今日はトレーニング日よりだった。スイムのあとのランは400メートルの1周コースを8周。これは2週間前と同じプログラム。このトレーニングは8本とも同じスピードで走るのがポイントなんだそうだが、前回も今回もまったく無視して、まだ体力のある1本めは目いっぱい飛ばす。自分がどのぐらいで走れるのかを試したいのだ。今回も前回と同様に1分30秒を越える程度で走ることができた。これを1キロに換算すると4分を切る。
それから一本ごとにどんどんとタイムは落ちていき、最後は2分20秒程度にまでなった。1キロ換算で6分弱となる。なんとなくわかる感じなんだな、これが。
同じスピードではなく、勝手に違うスピードにトライするトレーニングとした。
この違いは何か。これは以前から思っていたことであり、今日のブログはランニングフォームとスピードについて考えてみる。
1本目と2本目以降では、走り方がまったく違うのだ。早い走り方と遅い走り方の2つがある。これを早走、遅走と呼ぶ。
もちろん元気があるうちは早走で、疲れて息が切れてくると遅走になるのだが、疲れに限らず、気合を入れれば、早走での走り出しは可能である。しかし、遅走から早走への移行ができない。遅走でだんだんとスピードをあげても早走にはならない。ギヤチェンジができない。これはフォームの問題である。
では早走フォームと遅走フォームでは何が違うのか。私の感覚では、膝の上げであるようだ。膝をあげてジャンプをするような、はずむような意識で走る。これが早走。早走で走るときは、身体がぶれないようにする。つまり全身を意識することになる。
一方の遅走といえば、何も考えず、意識せずに走り出す。するとジャンプの感覚は生まれず、いわばペタペタとした走りとなる。いつもトレーニングの走り出しは完全に遅走であり、身体が温まり、呼吸が落ち着いてきて、だんだんとスピードをあげていくのだが、フォームは遅走のままなのだ。なんだかわからないが、そのフォームで固まってしまい、早走へのギアチェンジができない。
早走=ラン、遅走=ジョグの違いともいえる。
老いとは心身の委縮であり、老いて失われるのは躍動感である。だから意識をしないで黙って走れば、フォームはジョグとなってしまう。ジョグのフォームで頑張ってもスピードはそうあがるわけではない。
そのように考えてみる。
そこからトレーニングを考える。
ここからは私自身の考えかたの整理。
私には早走、遅走の2つのギアがある。
早走=ラン、遅走=ジョグである。
ゆっくりと走り出し、だんだんとスピードをあげていくにしろ、初めからフォームは早走を維持して、遅走にはしない。ランは走り出しから最後まで早走なのだと覚悟を決める。
一方遅走はLSDで長い時間の呼吸ジョグトレーニングと考える。
となると、早走を維持するには、LSDをベースに3キロ程度のラントレーニング、さらにはサーキットトレーニング、体幹強化に脚力(筋力・柔軟性・反発力等)の強化が必要になるのだろう。
これはなかなか厳しいなあ。
走り出し 身体包むか 初夏の風
腰はだいぶよくなっているのだが、痔のほうが一進一退。今日も具合がよくなかったなあ。なんだか「70歳で痔の格闘記」のような具合となってやるせない。何も考えずに思い切って走りたい。来週にはクスリが切れて医者に行く。なんとかしてくれ。
明日は超久しぶりにバイクに乗ってみようか。
写真はいつもの散歩コース。東京湾となっているが、東京ディズニーランドに行きつく。そこまで走りにいったこともあった。懐かしく思い出す。
カテゴリー: 老化
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ランのトレーニングについて考えをまとめました。早走と遅走の違いです。
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腰痛が悪化。。こいつは「腰を据えて」取り組まないとならないなあ。
この水曜あたりから腰痛がひどくなった。木曜の夜は痛みのためにほぼ眠ることもできず、歩くにも不自由な状態となり、金曜におなじみとなった小岩のペインクリニックに行ってブロック注射をうつ。先週に引き続き今日のトレーニングも休みとした。
腰痛の病名は椎間板ヘルニアで、最初に発症したのは40歳の頃。ほぼ1カ月の間NTT関東病院に入院した。退院する際に、医師から繰り返すだろうと言われたのだが、このブログを振り返ると2017年の4月の12日に小岩のペインクリニックで治療を受けている。
