カテゴリー: 老化

  • 睡眠不足で体調不十分であったが、素晴らしい好天を満喫。

    睡眠不足で体調不十分であったが、素晴らしい好天を満喫。

     今日は陽射しと風が心地よい素晴らしい好天だった。ランのトレーニングでは、「流し3本」のあと、公園内の1周1200メートルのコースを4周。気持ちのいい汗をかいた。こんな素晴らしい日を、全身で味わえることの幸せをかみしめた。何度も何度も「ありがたい」とつぶやいた。

    身体が元気でいい天気の日を楽しむことができる。ささやかなことだが、ありがさを痛切に実感するもの、歳をとったということなのだろう。
    実は今日は体調はよくなく、スイムもランもひとり本数を減らしてのトレーニングだった。原因を振り返ってみると、今週は睡眠不足の日があった。どうも睡眠不足が堪えるようになった。もう徹夜など考えられない。身体に力が入らず、息がすぐにあがってしまう。リカバリーも1日寝れば回復とはならない。数日をかけて徐々に回復していく。今日の午後は昼寝をすることができた。これで今晩、明日としっかり寝れば、回復となる。

    このブログを書き続けていく目的の一つに「老化を詳細に記録する」ということがある。というより、トライアスロンを続けていくことのなかに、「老化のプロセスをリアルな手触りをもって感じたい」という気持ちがある。それは老化への好奇心だ。老化とはどのようなものなのか、正面から向かい合いながら死へのプロセスを歩いていきたいと思っている。
    そしていま、67歳4か月。「睡眠不足が堪えるようになった」という一項が加わることとなった。眠ることが惜しくて夜中に深酒をしていた若い頃があった。毎月数日は仕事で徹夜の日々があった。懐かしいわけではない。いまに至るまで歳相応に生きてきたかなあと思うばかりだ。

    陽射しと風 走る力が 身を浸す
    この月曜からまたベトナムだ。帰りのフライトが金曜ハノイ0:55-成田7:35。時差は2時間なので、日本時間では2:55発で7:30着となる。いつもは11時就寝6時起床である。間違いなく睡眠不足となる。その日は12:00、14:30と打合せが入っている。翌日土曜日は睡眠不足を抱えてのATAとトレーニング、日曜は房総で500メートルスイム+5キロランのアクアスロンに参加する。
    トレーニングもレースも体調がいいからこそ楽しめる。残念だがいたしかたない。強行軍で海外のレースに参加するシミュレーションと思ってやっていこうか。
    写真は今日の黄昏の空。刻々と色が変わっていく空に心奪われる。

  • 今年の当ブログのテーマは「67歳、気持ち良い身体づくり」です。

    今年の当ブログのテーマは「67歳、気持ち良い身体づくり」です。

     皆様、明けましておめでとうございます。

    今年もご一緒にトライアスロンを楽しみましょう。
    ブログも続けていきます。こちらもよろしくお願いします。
    さて、今年第1回のブログは何を書こうか。
    まずは書き出してみよう。

    今年の正月は天候に恵まれ、素晴らしい快晴が続いた。
    31日、1日、2日、3日と走った。明日も走ろう。
    右足太もも前面の肉離れの痛みがまだ消えていない。走っていても違和感があるので、走るといってもジョギングレベル。肉離れの部分に意識を集中して、違和感が高まるとスピードを落とす。
    江戸川沿いのマイコースはATA南行徳の練習コースにもなっており、1キロの距離に白線のマーキングがされている。その1キロを往復する。1キロごとにタイムを計る。でもタイムはあくまで結果確認で目標ではない。まだ目標を決めて走るところまではいっていない。でもようやく1キロ6分10秒で走るまでには回復をした。
    よし、いいぞ!!!
    ともかく少しづつ、無理をしないで、ともかく身体を動かしていけば、日一日と微妙な変化を感じることができる。今回の肉離れリハビリではそれを強く実感している。
    このままリハビリから身体づくりまで進んでいきたいとおもっているのだが、実は昨年の暮れからある問題を抱えているのだ。
    それは体重。昨年の12月5日は70.1キロであった。念願の70キロ切りが目前だあ。しかししかし、10日には70.5、20日にはなんと72.8で、31日の大晦日が71.8、そして今日は72.2キロであった。ちなみに体重は起き抜けに血圧とともにはかっている。
    血圧も12月5日は上が129であったのに、今日は上が136。
    そう。どうも体重と血圧の数字がよくないのだ。
    血圧については、寒さが原因ということにしておこう。
    体重については、自分では「快適体重」は63キロと思っている。身長は169センチである。
    この体重は高校3年生の時の体重である。
    28歳の結婚前には73キロであった。これが一番太っていたとき。
    結婚をしてだいたい68キロ程度であった。
    40歳のころに椎間板ヘルニアで1ヵ月入院をした。退院時に計ったら63キロ。何もしないで5キロも落ちた。原因を考えるとお酒しかない。それ以降、体重が増えてくると禁酒を心掛けた。それで体重は概ねコントロールでき、トライアスロンを始める前はほぼ66キロであった。
    ということは、トライアスロンを始めて太ったことになるのだ。
    現在の体重は「トライアスロン適正体重」との考えもあろう。でも、振り返ってみれば63キロの頃が一番気持ちよかったのだ。動作が軽快で窮屈感がない。
    ということで、できれば改めて63キロ体重を手に入れてみたいと思っている。トライアスロンを行い、筋トレもして63キロにしたいと思っている。
    ところが、年齢のせいか、なかなか体重が減らない。以前なら2キロぐらいは酒と食事のコントロールで数日で落とせたのに、これがいっこうに効果が出ない。
    そうだ。いきなり63キロとはいかないが、まずはトライアスロンを始める前の66キロを目標としようと、正月に走りながら考えた。
    一年の計 毎年覚悟の 走り初め
    もうこの歳なんだから、体重を気にすることもないか、などとも思うのだが。
    でも、あと5キロ落としたほうが絶対に気持ちいいと思っている。
    要は「気持ちの良い身体の状態」を見つけだして維持したいのだ。
    ということで、今年の初ブログは「気持ち良い身体づくり」となった。
    今年は67歳となるが、「67歳の気持ちの良い身体」を考えよう。
    皆さん、今年もよろしくお願いします。
    写真は今日走った江戸川沿いの光景。光の感じが気にいった。私のホームコースです。

