カテゴリー: 老化

  • 本当に腰を痛めてしまい「新たな老化のステージ」について考える。

    本当に腰を痛めてしまい「新たな老化のステージ」について考える。

     前回は自戒をこめて腰痛をテーマとしたのだが、その後症状が悪化。コンペ資料の作成、イベント学会研究大会の発表資料の作成とデスクワークが続き、歩いていても痛みを感じる事態となってしまった。痛みを感じ始めたスタートは、8月の木更津大会後であったが、急速に痛みが増してきたのはこの3週間くらいか。冬の到来による気温の低下、そして長時間の座業が響いたか。

    今日は外に出かける用事がなかったため、自宅での療養にあてた。具体的にはできるだけ横になっていること。ともかく寝ること。ということで、このブログもソファーで横になりながらキーボードを叩いている。
    腰痛対策としては、椎間板ヘルニアの入院でもお世話になったNTT東関東病院のペインクリニックに予約をいれたが、受診日は12月1日。明日は「神の手」あけび鍼灸院の海谷さんに行くことにした。まあ、今日の安静も含めてできることをやっていこうということだ。最終的にはペインクリニックでのブロック注射で対処できると期待しているが、さてどうなるか。
    そんな状況のなかで、今日は喉が痛み始めている。周りをみても、風邪の人はけっこう見かける。流行っているんだなあ。風邪の予防にはR1がいいとのことで、明治のヨーグルトを飲み始めたところだったが、間に合わなかったか。

    このところ、身体の衰え、老化を感じ始めている。数え上げてみよう。
    まず歯茎。2か月に1回は定期的に歯医者に通い、食後は20分もかけてブラッシングしているのだが、にもかかわらず、この2か月で一部痛みを感じている。次回の歯医者は今週金曜。さてどんな処置をするのか。
    次に肌の乾燥。いつ頃からか、入浴後のスキンクリームが必需品になった。ずっと足に塗り込んでいたのだが、今年は両腕も必要になっている。乾燥する領域が広がっているのだ。
    高血圧のため、3カ月に1回は病院に通い、毎朝血圧を測り、クスリを飲んでいるのだが、このところやや高どまりで上は140程度が落ちてこない。
    靴下を履く、床の物をとるというしゃがむ動作で身体の硬さを感じ始めている。だからストレッチなのだが、腰の痛みがあってなかなかままならない。
    2日間連続で財布を忘れて家に取りに戻った。初日は財布、ハンカチ、携帯と、なんと3回も忘れ物を取りに家に戻った始末で、これはちょっとショックだったなあ。
    駅の階段を避けてエレベータを使う回数が増えている。
    あと、相変わらず、以前のように体重を落とせない。食べる量は確実に減らしているのに体重が落ちない。これも腰痛の原因だろう。
    あとは何か。酒が弱くなり、飲んだ翌日は疲れを感じるようになった。ただし酒の量が減るのは悪いことではない。
    トルストイやプルーストの長編小説を読みたいと思っているが、立ち向かう気力が沸いてこない。(笑)
    あきれられるような気もするが、こうしたことが微妙に重なって、65歳で「新たな老化のステージ」に入ったように感じているのだ。そのことは当然の経緯であり、悲観するものでもない。この老化にあった暮しのスタイルをつくっていきたい。より気持ちよく毎日を過ごす方法を探したい。
    基本的にはトライアスロンのトレーニングも含め、身体を動かす時間、タイミングを増やす。とくにストレッチと筋力のトレーニングを増やす。やはり身体が基本だな。
    そして精神的なストレスを減らす。極めてセッカチで待てない性格なのだが、もっとユックリと過ごすリズムを見つけよう。
    そして、ソファーで横になってキーボードを打つのは初体験なのだが、ここまできてだいぶ慣れてきた。これはいい。大いに取り入れよう。
    何かトラブルがあると、新たな能力が身についてくる。(笑)

    軒先に 中秋の スーパームーン

    まずは風邪と腰痛を乗り越えて自分を取り戻すことだ。
    明日の「神の手」はどうだろうか。楽しみでもある。
    写真は我が家のベランダからのスーパームーン。もやっとした感じがいいな。