ブログには「結局昨日の夜は満足に眠ることができなかった。どんな姿勢をしていても右足が痛み、息をひそめて一夜をやり過ごすことになった」とある。
症状は同じだな。痛みはことときのほうがひどかったようだ。
この時は1回の注射で痛みは消えたようだが、今回はスッキリとはいかず、痛みがまだ残っている。
こうした体験から、今回の不具合についても、なんとかうまいことやり過ごして連休のトレーニングに向かうつもりでいたのだが、この痛み具合を考えると、どうやら一段と腹を据えて取り組まないとならないようだ。
今回のブログのテーマは「腹を据えて腰痛を乗り越える」。
その方法を考えてみる。
ネットでいろいろと調べてみると、なるほど医学は日進月歩で、以前とはだいぶ様子が違ってみえる。チェックしたのは以下の4点。
1 椎間板ヘルニアの原因の一つは加齢である
2 痛みがおさまれば約3カ月程度で自然回復する可能性が高い
2 適度な運動は推奨される。散歩がお薦め
3 新たな「ヘルニコア注入」という治療法が生まれている2017年66歳で、2021年に70歳で再発となった。今回の治療では骨密度検査を受けた。平均値であるものの、2017年より低下している。やはり老化現象として繰り返すんだな。これは何とかしないとならない。
直接的な原因としては、スイムのオーバートレーニングと考えていたが、2017も同じ時期であったことは注目である。4月といえば確定申告というパソコン作業を終えたところではないか。40歳の最初の発症も直接的な原因はパソコンでの徹夜業務であった。
まず加齢がベースにあり、そのうえでパソコンのオーバーワークが地ならしをしてスイムのオーバートレーニングが重なったということなのか。
さて、どうする。
今回はどうする。
繰り返すのであれば、これからどうする。まず今回は自然回復を目指そう。
痛みをなだめつつ適度に身体を動かして回復を待つのだが、この「適度」が難しいのだ。
散歩、ゆったりスイム、ストレッチ、筋トレなどでだんだんと身体を作っていく。やりながら考える。これを3カ月とすると、5月、6月、7月となる。
それをベースに繰り返さない生活習慣、身体づくりを行う。
まあ、自分を実験台としてどんなものかを見ていこう。
それでだめなら新手法に挑戦しようか。さて、今日は朝のトレーニングを休んだ。
20分ほどゆっくりと散歩をした。
テレビでラグビーを楽しんだ。
プールにでかけて、水のなかでの腰の痛みの感覚を確かめた。
目に青葉 もどかしいかな 腰のヘルニア
70歳から気持ちよく暮らしていく身体をつくる。
そんなことを考えてきたが、この腰痛でその思いは一層強くなった。
それは70歳からの生活習慣を作ることでもある。
大切なことは、誰に頼まれわけではなく、勝手にやっているということ。
だから、のんびりと、そのことを楽しんでやるのがいい。
ネットで「水泳 腰痛」で検索するといろいろと情報が出てくる。
「水泳肩」という言葉もあるのだ。
これについて次回に。
写真は散歩道で眺めた空。見事な雲。 -
今回は体調管理の話。この土日は身体の不調で休息としました。
毎週土曜日午前はATAのトレーニングに出かけているのだが、昨日はお休みとした。ひとことで言えば体調不良のためとなるのだが、この体調不良にはいろいろの要因が重なっており、この土日は「ともかく休む」こととし、ひたすら眠ることにした。
以前から、年に2回ぐらいは何もしないでひたすら眠る日を過ごすようにしているのだが、今回もそのタイミングと思って判断をした。とはいうものの、本日日曜は天気に誘われ、5キロウォークをしてしまった。やめればよかったか。いささか後悔している。休む時は休まねば。
さて、今日は体調管理の話です。70歳の体調管理の一つのサンプルです。
70歳にしてトライアスロンといえばいたって健康そうだが、このところ1日に次のクスリを処方している。数字は錠数。
高血圧 朝2 夜1
高脂血症 朝1
逆流性食道炎 朝1
整腸 毎食後2+1
痔の炎症 毎食後1
痔の軟膏 日に2
花粉症 夜2
通っている病院は高血圧、消化器外科・肛門科、アレルギー、歯医者(歯周症ケア)、ペインクリニック・整骨院。
確定申告では昨年の医療費は15万近くになった。体調管理に使う時間も金も大きく増えて保険料の恩恵を十分に受けている。実感では3年ほど前、67歳あたりからか。65歳にはまだ日々自覚するまでに至っていなかったと思う。
