本日、特注のインナーソール完成。順天堂医院にとりに行き、そのままはいている。このインナーソールの効果というのは、基本的には土踏まずの部分にソールを当てることにより、多少かかとを浮かして着地の衝撃を和らげるというものなんだね。だから、いつも土踏まずを意識しながら歩くことになる。ちょっと疲れる感じがする。1週間ほどで慣れるとか。
そのほかの治療法といえば、医師からの処方としては、結局は塗り薬のみ。要は消炎剤を塗って、できるだけ安静にして自然回復を待つばかりということになるんだな。
あとは正しい歩き方、走り方を身につけ、マッサージ、ストレッチング、竹踏などでまめにケアを行う。特効薬はないということがよくわかってきた。
現在の痛みからすると、3日にATAでの走り初め練習会があるが、これはアウトだな。17日のフロストバイトのハーフマラソンは微妙だけど、今の気分としては、ややあきらめムードとなっている。
ただし、それでも痛みはだいぶ和らいできたので、足に負担をかけないストレッチや筋トレはぼちぼちやっておきた。はやくウォーキングぐらはできる程度に回復したい。
一方、扁桃腺の腫れはだいぶひいてきて、どうやら明日のスイム練習会は参加できそうな模様。今日はこれから会社の忘年会・仕事収めだが、飲みすぎないように注意をしよう。
でも、痛む部分、痛みやすい部分をもつというのは、どういうことなのだろうか。
私の場合は扁桃腺とかかと。疲れるとすぐに扁桃腺にくる。これは小学校以来の体質。一方、かかとの痛みはトライアスロンを初めてからの体験。高校時代は毎日あれだけ走っても大丈夫だったのだから、やはり歳をとっているのかとしみじみと思う。さらに数えあげれば胃腸も弱い。特に呑みが続くと胸焼けがして、ブスコパンが常備薬となっている。そのうえ、つい数年前までは、疲れると痔にでていた。40歳では椎間板ヘルニアで20日間の入院を経験しており、あのころを思い起こすと、徹夜は日常茶飯事で、いつも腰痛と痔に悩まされていた。ひどい生活だったなあ。ヘルニアの入院で「ああ、これでゆっくり休める」と安堵したことを思い出す。
こうしてみれば、痛む部分、痛みやすい部分をもつというのは、何らかの歯止めをもち、暮らしのあり方を見直すということでもあり、あながち悪いことではない。
とはいうものの、今後、歳を経るにつれて痛みやすい場所が増え、広がっていくことはほぼ間違いない。悪いことではないとはいえ、痛みは不快でしょう。
であれば、諦めて不快な痛みと仲良くしていくしかないのではないかと思えてくるが、そんな方法ってあるのかしら。
痛まないように普段からの手入れを、というのはこの疑問の回答にはならない。
私の実感としては、少しでも痛みを和らげるよう、意をつくすことかと思う。つまり、まるで趣味のようにして、熱意をもって、痛みを細かく確かめて研究する。逃げずに必要な処置をとる。マメにケアを行う、日々の変化を確かめる。しかもそれをストレスと思わず、むしろトレーニングの一環として痛みに向かう。
これをもって還暦トライアスリートの「痛みへの心構え」としておこう。
湯につかり 痛みの所在を 探し出し
木枯らしが 身を切る夜に 痛む肌
プロの選手というのは大変だなあ。
痛みを考えるだけでもそう思う。
カテゴリー: 還暦
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痛む部分、痛みやすい部分をもつということ
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年末。第二ラウンドに向けた、戸惑い
自分自身をいわばモルモットとし、果たして58歳で、まったくの経験なくトライアスロンを始めたら、どのような事態となるのか、その記録をつづること。それも心境も含めてできるだけ正確に描くこと。それは同年齢のかたがたに、特にスポーツに向かっているかたがたに、なんらかのメッセージを伝えることになるだろう、実用的な情報としての価値をもつこともあるだろう、ということを念頭にこのブログをスタートした。