  • 大晦日に皆様へのご挨拶、ご愛読感謝です。来年も引き続き、共にトライアスロンを楽しみましょう。良いお年

    大晦日に皆様へのご挨拶、ご愛読感謝です。来年も引き続き、共にトライアスロンを楽しみましょう。良いお年

     今日は大晦日。これから3日までは、地下鉄に乗っての外出の予定はなし。私の年末年始の生活の基本は「片付け」。

    散乱している仕事の資料を、パソコンのファイルとメールを片づける。本はブックオフ送りをより分ける。洋服や暮らしの様々な小物もいらないものをより分ける。片付けたあとは拭き掃除。掃除はいつもしているので、大げさなことはしない。
    「片付け」の第二は先送りになっていた「宿題」の片付け。今年は「AIと医療」と題するレポートに向かう。ストーリーは見えているのだが、まとまって執筆に向かう時間がとれなかった。なんとかこの休み中に仕上げたい。
    「片付け」の第三。これが一番大切なのだが、人生の棚卸しを行う。現状を書き出して、新たな年に立ち向かっていくこと、捨てていくことに振り分ける。人生捨てなくては拾うことはできないのだ。そのうえで、新たな年に行いたいことに優先順位をつけ、取組む態度を自分なりに明確にする。何も目標設定などはしない。大切なのは態度と持続を楽しむことであって、目標の達成などではない。人生はスポーツ大会ではないのだ。人生一寸先は闇なのだ。これが私の考え方。
    そして「片付け」の第四は「トライアスロン」。この一年を振り返り、買い替えるグッズやウエアを、これもリストアップ。出場する目標大会をピックアップ。年間のトレーニングイメージづくり。そして「身体自体のリセット」。リセットといっても大げさなことではない。毎日2時間ほど、丁寧にストレッチをして、走る。でも、これがいつもはできそうでできない。
    なお、この休みの過ごし方は基本夏休みも同じ。年に2回、半年ごとに「片付け」をしていることになる。
    そこで、この一年のトライアスロンを振り返る。
    出場した大会は、幕張(スプリント)、木更津(スプリント)、九十九里(オリンピック)の3つ。真鶴のオープンウォーター1500メートル。このほかランの草大会を2つ。
    まずはここから考える。これは妥当であるのか。そのうえで翌年はどうするのか。
    2017年からは「トライアスロン大会は近場のスプリント」「ランもスイムも近場で、できれば毎月」を基本方針に考えてきた。つまり特別なことはせず、負担を感じない程度に、練習もレースも日々の暮らしのなかで平板に過ごしていく、ということだ。
    振り返れば、この基本方針は妥当であったと思う。私なりの、これからも長く続けていくトライアスロンライフの原型を確かめたように思う。
    そのうえで、翌年を考えると、レースはもう一つプラスしたい。昨年も横浜に申し込んでいたが抽選で落ちてしまった。ランやスイムの草大会は月一ペースに上げていきたい。これがまずレースのスケジュール。
    では、トレーニングはどうか。
    スイムはフォームの改造に取組んでいるが、これを自分のものとし、100メートル2分に挑戦。
    ランは草大会への出場を増やし、10キロ1時間(キロ6分ペース)に挑戦。
    こうして書き出しても私にとっては高いハードルなののだが、できないことはないと楽観的に考えている。来年は67歳。なんとか来年と再来年で実現したい。
    バイクはどうか。正直なところイメージがつかない。本当は新車を買いたいが、これは収入しだい。バイクはちょっと置いておこう。
    そして、基本は「身体づくり」でこれが最大の課題であることを改めて確認。

