カテゴリー: 老化

  • 昨年12月からの半年に及ぶ心身の休みと回復。すべては終わっていくのだ。

    昨年12月からの半年に及ぶ心身の休みと回復。すべては終わっていくのだ。

    昨年の12月から約半年。
    ようやく「心身」が回復して自分自身を取り戻してきたように感じている。
    こうしてブログに向かう時間、心の余裕もとれるようになった。
    この半年を振り返れば、新年を迎えて歳を重ね、年年歳歳桜は咲き、人並みに花見にでかけ、いくつかの展覧会で絵を愛で感激に浸り、贅沢な席でラグビー観戦プラス飲み会を楽しんだが、なんともせわしなく、我が身を忘れるような日々があって、5月の連休も休んだのは一日ぐらいだっだろうか。
    まずは心身の「身体」について。
    12月に痔の手術で、その後約3か月は回復待ちだった。
    ようやく走れるようになったと思ったら、左膝に水がたまり、屈伸もできない。
    膝の水を抜きに整形外科に通って、まだ通っているのだが、これは元にもどってきた。
    そうこうするうちに喉の炎症がはじまり、2週間ほどはともかく「疲れる」のがまいった。夕方には一日の疲れから、帰宅する地下鉄で一台乗り過ごしても空いてる席を探してしまうのだよ。幸いに新型コロナではなかったようで、これも気が付けば回復している。
    そんななかで、手羽先の骨をかじって歯を痛めるなんてこともあった。
    なかなかに大変だったのだ。
    この間、仕事は新しく始まるプロジェクトがいくつかあって、それぞれに手さぐりで仕事の形をつくっていく状態でパソコンを叩きまくる毎日だったのが、進むものは進む、思うようにいかないものはいかないことがハッキリしてきて、だいぶ落ち着いた日々となってきた。ようやく「なにもジタバタしてもしょうがない」の心境となった。
    さらに確定申告、決算、復興支援金の手続きと続いたのだが、これも何とかやり過ごした。
    心身ともに、大変であっても、我が身を忘れても、すべては終わっていくのだ。

    こうしたなかで思うのは「なかなか思うようにはいかない」という至極あたりまえのことで、この年齢になって言うようなセリフではなく、まあ、30過ぎあたりで実感するものとも思うだが、残り人生少ないこの歳になると、その状態に抵抗するのでもなく、嘆くでもなく、「仕方ない」と心に収めて一日一日を「やり過ごし」ていくと、穏やかな日がやってくるというわけだ。それで大いに満足で、その日は好きな音楽を聴いて本を読む。
    そこでようやく話はトライアスロンに。
    スイムはそこそこにやってきた。名倉コーチに学ぶこと多く、泳ぐということの入口にたてたような思いでいる。ポイントはフォームで、正しいフォームとは何かが、それができなくとも、理解し、それに向かうことができるようになってきた。
    ただし、相変わらず遅い。今日は50メートル×4本の3セットだったのだが、1本目こそ1分3秒であったが、その後は1分5秒から10秒はかかってしまう。なんでこんなに遅いのだ。めげずにやっていくしかないなあ。
    バイクは1回80キロのロングライドにでかけただけで、乗っていない。ジムで週に1回30分のエアロバイクでフォームを意識している。
    ランとなると、膝を痛めてまったくの状態だ。
    まずはランを回復させたいと思っている。
    10キロは普通に走れる状態にもっていきたいと思っている。
    話はそれからだ。
    というより、ようやくこんな話ができる状態になったというほうが当たっているのかもしれない。
    どこまでも 歩いていける 五月の夕陽

    日差しが強くまばゆいばかりとなった。
    こうした自然の変化を肌で感じるとき、トライアスロンを始めてよかったと思う。
    そんな調子で、どこまでやっていけるのか。
    それは自分でもわからない。
    自分自身を愉しみに見ている。
    写真は私のランニングコース。

  • 左膝に水がたまって抜いている。始めての再生医療の経験報告。

    左膝に水がたまって抜いている。始めての再生医療の経験報告。

    ことが起こったのは3週間ほどまえ。昨年末からのリハビリもようやく回復モードになり、ランを始めていたのだが、この日は走り出して300メートルほどで、アキレス腱に違和感を覚え、アレという感じで左膝に痛みが走った。かといって走れないほどではなかったが、どこか嫌な感じが気になって走るのをやめ、ウォーキングに変えて3キロを歩いた。その日はそれで終えたのだが、翌日から膝が痛み、しゃがむことができない。
    このように書いていても、なんだかよくわからない。歩きからゆっくりと走り出し、スピードをあげたわけでもない。その1週間前ほどには、ランの練習で7キロは走っていた。何かの拍子にとは思うのだが、何の拍子なのだか釈然としない。こういうときはまず「加齢かなあ」と思うようになっているが、さてそれは間違いないところとしても、それだけなのか。

    そこが気になり、すぐに再生医療での膝関節医療を売りにしているクリニックをネットでみつけて行ってみた。自由診療で初心料が3,300円である。再生医療はともかくとしても、膝治療の専門家として自由診療を掲げる医師に診断をしてもらおうという気が働いた。特にこれは加齢のなのか、加齢であれば今後どのように対応していくのかを聞いてみたい気がしたのだ。
    初めにこのクリニックに行く前に、提携の検査クリニックでMRIを撮影してデータを持ち込む。肝心の診断であるが「さすがにトライすロンをしているだけあって膝は若い」という。そして半月板の後ろに水がたまっている。そのあとは主にPRP-FD注射という「売り」の治療法の説明が中心となり、それはそれで勉強にはなったのだが、値段はなんと1回につき20万、3回セットで50万という。
    いやいや、膝は若く、特段の変形症状などがないのであれば、普通の保険治療にしますわ。
    ということで、すぐにまたネットで調べ、MRI検査のCD-Rをもって。日本橋の整形外科病院に行った。診察では半月板の一部が少しすり減っており、水がたまっているということ。すぐに水20CCを抜いてヒアルロン酸の関節注射を受けた。水を抜いたおかげでだいぶ楽になりなったが、まだしゃがむと痛い。翌週も行ってまた水を20CC抜いて、ヒアルロン酸を打った。まあ、日一日と快方に向かっている実感はあるのだが、これをきっかけに膝の衰えを強く感じ、例えば地下鉄の階段を下りる際におもわず手すりを握るなど、老化の現実をひしひしと感じている。しかしおかげざまで「若い膝」だそうだ。「これは加齢ですね」の診断もなかったぞ。(笑)どうも原因は釈然としないが、こうしたこともあるのだろう。大事ではなくてよかったと納得しよう。
    このことでの改めての私の自戒教訓。
    1 何かあればすぐに医者に行く。ほおっていても衰えるばかりなんだよ。
    2 クリニックは都心が便利だ。家の近くは子供と年寄りで混んでいる。
    3 日々少しの時間をみつけてマメにストレッチと筋トレを行うこと。
    話は変わるが、確定申告で計算をしたら、昨年の医療費がなんと80万円を超えた。30万の痔の手術と30万のインプラントが含まれるのであるが、それを引いても20万程度は身体のケアに費やしていることになる。
    これには呆れてなかば諦めつつも、なにが自分にできるのかといえば、煙草はやめて、酒もだいぶ減らしているし、身体も動かしている。あとはよりこまめに身体に気をつけて、何かあれば早く医者にいくことぐらいである。
    桜のなかで 子供が走る 平穏無事かな
    ロシアのウクライナ侵攻といった事態が生きているうちに起きるという実感はもっていなかった。
    私たちの先輩はこの世を「諸行無常」と詠んだ。そんな世であればこそ、老いていく自分を静かににみつめ、毎日変わらずゆっくりと歩いていきたいと思うばかりである。

