カテゴリー: 還暦

  • ジャニー喜多川氏の訃報に、我が身の終活を思う。

    ジャニー喜多川氏の訃報に、我が身の終活を思う。

    これはおそらく65歳になったあたりからかと思うのだが、マスコミの伝える著名人の訃報が気になるようになっている。年齢、死因、死ぬまでの様子などをチェックして、我が身に重ねてみる。
    ジャニー喜多川氏、解離性脳動脈瘤破裂による“くも膜下出血”。87歳。この2年ほどは入退院を繰り返していたという。
    仕事の立場、内容からして、85歳までは現役で仕事をしていたのではないか。その資産からしても最高レベルの治療、ケアが行われたであろう。最後は脳動脈瘤破裂というが、それは老衰による脳血管の劣化ではないか。あるいは高血圧症であったのか。戦中から戦後の食料欠乏期に成長期を送ったことは、彼の寿命に影響しているのか。などなど、とりとめもなく、頭を巡らせる。そして自分自身に重ね合わせてみる。

    私が死ぬ年齢はいつなのか、死因は何か、死ぬまでにどのような経緯をたどるのか。もちろんそんなことはわかりゃあしないのだが、そのイメージを描き、それにそった終活をしていきたいと考えている。私にとって終活とは、生きて元気でいる間に済ませておきたいとをやっておく、ということである。

    85歳までは現役で働き、2年をかけて死亡への道を歩み、87歳で死亡。
    私には、これはとても望ましいシナリオに思えている。
    人生100歳とは言われるが、85歳を過ぎると、心身ともに相当に衰えるであろう。しかし85歳までは元気でいることはできそうである。私が戦後の食料事情の回復期に生まれたことを考えると、5年延ばし、90歳まで現役年齢は伸びそうでもあるが、多分この5年の衰えは大きいだろう。
    次に重要なのは、現役から死亡までの期間。ピンピンコロリが望ましくとも、2年程度はかかるであろうし、それ以上は考えたくないなあ。80歳を過ぎたら、がんが発見されても、治療は拒否したいと真面目に考えている。

    さて、85歳まで現役でいるということを、考えてみる。
    走り、泳ぎ、自転車を高速で走ることができる、というと、まさにトライアスロンができていれば「心身は現役」であるが、果たしてどうなるか。挑戦には値すると思う。
    気を付けなければならないのは「けが」だな。もう大怪我をすると帰ってこれない年齢になった。怖いのはバイク。昨年は落車で骨にヒビが入ったが、そのおかげでだいぶ慎重になった。であっても事故は起こりえる。乗る機会、時間を少なくするのも具体的な方策だ。
    今日もまた 泳ぎ疲れて 昼寝落ち
    運動して疲れるというのは快楽だ。シャワーを浴び、お腹を満たして昼寝に落ちる。この快楽を味わえている限り、心身は現役ということだろう。
    85歳までは、そうした快楽を自在にコントロールできるようでありたいと思う。そして入退院を重ねつつ、身辺を整理して2年で消灯。このあたりが理想だなあ。
    6月23日の館山トライアスロン(スプリント)は無事完走。今年はあとは9月22日の九十九里トライアスロン(オリンピックディスタンス)。シッカリと身体をつくってその日にそなえたい。
    写真は銀座4丁目のライオン。私が知っているなかでビールが一番うまい店。リニューアルしてからはあまり行っていないが、もう少し行くようにしよう。最近あまりビールが飲めなくなってきたのだが、おいしくビールが飲めるのも現役の条件の一つなんだ。

