の衰えも「加齢」によるものであり、「老化現象」である。

    ということで、いま、「老化」対策として一通りの身体のケアにあたっている。ただしこれは「老化」への抵抗ではない。「老化」とどうやってうまく付き合っていくのかを模索しているのだ。
    病気ではないが、感じる「衰え」も挙げてみるか。歩くのが遅くなっている。床のものをとるのがおっくうになっている。体重が落ちない。酒が弱くなっている。スピード、力、敏捷性が衰えている。でも、トライアスロンは3種目とも、まだ伸びしろはあるのではないかと思っているのがおかしい。
    走り見上げる 秋の雲 黄昏の陽

    加齢での衰えに合わせた身体を作っていきたいと思うのだ。それなりの作り方というのものがあると思うのだ。この半年で病院系のチェックは一通りすますことになる。スッキリしたところで、うまいこと「頃合い」を探していきたい。要は毎日の暮らし方であることはわかっているのだが、その暮らし方がうまくつかめない。
    写真は通っているNTT関東病院。実は病院は嫌いではない。日常と離れた「浮世離れ」した感覚、独特な時の流れが、心落ち着かせてくれるのだ。おかしいかな。