    10月末の「肉離れ」はまだ完治しない。階段の登り降りにもまだ痛みを感じている。
    この肉離れのリハビリテーションを契機として「身体づくり」に向かいたいと思っている。
    「身体づくり」については、整体やトレーニングの専門店に行こうかとも思っていたが、とりあえずやめて自主トレにする。行ってみたい思いはあるのだが、それに費やす時間とお金に自信がない。新たな苦労を背負うような気もする。
    一方自主トレのイメージも湧いてきた。ポイントは「ちょこちょこ」。暮らしの場面の転換期に「ちょこちょこ」とマメにやる。例えば家に帰ったらまず腕立て20回を、といった具合。別にそれを決めるのではなく、翌日は腰のストレッチでもよい。そして週に1回ぐらいは1時間程度を。ともかく「ちょこちょこ」やっているうちに、何らかの変化が生まれるのではないか。であれば「ちょこちょこ」が増幅していくのではないか。そんなことを考えている。
    あと、節酒。実は年末の風邪以降、酒への欲求が低下している。「酒を飲まない爽快感」を味わうようになっている。
    大晦日 振り返ってみては 独り言
    肉離れから2か月。回復は遅々としているが、それでも毎日毎日ささやかな回復を感じている。昨日とは微妙に違うのだ。気が付くと屈伸ができるようになっているのだ。まだ痛みはとれないが、リハビリテーションの楽しみを感じている。

    当ブログをお読みいただいている皆様。
    ありがとうございます。
    来年もトライアスロンもこのブログも続けていきます。
    よろしくご愛顧願います。
    お気軽にメールをください。
    皆様、良いお年を!!!
    写真は北京の公園の朝の光景。
    中国の公園は見慣れた光景なのだが、走っている人はいない。

  • 11月は病気休養のひと月となった。休養で「老化」を実感する。

    11月は病気休養のひと月となった。休養で「老化」を実感する。

     11月中はATAのトレーニングはすべてお休みとなってしまった。記憶では、1か月の休養は、トライアスロンを始めて9年、多分、初めてのことと思う。それだけトレーニングが私の暮らしの一部になっているということなのだろう。

    その原因の第一は右足肉離れ、そして風邪、喘息、蓄のう症。次々と襲う病気のなかで、毎週「この週末はOKかなあ」という期待をもちながら、結果1か月の休みとなってしまった。
    それに、この身体の具合に合わせて、どうやらたまっていた疲れが出たようにも感じている。どの程度の期間の疲れがたまっていたのか、私にもよくわからないのだが、ともかく倦怠感が抜けず、眠くて、よく寝た。仕事はけっこう忙しかったのだが、仕事が終わるとすぐに家に帰り、食事を済ませて床にはいる。だいたい10時には寝てしまう。そして起きるのが7時とか8時とか。我ながらよく寝るなあと思うのだが、これが眠れてしまうのだ。
    そこで「体の具合も悪いし、トライアスロンはシーズンオフでもあるし、この際しっかり休んでおこう」との気分となり、この1か月は静かに暮らしてきた。
    歳をとって静かに暮らすというのはこういうことなのか。
    そんな実感ももった。
    それは落ち着いた状態のなかで、だんだんと自分自身のの全体が委縮していくような感覚だ。1日の中で、身体を動かす時間が少なくなる。「エイッ」っと力を込めることもない。外に出て外気にあたることも少なくなるので、五感が刺激されなくなる。仕事以外は頭を働かせることが面倒になり、好奇心はすっかりと衰える。時の流れが目の前の他人ごとになる。しかもそれは暖かい布団にくるまれて、ゆっくりゆっくりと眠りに落ちていくような快感でもあるのだ。
    「浮世のバカは起きて働く」という言葉を思い出す。
    なるほどなあ。衰えていくということはこういうことなのか。
    そんな思いが、とりとめもなく、頭に浮かんでくる

    そこで思う。トライアスロンを続けている日々がいかに刺激に満ちたものであるのか。
    目ざましのアラームでで早く起き、トレーニングウエアの準備を整え、トレーニングを意識したやや多めの食事をとり、ストレッチで意識を高め、ジムに行き、着替えてシャワーを浴びてプールに入る。全身が水に反応し、水中で吐く息と身体が水に浮く感覚を確かめる。スイムでしっかりと身体を温め、次はラン。日差しの中に飛び出して眼を細め、風の強さを全身で感じる。準備運動で改めて全身にスイッチを入れる。走り出し、苦しい呼吸のなかで、自分がどこまでいけるか挑戦する。
    これらは毎週の、当たり前の、トレーニングの流れなのだが、こうして書き出せば、実に豊かな心身の活動であることがわかる。これはここまで積み上げた大きな資産だ。
    陽だまりに 一人思う 老いの坂
    この1ヵ月は、心身のいい休養になったと思う。50歳で妻が癌を発症して以降、この15年はまさに疾風怒濤の、激しい緊張に包まれた日々で、こうした、自分一人の休養をとったことはなかったように思う。そのことをこうして言葉にして、しっかりと自覚する。
    老いていくことは、心身ともに、そして暮らしの活動範囲が、委縮していくことであるようだ。そして委縮の果てに永遠の眠りが訪れる。であれば、加齢のなかで衰えつつも、心身に刺激を与え、毎日あちこちへと出かけていくようにしよう。
    それに疲れたら、今回は1か月の休養となったが、休養は1週間ぐらいいだろう。
    そうした暮らしへの意識を高め、否応なく委縮が始まるまでは、元気に励んでいきたい。
    写真は奄美大島。来年も行こう。

  • これも老化か。道頓堀のなんでもない階段で肉離れ転倒!!!

    これも老化か。道頓堀のなんでもない階段で肉離れ転倒!!!