    写真は私のランコースでの桜。毎年この桜を眺めて「さあ、行くぞ」という気分になっている。もちろん今年も「さあ、行くぞ」なのだ。桜.JPG

  • 誕生日のブログの追伸。一人の凡人として、スポーツの魅力とトライアスロンの楽しさ。

    誕生日のブログの追伸。一人の凡人として、スポーツの魅力とトライアスロンの楽しさ。

    一晩寝て、前回のブログを読み直し、ちょっとヒトコト付け加えたくなった。よろしくお願いします。
    私のトライアスロンの実力なのだが、オリンピック距離でなんとかギリギリ完走レベル。スイムで足きりは何回もあり、昨年の千葉市シティもあと100メートルほどで足切りになった。時間制限がなければなんとか完走はできるのだが、相当に下のレベルである。
    ちなみにこれまでの最長大会は伊是名大会の88キロで、これも初参加はスイムで目の前50メートルででシャットアウト。2回目で時間ギリギリで完走を果たせた。
    先週の土曜日にATAのラントレーニングでは、2,000メートル、1,000メートル、1,000メートルのインターバルであったのだが、2,000メートルで約14分、最後の1,000メートルで6分30秒程度であった。
    スイムは25メートル28~33秒、50メートル1分~10秒、100メートルは2分20~30秒ほどもかかってしまう。
    58歳ではじめたときからそうであったのだが、レベルとしては一貫してギリギリで、大会のみならず、集団トレーニングをしても、いつも最後尾、それもグループを離れての最後尾である。
    トライアストンを始めたけれど、やめた方も少なくないと思う。その多くは「やってみたけどついていけない」、端的には「タイムが出ない」ことにあるかと思う。これがランであれば、一人で練習を重ねてマラソンに出ることは可能であるが、トライアスロンはなかなかそうはいかない。やはりどこかのチームかスクールのお世話になることとなり、私の場合はアスロニアにお世話になっている。
    そこでトレーニングに参加したら「ついていけない」となると気持ちもなえるであろう。私の場合は「大きく遅れるが、ギリギリでついていけた」から続いてきた。「わあ、こんなにできないのだ」「もう少しできると思っていた」という根拠のない驚きはあったが、それでも辞めようとは思わなかった。
    そのいちばんの理由は「私は生涯スポーツとしてトライアスロンを始めた」ためであると思っている。老いの人生を楽しむために、何か生涯スポーツを探していくなかで、たまたまトライアスロンに出会った。トライアスロンに関心があったわけでなく、熱烈ラグビーフアンであるが、トライアスロンの中継を追いかけることもなく、有名選手の名前にも関心ない。
    練習で一人大きく遅れることは愉快ではない。大会で足きりになり一人荷物を片付ける情けなさはなんともやりきれない。
    でも、そんなことは関係ないのだ。私が関心があるのは「私自身の生涯スポーツとしての楽しみ」であり、言葉は悪いが「人のことは関係ない」のだ。だからやってこれたと思っている。大会の足きりも、できればホノルル大会のように「足きりなし」が望ましいが、大会の事情もあろう。
    そんな気分なので、これまで参加した大会の記録もつけていない。garminの時計をつけているが、それを見ながらトレーニング計画を立てるわけではない。

    というわけで、前回のブログで「トレーニングを軸にした暮らしづくり」を書いたが、このトレーニングは「私の暮らし方」であり、「老人の暮らしの技術」ではあるが、「トライアスロンの記録向上、能力向上」を目指すものではない。そして、私にとってのトライアスロンの魅力とは、やはり「すべての完走者が勝者である」という文化にあると思う。トライアスロンは、このようにルーズに付き合っていくことができるのだ。
    このこと伝えておきたかった。
    とはいえ、そんな私でも、スイムは100メートルを約2分、ランは10キロ約6分ペースを目指している。
    この目標は多くの人にとっては当たり前のレベルであり、私にとっては高いハードルであるのだが、こうした目標をもつことは、暮らしの刺激となる。
    「トレーニングを軸にした暮らしづくり」とは、こうした目標設定も含め、トレーニングは心身と暮らしのいい刺激となると思っているのだ。
    私自身のトライアスロンの実力を考えると、よくピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」を思う。神に祝福された天才モーツアルトと凡才サリエリ。神がサリエリに与えた才能とは、モーツアルトの天才をいち早く見抜く力であった。サリエリは言う。「私はすべての凡人の王である」。
    私は一人の凡人として、スポーツの魅力を、トライアスロンの楽しさを語りたいと思っている。

  • 71歳の誕生日に思う、老いの暮らし、老化の技術。 

    71歳の誕生日に思う、老いの暮らし、老化の技術。 

    2月16日に71歳の誕生日を迎えた。
    この前のブログは1月2日の新年のご挨拶ブログ。
    それ以来、何回か下書きを書いてみたのだが、どうもしっくりこないまま、アップを見送ってきた。
    そんなうちに誕生日となり、いま改めてアップに向かおうとしている。