病院に行くことが日常となり、否応なくいろいろと対応策を考えるのだが、なかなか「解決」とはならない。これが老いの一局面なのかとも感じている。高血圧は半ば諦めているのだが、痔がなかなか完治せずにまいっている。当たり前のことだが、身体に痛みや不具合を感じるのがいやなのだ。痔の原因はこれも3年ほど前からの過敏性腸症候群による下痢で、子供の頃から愛飲している牛乳をやめるなど、食べ物の工夫もしているのだが、なかなか思うようにいかない。これも老化の一つなのか。
加えてこの1か月は肩甲骨と腰が痛み、整骨院に通い、神経ブロック注射を打っている。
その腰の痛みが増してきた。
更に疲れがたまっている感覚がある。多分肉体的なもの以上に精神的な疲れが強いように思う。確定申告で疲れたからなあ。
ということで、この土日を休息にあて、少なくとも腰痛と痔を押さえてリセットしたいと判断した。ともかく寝て疲れを癒し、身体の回復力をよみがえらせるのだ。肩甲骨と腰の痛みは右側だけに出ているが、原因はハッキリしていてスイム。泳いでいるうちはなんともないのだが、じっとしていると、身体の芯のほうから強い痛みを感じて、どうにもならない。
泳げるものだから、練習は続けてきたのだが、腰の痛みが強くなってここでストップ。オーバートレーニングによる身体の痛みは、それを乗り越えることで新たな成長につながることは経験として実感してはいるが、はたして70歳となった今回もそのようになるのか。これはちょっと興味をもってみている。休息による回復のポイントはトライアスロンのトレーニングに向かうようになれること。
痔が痛み腰が気になるようでは走れない。肩甲骨が痛くてはバイクに乗れない。かろうじてスイムはなんとかできるのだが、バイクはまだしろ思い切って走れないのがつらい。7月には大会を予定しているので、そろそろ大会に向けたトレーニングを始めたいと思っているのだ。
などと書くといかにも殊勝なのだが、それ以上に、身体の痛みを気にせずトレーニングに向かう日々を回復したい、老いを実感していく中でも、少しでも快適な日々を過ごしたいということなのだろう。となると、あきらめずに工夫を重ねていくことになる。今回の休息もそうした私なりの工夫ということなのだろう。
この風音は 夏の予感か 血が騒ぐ
ちょっと疲れた感じがある。なぜだろうと思っている。睡眠時間は十分だが、眠りは浅い。同じように暮らしているのに疲れを感じるのも、これは老化なのであろうか。
いまもすでにそうであるが、これから老化の研究はさらに進むだろう。
私も私なりに、体験をとおして老化を見つめていきたいと思っている。写真は渋谷宮下公園の様子。東京オリンピック・パラリンピックをターゲットに整備をしてきたのだろうが、私は街として新たな魅力を感じた。お薦めです。
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謹賀新年。新年のご挨拶を申し上げます。今年もよろしくお願いします。
当ブログをお読みの皆様。
明けましておめでとうございます。
年明けからだいぶ経ってしまいましたが、今年もよろしくお願いいたします。
いつもそう思っているのですが、今年は週一ぐらにはブログをアップしたい。今年は70歳になります。書くことで老いのなかの自分を確かめ、皆様に呼びかけたいと思っています。昨年はコロナ禍に明け暮れ、今年も正月早々の緊急事態宣言となりました。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私はこれまではコロナに見舞われず元気に毎日を過ごしており、知り合いにもかかったという話は、幸いにまだ耳にしておりません。テレビやネットではコロナへの政府などの対応に多くの批判の声があがっていますが、こんなときに寄ってたかって、にわか知識に訳知り顔でああでもない、こうでもないなどと非難の声をあげるのは大嫌い。下品だなあと思っています。
このブログもそうですが、自分がわかっていることを、自分で考えて、自分の言葉で語るよう、自戒しています。
あと、村上春樹が菅総理の演説を小馬鹿にした発言をニュースで読みましたが、小説家のくせに簡単に人を断罪するなよ、お前に何がわかるんだと思います。これまで村上春樹の小説を読もうと思ったことはないし、今後も一生読むことはないだろう。