  • 年末に向かって、この冬の予定は・・・

    昨夜は昨年のロタ大会に参加して仲間となったメンバーでの呑み会。男性3名、女性4名のメンバーで、ボージョレーを楽しんだ。それはいいのだが、途中から記憶を失い、帰りの電車も乗り過ごしてタクシーでの帰宅となった。電車の乗り過ごしはよくあるが、最後に呑んでいて記憶を失ったのはいつだったか。
    さらによくないのはお尻が痛い。これは転んでお尻を打ちつけたためだと思うが、どこでどうしたものやら覚えていない。痛くて便座に座れない。怖いなあ。これから年末に向けて呑む機会が多くなるが、月並みだけど気をつけないといけない。もういい歳なんだから、もっとペースを落として呑まないと。危ない危ない。
    昨夜は今年もロタ大会に出たIさんの報告、これからコスメルのロングに出場するHさんの壮行というのが基本的なテーマであったが、話がもりあがったのが、Sさんがこの週末に行ってきたトータルイマージョンの水泳合宿報告。
    Sさんによると、フォームの全面改良が目的とのこと。早く泳ぐとかいう意識はまったくなく、もっとラクに泳げるようになるのが狙いという。その気持ちはおおいにわかるよなあ。25メートルで24ストロークであったのが、16ストロークまで落とせたというからすごい。私の場合、落とせても19ストロークぐらいだもの。
    Sさんは私と同じ60歳の還暦だが、この前の横浜シーサイドトライアスロンでもエイジ別で2位入賞という実力派。やはりそれなりの工夫と努力があるのだと思う。
    そこで話となったのは、あちこちといろいろに手を出すより、何かに絞っていったほうがいいということ。あちこちのコーチを渡り歩くより、これはと思うコーチについていくことが大切ということだ。
    私もトータルイマージョンのレッスンを受けたり、オープンスイムのレッスンに参加し、それぞれにそれなりのヒントや収穫があるものの、続けていくところまではいかなかった。
    そこでいまのところは、セントラルスポーツ錦糸町の石橋トレーナーについていってみようと思っている。
    費用は1回1時間で7,500円。基本は前半に入念なストレッチを行い、後半にスイムの指導を受ける。気にいっているのは、「身体づくり」から入っていること。私の身体を理解したうえでのレッスンという連続性が明確であり、この冬は石橋さんについて、しっかりと身体づくりとスイム練習に励んでみようと思っている。
    なお、この冬の予定は以下のとおり。
    11月27日 ツールどひたちなか
    12月3日  TOKYOエンデューロ
    12月10日 ATA南行徳忘年会
    12月13日 12月 venga定例会&忘年会
    1月5日  フロストバイト(ハーフ)
    2月5日  神奈川マラソン(ハーフ)
    3月18日  板橋cityマラソン (フル)
    確かに昨年よりしっかりとしたトレーニングができそうだ。
    冬となり また呑みすぎて 寒さしむ
    余計者 酒に呑まれて 鏡みる
    やや二日酔いの一日であったが夜は10時からスイムのレッスンだ。

  • まじめでストイックで誠実な村上春樹が苦手!?なことがわかった。

    今日はバイク錬で久しぶりに落車をしてしまった。江戸川の河川敷から土手に向かって坂を登り、登りきったところでキュッとUターンをしたのだが、ペダルを踏み込んだところで、目の前にママチャリのおじさんと子どもが並んで走っており、オッと、よけようとしたら、おじさんもそちらの方向に進み、あわててブレーキをかけると、アッという間に立ちごけとなった。
    腰を強く打ちつけ、実に痛かった。おじさんも焦って「大丈夫ですかあ」と手を差し伸べてくれ、後ろに続く仲間も声をかけてくれ、ちょっとした集まりとなって恥ずかしいこと。
    まずは息を整え、「先に行って」と仲間と離れ、ゆっくり走ってジムに帰り、お風呂につかって人心地。でもまだ痛い。家に帰り、痛みをこらえて洗濯機をまわし、冷凍チャーハンをチンしてビール。ソファーに横になったら、痛みと疲れと寝不足で、なんと5時ぐらいまでうつらうちらとしてしまった。とりあえずトクホンを張ったけど、まだ痛い。明日はどうなっているのだろう。
    さて、今回の本題は、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』をめぐる私の心の小冒険。どこから書こうかと迷ったが、まずはこれを書いておいたほうが、素直に先に進めるようだ。
    実は村上春樹の小説はひとつも読んだことがない。はっきりとは覚えていないが、おそらくエッセイも雑誌の掲載を目にとおすぐらいで、買ったことがない。年齢も近いのでデビューした頃からそれなりに関心をもち、雑誌や新聞での文章などは目に通していたものの、一歩踏みこむことはなかった。なぜだろうとも思っていた。
    そのままでいるうちに、村上春樹の人気や評価が高まるばかりで、そうなるとヘソが曲がって「読むもんか」といった気分になってここまできた。『走ることについて語るときに僕の語ること』も知ってはいたが、読んでみようとは思わなかった。
    そんな状態で、今回の経験だが、おおづかみな第一印象は、村上春樹は実にまじめでストイックな努力家で誠実であるということ。それが文章に一つ一つに刻印され、穏やかな調子であるが、私としては息がつまるようでもあった。
    私の周囲のトライアスロン仲間も、まだこの本を読んでいなければ、ぜひ一読をお勧めする。多くの人は多分、走ることへの真摯な取組みに多くのことを感じるだろう。トレーニングや走る状況を描くある部分には共感をし、励まされ、より意欲を高めていくことと思う。私もそうした気分になった。
    と同時に、なぜこれまで村上春樹を読んでこなかったか、一人納得するところがあった。「ああ、このまじめさ、誠実さ、やさしさが苦手なのだ。息苦しいのだ」。読んでいて落ち着かず、ペタペタぺタとまじめのつっぱりをうけ、無抵抗のままに土俵際まで後退していってしまうのだ。だって何の反論、異論もないのだから。
    私はたいした読書家ではないが、馴染んでいる作家は、山田風太郎、谷崎潤一郎、現代作家では色川武大と桐野夏生、エッセーは山本夏彦といった具合。私はいたって平凡な常識人だが、これらの作家の「毒」が好きで、それが心地よい。スーッと溜飲をさげるところ、ニャッと笑うところといったカタルシスがお好みだ。
    一方『走ることについて語るときに僕の語ること』はとても丁寧な文章で、思わず襟を正してしまうのだが、そうした陶酔は得られなかった。
    多分、人間の性向として違っているのだろう。ただし大きく違っているのではなく、おそらく(そんなことはあり得ないが)お酒を呑んだら楽しく話せると思うが、基本的に違う村人であろう。
    何も作家論を語るわけではないので、この話はここまで。ただし、これから書くものはそうした心境のうえでのことであることを伝えておきたかったということだ。村上春樹フアンの方々には実にデリカシーを欠いた内容となるのではないかと恐れているが、何がデリカシーを欠いているのかがよく承知できていないので仕方ない。
    『僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた』(122ページ)。
    この本で繰り返し語られ、全体の基調となっているのが走ることの意味であり、走り続けるためになされるさまざまな努力(日々の過ごし方)の意味である。走ることは小説家村上春樹にとってどのような意味があるのか。村上春樹フアンにとっては創作の魅力に触れる貴重な一冊となろうが、こちらはそこまでの思い入れはない。
    でも、意味を問い続け、レースに向けて丹念な準備を重ねるその姿勢には、アスリートとしての触発を受けた。「やっぱりがんばっているんだよなあ」という感想である。
    村上春樹のトレーニングと比べれば、なんと私のトレーニングのちゃらんぽらんなことよ。これでは村上春樹もただの同年齢のアスリートおじさんとなってしまうが、「私もしっかりやらないと」「少なくとも週に5日は走らないと」など、実にベタな刺激を受けた。励まされた。そこに文学的、人生的な意味を見出すより先に、恥ずかしながら、これが第一の感想なのだ。
    木枯らしの 音が問うかな なぜ走る
    寒空に 家を出れない 走れない
    村上春樹は「走りにでかけない理由は山ほどある」といっている。
    はい、そのとおりです。