タイトルにあるように「始める記」であり、書き始めたときから、初シーズンを終えたところで、一段落させるつもりでいた。
さて、第二ラウンドであるが、どのような姿勢で誰に向けて何をかくか、どうも腰がさだまらない。さだまらないままに時間がたってしまい、どうにもよろしくない。
そんなさだまらない気分のままにパソコンに向かっている。
さて、どうするか。
まず、初シーズンを終え、自分はまがりなりにも「トライアスリート」となったと思ってみる。かなり貧弱で万年最下位の成績でおこがましい気分ではあるが、ここはそのように思い切る。もはや「始める記」ではなく「トライアスリートの記録」である。来年2月で60歳となるので「還暦トライアスリートの記録」である。ということで、名もなき一市民トライアスリートの日々の記録としよう。年齢はともかくとして、私と同じように、市井の一市民として、スポーツ、あるいはスポーツ以外のものでもよい、何かを楽しみに励んでいる方々への共感のメッセージとして第二ラウンドのブログを始めたいと思う。
もちろんそれは、これまでと同様に、私の知り合いの方々への近況報告ともなることに変わりはない。
ということで、勝手な独り言となったが、第二ラウンドを「還暦トライアスリートの日々」としてスタートする。
実は、docomoのアンドロイド対応スマートフォン手にいれた。これで写真のアップがラクになる。これからは写真も入れてみよう。一回の分量は少なくとも、日々の記録として、より頻繁にアップしたいと思う。などど思いは広がるが、さてどうなるか。
お読みいただいている皆さん。あまり変わらないかもしれませんが、当人としては、これまでと少しは趣きを変えてみたいと思っています。変わらずご愛顧よろしくお願いします。
足の痛みはようやく回復傾向になったが、いまだに普通に歩くことができない。かかとの痛みは長引くとか。ロタ大会以降、ランニングはまったく行っていない。あきらめて地道に治療に向かうしかない。困っているのは首が原因の左腕の痺れで、改めて違う病院でみてもらおうかと思っている。
そんななか、土曜日のスイムレッスンで、25メートルを29秒でアップした。途中2回はヘッドアップを行うという条件であったことを思うと、ようやくここまできたかな、とささやかな満足感を味わった。
年の瀬や 木枯らし受けて 前をみる
痛む足 さすりながらの ひとり鍋
そろそろ年の瀬の整理に向かわなくてはならない。 -
できないことを受け入れる。それが続けるコツかしら。
トライアスロンの初シーズンを終え、シーズンオフのトレーニングに向かっている。足の痛みが治まらないので、トレーニングはもっぱらスイム。苦手なスイムに集中して取り組むいい機会と、足の痛みもむしろ前向きにとらえている。はやくもやる気マンマンである。
すでに来年5月のホノルルトライアスロンのエントリーもすませた。人生全般あまり先のことは考えないようにしているが、しばらくはトライアスロンを続けてみようと思っている。ショートの大会に出られているうちは、続けていこうと素直に考えている。
ということは、トライアスロンを気にいっているということだ。トライアスロンの何がいいのか。第一に思うことは、日々の暮らしかただ。大会に備え、トレーニングに励むという、多少ストイックな感覚が気に入っている。これは修行の楽しみかね。いままでの人生になかった感覚だ。
「かなり無理していませんか?」とよく言われるが、この歳になれば、多少無理するぐらいがいいと思っている。無理をしなければ、ただただ縮小していくに任せていくばかりではないか。無理は刺激だ。
60歳を前にして、長く続けていけるスポーツをしたいと思っていた。それはわかるが、何もトライアスロンでなくともいいではないか、との声も多い。スイム、バイク、ランとも競技経験はゼロ。「その歳で何にもなくてはじめたんですか?」と驚かれたこともある。