      右足太腿の前面に肉離れを起こしてしまった。今回のはこの顛末のご報告。

    コトが起きたのは10月26日の午後6時。場所は大阪道頓堀。この日の出張仕事は終え、久しぶりの大阪の知人とビールと日本酒で今井のうどんを楽しみ、「さあ帰るか」と店を出る。大変な人手と活気に心躍る。今回の衆議院選挙では「景気の回復実感はまったくない」と連呼されたが、私の実感アンテナとしては、一昨年あたりからだいぶ回復している。「実感はまったくない」という人間が安定した立場でけっこうな収入を得ている。こっちはギリギリで生きているので、アンテナ感度のできが違うんだよ。おっと話が横にそれた。
    「結構いいじゃない」と明るい気分で道頓堀に向かい、橋の横の階段を数段下ったところで、右足太腿前面に「ピキッ」と衝撃が走り、その場で転倒した。自分の感覚としては、普通に階段を下っていたらいきなり起きた。けつまずいたわけではない。前に転がったわけでない。その場で、ゴロリと倒れ、ひどい痛みにのたうち、息を整える。その瞬間に頭に浮かんだことは「果たして東京に帰れるか」。すぐにはわからない。いくつか深呼吸をすると、多少は落ち着き、知人の心配する声にも「大丈夫、大丈夫」と返事をする状態になる。
    しかし、痛みはひどく、右足はまったく効かない。通りがかりの人も心配して声をかけてくれるが、「大丈夫、大丈夫」と返す。おもしろかったのは、外国人のおばちゃんが「OK?」と声をかけてくれたこと。異国の遠い空、どういうわけか一人道頓掘を歩く外国人のおばちゃんに何ができるわけでもないだろうが、咄嗟に声をかけてくれたんだ。「偉いよなあ。見習わなくちゃ」などど頭を巡らせているうちに、ようやく自分を取り戻してきた。この間2分ぐらいかなあ。
    次は立ちあがること。右足に力を入れると激しい痛みで、一人では立ち上がれない。知人に助けてもらいながら立ち上がる。ここでまた深呼吸。次に歩き出す。右足を膝を伸ばしたままの状態でれば、何とか歩けることがわかり、ともかく安堵。「大丈夫だ。さあ、帰ろう」と地下鉄駅に向かう。ゆっくりゆっくりで歩くことができ、知人とも会話ができる。するとダンダンと元気もでてくる。「ああ、これで帰れそうだ」とここでようやく一安心となった。
    次は地下鉄の駅。一歩一歩、右足の膝を曲げなければ、階段の登り降りもできる。
    ということで、足を引きながら新幹線へ。ここではどのようにして席に座るかが大問題。これも右足を伸ばしたまま、あちこちをつかまってようやく腰を下ろす。
    アルコールはいけないかなあ、などとも思ったが、気持ちを落ち着かせたく、缶ウイスキー水割りをチビチビとやりながら、いろんなことを考える。
    やっぱ老化かなあ。身体が固く、特に太腿の筋肉が固くて正座もまともにできないほど。老化はこうした弱いところに出てくるんだなあ。治ったら下半身ケアに取り組もう。
    しかし、どんなに金を持っていても、生活保護を受けていても、転ぶときは身一つ。老いるということはまさに身一つなんだよな。もちろん死んでいくのも身一つ。改めて「身一つ」を噛み締めた。いやいや身一つがいやなわけではない。「そんなもんだよ」とサッパリとした気分でいる。
    新幹線で東京着、ゆっくりゆっくりで地下鉄駅に。おお、痛みがひどくはなっていない。右足を曲げない歩き方にも慣れてきた。地下鉄では前の席が空いた時には座るかどうか迷ったものの、痛みを感じつつ座る。こうして一つ一つを確認していく。不自由ながらも上達していくのが面白くもある。膝は曲げられないが、足の指先に意識でいて力を入れてみる。なるほど多少は歩きやすいか。南行徳の駅に着きタクシーに。タクシーの座席に座れるのが、心配であったが、足をひいて歩くのもいささか疲れた。
    無事帰宅し、まずはロキソニンを飲み、ボルタリンを塗り、冷蔵庫に常備している保冷剤でアイシング。次の問題は、どのようにして布団を敷き、横になるか。私は畳の部屋で布団を敷いて寝ているのだ。ただ立っているのは問題はない。痛みもひどくはない。しかし右膝を曲げると全身が痙攣するほどの激痛が走る。そろりそろりと、動作の一つ一つを確かめつつ。やってみればそれほどの難儀ではなかったが、どうやって横になるのかがわからない。いろいろと考え、試し、最後は倒れるように横になった。
    そして最大の問題が訪れる。深夜にトイレで目が覚める。さあ、どうやったら起きることができるのか。これが実に大変だった。這っていくしかないかとも思ったが、這いながらあちこちにつかまり、ようやくトイレへ。ああ。
    台風来たり 道頓堀で 肉離れ
    今回のことは「普通に階段を降りている」状況での発症が情けない。こんなことは生まれて初めてだ。だから「老化だなあ」と思ってしまう。このようにして、弱いところから、だんだんと老いていくという実感が生まれてくる。
    写真は転倒直前の道頓堀。これから橋に向かい。橋の横の階段で転倒した。