  • どうにもスピードがでない。還暦のスピードなんだな。

    昨日は土曜日でスイムとバイク錬。スイムは50メートルをハードで10本程度泳いだが、タイムは1分4秒から8秒まで。ああ、あの時の25メートル20秒というのは、やはり錯覚としか考えられないなあ。でも、あの時のスピード感からすれば、昨日は明らかに遅くてイライラしたけど、そんなことを言っていても仕方ない。「いつかは達成できる目標」と思いを定めていこう。
    あとこれは一昨日だが、自主連で幾らでも泳げる感覚になった。かねがね、なんとか、ジョギングするように、ゆっくりと、いつまでも泳ぐ感覚をつかみたいと思っていたが、その感覚が訪れた。いつもであれば「もう一つターン」と思っても、壁に手をつくと立ってしまうのが、一昨日は「これでストップ」と思っても、壁に手をつくと、自然に足で壁を蹴ることになった。これは嬉しかった。
    とはいえ、これも25メートル20秒と同じで、またできるかどうかはわからないぞ、と自戒している。
    そして今日はATA南行徳の仲間とバイクの長距離錬。7時に集合して江戸川沿いを走る。セントレア大会に出る組は90キロ、伊是名に出る組は66キロ。私は女性のNさん、Kさんとともに66キロ組みであったが、一人ちぎられて、ああ疲れた。どうも時速25キロペースであれば、なんとかついていけるが、26、27となっていくとなかなかついていけない。一定ペースで走り続けることができない。
    トライアスロンによって、老いてできなくなってしまったことを確かめる、というのが私の考えだが、できなくなった代表的なことは、「スピードが落ちた」だな。
    これはランが最も顕著で、もはやダッシュ走ができなくなっている。呼吸も安定して長時間走れるスピードは1キロ6分。5分なんてはるかかなたの世界となっている。バイクもスイムも同様で、なんともスピードがでない。
    では、ゆっくりと長くということで、伊是名大会にエントリーをしたが、さて、どうなるか。さらにその結果はともかくとして、このスピードこそが、歳相応というものであり、そのなかでの楽しみを見出していかないといけない。スピードと躍動感こそは若者の力であるとすれば、ゆっくりと静かで安定した時のながれを味わう心境こそは、還暦ならではなの味わいであると考える。
    残暑の日 川辺を走り 夏送る
    汗絞り 呼吸の音に 耳立てる
    おちついてやっていこうじゃないか。

