カテゴリー: 70歳

  • 2021年、70歳のトライアスロン日記(1)

    2021年、70歳のトライアスロン日記(1)

    何を、何から書くか。
    いろいろとあって、書くことで考えをまとめたいと思っているのだが、書き出しがつかめない。
    まずは書きたくないこの話から。
    10月10日の千葉市ティトライアスロンではスイムでタイムオーバーDNFとなってしまった。
    最後のブイをまわり、あと数十メートルのところで、時間です(1時間)と肩をたたかれて終了。
    この大会は準備不足でまったく自信のないなかでの参加だったのだが、スイムだけは今年に入ってから多少の上達をみていたので、まあ50分で泳げるつもりでいた。
    これはかなりのショックで意気阻喪。いまだに向き合うこともできず、ああ、とため息を漏らすぐらいしかできない。分析をすれば、加齢、体力の衰え、疲れ、基本的な能力など、リベンジ向けた対策もいろいろあろうが、気持ちはそちらに向かわない。

    そんななか、2021年に予定されていたワールドマスターズゲームズが、なんと、2026年に延期する方向という報道。このワールドマスターズゲームズのオリンピック距離に出て、あとはスプリントを年に1回ないし2回とイメージをしていた。だから千葉市ティもその準備のつもりであったのだが、そんな私のトライアスロン物語が描けなくなってしまった。例えば40歳での5年後と70歳での5年後は大きく違う。だって一昨年は大腸ポリーで内視鏡の手術をうけた(生理検査で早期がん診断)。ということは、すでに身体にがんを抱えているわけで、いつどこに出てもおかしくはないだろう。さてどうするか、考えはまとまっていない。

    10月10日を過ぎたらいぼ痔をなんとか片づけたいと思い、12月3日に手術を受けることにした。診断の先生は、注射治療と切除手術で治ると言い切ってくれた。お任せします。そこで手術のために心電図をとったら波長の乱れがみつかり、心臓CT(画像診断)検査を受けることに。飯田橋の検査クリニックに行って検査を受けたのだが、その際に注入した造影剤の副作用でジンマシンが発生。これはジンマシンだけのことなのか、あるいは、例えば疲れやすいなど、他の体調不良を起こしてはいないのか。落ち着かない体調不良の日々であった。
    診断では、心臓冠動脈に石灰化がみられるという。動脈硬化である。この年齢になると1、2か所あるのはいいのだが、けっこうあちこちに発生している。狭心症や心筋梗塞の予備軍である。だからといって今何かをするわけではない。対策としては定期的に診断をして気をつけましょう、ということのようだ。
    いずれにしても手術は受けることになった。手術をすれば2週間はほぼほぼ安静、激しいスポーツや酒は禁止とのこと。いまのところ、これでスッキリすればありがたいと、手術を楽しみに待っているのだが、ところで、この心臓とはどのように付き合うか。
    振り返れば、トライアスロンの運動検査で高血圧を注意され、降血圧薬を飲んで慢性下痢で3年間、下痢の原因を探るための腸の内視鏡検査で早期がんを発見切除、下痢は痔を引き起こし、そこから心筋梗塞のリスクを発見。病気因果の連鎖を生きるようだ。さらに加齢が原因で、声がかすれる、高い音が聞き取りにくくなっているとの診断。いやいやながらのインプラントで歯医者にも通っている。しかしこれはもちろん私だけのことではなく、ご同輩は多かれ少なかれ、であろう。
    ちなみに、下痢の原因がどうやら血圧の薬であることに気が付いたのは最近のこと。よくよく考えて、これしかないと思い、薬を変えて、その2週間後から下痢がおさまってきた。疲れ果てるほどの、長い道のりであった。
    老化というのは縮小であるという実感がある。
    筋力、柔軟性、反射神経などが縮んでいく。
    気が付いたらできないことが増えていく。
    そのスピードは驚くほどに加速していく。
    そのうえに、老化というのは病気を抱えることであるのだ。
    次々と病気がおこり、それを抱えながら縮小していく。
    縮小していく自分を見つめ、そんな自分を抱きしめながら、死へと向かっていく。
    別にそれが嫌なわけではない。
    これが老化という、誰も避けられないもので、へえ、と感心しながら見つめている。
    穏やかに受け止め、明るく元気で生きていきたい。
    まずは手術をして、さてどうなるのか。
    術後の2週間にいろいろと考えてみたいと、おかしな話であるが、心待ちの気分でいる。
    トレーニングは休み、酒も呑まない2週間だ。
    目を刺すような 秋の日差しに 向かい歩く
    手術前にと思い立ち、三浦海岸に行き、マグロ丼を食べ、昼呑みして、城ケ島を歩いてきた。
    いい休養になった。気分だけでも元気になった。
    ちょっと続けて書いていこうと思っている。
    今年の2月で70歳となった。次は70歳を振り返ってみようと思っている。