基本的には「この年齢でもできる」というアドバイスがあってのことだが、どうせ何かをやるならあまり人がやっていないこと、人が多少なりとも驚くこと、話題が提供できることがいいという気分があって飛びついたのだと思う。多分トライアスロンでなければこのブログも書いていなかったように思う。
それは例えば、あまりやっている人のいない外国語を学ぶのと同じような感覚で、珍しいものの先物買いが好きなんだね。
この点では、多くの人に驚いていただき、満足している。自分の身体を使い、等身大の自分自身で人を驚かすことは気分のいいことだ。正直、ちょいと自慢の気分となる。
このちょいと自慢の気分とストイックな感覚が自分のなかではうまく同居し、暮らしのはりとなっている。
ただし、すごいだろう、と自慢するようなものではない。なんといったってレースではいずれも最下位のレベルで、かろうじて隅においてもらっているような気分でいるくらいなのだから。
さて、ご同輩。私でもできているのだから、トライアスロンはお勧めである。やってみようか、と思われる方はすでにその資格をもっていると思う。あまり考えずに始めてみるのがいいと思う。ぜひATAに入学してください。
そのかたがたへの私からのアドバイスをひとつ。それは「できないことを受け入れる」こと。「完走した人はすべて勝者」とはいえ、レースで一人大きく遅れるのは気分のいいものではない。アレ~っと悲鳴もでてくる。これでもハンドボールでインターハイに出場したことがある。昔は人の背中を見て走るなんて風景は見たことがなかったのに、まったくついていけない自分がいる。ショックですよ。恥かしくもありますよ。
つまり、自分がこんなにもできなくなっているのかと確かめ、そうした自分を受け入れ、てらいなく最下位でゴールする。すると私を待って祝ってくれる仲間がいて、素直に喜びを分かち合う。それが歳相応のトライアスロンの楽しみかと思っている。
「できないこと」に悲観していては、この歳ではやっていけない。むしろ「ああ、これもできなくなったのか」とできないことを確かめる。その心境だね。
そのうえで、私の場合、まだ伸びしろは、それなりにあると思っている。来年2月に還暦になる。来年が楽しみであるという次第だ。
冬に向け 老いへの命 いとおしむ
落ち葉舞う 小春日和に 深呼吸
思い切り息を吸って、息を吐く。
トライアスロンは例えばそんな日々であるようだ。
お勧めします。 -
年の瀬を迎えて 新しい生活の始まりを実感
12月26日土曜日はTTAの今年最後のレッスン。南行徳でスイムの実戦トレーニング。バイクはデュアスロンのトレーニング。
スイムでは息があがってなかなか長く泳げない。この件につき、岩田コーチと意見交換。この前の木曜、渋谷のレッスンでは脈拍を測ったが、160後半か170近く。岩田コーチによるとやはりちょっと多い。つまり息があがっているということ。その会話を受け、レッスンの最後に10分ほどフリーの時間があったので、ブレスを特に意識して泳いでみて、かすかながら手ごたえを感じたように思えた。息があがるのは十分に息を吐いていないから、というのはシッカリと頭に入っているが、「十分に息を吐く」という感覚がなかなか身につかない。ブレスは平野コーチからもかなり特訓を受け、入口には立っているが、まだまだ自分のものにはなっていないんだよね。しかしフリー練習で、水中で大きく息を吐き、最後に顔を上げてパッと吐ききる感覚が少し理解できたように思う。このときのポイントは水中で鼻から吐く息によるバブルの光景だ。目の前にバブルが広がり、バブルを眺めつつ腕をかく。「ああ、このバブルなんだ」というのがこのとき感じたコツ。年末最後に確認したスイムの課題は「ブレス」で、課題克服のヒントは「バブルの光景」。
デュアルスロンは、500メートルのラン~ローラーでバイクを5キロ~ランで1.4キロというかなり実戦を意識したもの。トランジットも含め、バイクの所要時間が16分もかかってしまった。靴を脱いではくのが難しい。靴べらがほしい。