    「しっくりこない」というのは、いろんな要因といろんな状態がある。
    まず状態からいくと、やはり痔の手術は大きなインパクトであった。1月20日に治療完了となり、積年の不快感から逃れることはでき、トレーニングも再開して、ほぼゼロ地点にまで戻ってきている実感もあるのだが、肝心の暮らしのリズム、ペースがうまくつくれない。回復ができない。痔ではあれ、70歳過ぎての手術というのは、こんなに負担になることに驚いてもいる。
    そして仕事の状態がある。日々やることに追われ、「その日にやるべきこと」が消化できず、すますべきことが先送りになって、ストレスがたまる。忙しいとは「心を亡くす」ということだそうだが、どうも仕事に追われる状態が続いている。
    で、そんな要因を考えていくと、それが、どうやら「老化」に行きつくのだ。
    どういうことかといえば、一日できることが確かに少なくなっているのだ。例えば以前は4つのことができていたので、その感覚で予定をたてても、こなせない。4つのところが2つ、下手をすると1つになってしまう。
    テキパキとできず、活動全体が緩慢となる。そして、すぐに眠くなる。
    自宅作業の日は昼食後は必ずといっていいほど眠くなり、うたたねのつもりが1時間も眠ってしまう。1時間も眠ればできることは減るだろう。出かける日は、家に戻ると疲れて、しばらくソファーで横になる。
    いまテレビを見ていたら、アメリカ人や南アフリカ人は1日で9時間半も眠るそうだ。
    私の夜の睡眠時間はほぼ7時間で、自然と目が覚める。そしてプラス1時間は二度寝をする。であれば、異常に睡眠に捕らわれているわけではないのだろう。

    改めて整理すると、老化のために動作や作業が緩慢となり、加えて睡眠を必要とするようになり、1日でやれることが少なくなっているにもかかわらず、これまでと同様に予定を立てるのであるが、やりきれないことが多くなって暮らしのペース、リズムが崩れている、ということになるようだ。
    このブログの趣旨の一つに「老いを感じる」ということがある。「老い」とはどのようなものであり、それは私の身体、思考、感性、暮らし、仕事にどのように働くのか。トライアスロンを通してそれを実感して、言葉とする。それがこのブログである。
    これまで、「老いとは委縮である」と書いてきた。運動能力、感性が「委縮」している実感がある。その延長で考えれば、これは「生活の委縮」であるといえよう。
    そして私が考えるのは「委縮」は避けられないものとして受け入れ、そのなかで快適に心地よく日々を過ごす方策を探し出す、あるいはそうした暮らしを創り出すことである。
    さて、どうするか。
    いろいろと考えてみると、直観としては「トレーニング」なのだ、これが。
    委縮に抵抗して抗うわけではない。老化=委縮は自然の摂理であるのだから、それは受け入れ、あるいは全身をもって確かめ、味わうというのが私の考えである。
    委縮に合わせたトレーニングを続けていくこと。
    これが私が直観するこれからの暮らしの要諦、「老化の技術」である。

    日々できることが少なくなっていると書いた。
    要は「できない状態」に合わせた時間割の見直しである。
    「老いの時間割」をまじめに考えなくてはならないようである。
    そして「老いの時間割」の中心にトレーニングを据える。
    これまでは暮らしのなかでトレーニングの時間を捻り出してきた。そこから、トレーニングを暮らしの軸とする。1週間の計画をトレーニングから考え始める。
    「トレーニング」とは端的にはラン、スイム、そしてバイクである。
    老いの暮らしのペースとリズムを創り出すとは、老いの暮らしの生活習慣を創り出すことであろう。
    例えば朝の散歩。それも悪くない。あるいは朝にその日に食べる食事を準備するというのもあるかもしれない。なんだか1日が健康になるような気がする。朝の1時間をこのブログに充てるというのもあるなあ。
    しかし、私の直観としては、「トレーニング」である。そう直観する背景にはこれまでの58歳からのトレーニングがある。「トレーニング」による心身への刺激が暮らしの軸になるのではないか。老人にはトレーニングが有効なのである。そのように実感している。
    71歳 酷寒の誕生日に 母を思う
    ここまで書いていくと、明日からでも朝ランにでかけるようであるが、そうはいかない。
    私はそこまで勤勉ではない。
    でも、今日はここまで書いてきて、これからの「しっくりする」暮らしへのヒントを得たようである。
    幸か不幸か、仕事は現役まっただなかである。会議の設定と参加者の調整、企画書作成、交渉など、業務は日々異なり、なかなか計画はたてにくいのだが、かといって、仕事とトレーニングの両立なんて発想はない。あるいは、いうまでもなく、暮らしは仕事とトレーニングばかりではない。映画、芝居、音楽、読書、展覧会、ラグビー観戦、旅行、酒など、多くの楽しみがある。
    これら総てを含め、まずトレーニングから全体の時間割を考えてみる。
    71歳となり、それが「しっくりする」ための有効な方策と、改めて思うのだ。
    写真は冬の青空。寒いが日差しは日々明るくなっている。遠くにスカイツリーが見える。まだ登っていないなあ。

  • 皆様、明けましておめでとうございます。20022年の新年のご挨拶を申しあげます。

    皆様、明けましておめでとうございます。20022年の新年のご挨拶を申しあげます。

    昨年を振り返ると身体の不具合に触れた内容ばかりで、70歳になるとこうしたことになるのか、と自分でもいささか驚いています。
    とりわけ12月3日の痔の手術は私にとってなかなかの大ごとでした。日帰り手術で術後の回復も順調なのですが、「完治までは1か月半をみてください」とのことで、確かにいまだに練習再開を見送っている状態です。
    そんななかでの2022年の初ブログ、まずは今年の予定というより「見込み」を考えてみます。
    本日は2022年1月1日。手術後、今日まで運動はしてこなかった。
    回復したとはいえ、肛門部にはいまだに痛みはある。
    この状態からどのようにしてこれからの道筋を描いていくか。
    はじめは散歩から。
    昼食前に30分ほどの散歩をするのが手術前から日課だった。この散歩を手術後3日ぐらいから始め、1週間後には1時間ほどにまで延ばした。
    散歩とはいえ、意識的にやっていると、これはこれでなかなか面白い。漠然と歩いているとだいたい1キロ12分。garminの腕時計を見ながらスピードを確認する。速足を意識すると30秒ほどアップする。歩くのも走るのも速さとは回転と歩幅の掛け算である。さらに回転と歩幅を意識すると30秒早くなり約11分程度となる。そこからさらに速く歩くにはどうするのか。いろいろと私なりに試してみる。さらに歩幅を広げると回転がにぶる。回転を意識すると歩幅が狭くなる。なかなか11分から縮まらない。
    そこで、足のことは忘れて、胸を張り、肩の力を抜き、腕を振って腰の回転を意識するが全身の力を抜いて(ここがポイント)歩くと、これがなんと10分15秒ほどにまでなるのだ。ちょっと驚いた。人の身体とは面白い。これはランニングにも生きるはずだと頭に刻み込む。