  • 今後のブログのテーは① スイム上達レポート、② オリンピック・パラリンピックレポート、③ 70歳となって6カ月の生涯スポーツレポート。

    今後のブログのテーは① スイム上達レポート、② オリンピック・パラリンピックレポート、③ 70歳となって6カ月の生涯スポーツレポート。

    今朝の起床は9時。
    7時ぐらいから目覚め始め、うつらうつらとしながら、ゆっくりと覚醒を待った。
    昨日の雨とは違って、今日は風の音が強い。
    部屋にはレースのカーテンのみなので、日差しが入ってくる。
    床を離れてみると身体はだいぶ回復した感覚がある。
    ドアをあけて外をみると青空が広がっている。
    吹く風は強いが心地よい。

    朝食はロールパン1個、ゆで卵1個と牛乳を多めに入れた紅茶。時折ビスケットをプラスするのだが、体重を落としたいので、すぐに歯磨きに向かう。
    ここで思うのは、明日が休みであることのありがたさ。
    土曜日はできるだけ仕事から離れるようにしているのだが、一方日曜は月曜の会議資料整備、メール作成、企画書の下ごしらえ、1週間の予定検討など、休み明けの準備に追われることが多い。だから3連休のなか日がうれしいのだ。
    よく「歳をとったらあくせすせずに」という警句を目にするが、現役で仕事をしていれば年齢にかかわらず、あくせくもするだろう。でも確かに、安息日が必要になっているようだ。週末の時間割を見直したい。
    昨日は久しぶりにブログに向かうことで、少し自分を取り戻したように感じ、今日また自然とブログに向かっている。自分を取り戻すとは、落ち着いて自分の考えで日一日を過ごすということだ。
    今年はブログを書く回数もだいぶ少なくなってしまったが、これはあくせくして落ち着いて自分と向き合い、考える余裕がなかったということなのだろう。
    私にとってこのブログは暮らしの計測器のようなものなのかと思う。
    実はこの間にも何回かブログを書き出してみたが、途中でやめてしまった。たとえばこんなテーマである。
    ① スイム上達レポート
    昨年9月より意識的にスイムの上達に取組み成果を実感している。
    名倉コーチの指導でここまできたプロセスを整理してみたい。
    ② オリンピック・パラリンピックレポート
    開催賛成の私の立場で今回のオリパラを振り返ってみたい。
    一方反対を声高に叫んだ社会のありようも私なりに考えたい。
    ③ 70歳となって6カ月の生涯スポーツレポート
    諸般衰えを感じているのだが、改めて70歳からのスポーツを考えてみたい。
    トライアスロンを続ける私なりに「老人にとってのスポーツの楽しみ」「スポーツと私たちの社会」「社会と生涯スポーツ」を考えてみたい。それぞれは複雑に関係しており、3つ揃えて何らかのメッセージをまとめてみたいと考えている。
    そのメッセージとは端的に言えば「老いを重ねながら元気で生きていこう」ということであり、はなはだ突然ではあるが、ここまで書いてきて、岡本かの子の「老妓抄」という短編小説を思い出したので、話はそちらに移る。
    いま調べてみたら、青空文庫に入っているのだ。
    https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/card447.html
    この小説は大学生のときにたまたまに出会い、心にしみわたった。ここに私の好きな世界があり、この小説に示された人生観が、50年を経て、いまの私に確かにつながっていることにいまさらながら驚いてもいる。
    この小説は題名のように「老いた芸者」を知人の小説家(作者)が紹介するという仕立てになっており、その内容は青空文庫にゆずるとして、この最初と最後の部分をここで紹介したい。
    ネタばらしのヤボは承知のうえで、それでこの小説の魅力が損なわれるわけでないことを確信して紹介する。
    冒頭
    平出園子というのが老妓の本名だが、これは歌舞伎俳優の戸籍名のように当人の感じになずまないところがある。そうかといって職業上の名の小そのとだけでは、だんだん素人の素朴な気持ちに還ろうとしている今日の彼女の気品にそぐわない。
    ここではただ何となく老妓といって置く方がよかろうと思う。
    終わり
    真夏の頃、すでに某女に紹介して俳句を習っている筈の老妓からこの物語の作者に珍らしく、和歌の添削の詠草が届いた。・・・・・・その中に最近の老妓の心境が窺える一首があるので紹介する。もっとも原作に多少の改削を加えたのは、師弟の作法というより、読む人への意味の疏通をより良くするために外ならない。それは僅に修辞上の箇所にとどまって、内容は原作を傷けないことを保証する。
    年々にわが悲しみは深くして
    いよよ華やぐいのちなりけり
    この詠草でこの短編小説は終わる。
    20歳のときに読んだこの歌を私はずっとおぼえてきた。
    ぜひご一読をお勧めしたい。私と同じく老境に足を踏み入れたあなた。そして若い女性にも(女性が主人公という理由から)お勧めしたい。
    私も改めて読んで、「華やぐいのち」にあやかり、元気をもらいたい。
    そして恥かしながら、私のブログから、皆様に元気をお届けしたいと思うのだ。
    朝ドアを開け 吹き込む秋風 大青空
    岡本かの子の引用のあとに我が駄作をあげるのは、大いに迷ったが、これは「ハイ、今日はこれでおしまい、ジャンジャン」の意味で、これがないとご笑納くださいとはならないので、ご勘弁いただきたい。
    ということで、改めて元気を出して、まずは「① スイミング上達レポート」をお届けしたい。
    トライアスロンを始めて12年。昨年9月よりスタートし、50メートルが1分15秒から59秒までになり、ようやく泳ぐことの入口にたつことができたプロセスを報告する。
    写真は駄作でよんだ今朝の光景。
    いろいろあるが、ともかく、今日はゆっくり休むぞ。