  • 還暦の誕生日 スイムでの手ごたえ 猪突猛進

    昨日、2月16日で60歳、還暦となった。私は勤め人ではないので、60歳で定年といった感覚はないが、それでも60歳というと、老年へと向かっていくひとつの区切りとして、いささか感慨深いものがある。この年齢になって、公私ともども、やるべきこと、やりたいことがあり、さまざまに人間関係がひろがっていることの幸せを感じている。
    これまでの我が身を振り返れば、どちらかといえば受身であり、風の向きにあわせて帆をあげるようにして人生をしのいできたが、これからは意識して前に立ち、自ら風を起こしてみようと思っている。
    トライアスロンにおいても、「還暦トライアスリート」ということになり、面映いが、それだけでひとつのキャラクターになったような、ちょいと自慢したいような気分となる。おもしろいものだ。私は「年齢なんて関係ない」とは思わず「歳相応」を大切に考えており、自分なりに還暦をきわめ、還暦になったことをプラスにしていきたいと思う。
    気分としては、還暦を期に、最後のダッシュに向かっていく感覚かな。ダッシュといっても、もう若い頃の勢いはない。還暦からのダッシュの感覚を自分のものにしたいと思う。
    いま、そんな積極的な気分になっている理由のひとつが、火曜日のスイム練習。問題の右手だが、顔をあげるタイミングを早くし、かく腕をやや外にして浮力を得ることで、だいぶ右手が伸びるようになり、ようやく50メートルで1分3秒というところまでやってきた。手ごたえがでてきた。あと2ヶ月ぐらいで、目標である「50メートルを楽に泳いで1分以内」になんとか到達してシーズンインを迎えたい。
    考えてみれば、左足を痛めたために水泳に向かい、オーシャンナビのトレーニングに参加したことがプラスに働いたところがあり、コツコツとやっていれば、人生万事塞翁が馬が巡ってやってくることを実感している。あきらめてはいけないのだ。当ブログでコメントをいただいているKenさんからは、「足の回復を楽しむように」というアドバイスのメールをいただいた。そうなんだよね。そうした気持ちのありかたが大切で、そこにこそ人生の秘密があるのだと思う。
    一昨日、たまたまテレビで石岡瑛子のブロードウエイでの活動を追ったドキュメンタリーを見た。71歳という。特に印象に残ったのは、番組の最後に石岡瑛子が「馬車馬のように前だけをみて走ってきた。これからもそうして走っていくだけ」といった意味の発言であり、大いに刺激を受けた。改めてアクセルを踏みなおすという、還暦の誕生日を迎える気分に実に素直にフィットした。
    「馬車馬」というたとえには、「わき目も振らずにひたすら前を向く」イメージがあり、いかにもデザイナーらしい集中力を感じさせる。私の場合は「馬車馬」よりも「猪突猛進」かな。前方の一点を見つめていく集中力はなく、汗をかきつつ、愚直に、ひたすら前へと足をかく。
    初雪に 還暦迎え 走り出す
    還暦や 命の力 確かめる
    今日は「元気でやっていきます」という自己確認。