私は終始一貫、政府をはじめコロナへの対応にあたっている皆様に感謝し、この船に共に乗っていることを幸いとし、黙って自分にできること、手洗いとマスク、三密回避などに努めています。これが私の処し方です。さて、トライアスロンです。去年を振り返ると。。。。
長良川大会を目標にしてきたものの、あえなく完走はかなわず、大いに落胆した。
一方、ATAの中島ヘッドコーチの夏合宿に参加し、スイムとバイクについては、大いに刺激を受けた。これが2大トピックだな。
それと、記しておかなくてはならないのが、下痢。
正月から尾籠な話で恐縮です。
もともと下痢体質であり、数年前はマラソン大会で走っているさなかにもよおして、トイレに駆け込んだことが2回もあった。
その下痢がひどくなった。昔から排便は朝食後なのだが、3回も4回もトイレに行くようになった。1回目から下痢気味で、4回目はほぼ水だけ状態。それが原因で痔になってしまった。これは困った。走ると痔が痛むので、走る気になれない。
昨年の暮れには初めて「消化器外科・肛門科」の病院を訪ねて、下痢のための胃腸薬と痔の軟膏を出してもらった。少しは改善しいているが、まだスッキリしない。さらに、このところ血圧が高くなっている。3か月に1回、NTT関東病院に通って血圧の診療を受けているのだが、だいたい上が130以下であったのが、140前後になっている。
そうなのだ。10月の長良川大会以降、体調がいまいちなのだ。大会で痛めた左ひざの痛みも、うっすらと残っている。
そんな身心の状態で新年を迎え、思うことは「心身の体調維持」。
心については、嫌なこと、不愉快なことは避ける、距離を置く。
身については、ささいなことであれ快な状態を目指す。
それは毎日の過ごし方なんだな。十分な睡眠、40分のウォーキング、ストレッチ、入浴、そしてトレーニング、さらにお酒。酒については、飲まない毎日が身についてきた。
急がず丁寧に時間を過ごす感覚が大切と自分に言い聞かせている。
しかし、こうした方向に心身が向かっていること自体「老化」と思うのだ。
無茶を楽しみ、無茶しても悲鳴があがらない、というのが若さというものであろう。
老化の自覚として「疲れ」を感じるようになっている。
特に夕方以降、仕事に向かう意欲が起こらない。
といった調子で「我が老化」を見つめている。
トライアスロンを続けているが、アンチエイジングに関心はない。
老化は自然の摂理であり、拒否するものではく、受け入れるものだ。
その老化を、できるだけ手に取るように敏感に感じたい。
それがトライアスロンを続ける大きな理由になっている。
ああ、こんなことができなくなるんだ。なるほど。
ああ、老化のなかでもこうした進歩があるのだ。驚き。
元日の日は素晴らしい快晴だったなあ。快晴に 迎春迎春とつぶやいて 歩き出す
最近は痔のおかげで走れないこともあり、スイムに向かっている。
こんな年齢でも多少であれ上達というものがあることを楽しんでいる。写真は昨年夏の合宿でのスナップ。
いい経験でした。 -
誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を考えてみる。
2月16日で69歳となった。
前回のブログでは「死ぬまでの暮らし計画」をご披露した。
誕生日を機に「死ぬまでのトライアスロン計画」を書き留めておきたい。私にとってトライアスロンは「生涯スポーツ」である。
60歳を前に「生涯スポーツ」を探していて、トライアスロンに出会った。
「生涯スポーツ」とは、老いていくなかで、できるだけ長く続けていけるスポーツである。その効能としては、もちろん身体の運動機能の維持があるが、合わせて、生涯の趣味として「楽しく」続けていけそうなことも重要だ。
水泳やマラソンという選択もあり得たと思うのだが、果たして水泳やマラソンを楽しむことができるのか、おそらくタイムの奴隷になって窮屈な思いをするのではないか。トライアスロンは「記録や順位ではなく完走こそが勝利である」との文化があると聞き、これはいいと思った。
加えて、これは個人的な思い込みであるが、トライアスロンをやるとことが一つの人格表現であるように思えたのが気に入った。私の考える生涯スポーツとは、老人としての人格を規定するものなのだ。
私がイメージする「トライアスロンを楽しむ老人」、すなわち「トライアスロンを楽しむことで実現される私がなりたい老人」とは「元気で明るい老人」である。私は「シャキシャキした老人」でいたいのだ。