  • この3連休のテーマはリセット。千葉シティトライアストンまであと20日。

    この3連休のテーマはリセット。千葉シティトライアストンまであと20日。

    今日は3連休の初日・土曜日だ。
    トライアスロンのトレーニングに向かうためにいつもと同じように6時に起床。
    外は激しい雨で、寝床の耳に雨音が響く。
    昨夜は3時にトイレで目覚め、そのあとの睡眠が浅く、うつらうつらと夢にうなされるままに、目を開けるとちょうど6時であった。
    なぜなのか、うなされた夢のシーンは、フェレデリコフェリーの映画「カリビアの夜」で、ジュリエッタマシーナがマンボを踊るシーンだった。確かに、私は「マンボ!!」といって踊りだすこのジュリエッタの「侘しき愛らしさ」といった風情がが大好きなのだが、このシーンが、ジュリエッタのステップが、マンボのリズムが、果てしのないように、繰り返して夢に現れるとなると、なかなかに狂おしい。
    今日は休みにするか、とも思ったが、思い切って起き上がったのだが、身体はだるくもあり、変な緊張感で気がたって、明らかに寝不足を伝えている。家をでるまで行くか行かないか迷いのままに、結局は土砂降りのなか、自転車で傘をさしてジムへ。こんな激しい雨のなかで自転車を走らせるのは、以前にロタ島のトライアスロン大会で、バイク中にスコールに見舞われたことを除くと初体験である。
    事故が怖くて「落ち着け、落ち着け」とおまじないのように口の中で唱え、びしょぬれでペダルを回した。
    「70歳にもなって」と苦笑する自分もいるが、まあ、だれに言われてやっているものでもないのだ。

    8時30分からスイム。
    10月10日の千葉シティトライアスロンまではあと20日になってしまった。
    そこでウエットスーツを着たのだが、泳ぐとなんとも息が切れる。50メートル泳ぐと1分近くの休みが必要なほどで、トレーニングは勝手に半分に間引いて、本来の目的であるウエットスーツを着てのフォーミングだけを意識した。それはそれで、キックに多少の手ごたえは得たものの、この息切れはなんだろう。
    寝不足の疲れか、あるいはこのところ感じている疲労感なのか。いやいや、今朝体重計に乗ったら、普段よりも3キロ近くオーバーして驚いたのだが、そのせいなのか。
    今日はともかく何もせずに寝ることにしよう。

    少し雨も収まってきた12時に帰宅し、スーパーで買った350ミリリットルのアサヒスーパードライと、鳥弁当を食べ、横になって気が付いたら午後6時を過ぎていた。
    寝床で1時間ほど本を読み、起き上がり、改めて体重をはかると、先ほどから2キロ減。ホントかよ。
    同じく昼に買ったおいなりさんをつまみながら、パソコンでラグビー対抗戦明治×立教をオンデマンドでチェック。
    どうも今年の明治はプレーが軽く、イラつくなあ。