  • 痛めた足で考える。還暦のトライアスロンライフスタイル。

    TIPNESS南行徳のプールは、ロッカーから階段を降りてコースへと向かう。昨年までは、足が痛くて、まず右足を一段出して次に左足をそろそろと揃えるといった具合だった。それが壁に手を触れながらも、普通に交互に足を運べるようになり、昨日はようやく壁に手を触れることなく、普通に降りることができるようになった。でも、降りてプールサイドを歩くときは痛みが走り、左足をひいてしまう。
    そんな状態なのでスイムに続くランの練習はお休み。自主連でプールでのウォーキング、エアロバイク30分、背中・肩の筋トレをこなして、350円整体マッサージへ。
    29日に参加を予定していたドイツ村駅伝、30日に同じく参加を予定していた新宿ハーフも取り止めを決定した。
    この感じでいくと、歩くトレーニング開始にあと2週間、ランのトレーニングにはさらに2週間ぐらいかかるかなあ。
    今回のこの足の痛みについては、いくつか考えさせられるところがあった。
    あるWebサイトで、次のような説明をみつけた。
    「加齢に伴って、徐々に足底筋膜炎を起こしやすくなります。自然に痛みが出てくる場合もありますし、急な長距離歩行、立ち仕事などがきっかけになることもあります。」
    痛めた当初は、ロタ島大会でのランが原因と単純に考えていたが、回復にこれだけ時間がかかると、「加齢に伴って、徐々に足底筋膜炎を起こしやすくなります」という一文がずしりと腹に響いてくる。腕のしびれも含め、やはり1年間のつけが身体にきているのか、それは年齢に応じたことでもあるのかと、しみじみと感慨にひたってしまう。
    だからといって「仕方がないや」というわけではない。であるならば、この年齢ならではの身体の作り方を探していかなくては、という方向に頭が働いていく。
    具体的にどういうことかといえば、「ゆっくりと慎重に」となろうか。いきなり何かを始めない。ゆっくりとおっかなびっくりで始めていき、身体に及ぶ反応を確かめる。
    あるいは何か変だと思ったら立ち止まって対処を行う。
    例えばロタのランでは、当初、左足の靴下がしっくりこないで、よほどいったん立ち止まってはきなおそうかろ思った。それが今回の痛みの原因とは思わないが、還暦の心構えとすれば、やはりあそこは立ち止まらなくてはいけなかった。
    あわせて、ゆっくりのリズムを粘りに変える。これは先を急ぐのではなく、絶えず身体と語り合い、手加減をしながら続けていく感覚だな。大切なのは続けていくこと。それにより、スタミナなど蓄積するものが増えていく。だから「今日はやめようか」と思わずに「できるところはやっておこう」という発想にたつ。
    そんなふうにして、この1年で、還暦ならではの、自分の身体をつくってみたい。そんなことを考え始めている。
    トレーニング用語でいえばLSDだな。
    ここでもあるWebサイトからの引用。
    「LSDとは、英語の「ロング・スロー・ディスタンス(Long Slow Distance)」の頭文字をとった略称で、文字通り、長い時間、ゆっくりと、長い距離を走るトレーニングのことです。・・・注意すべきなのは、連続して長く走ること。できるだけ立ち止まらないように継続して走るようにしましょう。反対に、カラダが楽だからといって途中からペースを上げてしまうのも禁物。ペース走トレーニングと同じように、足の運びを整えて同じスピードで走り続けることが大切です。」
    この感覚をランのトレーニングばかりでなく、他の種目にも、さらには日々の暮らしのありかたにも敷衍していくのが、私の考える、あるべきイメージに近い。
    それが私の「還暦トライアスロンライフスタイル」というものであり、言い換えれば、この足の痛みから、改めて「ライフスタイル=日々の暮らしの形」を考えるようになった。
    「無理をせずに、適度な緊張を持続するような生活の過ごしかた」とでもいえよう。
    昨日は久しぶりに大学時代の同級生と二人で新宿で呑んだ。二人きりで呑んだのは30年ぶりぐらいかもしれない。大学は明治大学の演劇専攻で、やはり演劇専攻というのは多少は珍しいひとつの個性であり、久しぶりに、微妙なところで価値観を共有する会話を楽しんだ。ちなみに彼は役者志望で、私は演出志望であった。
    彼はタイやベトナムへの一人旅にしばしば出かけるという。彼が話すと、それって自作自演の即興舞台のようになる。さらに60歳というのは、その年齢だけでかなりの個性となる。役づくりの輪郭がはっきりとするではないか。ちょっと刺激されたな。
    タイにはこのブログを通して知り合ったトライアスリートのKenさんがいる。タイのトライアスロン大会に出て、そのままタイ~ベトナムをめぐる60歳のバッグパック一人旅というのが、いま頭に浮かび始めている。舞台はいいじゃないか。そこで誰に出会うだろう。愛らしい子供、はにかむ美少女、黄色の衣を着た若いお坊さん、歯の抜けた老婆の笑顔。。。。
    さあて、足が治るのが、楽しみだ。
    思い出が 冬の夜風に 千切れてく
    ゆっくりと 冬の日差しに 和むかな
    過去を共有する人と語り合うのは楽しい。
    思い出のなかに明日への気持ちがみえてくる。

  • 目覚めがよくて目標決定!65歳まで続ける!ハーフを完走する!