  • 「老化」とどうやってうまく付き合っていくのかを模索中。

    「老化」とどうやってうまく付き合っていくのかを模索中。

     毎日、朝食後、血圧の薬2種類と過剰な胃酸の分泌を抑える薬、合計3錠を飲んでいる。おかげで血圧は上は130、下は70程度で落ち着いている。胸やけもおさまっている。

    血圧では3か月に1回のペースで病院に行き、毎日つけている血圧データを見せ、血圧を測って薬を買ってくる。一般に高血圧は複合的な原因なのだが、まあ「老化かなあ」ということになっている。若く気さくな女性の先生だが、いつも大きなマスクをしているので、顔はよくわかれない。大きな目できっと美人と思うのだが、道ですれ違ってもわからないだろう。今度マスクをとった顔を見せてもらおう。
    それはそれとして、血圧が落ちついてきて、少し余裕もでき、先生に体の具合が思わしくないところを訴え、他の科を紹介してもらうことにした。
    まずは耳鼻咽喉科。
    季節を問わず、朝の鼻水がひどい。ティッシューでは痛くなるので、タオルで鼻をかんでいる。鼻水はほとんど水状態。それにうんざりし、レーザーで鼻孔を焼く手術を申し込んだのだが、若くてくせ毛、昔のヒッピー風な耳鼻咽喉科の先生から「レーザーで鼻水は治りませんよ」と言われ、アレルギーの薬1錠が追加となった。ただしこの薬は対処療法で、元を断つわけではない。「要は鼻をかむか、薬を飲むかです」とおっしゃる。この言い方はおもしろかった。納得。
    耳鼻咽喉科では、このほか「誤嚥」の診察もお願いした。ときどき食後になんか違和感を覚えるのだ。友人が喉頭がんとなり、こちらも気になってきた。鼻孔から喉にかけて、内視鏡の検査を受け、感染症や異常は見当たらないとの診断。
    鼻水も誤嚥も、原因といえば、結局は「加齢」であるという。歳をとるにしたがって、あちこちに不具合が生じ、日々飲む薬が増えてくるのだ。
    大腸内視鏡検査も申し込んだ。これは「下痢で悩まされている」ため。朝食後のトイレが、子供のころからの私の習慣だ。便秘になったことはない。それが、いつごろからか、1回ではおさまらず、10分後に1回、さらに15分後に1回という具合に、数回トイレに行くようになった。行くたびに便の水分が増え、3回目には完全に液体状態となる。さらに、昼食後にも行くようになった。加えてランのさなかにもよおすようになり、振り返ると、昨年末の20キロマラソン、今年に入っての10キロマラソンで、ともに走っているさいちゅうにトイレに駆け込むことになった。これは実に情けない。走りながら「もつかなあ」と自問しつつトイレを探す。爆発したら大変だもの。
    それを訴えると、「大腸炎かもしれませんよ。大腸の内視鏡検査を受けたことはありますか」「いやないです」「やってみますか。年齢的にも一度やってみる価値はありますよ」。こちらも年齢か。こういわれると、なんでもやってみたいタチである。「なるほど、やってみましょう。肛門のヴァージン体験だな」「ワハハ」といったお気軽な会話で、来年の1月5日、正月明けに大腸内視鏡を受けることとなった。
    椎間板ヘルニアは、坐骨神経が少し痛むものの、小康状態を保っている。
    歯頚が腫れて化膿したが、処置をしておさまった。ちなみに歯磨きは家にいるときは毎食後20分。2か月に1回は歯医者で定期処置と、かなりケアしているのに、こうしたことが起こるのだ。
    本によればヘルニアの再発も、歯頚の衰えも「加齢」によるものであり、「老化現象」である。

    ということで、いま、「老化」対策として一通りの身体のケアにあたっている。ただしこれは「老化」への抵抗ではない。「老化」とどうやってうまく付き合っていくのかを模索しているのだ。
    病気ではないが、感じる「衰え」も挙げてみるか。歩くのが遅くなっている。床のものをとるのがおっくうになっている。体重が落ちない。酒が弱くなっている。スピード、力、敏捷性が衰えている。でも、トライアスロンは3種目とも、まだ伸びしろはあるのではないかと思っているのがおかしい。
    走り見上げる 秋の雲 黄昏の陽

    加齢での衰えに合わせた身体を作っていきたいと思うのだ。それなりの作り方というのものがあると思うのだ。この半年で病院系のチェックは一通りすますことになる。スッキリしたところで、うまいこと「頃合い」を探していきたい。要は毎日の暮らし方であることはわかっているのだが、その暮らし方がうまくつかめない。
    写真は通っているNTT関東病院。実は病院は嫌いではない。日常と離れた「浮世離れ」した感覚、独特な時の流れが、心落ち着かせてくれるのだ。おかしいかな。

  • 今日は10キロマラソンを楽しむ。でもこのところ老化のギアが入ったことを実感。

    今日は10キロマラソンを楽しむ。でもこのところ老化のギアが入ったことを実感。

      今日は「小松菜マラソン」の10キロに参加。前に10キロを走ったのはいつのことだったか、というほどの久しぶり。椎間板ヘルニア回復後のテストランのつもりで参加したのだが、給水以外には立ち止まらず、歩くこともなく、走りきれたのがうれしい。