    はてさて、散歩の次はどこに向かうか。
    私のイメージでは、次はストレッチ、その次はリズム、そして筋トレの順である。
    なんて書くと、復帰に向けてストイックに取り組んでいるように思われるかもしれないが、そういうわけではない。
    もともとメタボ老人のヘッポコトライアスロンなので、そのようには頭は回らない。
    70歳にして初めて手術を受けた身体の回復というのはどのようなものなのか。そのプロセスを見つめている感覚なのだ。自分なりに動く工夫をし、ささやかな反応や結果を全身で確かめる、そんな暮らしの日々は多少の緊張を含むものであり、精神への刺激となる。しかしそのことに没入するような精神の硬直はない。私はガーデニングの趣味はないが、おそらく庭造りの楽しみに近いのではないかと想像している。あるいは「自分という畑を日々耕す農夫」に例えられるかもしれない。収穫は目標であり恵みであるのだが、それに向かう日々の手ごたえに価値があると考える。
    私は「生涯スポーツ」としてトライアスロンを選び親しんでいるが、こうした「スポーツとともにある暮らし」こそが生涯スポーツの楽しみであることを実感としている。

    今日は術後はじめて、約40分、ストレッチを基本にリズム運動、スクワットを行った。
    ストレッチは自分なりのプログラムがある。
    リズム運動といっても、好きな音楽に合わせて足を適当に踏み、屈伸する程度のことだ。
    いま気に入っているのがオリビア・ニュートン・ジョンのザナドゥで、オリビアの明るい美声に身を委ねる。
    オリビアはこちら  https://www.youtube.com/watch?v=cLi8fTlDEag
    18歳の私のアイドルはクリームだったけど、70歳のいまはオリビアだ!!!(笑)
    クリームはこちら  https://www.youtube.com/watch?v=pwDo0JUeKqM
    ジャック・ブルース死亡の報に触れた時はショックだった。
    スクワットはゆっくりと四股10本。
    最後に、自分の手で、顔頭、腕と足をもんで刺激を入れる。
    身体が伸びて、久しぶりに神経が目覚めたようで気持ちがいい。
    明けまして 快晴寒風 おめでとう

    今年もブログを続けていきます。よろしくお願いします。
    昨年末は「我が闘病記」となったが、新年は「我が回復期」としたい。
    また回復のプロセスを見つめることを通して「生涯スポーツ」への考えを深めたい。
    スポーツは私たちの暮らしと社会にどのような意味をもつのか。
    このブログで自らを実験台とした知見を私なりにまとめてみたいと思っています。
    写真は今年の年賀状の画像です。

  • 私の3年に及ぶ「痔の格闘記」はこれで終了。メッセージは「医者もいろいろ」「だから自分で判断する」ということです。

    私の3年に及ぶ「痔の格闘記」はこれで終了。メッセージは「医者もいろいろ」「だから自分で判断する」ということです。

    痔の手術を受けてから2週間が経過。術後の1週間は切除の痛みで体を動かすにも苦労した。排便が怖かったがそれがひどい痛みとはならなかったのには安堵した。そして1週間後に痛みが変化する。傷口がむき出しになったようなヒリヒリする痛みであり、ウォッシュレットで水が当たると実に痛い。これはどうしてなのか。そしていま、2週間を過ぎ、ようやくその痛みも治まりつつある。この間、傷用の軟膏を塗ったガーゼを頻繁に替える、日に2回は風呂に入るなどのケアを行う。
    術後2週間はお酒NG。昨日はトライアスロンチームの忘年会があって、2週間ぶりで飲んだが、痛みが増すなどの直接的な反応は出ていない。よかった。

    さて、現状報告はここまでで、前回の続きに戻る。
    2020年10月、長良川トライアスロンでは、特にランで案の定、痛みがひどくなったが、どうなるものでもないので我慢をしてやり過ごした。
    私の抱えたいぼ痔というのは、面白いもので、痛いとはいえ、そこで動けなくなるほどではなく、我慢すればやり過ごし、あとで風呂で温まれば、小康状態となる。レースの後も日帰り温泉に行っていたわった。
    さて、レースは終えた。いよいよ手術で解消と心を決め、日帰り手術のできる病院をネットで探して2020年12月に「おおいまち消化器外科クリニック」を選んだ。選ぶにあたっては、主にホームページと医療比較サイトで検討することになるのだが、痔の日帰り手術をしっかり行っていること、ホームページでそれが説明されていること、医師の年齢、医療比較サイトで不満が少ないこと、交通の便などで総合的に判断した。
    診断の結果は、内痔核が3箇所、外痔核が1か所あるとのこと。自分では外痔核の実感しかなかったので、いささか驚いた。そして私としては日帰り手術希望であったのだが、診断の結果は下痢と痔のクスリ対応となった。。
    そこで考えてしまった。
    クスリの対応で少し様子を見ようか。クスリで下痢がよくなれば、痔も治まるかもしれない、であれば、家の近くのほうが便利だろう。これもネットで調べると、南行徳駅前に消化器外科がある。特に悪い情報も見られない。
    こちらで行ってみるか。
    診断は3か所の内痔核と1か所の外痔核で同じであり、下痢と痔のクスリを出してくれる。
    そこで1か月1回のペースで4カ月近く通ってみたのだが、下痢は少しは快方に向かったものの、痔のほうは小康状態でいっこうに改善しない。
    診断はお腹に聴診器をあて、肛門を見て、「はい、いいですよ」で終わり。次回への予約もとらない。
    手術について質問しても「ぼくはあまり勧めない」とのことで、話が先にいかない。
    そこで私はこう思った。
    「この医者は治す気がないな」
    医者だから治す手当はする。明るく人あたりもいい。
    しかし、治るまで面倒をみようといった意識、責任感がみられない。
    治ったか、諦めたか、いつしか患者が来なくなれば、それで終了、ということなのだ。