    今日は7時に起床。快晴の空と日差しをカーテンを通して感じながら、すっきりと気持ちよく目覚めた。
    昨日は娘家族が、妻にお線香をあげに来訪。
    「あなたの家のお墓に一人で入るのはいや」、実家のお墓は、お墓の管理をしている弟と喧嘩中で、頭を下げて入れてもらうのはマッピラ!ということで、亡くなって3年半、いまだに遺骨は家においてある。一緒に寝ている。
    娘にすれば母への新年の挨拶となる。
    冷蔵庫に冷凍コロッケとレタス、たまねぎがあったので、コロッケをチン、サラダ、たまねぎと豆腐の味噌汁を作り、ささやかながらも賑やかな食卓となった。そこで缶ビールを2本。
    娘家族がカルタ取りで遊ぶ声を聞きながら、食卓、食器をかたづける。訪ねてきた子供家族に私の手で食事の世話をするなんて、まるで実家の母親になった不思議な違和感もあったが、皿を洗いながら「これが私たち家族のありかたなのだろう」と苦笑まじりに思いを定め、気持ちよく引き受けた。
    9時過ぎに笑顔いっぱいで娘家族を送り出し、テレビで大好きなインディジョーンズを観るが眠くて仕方ない。
    昨日はスイム+バイクの練習で、バイクにのったのは、昨年12月の養老渓谷へのロングライド以来。久しぶりで多少は怖く、なんといっても寒いのにはまいったが、久しぶりの爽快感、満足感を味わった。
    眠いのはそのおかげ。我慢できずに、インディジョーンズにをあきらめ、11時前には就寝。それで7時に起きたのだから、トイレにも行かずに8時間の睡眠とすっきり目覚め。こうでなくちゃあ。私にとって、この目覚めの感覚こそはトライアスロンで知った醍醐味で、「ああ、はじめてよかった」とかみしめる。
    気分のいいまま、バナナと牛乳の朝食で、洗濯と床掃除。テレビをつけると、間寛平のアースマラソン特集をやっていて、思わず見入った。
    まず、61歳という間寛平の年齢に親近感を覚える。前立腺癌の発症も他人事と思えない。そのうえで、一念発起の目標の設定と実現への準備、実現への持続力など、やっていることはとても足元にも及ばないものの、わが身にひきつけて共感する。
    驚嘆するのは持続力だな。誰も経験したことのないゴールへと一人向かっていく時間の長さ、休むことのない肉体の酷使、それに耐える精神力。私なんか、スイムの1500メートルの長さに耐えられないんだから恐れ入る。さらにテレビでみる明るさがいい。
    さて、私はどこに目標をおいてみようか。65歳まで続ける、ハーフを完走する。いまリアルに見えるところは、こんなろころかな。70歳じゃあどうなっているかわからない、アイアンマンじゃあリアリティがない、続けられるだけ続けようとは思っているが、それは目標ではなく心構えだものね。
    ということで、これは間寛平が私の還暦目標設定のひきがねになったということ。
    今日は、本来であればフロストバイトに出場しているはず。11時スタートだから、12時30分の今頃は最後のがんばりどころだなあ。昨年のフロストバイトは私の人生で初の大会参加。時間は2時間14分。ことしは2時間切りを目標にしていたので、本当に残念無念。
    足は少しずつ、少しずつだが、確かに快方に向かっている手ごたえがある。1月末のドイツ村駅伝、新宿ハーフも難しいようにも思う。これまでは何とか出たいと思っていたが、いま、「2月末には確実に治るだろう、であれば、見送ってもいい」と思いはじめている。
    冬の陽に 目覚め誘われ 背を伸ばす
    陽を浴びて 洗濯ほすや 冬の朝
    いい天気の朝にすっきり目覚めると、いい気持ちになる。
    いい気持ちになると、仕事にもいい姿勢になる。
    これまでためらっていた仕事の方向に決断がついた。
    この気分でいってみよー。

  • 痛めた足と増えた体重をかかえて私の一年の計

    年の暮れから扁桃腺を痛め、左足の痛みは治らず、体調不良、運動不足、過食の状態で、箱根駅伝と大学ラグビーをテレビで見ながら正月を過ごした。特に扁桃腺の痛みは「風邪ではない」との診断ではあるが、喉のひどい痛みもさることながら、どうにも身体がだるく、正月明けの4日以降も日々宴席をこなしながらも半分寝込んだような状態で、気力も衰え、ともかく寝ることに専念した。
    それでも8日土曜日はようやく回復し、ATAのスイム練習。足の痛みでランの練習は休むが、水中ウォーキングとエアロバイクの自主練習。30分のエアロバイクで、久しぶりに汗をかく快感を得ることができた。
    しかし風呂上りに気になっていた体重を計ると、なんと69.7キロ。70キロの大台超えとはならなかったが、運動不足、過食のつけはしっかりとついていた。昨年のホノルル大会時点からは4キロの増加。トライアスロンを始める前の体重が概ね67キロ~68キロ。それがトライアスロンのおかげでダイエットストレスなく65キロ台まで落とし、この調子で目標の63キロ台ともくろんでいたのに、ここで見事にリバウンドしてしまった。
    年末年始の食べすぎもあるが、やはり走れないのがつらい。ということで、昨日の日曜もジムにでかけてエアロバイクを30分こなしてからスイムに。今日も夕方にはジムに出かけてみよう。
    ちなみに、スイムではプルブイをはさんでのフォーミングに重点をおき、前のめりに、潜るように、大きなボールを超えるような泳ぎに意識を向けてており、身体に受ける水の手ごたえなど、だいぶコツをつかんだ感じを得てはいるが、しかしタイムが伸びない。でもここで限界とも思えない。まだまだあがいてみないといけないなあ。
    足の痛みから、1月15日のフロストバイトへの出場はすでにあきらめた。1月29日のドイツ村駅伝までには何とかならないかと念じているが、どうかなあ。少なくとも1週間前の22日には軽いトレーニングができるようではないと、おぼつかないだろう。
    昨年のフロストバイトは私にとっては人生初の大会参加。和やかな大会の雰囲気と大会会場での仲間との出会いや共有など、大いに刺激を受け、今年は何とか2時間切りを目指していたのに、ああ、残念。
    といった調子で、2011年が始まった。昨年は1月末の引越しを控えて気ぜわしい年始であったが、今年は足を痛めて練習不足、体重増加の年始というわけで、意欲はあるものの、なかなか意気があがらない。いまも外は風が強いものの、それだけに雲もない快晴で、身体の生理としては日差しと風を受けて走りたくでウズウズしているが、それもかなわない。
    「最近は粘り、根気がなくなってきたんだよね」
    「何をやるにもスピード感がない。てきぱきいかなくてイライラする」
    「何かをすますと、次に移るまえに休んじゃう」
    「以前ならすぐ次の行動に移ったのにね」
    「ボーっとテレビを観ている時間が長くなって自分でも驚く」
    「一日に一つのことしかできなくなってきたんだよ」
    これは年末年始に交わされた年齢に関する会話。
    身体の状態も思うようにいかず、粘りと気力が衰えていくなかで、どんな毎日を過ごしていくか。日々の暮らしの時間割、事にあたる手筈、スピードとリズムを改めて、還暦相応に、作り直していかないといけないなあ、なんて思い始めている。
    新年に わが身抱きしめ 年の計
    どこへ行き 何をするのか 年初め
    今日は成人の日。といっても自分の成人の日より、子供たちのあの日を思い出す。
    思い出茫々。
    過ぎた日は日々遠くなり、思い出を探す旅も、また果てがない。