そしていまトライアスロンを始めて11年にして、トライアスロンは生涯スポーツにとても適したスポーツであることを身をもって実感している。私はただのメタボのおやじであり、スイム、バイク、ランの経験もなく、58歳からトライアスロンを始めた。レースではいつも最下位レベルであるが、こんな私でもできているので、ぜひ皆様にも「生涯スポーツ」としてお勧めする。さて、69歳である。このブログでも再三書いているように、このところしきりと老化を実感するようになっている。
これからはまさに「生涯スポーツの真価」を実感する年齢になっていくのだ。
真価を実感するためには、毎年レースに出ること。これが原則であり目標である。
いつまで出ることができるかわからないが、まずは75歳、できれば80歳。
大切なことはやり続けることと思う。ローリングストーンズのキース・リチャーズが禁煙をしたそうである。
それを伝えるニュースに、キースのこんな言葉が紹介されていた。
「ミックも俺も前回のツアーで、俺らはやり続けるしかないって感じたんだと思う。俺らは続けなきゃならない」
この言葉がいまの気分にしっくりきている。
続けていく理由や意味を考えればきりもない。
それよりも「俺はやり続けるしかない」と思う心をもっていること。
生きているということは、そういうことなんだと思う。
私の「死ぬまでのトライアスロン計画」は「やり続ける」こと。
「やり続ける」ことをもっているのはいいことだ。
窓揺らす 春一番に 胸騒ぎ今日は春一番。世間はコロナウイルスで騒がしいが、いろんな予期せぬことがあるのが世の中というものなので、黙って自分で気をつけて「元気で明るく」暮らしていくほかないと思っている。ギャーギャー騒いでいるのはイヤだなあ。
写真は話題の渋谷スクランブルスクエアからの眺め。こうしてみると、渋谷って50年前の学生時代と大きくは変わっていないような気がするけど、どう思う? -
老化とは「縮んでいく」ことなのだ。「縮んでいきながら心地よく暮らす」とは。
3か月に1回、高血圧の定期治療に行っている。今日がその日で、血圧を測り、血液と尿検査を行い、次回までの薬を買う。
今日の血圧は127(上)、75(下)で正常。血液と尿も「貧血ぎみ」以外は正常であった。貧血はいつものことで、自覚症状もなく、気にしてはいない。
行くたびに先生から「何か具合の悪いところはありますか?」の質問がある。
今日は「68歳になって、老化を実感するようになりました。老化というのは収縮ですね。全体が収縮していく」という言葉が口をついて出た。そのあとは「トライアスロンを頑張ってください」といった会話で終わりとなったのだが「老化とは収縮」という自分の言葉が心に残った。
その言葉をきっかけ書いてみたいと思う。
そう。心身が「縮んでいく」という感覚があるのだ。
それに合わせて「暮らし」も縮んでいく。
体でいえば、筋肉、柔軟性、俊敏性などが衰え、躍動感が失われ、動作の幅が狭まり、緩慢になっていく。若いうちは、考えもせずに、駅の階段を1段おきに駆け上がって電車に飛び込んだのだが、とてもそうはいかない。
すべからく意識をしないと「動かない」。それが「縮んでいく」感覚だ。
「縮んでいくこと」自体は仕方がないのだが、その状態、その自覚は決して心地よいものではなく、そこでいろいろと動かしてみることになる。それがトレーニングである。
若いうちはトレーニングなどなくとも動けたのが、年をとるとトレーニングが必要になる。そうか。年よりは日々トレーニングをしないとならないのだ。
ただし私の感覚ではそれは「縮んでいくことへの抵抗」ではなく、「縮みながらも心地よく暮らす」ことであり、「心地よく老いていく」方策ととらえている。
体が縮んでいるのだがら、心も縮んでいるはずである。例えば好奇心、感受性、集中的な思考体力などが衰え、「面倒なのでボーっと過ごす」時間が増えているようだ。
よく「年を重ねて体は衰えても心は若い」なんてセリフがあるが、私はそうは思わない。それは自己認識力が衰えて気分だけは若いつもりの状態と考える。ボケの一種だな。
さて「縮んていく心」に有効なトレーニングとはなにか。
それは成長期にある人間のトレーニングではない。
「縮みながらも心地よく暮らす」ためのトレーニングだ。
例えば身体のトレーニングは有効だ。全身五感で味わう自然は心に栄養を与えてくれる実感がある。