    そこで見切りをつけて、改めてネットに向かっていると、「患部に触らない痔の手術」という広告を見た。
    詳しくはこちらで見てください。 https://okuno-y-clinic.com/
    これにビビッときた。なんでもやってみたい新しもの好きの好奇心が刺激された。
    手術費は約360,000円もする。しかしこれでサッパリできるのであれば、その価値はあるだろう。
    思い切って電話をした。
    まず、詳しい事前説明と丁寧な質疑応答がある。
    カテーテルでコイルを毛細血管に埋め込み、血流を制限するというものだ。
    何回も強調されたのは、必ず良くなるとは限らないということ。それはそうだろうと思う。
    私の質問 「良くならない場合、その後手術することはできるか」
    医師の回答「それはできます」
    私の質問 「良くならない場合、その後の手術する病院を紹介するといった仕組みはあるか」
    医師の回答「それはありません」
    私はこれはこれで医師として誠実な対応と思う。
    治す気のない医師より、治らない可能性を説明して、自分の責任を明確にする医師のほうが私は評価する。
    よしやってみるか。
    この訪問から1週間後にカテーテルの手術を受けた。
    なお、このクリニックは値段にもかかわらず、けっこう患者が来て入て繁盛しているようだった。
    年の瀬に 手術すませて 年明けへ
    カテーテルの手術は約1時間。局部麻酔で意識はしっかりしている。痛みは感じないが、肛門部に温かさを感じた。
    そして翌日。
    劇的とは言わないまでも、7割がた良くなったように感じた。
    「ほう」と思った。だんだんと快方に向かうことを大いに期待した。
    しかし、そこで止まり。走ると腫れと痛みも出てしまう。
    仕方ない。
    改めて「おおいまち消化器外科クリニック」を再訪。
    診断のうえ、日帰り手術を決定した。
    今回の診断では「自然治癒はない」という。内痔核は注射、外痔核は切除で「治ります」という。
    であれば「やってみましょう」となる。
    手術自体は10分程度。麻酔のおかげでまったく記憶はない。
    術後にクリニックで30分ほど休む。それで自分の足で歩いて帰宅する。
    医師の説明では、回復には1か月半ほどかかるという。だから、手術の成果を確かめることは、まだできない。
    「きれいサッパリ」を大いに期待しているが、さてどうなることか。

    以上が3年にわたる私の「痔との格闘記」である。
    だいぶ回り道もしたようだが、こうしたことは「仕方ない」と思うようにしている。
    ここで、私の学んだ教訓をお伝えして「痔との格闘記」を終えよう。
    痔の手術はお勧めである。
    まだ成果を確かめるまでに至っていないが、やってよかったと思っている。
    日帰りで翌日から働くことも可能であり、術後の回復も、楽ではないが、1カ月半ですむ。
    診断して処方箋は出すが「治す気はない」医師がいる。
    改めてこれまでの経験を振り返るとこうした医師はけっこういると思う。
    そういう医師に出会ったら、すぐに医師を変えよう。
    だから自分の身体は自分で考えて判断する。
    医師もいろいろなのだ。
    いまはネットで様々な情報を得ることができる。
    改めてネット社会のありがたさを思った。
    人生100年時代。これは大きくは情報産業の進展によっている。
    そして情報産業は患者と医師の関係も変えていくようだ。
    写真は、江戸川沿いのごみ処理工場の修理の様子。
    工場全体を包み、煙突に家を貼り付ける。
    すごいと思い、無心でみつめる。

  • 70歳となり病気と病院との付き合いのなかでわかったことは「自分で考え判断する」。

    70歳となり病気と病院との付き合いのなかでわかったことは「自分で考え判断する」。

    続けて病気の話題で「恐縮」の感もあるのだが、ご同輩やこれから老年を迎えようという方々には何らかのご参考になることもあろうかと、血圧・下痢・痔について、我が身に降りかかった事態をまとめておく。
    まずは血圧。40歳を過ぎるころから、病院に行く機会が増えていく。私の場合は腰痛があった。それに派生して、さまざまに検査の機会も増えていき、その延長で眼底検査をうけて「血圧高め、動脈硬化の可能性あり」との診断をうけた。しかしそれでなにか対応をしたかというと、まあ、あまり自覚もなく暮らしていた。ちなみに血圧とトライアスロンを始めたこととはまったく関係がない。
    改めて血圧に向かい合ったのは、あれは4年ほど前に受けた体力測定検査である。呼吸器をつけて、ベルトの上を走って運動による影響をみる検査だ。前から一度やってみたくて、受けたのだが、血圧検査のベルトを巻いて走り始めて「血圧が高いので検査できない」となった。血圧は200に達したといわれ、さすがに驚き、病院に行くことにした。
    病院はNTT関東病院の腎臓内科で、以来いまに至るまで3カ月に1回は通って、尿や血液の検査を受け、薬をもらっている。薬のおかげで現在の血圧は上が120、下は65程度と安定している。いたって気のいい美人の(いつもマスクなので多分)女医さんで、大変にありがたく思っている。
    そこで2年前に「他に何か気になるところはありませんか?」の質問があり、「下痢で困っています」「では大腸内視鏡検査を受けましょう」ということになって、ポリープ発見。これが生理検査で初期がんと診断され「きれいに削除したので安心してください」ということになった。
    ここで私が理解したこと。
    ・血圧が確かな「治療対象」となるのは、年齢が大きく影響している。
    60歳を過ぎたら血圧に注意。
    ・血圧の「治療」は薬物治療であり、薬との暮らしが始まる。
    服薬は、おそらく、一生となる。
    とはいうものの、80を過ぎたら一切の薬をやめてみようかと考えてもいるが。
    ・血圧の治療は定期的に病院に通うことになる。
    よって血圧の治療は継続的な健康管理の側面を含む。
    そんなこともあり、私は人間ドックを受けていない。
    次に下痢である。もともと「快便」で、子供時代より、判で押したように、朝食後に一発ですましていた。硬さも良かった、というより、便について考えることもなかった。それが、朝食後に2回、3回と増え、3回目にいたってはまったくの液状、さらに昼食後にも下痢をもよおすようになった。これが毎日となる。
    下痢の犯人捜しが始まる。ネットでは下痢の原因情報が多く出ており、まず、子供の頃より愛飲していた牛乳をやめた。酒を意識するようになった。ヨーグルトや野菜、魚など、いろいろやったが効果がみえない。下痢は日常に定着する。
    そこでよくよく考えて「ひょっとして薬か」に思い至ったのが、今年の夏である。
    下痢は3年前からである。
    原因は食習慣か老化であるが、老化であれ直接には食習慣であるはずだ。
    3年前から確かに変化した食(と言えるのかどうか)習慣とは、薬だけである。
    なかなか、ここまでたどりつけなかった。
    飲んでいる薬の添付文書を調べると副作用に「下痢」の文字がある。
    というより、調べたどの薬にも「下痢」の文字があるのだ。これはちょっと驚いた。
    薬には副作用があることはわかっている。しかし、このような形で自覚するとは思ってもいなかった。副作用とは直接反応で、飲み終えればなくなると思いこんでいたのだが、続けて毎日飲んでいれば、それは副作用は日常として定着もするだろう。別に当たり前のことなのだ、もっと早く気付きたかった。
    そして、先生に伝えて薬の種類を替えると、なんと約2週間後から、確かな変化をつかみ始めている。始めているというのは、日によって違い、まだ安定はしていないからだ。
    そこで思うことは、先生には下痢を訴え、そのために大腸の内視鏡検査を受けていたのに、かかりつけの先生も、内視鏡検査診断の先生も薬の可能性を指摘せず、原因は薬ではと疑ったのは私であるということ。それも随分と時間がかかった。
    「先生、早く気が付いてよ」と思わないでもないが、これを非難するつもりはない。そうしたものなのだろうと思うばかりだ。