    出だしの3キロは苦しく、5キロから8キロは気持ちがよかったが、最後の2キロはいささかばてた。右の腰と股関節、左足のアキレス腱にかすかな痛みを感じたが、大事にいたってはいない。正直安堵した。
    「小松菜マラソン」は荒川沿いのローカルな大会で、会場は自宅からママチャリ30分。着替えの必要もない。毎月開催しているようなので、なじみにしたいと思った。
    夏に入って1,500メートルのオープンウォーター、10キロマラソンと大会に参加している。10キロなら自主ランでもとも思うが、やはり草大会とはいえ、大会ならではの緊張のなかで身体を動かすのは気持ちのいいものなのだ。
    こう書いていると「好調」のようだが、そうでもない。
    このところ、身体の変化を感じている。なんとなくではなく確かな手ごたえとしての変化なのだ。これが老化か、などと思っている。ちょっとギアが一段入った感じかな。
    まず、食事の量がいくぶん減っているように思う。おいしいものを食べたいといった食事への意欲も衰えている。満腹感が不快になっている。かといって体重が減るわけではない。そこが困ったところ。
    お酒の量も減っている。お酒については意識的に減らしてもいるのだが、弱くなっており、たいして飲まなくても二日酔を感じるようになっている。特に飲んだ翌日は下痢に見舞われて面白くない。
    一段入ったギアに合わせて、食べ方、飲み方を基本的に変えていきたいと考えている。手探りだな。ポイントは「心地よさ」。年齢に応じた心地よい食事と酒を、この夏には探し出し、身につけたいと思っている。
    このほか、いつ頃からか、この半年くらいか、喉に違和感を覚えるようになった。食後に誤嚥した感覚が喉に残り、咳をして整える。気にしていると声もかすれてきたような気になってくる。そんな折、私より2歳年下の友人が初期の声紋癌になったとの話が舞い込み動揺する。次回の血圧検査の折に伝えよう。すぐに検査となるのだろう。

    運動機能としては、屈伸を負担に思うようになっている。このキッカケは間違いなくヘルニアであり、ヘルニアの回復に合わせて屈伸も楽になっているのだが、でも「衰えた感」が強い。身体がめっぽう固いが特に下半身がひどい。腰、股関節、膝、足首と連なって硬い。よって下半身の衰えには敏感になる。これからは下半身がテーマと自覚する。
    夏来たり 荒川土手を ひた走り
    トライアスロンを始めた理由の一つに「老化のプロセスをできるだけリアルに感じたい」との思いがある。よって「老化の記録」はこのブログでも大きなテーマとなる。
    これからも書いていきます。
    帰宅後、テレビで早実の西東京決勝戦を観戦。実は息子は早実卒業で、私も父母の会会長を務めたご縁がある。残念ながら敗戦で清宮の夏も終わった。
    写真は今日のマラソン大会開会式。
    10キロに参加は10人程度だった。こんな感じが気に入っている。