しかし例えば、最近は長い時間集中して本を読むことが億劫になっている。読み出すとすぐに眠くなり、「買ったけどめくっただけ」の本が増えていく。集中的な思考力や想像力が「縮んでいる」のではないか。
もう一杯 麦茶がおいしく 飲めている多分「心のリズム」というものがあるのではないか。「心が縮む」とはその「心のリズムが縮む」と考えてみる。リズムがスローになったり、不規則になったり、あるいは体と同じように躍動感が失われる。溌剌(はつらつ)という言葉が心に浮かぶ。心を溌剌とさせる「心のリズムトレーニング」かあ。
ではどうするか。このテーマは次回以降も続いてく。
写真は今日もらった検査結果。
改めて、問題なし、です。 -
ランもスイムも少しずつ回復しているようで。練習が楽しくなってきた。
前回のブログでランの衰えを書いた。感覚としてキロ1分の衰えで、以前のキロ7分の感覚で走ると、現実はキロ8分、キロ6分がキロ7分ということなのだ。果たしてこれは加齢によるものなのか、あるは練習不足なのか。何を言っているのか。両方じゃないか。と言ってしまうと話がそこで終わってしまうので、話を先に進める。
そんな状態のなか、今日のランのトレーニングでは、3キロをキロ6分15秒のペースで。そのあとの1キロのタイムトライアルは5分37秒で走ることができた。キロ1分の衰えがだいぶ回復して、キロ30秒ほどの衰えになったかと思う。
今日、よかったのは、安定したフォームで3キロを走れたこと。寄る年波から早いリズムのピッチ走法を心がけているのだが、2500あたりでもしっかりと走ることができて、「いけるぞ」の気分となった。走ったあとの余力もあった。
この手ごたえなら、練習を重ねればキロ15秒はあげられるだろう。タイムレースについてはどうかなあ。これは5分を目指したいのだが、そんな無謀な目標にも、今日は「やってみようか」の気分となった。ランに先立つスイムでは、100メートルを2分15秒程度でこなすことができた。こちらも「もう少しいけるよな」といった手応えを感じた。ポイントは体のポジション。前のめりに水にもぐっていく感覚を持続すること。25メートルまではついていける。でも25でターンをすると、どんどんと引き離されていく。一つには手を回すスピードが遅くなる。そこで頑張って回すと力が入って腰が沈んていく。そういうことなんだよな。わかっているのになかなかできない。
しかし、スイムも「やってみよう」の気分である。
ということで、ランもスイムも手応えを感じた今日の練習であった。
そこで思うことは、日々続けてトレーニングをする大切さ。
毎日「動いている」という感覚を身体に刻むこと。仕事が忙しいとなかなか練習の時間がとれない。でも、仕事があまりに忙しいので練習をするということがある。練習は仕事の疲れやストレスを癒してくれる。よってあまりに忙しくなると、練習で癒さないとやっていけなくなる。その感覚がわかってきた。
これまでであれば、仕事の癒し、気分転換は酒であった。それが練習になってきているということなのだ。練習をしている日々を、その時間を、その肉体の反応を楽しむ。そんな気分となっている。
前回は衰えの原因は加齢と書いた。それは間違えないのだが、加齢の衰えも、練習によってカバーできることがあるのだ。それを実感している。
天高く その空に向かい 走り出す
肩のヒビ、肘の打撲がまだ治らない。長くかかるものだ。
こうして全身の細部を意識する。
今日練習後の体重が69.5キロであった。70キロを割っている。いいぞ。
今日は写真はなし。 -
ランの衰えを実感。衰えはキロ1分。回復できるかなあ。
トライアスロンのトレーニングを始めたころ。大井町に住んでいた。大井海浜公園に1周1キロのコースがあって、初めて10周10キロを走った。トライアスロンをやるからには10キロは走れないといけないが、10キロなんて走ったこともない。「まあ、いけるまでいってみよう」と走り出した。「ユックリ、ユックリ」と言いきかせ、10キロを気持ちよく走り、時計を見るとちょうど1時間20分であった。「ユックリ、ユックリ」がキロ8分のペースであったわけだ。大いに満足した。ATAでのランでのトレーニングで、キロ7分のペースについていなかったことを覚えている。
これまで、マラソンの自己ベストは4時間48分であった。換算するとキロ6分50秒を切るぐらいだ。随分と上達したわけだ。