    ここで私が理解したこと。
    ・体調変化(特に下痢)の原因として薬の副作用を疑う。
    服薬が増えた老人は薬の副作用に関心をもつべきた。
    ・自分の身体と治療の方法は自分でよく考えて医師任せにしない。
    あるいは回答は医師ではなく自分でもつものなのだ。
    ・老人になったら定期的に通い、フランクに意見交換ができる医師との関係が必要になる。
    それは探して作らないとならない。
    私の場合は、血圧管理が病院に通う理由となっている。つまり病院に通うには病気でなくてはならないのだ。
    毎年花粉症とインフルエンザ予防注射で通っている駅前のクリニックがある。
    加えてNTT関東病院で定期的な血圧治療を受けており、私は双方の先生とも信頼をおいており、満足している。
    ただし、NTT関東病院からは、厚生労働省の拠点病院の施策から、クリニックへの変更を求められている。これからは、どうなることやら。
    高齢化社会では、病気であるかないかにかかわらず「定期的な心身管理」と生活指導、さらには運動指導を行う病院が求められていくだろう。たとえば富裕層向けに月20万、年間300万円程度でそうした管理サービスをを行うというのは、考えられると思う。あるいは私が知らないだけで、富裕層の間ではすでに広がっていても不思議はない。
    私は富裕層ではないので、NTT関東病院との関係が切れても、血圧管理という病気(健康保健管理)を前提に、そうした私の健康管理の意向を理解、共有していただけるクリニック、先生を探すことを考えている。
    基本的に個人の先生に依存しない複数医師のクリニック。自前である程度の検査ができる中規模のクリニック。ホームページでそうした意向を示しているクリニック。場所は(家族ケアを基本にした)住宅地ではなく、ビジネス街の高齢者が比較的多いと思われるクリニック。果たしてこうした私の目測は的外れではないかどうか。

    三浦海岸 小春日和の マグロ丼
    どうも見たままで俳句とは言えないなあ。

    歳をとると、病院との付き合い方が、大切な暮らしの工夫となる。
    病院が嫌いな人は多いかと思うが、私は嫌いではない。
    かといって何も健康マニアではない。
    何か悪い具合を放置しておくのは好みではないのだ。
    病院で自分の身体の情報を得ることも楽しみに思っている。
    そして、病院の浮世離れした環境を好ましく感じている。
    病院に行くと、時間のとまったような感覚がある。
    次は痔となるのだが、話が長くなるので、次回にまわすことにする。

  • 2021年、70歳のトライアスロン日記(1)

    2021年、70歳のトライアスロン日記(1)

    何を、何から書くか。
    いろいろとあって、書くことで考えをまとめたいと思っているのだが、書き出しがつかめない。
    まずは書きたくないこの話から。
    10月10日の千葉市ティトライアスロンではスイムでタイムオーバーDNFとなってしまった。
    最後のブイをまわり、あと数十メートルのところで、時間です(1時間)と肩をたたかれて終了。
    この大会は準備不足でまったく自信のないなかでの参加だったのだが、スイムだけは今年に入ってから多少の上達をみていたので、まあ50分で泳げるつもりでいた。
    これはかなりのショックで意気阻喪。いまだに向き合うこともできず、ああ、とため息を漏らすぐらいしかできない。分析をすれば、加齢、体力の衰え、疲れ、基本的な能力など、リベンジ向けた対策もいろいろあろうが、気持ちはそちらに向かわない。

    そんななか、2021年に予定されていたワールドマスターズゲームズが、なんと、2026年に延期する方向という報道。このワールドマスターズゲームズのオリンピック距離に出て、あとはスプリントを年に1回ないし2回とイメージをしていた。だから千葉市ティもその準備のつもりであったのだが、そんな私のトライアスロン物語が描けなくなってしまった。例えば40歳での5年後と70歳での5年後は大きく違う。だって一昨年は大腸ポリーで内視鏡の手術をうけた(生理検査で早期がん診断)。ということは、すでに身体にがんを抱えているわけで、いつどこに出てもおかしくはないだろう。さてどうするか、考えはまとまっていない。