    そして、いま夜の9時50分。今日は何もしないでひらすら眠るつもりであったのだが、これを書いている。
    こんなときに、一人住まいを実感する。

    今年の2月に70歳となり、6か月が過ぎた。
    昨年の長良川大会に出たのが10月17日。
    それは2021年に開催予定であったワールドマスターズゲームズへの参加資格をとることが目的で、そのワールドマスターズゲームズの開催予定は、いま大会のホームページを見ると2022年5月13日から5月29日までの予定となっている。今回の千葉シティは、この5月の大会に向けたステップという位置づけであり、昨年末の目論見としては、長良川大会以降、改めて身体を整えて、この千葉シティに向かい、ワールドマスターズゲームズへの弾みをつけたいと思っていたのだが、それが目論見どおりにいっていない。
    下痢と痔の痛み、腰痛、肩甲骨の痛みと、全体に身体のコンディションが思わしくないままにここまで来ている。それでも体重はおまり変わらなかったのだが、ここにきて体重も増えてしまった。
    ことしは5月の連休も、夏休みもほとんど休んだ実感なし。
    コロナ禍のなかで、ほとんど毎日仕事で出かけているような状態であるのだが、それでもストレスはたまっているのか。

    この3連休を大事にすごしたいと思っている。
    ママチャリに 打ち付ける秋雨 揺れるビニール傘

    70歳となった今年は心身体調生活仕事とも、とかく不安的であった。
    この3連休は休み第一でリセットしたい。
    そんな気分でブログに向かった。
    漫然とした内容となったが、まずは書いてみることからリセットしたいと思った。
    写真は私のランニングコースで見た秋の夕暮れ。

  • ご無沙汰しているうちに70歳の誕生日を迎えました。

    ご無沙汰しているうちに70歳の誕生日を迎えました。

    もちろん、年齢を重ねるというのは継続的なもので、誕生日になって何かが変わるわけではないのだが、それでも自分の来し方行く末を改めて見つめる機会となる。
    来し方については、あまり過去を振り返らないようにしている。いい思い出も多くあるが、恥ずかしい、なんであんあことを、もう少しどうにかできなかったか、などという思いが先に立ち、心落ち着かなくなる。人生成り行きで生きてきたので、しっかりと自分を積み上げてきたという実感もない。こうしたデリケートな問題には近づかないのがいいと思い定めて避けている。
    行く末であるが、やはり「残りは何年か」の意識が強くなる。あと何年元気でいられるか、その間に何をしておくのか、時間は限られているということを実にリアルな実感としてとらえるようになり、時間割が気になってくる。
    これが70歳になっていちばんに感じたこと。
    限られた時間を嫌なことにつきあって過ごしたくはない。俺には時間がないんだよ。偉そうにそんな気持ちが強くなる。
    基本的には、振り返りはせず、遠くに目標を置くのでもなく、毎日毎日走っていって、力が尽きたら、はい終了というイメージでいるのだが、これを世間一般で言えば「ピンピンコロリ」というやつだな。
    また、生きているうちにやっておきたいことがあり、時間割はこれを中心に考えないといけない。
    そこで、やっておきたいことを書き出してみよう。(以下順位)
    いずれも実現できることに限る。
    1 できるだけ長く仕事を続ける
    やはりこれが一番だな
    収入を得ることが暮らしの基本
    そして仕事はおもしろい
    2 個人ホームページの開設
    いろいろと挑戦している積年の課題 今年の5月目標
    乞うご期待!!
    3 富士山登山
    日本人なら、という気分 来年かな
    4 2022年関西ワールドマスターズゲームトライアスロン参加
    どうやら参加資格はとれているようだ
    来年は富士山登山とこの大会
    5 試論作成
    これまでかかわって考えてきたことをまとめたい
    イベント・スポーツ・情報化など
    このブログも整理してまとめたい
    個人ホームページ開設に合わせて進めたい
    6 トライアスロン大会毎年参加
    そのための身体をつくり、緊張を楽しむ
    7 ラグビーワールドカップ
    2023年フランスは無理かな なら2027年に
    8 熊野古道旅
    これも日本人なら 行く前に少し勉強しておきたい
    9 夏の北海道
    札幌は一時頻繁に行っていたが 夏に鉄道で1週間程度
    イメージとしてはかなり先に お年寄り旅行
    10 邦楽(地歌 三味線)
    これも以前から思っていること
    お願いできる先生はいるので、いつか飛び込んでみたい
    軽い気持ちで書き出してみたのだが、いやあ、疲れてしまった。
    でも自分を見つめなおすいい機会となった。
    順位をみるとまずは仕事で次に思索、そしてトライアスロン、旅行となる。
    これは私の暮らしの実感に近い。
    目標ができると何をするのかがわかってくる。
    こうしてみると、旅行がいくつかあるなあ。
    お金がかかるのはラグビーワールドカップで、そのほかは何とかなりそうだ。
    などど、大きな話をしたのだが、いまの課題は「慢性の下痢と痔」の管理というのが情けない。暖かくなってそれを気にせずトライアスロンを楽しみたい。
    日一日 早まる朝を 味わう二度寝
    このところ仕事も忙しく、いい歳をして精神的にも疲れ、やたらに眠い。11時就寝6時に目覚め、しつこく二度寝をして7時に起床。その間トイレはなし。高血圧で痔の痛みに加え、花粉症のクスリも飲んでいるのだが、まあ、元気なんだろう。