1年前は、何も考えずに普通に走るとキロ7分。身体が温まって調子が出て、ちょっと意識をあげるとキロ6分。頑張るとキロ5分に迫るところまできて、なんとかキロ5分を切れないか、などど考えていた。
それがいまはどうなっているか。
何も考えず普通に走るとキロ8分に落ちてしまった。キロ7分で走るには以前のキロ6分の意識が必要になる。
そして今日、1キロのインターバルトレーニングがあった。
1本目は5分50秒。500メートルで息がきれて後半はどんどんペースが落ちていった。2本目は6分、3本目は6分10秒となった。
走る力が衰えている。
身体の実感としては、キロ7分が8分に、6分が7分に、5分が6分に、1分ほどの衰えである。
つい先日の5キロの自主練はキロ7分34秒であった。実はちょっと頑張ってこの時間である。さて、ここで思う。
この1分の衰えは回復できるのか。あるいは1分をこえてさらにアップすることは可能なのか。
1年前は走りのペースを自分でコントロールできていた。キロ7分と思えば7分、6分と思えば6分で、ほぼ正確に走ることができた。いまはその体内時計が狂っているようだ。秋晴れだ 青空みつめ 走りだせ
レースで時間を目標にすることはない。意識するのは呼吸であり、いつも安定した体調で走る続けることだけを考えている。
しかし、それだけではどんどんとタイムが落ちてく事態になった。恥ずかしながら、この年齢になっても「まだ伸びしろがある」と思いながらやってきた。それはトレーニングに向かう意欲の原泉であった。
でも、ちょっと考えを変えなくてはいかないかなあ。
そうは思うものの、正直、どのように変えていくかがわからない。
例えば、加齢で一段階段を落ちた感覚があるが、トレーニングは一段ギアをあげてみる。
できるかな。できないかな。
それはやってみないとわからない。
いずれにしろ楽しくないことはしない。
それが基本。
写真は我が家のドアを開けて見る今日の青空。
今日は長袖のウエアで走った。
秋到来。また楽しからずや。 -
58歳でも始められるから、67歳でも続けていけるに。
7月25日にこんなメールがブログのサイト管理者から届いた。ブログを開設してから、もうすぐ9周年!!
あと2日で9周年になります。
この9年間にあなたのブログで生み出された訪問回数は・・・
129,425件 になります。
最初に書いた記事は “58歳トライアスロン始めるの記” でしたね
http://tryathlon.at.webry.info/200907/article_1.html
訪問回数の129,415を9で割ると14,380。毎年1万4千を越えるアクセスがあったとは。
まず驚きであり、実に嬉しく、ただただ感謝です。
このブログをきっかけの一つとしてトライアスロンを始めたという方もいらっしゃる。
マラソンを始めた方もいらっしゃると聞いた。
こうした話は特に嬉しい。始めるきっかけになったというのは書く者の最大の喜びだ。
また、私のブログを読むことで、自分の3年後や5年後の参考にするという声もいただいた。
このブログでは実用的で役に立つことを心掛けており、これもありがたい。
58歳でも何かを始めることはできる。これはこのブログの基本的なメッセージである。私には定年はないが、定年を前に何かを始めてみようと思う方は多いであろう。このブログで、私の実体験を伝えることで、そうした方の背中をいささかなりとも押すことができれば嬉しいと思った。
そして9年がたった。改めて、67歳でもまだまだ続けていけることができる、ということをメッセージとして伝えたいと思う。
9年の間に多くのトラ仲間を得たが、いまはお休み状態の方も少なくない。仕事や結婚、出産などの大きな人生の転機がきっかけとなるケースが多いように思うが、例えばアイアンマンなど、大きな目標の達成を機に休止に入る方もいるようである。
私の場合は、ともかく続けていくことを第一に考えており、振り返ればこの9年は仕事上の大きな転機であったのだが、それでも続けてこれたのは、やはり「生涯スポーツとして始めた」ことが大きいだろう。生涯スポーツということは、身体が動くうちは続けるということである。続けるということは、私の感覚では、少なくとも年に1回はレースに出る。週に1回程度はトレーニングをする生活を営むことである。そして大きな目標など設定しない。目標を持つから続けていけるという考えもあろうが、私は続けていけば、それなりに、自然と目標はできていくという考えだ。