    10月10日を過ぎたらいぼ痔をなんとか片づけたいと思い、12月3日に手術を受けることにした。診断の先生は、注射治療と切除手術で治ると言い切ってくれた。お任せします。そこで手術のために心電図をとったら波長の乱れがみつかり、心臓CT(画像診断)検査を受けることに。飯田橋の検査クリニックに行って検査を受けたのだが、その際に注入した造影剤の副作用でジンマシンが発生。これはジンマシンだけのことなのか、あるいは、例えば疲れやすいなど、他の体調不良を起こしてはいないのか。落ち着かない体調不良の日々であった。
    診断では、心臓冠動脈に石灰化がみられるという。動脈硬化である。この年齢になると1、2か所あるのはいいのだが、けっこうあちこちに発生している。狭心症や心筋梗塞の予備軍である。だからといって今何かをするわけではない。対策としては定期的に診断をして気をつけましょう、ということのようだ。
    いずれにしても手術は受けることになった。手術をすれば2週間はほぼほぼ安静、激しいスポーツや酒は禁止とのこと。いまのところ、これでスッキリすればありがたいと、手術を楽しみに待っているのだが、ところで、この心臓とはどのように付き合うか。
    振り返れば、トライアスロンの運動検査で高血圧を注意され、降血圧薬を飲んで慢性下痢で3年間、下痢の原因を探るための腸の内視鏡検査で早期がんを発見切除、下痢は痔を引き起こし、そこから心筋梗塞のリスクを発見。病気因果の連鎖を生きるようだ。さらに加齢が原因で、声がかすれる、高い音が聞き取りにくくなっているとの診断。いやいやながらのインプラントで歯医者にも通っている。しかしこれはもちろん私だけのことではなく、ご同輩は多かれ少なかれ、であろう。
    ちなみに、下痢の原因がどうやら血圧の薬であることに気が付いたのは最近のこと。よくよく考えて、これしかないと思い、薬を変えて、その2週間後から下痢がおさまってきた。疲れ果てるほどの、長い道のりであった。
    老化というのは縮小であるという実感がある。
    筋力、柔軟性、反射神経などが縮んでいく。
    気が付いたらできないことが増えていく。
    そのスピードは驚くほどに加速していく。
    そのうえに、老化というのは病気を抱えることであるのだ。
    次々と病気がおこり、それを抱えながら縮小していく。
    縮小していく自分を見つめ、そんな自分を抱きしめながら、死へと向かっていく。
    別にそれが嫌なわけではない。
    これが老化という、誰も避けられないもので、へえ、と感心しながら見つめている。
    穏やかに受け止め、明るく元気で生きていきたい。
    まずは手術をして、さてどうなるのか。
    術後の2週間にいろいろと考えてみたいと、おかしな話であるが、心待ちの気分でいる。
    トレーニングは休み、酒も呑まない2週間だ。
    目を刺すような 秋の日差しに 向かい歩く
    手術前にと思い立ち、三浦海岸に行き、マグロ丼を食べ、昼呑みして、城ケ島を歩いてきた。
    いい休養になった。気分だけでも元気になった。
    ちょっと続けて書いていこうと思っている。
    今年の2月で70歳となった。次は70歳を振り返ってみようと思っている。

  • 今後のブログのテーは① スイム上達レポート、② オリンピック・パラリンピックレポート、③ 70歳となって6カ月の生涯スポーツレポート。

    今後のブログのテーは① スイム上達レポート、② オリンピック・パラリンピックレポート、③ 70歳となって6カ月の生涯スポーツレポート。

    今朝の起床は9時。
    7時ぐらいから目覚め始め、うつらうつらとしながら、ゆっくりと覚醒を待った。
    昨日の雨とは違って、今日は風の音が強い。
    部屋にはレースのカーテンのみなので、日差しが入ってくる。
    床を離れてみると身体はだいぶ回復した感覚がある。
    ドアをあけて外をみると青空が広がっている。
    吹く風は強いが心地よい。

    朝食はロールパン1個、ゆで卵1個と牛乳を多めに入れた紅茶。時折ビスケットをプラスするのだが、体重を落としたいので、すぐに歯磨きに向かう。
    ここで思うのは、明日が休みであることのありがたさ。
    土曜日はできるだけ仕事から離れるようにしているのだが、一方日曜は月曜の会議資料整備、メール作成、企画書の下ごしらえ、1週間の予定検討など、休み明けの準備に追われることが多い。だから3連休のなか日がうれしいのだ。
    よく「歳をとったらあくせすせずに」という警句を目にするが、現役で仕事をしていれば年齢にかかわらず、あくせくもするだろう。でも確かに、安息日が必要になっているようだ。週末の時間割を見直したい。
    昨日は久しぶりにブログに向かうことで、少し自分を取り戻したように感じ、今日また自然とブログに向かっている。自分を取り戻すとは、落ち着いて自分の考えで日一日を過ごすということだ。
    今年はブログを書く回数もだいぶ少なくなってしまったが、これはあくせくして落ち着いて自分と向き合い、考える余裕がなかったということなのだろう。
    私にとってこのブログは暮らしの計測器のようなものなのかと思う。
    実はこの間にも何回かブログを書き出してみたが、途中でやめてしまった。たとえばこんなテーマである。
    ① スイム上達レポート
    昨年9月より意識的にスイムの上達に取組み成果を実感している。
    名倉コーチの指導でここまできたプロセスを整理してみたい。
    ② オリンピック・パラリンピックレポート
    開催賛成の私の立場で今回のオリパラを振り返ってみたい。
    一方反対を声高に叫んだ社会のありようも私なりに考えたい。
    ③ 70歳となって6カ月の生涯スポーツレポート
    諸般衰えを感じているのだが、改めて70歳からのスポーツを考えてみたい。
    トライアスロンを続ける私なりに「老人にとってのスポーツの楽しみ」「スポーツと私たちの社会」「社会と生涯スポーツ」を考えてみたい。それぞれは複雑に関係しており、3つ揃えて何らかのメッセージをまとめてみたいと考えている。
    そのメッセージとは端的に言えば「老いを重ねながら元気で生きていこう」ということであり、はなはだ突然ではあるが、ここまで書いてきて、岡本かの子の「老妓抄」という短編小説を思い出したので、話はそちらに移る。
    いま調べてみたら、青空文庫に入っているのだ。
    https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/card447.html
    この小説は大学生のときにたまたまに出会い、心にしみわたった。ここに私の好きな世界があり、この小説に示された人生観が、50年を経て、いまの私に確かにつながっていることにいまさらながら驚いてもいる。
    この小説は題名のように「老いた芸者」を知人の小説家(作者)が紹介するという仕立てになっており、その内容は青空文庫にゆずるとして、この最初と最後の部分をここで紹介したい。
    ネタばらしのヤボは承知のうえで、それでこの小説の魅力が損なわれるわけでないことを確信して紹介する。
    冒頭
    平出園子というのが老妓の本名だが、これは歌舞伎俳優の戸籍名のように当人の感じになずまないところがある。そうかといって職業上の名の小そのとだけでは、だんだん素人の素朴な気持ちに還ろうとしている今日の彼女の気品にそぐわない。
    ここではただ何となく老妓といって置く方がよかろうと思う。
    終わり
    真夏の頃、すでに某女に紹介して俳句を習っている筈の老妓からこの物語の作者に珍らしく、和歌の添削の詠草が届いた。・・・・・・その中に最近の老妓の心境が窺える一首があるので紹介する。もっとも原作に多少の改削を加えたのは、師弟の作法というより、読む人への意味の疏通をより良くするために外ならない。それは僅に修辞上の箇所にとどまって、内容は原作を傷けないことを保証する。
    年々にわが悲しみは深くして
    いよよ華やぐいのちなりけり
    この詠草でこの短編小説は終わる。
    20歳のときに読んだこの歌を私はずっとおぼえてきた。
    ぜひご一読をお勧めしたい。私と同じく老境に足を踏み入れたあなた。そして若い女性にも(女性が主人公という理由から)お勧めしたい。
    私も改めて読んで、「華やぐいのち」にあやかり、元気をもらいたい。
    そして恥かしながら、私のブログから、皆様に元気をお届けしたいと思うのだ。
    朝ドアを開け 吹き込む秋風 大青空
    岡本かの子の引用のあとに我が駄作をあげるのは、大いに迷ったが、これは「ハイ、今日はこれでおしまい、ジャンジャン」の意味で、これがないとご笑納くださいとはならないので、ご勘弁いただきたい。
    ということで、改めて元気を出して、まずは「① スイミング上達レポート」をお届けしたい。
    トライアスロンを始めて12年。昨年9月よりスタートし、50メートルが1分15秒から59秒までになり、ようやく泳ぐことの入口にたつことができたプロセスを報告する。
    写真は駄作でよんだ今朝の光景。
    いろいろあるが、ともかく、今日はゆっくり休むぞ。