バイクのスピードはだいたい時速23キロ程度で、頑張っても25キロは越えることがなかった。もう汗びっしょり。一緒にメニューに参加した山田コーチはほぼ時速38キロとのこと。まさか山田コーチと比較するつもりはまったくないが、自分としては25キロを越えるのが目標かな。最後のランは1キロほぼ6分10秒のペースで、6分を切れなかったのが残念。しかし、「まあ、こなせたかなあ」というのが実感で、落ち着いてトレーニングできたかと思う。
先週は90分のランで、大変に消耗したが、今回もきつかった。そのため、先週も今週も日曜の大井埠頭のバイクはお休み。日曜はタップリと睡眠をとることになる。
1年の最後、トレーニングを開始してほぼ5ヶ月。年の瀬のレッスンは課題の確認も含め、トライアスロンが確実に暮らしの一部となっており、今年を振り返ると、新しい生活の始まりを確かなものとして実感する。
「新しい生活」という点で、最近とみに実感するのは、睡眠時間が長くなったこと。一度もトイレに起きず、8時間タップリと寝る。6時間でいったん目が醒めることはあっても、また、幸せな気分で二度寝を堪能する。同年齢では「最近は朝が早くて」「一度目が醒めると寝てられない」が決まり文句であるのに。トライアスロンで快眠を得たわけだ。
残りの快食、快便はいかに。
食生活は随分と変わった。以前は朝食重視を思想としいたが、いまは朝はバナナとスナック程度。昼は野菜が欲しくなって、中華ソバを食べることが多い。野菜ソバ、タンメンなど。それが実においしい。汁が心を満たし、血となり肉となる実感がある。食べることを楽しんでいる。
夕食はまだスタイルが定まっていないなあ。つい呑みすぎが問題だね。しかし呑む量は確実に減っており、この調子でいけば、近いうちに年相応の適当な状態を掴むことができるようになるだろう。
快便については、トイレに新聞をもたなくなったこともあり、短時間にいい便が出る。この数日は出血が気に掛かるが、これは年末の忘年会による下痢症状のため。痔で悩まされたこともあったこれまでを振り返ってみれば、いい状態と思う。
ということで、トライアスロンのおかげで快眠、快食、快便を得たことになる。いま書いていて、そのことを改めて確かめ、いささか驚いてもいる。
27日日曜は、土曜のトレーニングの疲れから、ゆっくりと8時過ぎに起き、家の片付け、仕事の整理、娘家族、息子、姉と集まってのクリスマス会。
引越しは1月20日過ぎと決定し、この家での最後のクリスマス会。そしてこれから最後の大晦日、最後の正月を過ごすことになる。妻との思い出がつまったこの家での最後の日々を、「トライアスロンで得た新しい生活の始まり」を実感しつつ、思い出に引きずられることなく、前を向いて過ごせているのは、それを意図して始めたこととはいえ、よかったとひとまず安堵している。
28日夜はトライアスロンショップ、アスロニア関係での忘年会。多くの若い方々の間に仲間として忘年会に参加していることに不思議な思いがする。だって私の長女が30歳。子どもの集まりに出ているPTAのようじゃない。
ここには思い出話や仕事のアレコレもない。話の中心はもちろんトライアスロン。皆さんとの会話から、来年の大会デビューは5月の天草から、ハワイのホノルルに変更を決意。「皆さんも行くなら私もそちらにしようか」「みんなも行くから一緒に行きましょう」といった会話が嬉しい。これも新しい生活の始まりの実感だ。
また、ブレスの苦しさについて、TTAの知久さん、アスロニアの富永さんから貴重なアドバイスをいただいた。
「ともかくゆっくり泳ぐこと。ゆっくり泳いでも実はスピードはそんなに変わらない」。スピードは変わらないは目から鱗でした。そのとおり。知久さんありがとう。富永さんの「出だしは誰でも苦しい。300を過ぎるとスッと楽になりますよ」には勇気つけられた。
年の瀬を 確かめ歩む 新しき
積み重ね 師走にながむ 新風景
若い人たちとの飲み会に参加するにあたって私が自戒していること。
呑みすぎない。一人で勝手にしゃべらない。一足早めに帰る。
ちょっと横で仲間に入れていただくぐらいが年寄りのたしなみ。
時折ご機嫌となって我を忘れてしまうが。。。。