    最後に、私は今年のオリンピック・パラリンピック開催を熱望している。スポーツは21世紀の基幹産業であり、社会のエンジン、暮らしの支えであり、その根幹がオリンピック・パラリンピックというのが私の考え。ただのスポーツ大会(その程度のもの)とは考えない。疫病に見舞われたなかでの開催の人類史的な意義は大きい。
    こうした考えも「私のスポーツ試論」としてまとめておきたい。
    写真は春の到来を雲に感じた一枚。私の散歩道での光景です。

  • ジャニー喜多川氏の訃報に、我が身の終活を思う。

    ジャニー喜多川氏の訃報に、我が身の終活を思う。

    これはおそらく65歳になったあたりからかと思うのだが、マスコミの伝える著名人の訃報が気になるようになっている。年齢、死因、死ぬまでの様子などをチェックして、我が身に重ねてみる。
    ジャニー喜多川氏、解離性脳動脈瘤破裂による“くも膜下出血”。87歳。この2年ほどは入退院を繰り返していたという。
    仕事の立場、内容からして、85歳までは現役で仕事をしていたのではないか。その資産からしても最高レベルの治療、ケアが行われたであろう。最後は脳動脈瘤破裂というが、それは老衰による脳血管の劣化ではないか。あるいは高血圧症であったのか。戦中から戦後の食料欠乏期に成長期を送ったことは、彼の寿命に影響しているのか。などなど、とりとめもなく、頭を巡らせる。そして自分自身に重ね合わせてみる。

    私が死ぬ年齢はいつなのか、死因は何か、死ぬまでにどのような経緯をたどるのか。もちろんそんなことはわかりゃあしないのだが、そのイメージを描き、それにそった終活をしていきたいと考えている。私にとって終活とは、生きて元気でいる間に済ませておきたいとをやっておく、ということである。

    85歳までは現役で働き、2年をかけて死亡への道を歩み、87歳で死亡。
    私には、これはとても望ましいシナリオに思えている。
    人生100歳とは言われるが、85歳を過ぎると、心身ともに相当に衰えるであろう。しかし85歳までは元気でいることはできそうである。私が戦後の食料事情の回復期に生まれたことを考えると、5年延ばし、90歳まで現役年齢は伸びそうでもあるが、多分この5年の衰えは大きいだろう。
    次に重要なのは、現役から死亡までの期間。ピンピンコロリが望ましくとも、2年程度はかかるであろうし、それ以上は考えたくないなあ。80歳を過ぎたら、がんが発見されても、治療は拒否したいと真面目に考えている。

    さて、85歳まで現役でいるということを、考えてみる。
    走り、泳ぎ、自転車を高速で走ることができる、というと、まさにトライアスロンができていれば「心身は現役」であるが、果たしてどうなるか。挑戦には値すると思う。
    気を付けなければならないのは「けが」だな。もう大怪我をすると帰ってこれない年齢になった。怖いのはバイク。昨年は落車で骨にヒビが入ったが、そのおかげでだいぶ慎重になった。であっても事故は起こりえる。乗る機会、時間を少なくするのも具体的な方策だ。
    今日もまた 泳ぎ疲れて 昼寝落ち
    運動して疲れるというのは快楽だ。シャワーを浴び、お腹を満たして昼寝に落ちる。この快楽を味わえている限り、心身は現役ということだろう。
    85歳までは、そうした快楽を自在にコントロールできるようでありたいと思う。そして入退院を重ねつつ、身辺を整理して2年で消灯。このあたりが理想だなあ。
    6月23日の館山トライアスロン(スプリント)は無事完走。今年はあとは9月22日の九十九里トライアスロン(オリンピックディスタンス)。シッカリと身体をつくってその日にそなえたい。
    写真は銀座4丁目のライオン。私が知っているなかでビールが一番うまい店。リニューアルしてからはあまり行っていないが、もう少し行くようにしよう。最近あまりビールが飲めなくなってきたのだが、おいしくビールが飲めるのも現役の条件の一つなんだ。