  • 66歳、椎間板ヘルニア発症から回復までの顛末です。

    66歳、椎間板ヘルニア発症から回復までの顛末です。

    4月5日

    昨年より腰の痛みがあって、年末年始には鍼灸に通い、それなりになだめた状態であったのだが、どこか痛みの芯が溶解していない感覚が残っていた。どこが痛いのかがはっきりとはしないのだが、身体を動かすと違和感がある。
    それが今日、痛みの場所がわかった。普通にまっすぐ立って左右の膝を交互にあげる動作をしていたら、右の膝をあげた折に腰に痛みが走った。膝をあげる動きを大きくすると、それに合わせて痛みが増していく。場所もピンポイントではっきりとし、その部分を指で押してみると「確かにここだ」の感触があった。さて、だからどうするのか、また鍼灸に行くか、心定まらないのだが、とりあえずの安堵がある。
    4月11日
    それから1週間。安堵どころではなくなった。一昨日の夜、椎間板ヘルニアの痛みが急に発症した。「確かにここ」の痛みに加えて右足の付け根から膝がしびれて痛む。この痛みはなかなか耐え難い。一昨日は新宿御苑に花見にでかけて12,000歩を歩いた。私にとって負担となるものではないのだが、これが引鉄になったか。
    そして昨日。早く起きて風呂で身体を温め、雨の中福島出張へと向かった。家から南行徳駅までの20分の徒歩、満員の地下鉄、大手町駅から新幹線ホームまでの徒歩。足はなんとか動いてくれた。福島では1時間の打ち合わせ。仕事の緊張のためか、痛みを感じながらも無事終了。食事をすませ、行きつけの鍼灸院に予約を入れて帰途に。
    鍼灸院では身体をほぐしてだいぶ楽になり、回復への期待を胸に雨のなか帰宅したが、残念ながら右足のしびれと痛みがひどくなって、立っていられない。というより、どんな姿勢であっても痛くて痛くてのたうちまわる。これはいけない。
    次の手段はブロッキング注射だ。ネットで新小岩のペインクリニックを探し出して午後3時にWeb予約を入れる。明日は午前中に歯医者の予約をいれているのだ。ああ。
    4月12日
    結局昨日の夜は満足に眠ることができなかった。どんな姿勢をしていても右足が痛み、息をひそめて一夜をやり過ごすことになった。この痛みには忘れられない記憶がある。20年前椎間板ヘルニアで20日間入院したが、その記憶が全身によみがえってきた。その時と違うのは、もう私は66歳であるということ。どうしても弱気になってしまう。
    痛みがひどいので歯医者の予約をキャンセルして、一番に小岩のペインクリニックに。
    先生はかなりテキパキした対応で手慣れた印象であった。レントゲン写真と触診で、痛みの原因は椎間板ヘルニアと股関節にあることを特定。「明確でわかりやすい」とのこと。お尻の2箇所にピンポイントで神経ブロック注射。注射はモロそこに針を刺した感覚があって「きてますか?」「はいきてますよ~!!!」。あっというまに終わって車椅子にのせられ、ベッドに行って30分横になる。これで見事に痛み解消。期待どおりの結果となった。
    「3日ほどたつと痛みがまた出てくることがありますので、その時にまた来てください。痛まなければこれで結構です」で終了。帰宅し、昼食をとり、安堵の気持ちで昼寝をとった。
    夜はATA南行徳の仲間の「奄美大島合宿を呑みながら話し合う会」に参加すべく錦糸町へ。どうかと思ったが、シッカリと酒を呑んだ。
    4月13日
    昨夜はようやくユックリと眠り、目覚めても痛くない。本当にこれが何より。たまった仕事をすませて、昼前には1時間の散歩にもでかけられた。春の風と陽射しの気持ちいいこと。
    4月14日
    そして今朝、痛みがぶりかえしてくるのか、気になっているが、どうやらなだめているようだ。ぶりかえしてもまた小岩のペインクリニックに行けばよい。安心できる解決策をもっているのは心強い。今日もいい天気だ。
    ドアを開け 飛び込む春風 天眺め
    身体とともに、気分はだいぶ回復した。今回のことでの収穫は何よりも小岩の「かおるペインクリニック」http://www.kaoru-pc.jp/。痛くなったときの安心ができた。実は右の腕がしびれており、頸椎のヘルニアが原因と思う。こちらも行ってみるか。
    これからはリハビリを含む身体づくり。ストレッチングと筋力のトレーニングを強化していきたい。それを含んだ日々の時間割を考えていこう。

    歳を加えて生きていくにはそれなりの武器がいるのだ。そのことに改めて気づかされた今回のヘルニア体験であった。この思いを糧にしよう。
    写真は施術を受けたレントゲン室。クリニックのホームページからとりました。
    痛みの解決法として、ペインクリニックは有効な選択肢と思います。

  • 久しぶりのブログ更新。また先に向かっていこう。

    久しぶりのブログ更新。また先に向かっていこう。

    いけない。ブログの更新をだいぶサボってしまった。

    何回か、書き始めたのだが、どうにも先に進まず断念した。
    その原因の第一は、何を書くのか、どうもはっきりとしない。だいたいいつも何を書くのかはっきりしないままに書き始める。書いているうちに手ごたえを得るといいのだが、なかなかそうはいかない。今回もこうして書き始めているが、まだ何を書くのかはっきりしてない。
    原因の第二はやはり時間だな。ブログに向かう時間がとれなかった。いやいや、そんなに忙殺されていたわけではないのだが、こんなブログでも30分から1時間程度集中する時間が必要になる。なかなかタイミングがあわずに、ズルズルとここまできてしまった。
    原因の第三。これは最も本質的な原因である。実はこの1か月余りは、「心ここにあらず」の状態であった。仕事がらみのことであるのだが、そのことに時間をとられるのではないが、いつも頭から離れない。そうか、これだな。というわけで、ご無沙汰の原因がはっきりとした。これで気分はすっきりした。
    さて、今回のテーマは「身体の異変」。
    3週間前の土曜日の練習。メニューはバイク&ランのデュアスロンであったが、それ以降、なぜか両膝が筋肉痛になっている。痛くて正座ができない。膝を折ってもかかとがお尻につかない。
    バイクで膝を傷めたのは初めてである。これがどうも釈然としない。デュアスロンといっても走る距離は1キロぐらいであった。どうしてそれで筋肉痛になるのが、わからない。
    最近は医者に行くと「加齢ですね」と言われることが多い。そう言われてしまうとただただ笑うばかりなのだが、この膝の痛みも加齢であるのか。しかし3週間を経て痛みはだいぶ和らいできた。走っていても痛みが出ていたのだが、今日はなんとか2キロを走ることができた。
    次が歯。前歯の差し歯が抜けて治療中なのだが、左の下の歯が調子が悪い。硬いものを噛むと痛みが発する。硬いといっても朝のシリアルだ。これを噛み砕くと痛む。歯周病だ。そこで歯間ブラシを太めサイズにして、丁寧なブラッシング。磨くと痛みが走るのだが、そこを我慢して歯間ブラシでじっくりとこする。少しよくなったようだが、これも完全に加齢だ。