  • この3連休のテーマはリセット。千葉シティトライアストンまであと20日。

    この3連休のテーマはリセット。千葉シティトライアストンまであと20日。

    今日は3連休の初日・土曜日だ。
    トライアスロンのトレーニングに向かうためにいつもと同じように6時に起床。
    外は激しい雨で、寝床の耳に雨音が響く。
    昨夜は3時にトイレで目覚め、そのあとの睡眠が浅く、うつらうつらと夢にうなされるままに、目を開けるとちょうど6時であった。
    なぜなのか、うなされた夢のシーンは、フェレデリコフェリーの映画「カリビアの夜」で、ジュリエッタマシーナがマンボを踊るシーンだった。確かに、私は「マンボ!!」といって踊りだすこのジュリエッタの「侘しき愛らしさ」といった風情がが大好きなのだが、このシーンが、ジュリエッタのステップが、マンボのリズムが、果てしのないように、繰り返して夢に現れるとなると、なかなかに狂おしい。
    今日は休みにするか、とも思ったが、思い切って起き上がったのだが、身体はだるくもあり、変な緊張感で気がたって、明らかに寝不足を伝えている。家をでるまで行くか行かないか迷いのままに、結局は土砂降りのなか、自転車で傘をさしてジムへ。こんな激しい雨のなかで自転車を走らせるのは、以前にロタ島のトライアスロン大会で、バイク中にスコールに見舞われたことを除くと初体験である。
    事故が怖くて「落ち着け、落ち着け」とおまじないのように口の中で唱え、びしょぬれでペダルを回した。
    「70歳にもなって」と苦笑する自分もいるが、まあ、だれに言われてやっているものでもないのだ。

    8時30分からスイム。
    10月10日の千葉シティトライアスロンまではあと20日になってしまった。
    そこでウエットスーツを着たのだが、泳ぐとなんとも息が切れる。50メートル泳ぐと1分近くの休みが必要なほどで、トレーニングは勝手に半分に間引いて、本来の目的であるウエットスーツを着てのフォーミングだけを意識した。それはそれで、キックに多少の手ごたえは得たものの、この息切れはなんだろう。
    寝不足の疲れか、あるいはこのところ感じている疲労感なのか。いやいや、今朝体重計に乗ったら、普段よりも3キロ近くオーバーして驚いたのだが、そのせいなのか。
    今日はともかく何もせずに寝ることにしよう。

    少し雨も収まってきた12時に帰宅し、スーパーで買った350ミリリットルのアサヒスーパードライと、鳥弁当を食べ、横になって気が付いたら午後6時を過ぎていた。
    寝床で1時間ほど本を読み、起き上がり、改めて体重をはかると、先ほどから2キロ減。ホントかよ。
    同じく昼に買ったおいなりさんをつまみながら、パソコンでラグビー対抗戦明治×立教をオンデマンドでチェック。
    どうも今年の明治はプレーが軽く、イラつくなあ。

    そして、いま夜の9時50分。今日は何もしないでひらすら眠るつもりであったのだが、これを書いている。
    こんなときに、一人住まいを実感する。

    今年の2月に70歳となり、6か月が過ぎた。
    昨年の長良川大会に出たのが10月17日。
    それは2021年に開催予定であったワールドマスターズゲームズへの参加資格をとることが目的で、そのワールドマスターズゲームズの開催予定は、いま大会のホームページを見ると2022年5月13日から5月29日までの予定となっている。今回の千葉シティは、この5月の大会に向けたステップという位置づけであり、昨年末の目論見としては、長良川大会以降、改めて身体を整えて、この千葉シティに向かい、ワールドマスターズゲームズへの弾みをつけたいと思っていたのだが、それが目論見どおりにいっていない。
    下痢と痔の痛み、腰痛、肩甲骨の痛みと、全体に身体のコンディションが思わしくないままにここまで来ている。それでも体重はおまり変わらなかったのだが、ここにきて体重も増えてしまった。
    ことしは5月の連休も、夏休みもほとんど休んだ実感なし。
    コロナ禍のなかで、ほとんど毎日仕事で出かけているような状態であるのだが、それでもストレスはたまっているのか。

    この3連休を大事にすごしたいと思っている。
    ママチャリに 打ち付ける秋雨 揺れるビニール傘

    70歳となった今年は心身体調生活仕事とも、とかく不安的であった。
    この3連休は休み第一でリセットしたい。
    そんな気分でブログに向かった。
    漫然とした内容となったが、まずは書いてみることからリセットしたいと思った。
    写真は私のランニングコースで見た秋の夕暮れ。