  • お盆休みを迎えて来し方行く末を思う。

    お盆休みを迎えて来し方行く末を思う。

      やむことなく蝉が激しく鳴いている。非常階段には死骸も転がっている。まだあがいているのもいるなあ。日差しも夏の終わりを思わせるように、だいぶ低くなっている。精一杯に鳴いてコロリと野垂れ死にして夕陽に焼かれる、ピンピンコロリへの憧れはよくわかる。歳をとると蝉をみても感傷的な気分となってしまう。

    この季節になると「今年も前半戦を終えて後半戦」といった思いを新たにする。
    先のブログでも書いたが、この2年間は大きな変化のただなかにあった。この年齢で、これからの年月を暮らしていくための仕事を作ることが、何よりも大きな課題であったのだが、ことは簡単ではない。委細は省くが、ここにきて、ようやく方向が見え、「さあいこうか」といった状態となっている。
    そんななかでお盆の季節を迎えた。私にとっては数年ぶりの落ち着いたお盆となり、来し方行く末を思う気分となっている。
    昨日は「山の日」で休日の金曜日。昨日から来週いっぱいで10連休という人も少なくないだろう。私も仕事先が休みなために、余裕ができてくる。さて、どう過ごすか。
    たまった伝票を整理し、やり残して気になっているデスクワークを済ませ、散髪に行って、あの映画は観て、9月納品のレポートは助走のスタートを切ってなど。いろいろと考え、書き出し、予定をたてているが、果たしてどこまでできるのか。

    ここからが今日の本題で、最近しきりと思うこと。
    やるべきことを書き出すのは、予定計画の基本である。目標を立てるということは、いつまでに何をするかをハッキリさせることであり、やるべきことは目標から割り出した活動となる。よって多くの人生指南書、ビジネスノウハウ本でも「目標はできるだけ具体的で明確」であることを掲げているようである。
    しかし、先のことなど、わからないではないか。これが私の実感なのだ。だからビジネスには不向きなのかとも思う。残りの人生についても、いつまでに何をしておく、などどいう考えはない。葬式の準備はすませておくが、それは目標などではない。
    ラグビーワールドカップのような、日時が確定されたスポーツ大会なら目標を明確にすることの重要性はわかるが、人生はスポーツ大会ではない。
    もちろん進む方向はある。でなければ今日歩くこともできない。でも歩いていけば何日先にどこに着けるかなど、わかりはしない。
    ではなにが「やるべきこと」なのかといえば、「いまとりあえず、自分ができること」ということになる。
    今日できることを今日やろう。明日のことは、わからない。踏み出す方向もわからなければ、足も前には出ないが、方向が分かれば前には進めるであろう。これがいまの私の実感で、このお盆シーズンに「とりあえずできること」を書き出していというわけだ。
    歩いていれば、新しい風景がひらける丘にたつこともあるだろう。歩いていれば、転ぶこともあろうが、それも楽しみとしよう。こう考えることのよさは、「できなかった」という自責の念にさいなまれないこと。できるもできないも、今日できたことが今日の自分なのだから。
    今日一日を振り返る。6時起床、8時に家をでてトレーニング。スイム1時間、スピニングバイク45分、トレッドミル45分。帰宅してそばを楽しみ昼寝2時間。目覚めて洗濯機を回しすともう夕方だ。テレビでラグビー、夕食、テレビで世界陸上、そしてこのブログ。
    なかなか活動的な一日であったが、とくによかったのは昼寝で、久々に生き返った気分での目覚めてあった。
    明日は10時半からスイムのレッスンだが、その前に伝票の整理をすすめよう。
    蝉の音に 今日の命を 振り返り
    だからトライアスロンも「今日できていることを楽しむ」。
    写真は昨日のラグビー観戦。パナソニックワイルドナイツとハイランダーズ。ゲームはよかったけど、チェアリーダーの応援には腹がたった。ラグビーとは息をひそめて見入るスポーツなのだ。あれはいかんなあ。