    再びさて、「心ここにあらず」の原因は終了した。加齢は進んでいるが、身体の異変は回復に向かっているようである。春も近い。あまり細かなことにとらわれず、どんなことにも一歩距離をおいて心とらわれず、カラリとした気分で毎日歩いていきたいと思っている。
    日がのびて 黄昏どきに 走りだす
    話題の映画ララランドを2回も観た。映画好きだが、続けて2回観たのは初めてではないか。それほどに好きだ。こうした映画を観ると、この世界に行きたかったなあと思う。この世界とは歌であり、ダンスであり、ショーであり、映画である。
    それはかなわぬ夢であるが、自分なりにその楽しみを養っていくことはできないかと考えている。
    写真はララランドのプロモーションからとりました。

  • 66歳誕生日。あと5年70歳までは「変身」をテーマに「自己教育」を楽しむ。

    66歳誕生日。あと5年70歳までは「変身」をテーマに「自己教育」を楽しむ。

    2月16日に66歳の誕生日を迎えた。故郷横浜でのさささやかな誕生会で高校時代の思い出話しをしたのだが、それが50年前のことに気づき、ちょっと驚いた。

    「50年といえば半世紀だぞ!!」
    当り前じゃないか。そのうえで
    「あと5年、70歳まではしっかりと生きていきたいなあ。そのあとはその時に考えるさ」
    というのが、私の66歳誕生日の感想となった。いまの仕事の状況と健康状態からすれば、あと5年は元気で働き、トライアスロンを楽しむことはできるだろう。この歳だから、いきなりガンの宣告をうけることもあろうが、あと5年というのは、ある程度のリアリティをもって眺めることができる。
    ただしこの話のポイントは「5年以上先はわからない」というところにある。仕事はどうなっているか。病気で入院していないか。心配事をあげればきりもないが、「先のことなどわからない」。66歳にもなって、こんなイロハのイの字を改めて実感するというのも情けないが「そのことを静かに受け入れよう」という話しとなった。
    ではこの5年間はどうなのか。どんな毎日をどんな心構えで過ごすのか。「しっかりと生きる」というのは具体的にどんなことなのか。
    そんなことに思いを巡らせている折、たまたまNHKBSの「人生100歳時代」というパネルディスカッション番組を観てなるほどと思った。
    100歳時代になれば、人は人生のなかで何回も「教育」を受けることになるという。これまで教育は主に5歳から22歳の間に集中的に行われ、60歳までは労働、それ以降は引退と考えられてきた。しかし100歳時代では、人は22歳以降、社会動向や周辺の変化に応じ、何回も「教育」と「労働」を繰り返すことになる。「教育」の内容も「労働」のありかたも、ということは何でお金を稼ぐのかも「変化していく」ことになるというわけだ。100歳を生きるための重要な能力として「変身」があげられていた。
    この「教育」は主に学校ではなく、インターネットによる「自己教育」として行われる。だから、この「自己教育」と「変身」は楽しいものでなくては続きはしないし身にならない。次の「労働」によりお金を稼ぐために楽しく「変身」への「自己教育」に挑むわけだ。
    この年齢で恒産を築き、憂いなく引退生活をおくる方もいるだろう。しかし60歳以降いかに長い間収入を得るか。これは好むと好まざるとにかかわらず「人生100歳時代の冷厳な現実」なのだ。私もまだまだ働いて稼がないとならない。
    となると、今後の5年は70歳以降の「労働」を支える「変身」への「自己教育」の期間となるわけだ。
    ここまで考えてきてちょっと心が落ち着いた。。
    「先のことが分からない」を受け入れても、今日何をすべきかがわからない状態では落ち着かない。暮しの軸が欲しい。毎朝「よしっ」といって朝日を浴びる気分が欲しい。
    ということで、この5年間は「変身」への「自己教育」を心構えとしよう。それで70歳となって「どうするか」を考えることにしよう。
    同じ仕事を続けても新たなスキル獲得を目指す。意図して若い人を仕事に巻き込む。チームでの自分の立ち位置を変えてみる。そして身体づくり。思いつくのはそうしたことだ。それらはすべて楽しみでなくてはいけない。
    100歳まで生きるとも考えてはいないが、70歳にどうなっているのか、楽しみとなった。けっこうじゃないか。楽しく生きるにはいろんな工夫がいるのだ。
    さて、ようやくここで、話はトライアスロンとなる。トライアスロンによる「変身」への「自己教育」とは何か。身体づくり(柔軟性・筋力・姿勢)、健康と体力維持、トライアスリート仲間、自己管理による暮らしの楽しみなど、かけがいのない財産としてあげられる。
    春いちばんに あおられ祝った 誕生日
    土曜日の練習はインターバルトレーニングで、スイムで50メートル1分15秒3本を3セット回すことができた。ランでは500メートルを2分15秒~30秒で6本走ることができた。最後尾の低レベルでお恥ずかしいが、スイムもランも更に15秒短縮したい。勝手ながら、まだ伸びしろはあると思っているのだが、さてどうなるか。これも70歳までの楽しみにしておこう。ここらあたりが「自己管理による楽しみ」だ。
    お誕生日のメッセージをお寄せいただいた皆さん。感謝です。皆さんのメッセージはまさに生きる力になります。
    写真は小宴を催した横浜のレストラン「ホフブロウ」。
    「最初に来たのは高校生だったな」
    「ハンドボールの試合の帰りに来てピザを食べた」
    「生まれて初めてピザを食べたのがここだった」
    「それからもう50年もたつのか」
    という次第。
    なお高校時代の「ホフブロウ」は海岸通りにありました。