こうした、いわばお気楽な取組み姿勢が続けてこれた大きな理由になっているように思う。
いまひとつはマイペース。レースに出れば、スイムもバイクもランも、どの種目もほぼ最下位である。トレーニングでも、いつも最後尾で、一人別メニュー。初心者も数か月たてば、みるみる私を追い越していく。なにをやっても、なかなかうまくはいかない。もっと若い年齢から始めていれば、もう少し上達できたかと、思わないでもないが、そんなこと言っても始まらない。これはけっこう精神的につらいんだ。
だから、あきらめる。そういうと「あきらめちゃいけない」という声が四方八方から降りかかるのであるが、あきらめているから楽しむことができて続けていけることはあるのだ。そう思っている。嵐きて 雲の流れに 胸騒ぎ
このところ、それこそ歳のせいか、すぐに息切れとなる。特にスイムでの息切れがひどくて意気消沈している。どうも70歳を前に、一段階段を降りた感覚を覚えており、今後トライアスロンを楽しむには、もう一段トレーニングに打ち込む必要があると感じている。具体的にはトレーニングの時間を増やすということになる。
それはどのようにすれば可能であるか。もちろん仕事優先である。そのうえで、これは単に時間管理の問題ではなく、意識のコントロール、暮らしの習慣、さらには生きていく価値観そのものにかかわるものなのだ。
まあ、やってみようと思っている。
そんな「私のトライアスロン」をこれからも書いていきます。
写真は嵐到来をニュースが告げる夕方の我が家からの光景。 -
今年の初レース、最下位にして1位のメダルをゲットとは。
この前の日曜日は房総アクアスロンに出場。500メートルのスイムと5キロのラン。タイムはスイムが18分23秒。ランが40分33秒で、合計が58分56秒。総合38位。といっても完走は38名なので、最下位。でも60代の参加者は私一人なので、ショートの部男子60歳から69歳で1位となって、表彰の金メダルをいただいた。なんだか漫画のような結果で、一人笑うしかない。
振り返ってみると、スイムのは新しいウエットスーツ初体験で、このところはフォーム矯正にも取り組んできたのだが、それが実ったとはとても言える状態ではなかったなあ。ゴーグルが曇ったこともあって、途中4回ほど立ち泳ぎが入ってしまった。なんだろうなあ。感じたのは疲れ。フォームが安定せず、リズムがつくれず、腕でかいて疲れでしまった。息があがったような感覚があった。フォーム矯正が不十分であったということか。なんかおかしいなあ、おかしいなあ、と思いながらの500メートルとなってしまった。
ランのは小雨まじりの天候が気持ちよく、いい感じで走れたのだけど、タイムが悪いなあ。体感ではキロ6分半から7分ぐらいのペースを感じていたのに、この結果には失望だなあ。
このように書き出してみると、要は練習不足!!ということなのだ。加齢による体力の衰えを感じつつ、どうも衰えという布団の中でまどろみたくなる自分がいる。まあ、こんなもんだよと自分を納得させたい気持ちがある。
さてどうしよう。
トライアスロンに向けて、もう一段戦闘的なチャレンジスピリッツが必要なように思われる。「やってやろうじゃないか」のファイト気分を掻き立てないとならない。どこか後遺症が残っている感覚はある肉離れも「完治した」と思いきってしまう。これがまずは心の置きどころ。
そして、日々の習慣のつくりかた。どのようなトレーニングを行うかというのは、どのような日常生活を過ごすかということに他ならない。ファイト気分をかみしめる日々の作り方を探し出していかなくてはならない。
梅雨の入り 房総海辺 初レース
ということで、「やってやろう」の気分であるが、今週は風邪をもらってしまったようで、喉が痛み、今日はトレーニングを休んで眠ることにした。とても残念だけど、相撲取りではないが、「寝るのも稽古のうち」と思って割り切ろう。
67歳になって、トライアスロンとはもう一段深い付き合いを作っていかねばと思っている。やらねばならぬの気持ちである。
ここで止まっては、ここで辞めては、もう戻ることはできないだろうから。
挑戦を楽しんでみたい。
トライアスロンは挑戦の気分をつくってくれる。それがいい。
写真は、恥ずかしながらの頂いたメダル。
笑ってしまうが、大事にしよう。
今日のラグビーでのイタリアへの敗戦は悔しいなあ。ホント悔しい。
最後のノックオンは誰だ???