  • 皆様 明けまして おめでとうございます。

    今年もよろしくお願いします。
    昨年の正月はまだ大会の経験はなく、住んでいるところも大井町で、まだ息子と一緒に暮らしており、大晦日の夜は近くに住んでいた娘家族と一緒に過ごした。
    ことしは市川は江戸川沿いに引越して一人住まいとなり、トライアスロン初シーズンを終え、昨年の正月とはずいぶんと違った趣になっている。一人で迎える元旦である。
    大晦日には引越しでとりあえず突っ込んでいた書類棚の整理を行い、資料をひっくりかえし、図らずもこの10年の一端を振り返ってみることになった。
    妻に癌がみつかり手術を受けたのが2001年3月6日。私の人生のなかでもっとも劇的な変化に見舞われた一日。以来、次女の結婚と出産、妻の死とその半年後の母の死、生家の横浜の実家を整理、長女はカナダ留学、息子が家を出て、ひとり市川に引越してきた。長女はカナダより帰国したが、ニューヨークへと今度は働きに出かけた。その間に私はトライアスロンを始め、次女に二人目の子供が生まれる。
    仕事のほうも、委細ははぶくが、なかなかに激動で、60歳からの仕事へのさまざまな助走があった。
    だから少し疲れた思いで、一人きりの元旦を過ごしている。疲れた思いには「ようやく一段落」の安堵感も含まれる。私はかねがね60歳を大きな人生の節目とみており、基本的には60歳以降は「老後」と捉えている。勤め人ではないので、定年はなく、生涯現役がなのだが、現役であるからこそ、60歳以降はそれまでとギアが異なり、そのギアは老いを基調とするものになると考えている。何をするにも、これまでと同じようにはいかないのだ。あるいは同じようにしていてはいけないのだ。年寄りのたしなみというものを身に付けていかなくてはいけないのだ。
    だから60歳までに「老後の準備」を整えておきたいとの思いがあり、それはトライアスロンを始めた動機ともなっているのだが、いま、さまざまな激動の末に、どうにかこうにか、還暦以降を元気で過ごす準備がかろうじて整ったような安堵感がある。この安堵感が少しでも長く続いてくれればいいのだが、しかし、人生、先のことはわからない。
    だから今年は、気持ちとしては、ゆったりと、一歩一歩、道の真ん中を、遠くをみて歩くようでありたいと思っている。
    そう考えると、この時期に足を痛めるというのはいい教訓になっているとも考えられる。おかげで歩くことに意識的になり、一歩一歩を足元を確かめるようにして歩を進めている。実は歩くリズムは生きるリズムと連動しているというのが私の考え方。歩くリズムをしっかりとつくって「老後」を歩いていきたい。意識が行動をつくるというよりも、行動が意識を形成していく。だからトライアスロン・ラフスタイルというのも、単にトライアスロンを暮らしのなかに取り入れることを意味しない。トライアスロンに向かう行動そのものが、仕事も含めた日々の意識を形成していくことなのだ。
    元旦ということで、生真面目な内容となってしまった。
    元旦に 今年を望む 目覚めかな
    元旦の 朝日を浴びて 初散歩
    とはいうものの、足が痛まなければ走りに行くのにと思うと、ああ、悔しい。
    今年も元気でやっていこう。
    写真は4階の我が家のドアを開けた通路からの眺め。江戸川の向こうにスカイツリーが。

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  • 108本スイムで、泳ぎおさめとなりました。

    一昨日29日はATAのスイム練習会。年末にちなんで108本を泳ぐ。場所はATA十条のホームグランドである十条の東急ウエルネス。
    第一コースは100メートルを1分40秒で108本
    第二コースは75メートルを1分40秒で108本
    第三コースは50メートルを1分20秒で108本
    第四コースは50メートルを1分40秒で108本
    第五コースは25メートルを1分で108本
    参加者は全員で50名ほどにものぼったが、もちろん私は第五コースに参加。
    よくなったとはいえ、アレルギーで扁桃腺をはらしていたので、やや病み上がりの感覚であったが、何とか参加でき、泳ぎ終えてホッとした。
    108本のなかには、スピードにのれないときと、のれるときがある。その違いはやはり「姿勢」にあることを改めて実感した。のれるときは姿勢が前のめりとなり、腕のかきにもスピード感がでてくる。
    前のめりになるポイントは、ひとつはコメカミに意識を集中して潜るように水中につっこんでいくこと。合わせてキックをしっかり打って浮力をつけ、お腹を伸ばしてできるだけ腰を浮かす。これがうまくいったときは結果として腕のかきにスピード感が出る。あと、スタートのけのび姿勢のそのままに、スピードにのって泳ぐこと。よくないときはコースの半分ほどで失速しまうのだが、何回かは最後までスピードを維持することができた。ようは「水にのる」ということなんだな。
    逆によくないときは、腕のかきに意識が向かいすいて、いわばバタバタした状態になってしまう。私のイメージでは、そうなるときは顔がふらふらしているように思える。しっかりとあごをひいて目線をやや前方に向けているときは、姿勢も伸びて意識も集中してうまくいっているような感覚であった。
    一本、一本、そんなことをあれこれと考え、確かめながら泳いだのは、とてもよかった。
    第五コースは8人参加。40本、80本の2回、4分の休憩があり、励ましあってのスイムだったので、泳いでいるうちはテンションも高く、つらくはなかった。
    ただし、3回ほど足がつりそうになり、その際は痙攣がおさまるまでプルブイを使った。3回目は股関節がつりそうになりびっくりした。泳いでいての股関節の痙攣なんて初体験。そんなことはあるのだろうか。
    あと、プルブイを使うと、水ののりがいいんだよね。スーッとのっていく。やはり姿勢なんだよ。このプルブイ姿勢が目標なんだよ。
    全員が泳ぎ終えたあとは記念写真。終わったあとは両足ともつりそうになり、あわててプールサイドのジャグジーにつかって足をあたためた。
    いい経験だった。来年は第四コースにステップアップを目標にがんばってみよう。そのためには、やはり50メートル1分が目標だな。今回25メートルは30秒をキープできたが、かといって50メートル1分ができるわけではない。プラス10~15秒となってしまう。
    でも目標としては手のかかるところに近づいてきたとは思う。がんばってみよう。
    練習会のあとは十条駅前の庄屋2階を借り切っての忘年会。ここではATA南行徳メンバーが集まった席での、気のおけない馴染みの宴席となった。
    だいたいいつもそうだが、トライアスロン仲間が集まると、これからのレース予定の情報交換となる。来年はハーフに挑戦か、なんて話もでるが、こちらとしてはオリンピックを安定してこなせることが来年の課題で、なかなか視界には入らない。ましてはアイアンマンなんてまったくの別世界。でも若きトライアスロン仲間でアイアンマンへの挑戦が広がっているのを見るにつけ、うらやましいとは思う。
    私より2ヶ月年下、来年はともに還暦トライアスリートのSさんとの会話。
    「もう、こっちは時間がないからねえ」
    「ピークをつくるとしてもこの数年だよね」
    「まあ、この2・3年だね。あとは身体がおとろえる」
    「元気があるうちにやらないと」
    「やるのは70までやるつもりだけど」
    「エッ? そんなにやる気?」
    「まあ、続けられるまでは続けてみようかと」
    ちなみに、Sさんはホノルルでも3時間10分でアップする実力者。
    「Sさんならハーフは十分いけるんじゃないの?」
    「ハーフになると問題はバイクだよね」
    私とては、来年は少しでもSさんに近づこうというポジション。
    「やっぱり来年はオリンピックに自信をつけて、それから考えたい」
    私もSさんも若く見えるほうで、まあ、この歳になってトライアスロンを始めるのだから、歳の割りに若いといえば若いが、Sさんと共有するのは「若さ」ではなく「老い」なのだ。若そうに見えても、この年齢になれば、身体の老いが、さらにその先にある死までもがとても身近になる。「こっちには時間がない」というヒトコトへの深い共感がある。
    そんなことも考えると、今年はスタート、来年は確認、再来年にピークというスケジュールが見えてきそうだが、さて、どうなるか。
    翌日は両肩、肩甲骨まわりがすごい筋肉痛。これも初体験。足の具合はだいぶよくなったが、これはスイムとは関係ないか???。あと、今朝からはのどの痛みがぶり返している。こちらも困った。
    3日のランの練習会の参加は無理そうだな。朝8時には代々木公園に集合で走りながらあちこちの神社におまいり、昼には終えて昼食で終了というスケジュールだそうで、楽しいだろうなあ。足さえ痛くなければぜひ参加したいが、残念無念。
    108本 泳ぎおさめて 忘年会
    呑みかわし 新年語らう 仲間かな
    上野から赤羽までがあんなに距離があるとは驚いた。
    十条という駅にははじめて降りた。
    今年も初体験で年を終えることになり、満足している。