  • こうしてみよう、ああしてみようと工夫する楽しみに目覚め始めている。

    こうしてみよう、ああしてみようと工夫する楽しみに目覚め始めている。

    ようやく体調回復で、昨日の土曜日より本格的トレーニングに復帰。お気遣いいただいた皆様、ありがとうございます。元気になりました。
    昨日のトレーニングがなかなかきつかった。スイムは100メートルハードで、引き続きほぼ休みなく50メートルをイージー。この150メートルを5分サークルで6本回す。100メートルハードはめっぽうきついが、回数を重ねていくと否応なくラクなところを探し出していくことになる。これがフォーミングの意識につながる。
    次いでランのトレーニングでは2キロを決まったペースで走り、200メートルをジョグしてそのまままた2キロに挑む。2キロプラス200メートル×3セット。2200メートル×3というわけだ。私の申告タイムはキロ6分のペースであったが、ペース通りに走れたのは第一ラウンドのみ。2ラウンドではキロ6分10秒、3ラウンドでは15秒まで落ちてしまった。いやあきつかった。自分としてはフォームはだいぶいいのだが、疲れると足がふらついてしまう。まあ、病み上がりなので仕方ないとあきらめる。むしろ走っていなかったわりにはいけたかという気分である。そこで、根拠はないのだが「鍛えようはある」と実感している。多分であるが、やっていけばキロ5分ぐらいまではいけるような気がしている。なんとキロ1分以上の短縮。ランについては、これを目標にして工夫してみたい。
    こう書いてみると、復帰するや否や、けっこういい気になっていることに笑ってしまう。でもスイムもランも、やってみようという意識は満々である。
    体調不良の時期のストレスを発散して、いささかハイな気分になってるのかもしれない。それは別に悪いこととは思わないが。そして、これは原因が特定できないのだが、工夫することに面白さを見出すようになっている。
    例えばスイム。今日は750メートルのアップをしたのだが、この長距離を泳ぎつつフォームの細部をいといろと試してみる。泳ぎつつ、あんな感じこんな感じと試行錯誤する。その楽しさに目覚めている。
    次いで例えばラン。いま意識しているのは「骨を使う」こと。つまり姿勢だね。骨を操作して姿勢をつくることで筋肉の負担を減らし、ラクな動作を求める。これは階段を上る折に、腰と膝の骨の使い方で筋肉の負担が大きく違うことが実感できる。
    つまるところ「工夫する楽しみ」に目覚めている。こうしてみよう、ああしてみようというわけだが、何も無暗にやってみるわけではなく、ポイントとして思うのは、やっぱりフォームだなあ。
    私の実感は、第一にぶれない軸、そして軸を中心としたスムーズな回転運動、リズム、そして目線。目線の位置は結構大切で、スイムの場合見るべき対象は明確ではないのだが、ともかくハッキリと前をみることで前に進む意識が生まれる。ランはちょっと遠くを眺める感覚がリラックスして効果的。これはわかってきた。バイクはどうかなあ。多分、力を抜きつつ緊張感をキープする目線というものがあるのだと思う。
    といった具合に、工夫する楽しみに目覚めている。老化は進んでいても、それなりの工夫に年齢の限界はない。いやいや工夫はそれが老化への対応であったとしても、上達への道筋と思えて楽しめる。

    ああでもない こうでもないの 冬のラン
    今日はたまたまNHKテレビでレスリングの伊調香選手を観た。私が惹かれている選手の一人なのだが、これまで試合以外の姿の見ることはなかった。よって選手としての魅力はわかっていても、人間としてはまるでわからなかった。あまりの強さが全面に出て、一人の女性を考えることはなかった。それがインタビューに答える姿、内容ともども実に知的で素敵。顔だちもナチュラルで女性としての魅力にあふれている。いやあ驚いた。素敵な女性に出会えると思わず興奮してしまう。
    彼女は自らの努力=工夫を自分の言葉で語った。実に刺激的であり、私は工夫する楽しみを、改めて確認した。新しいトライアスロンの楽しみを見出した。それは「工夫」。練習の工夫、フォームの工夫、レースの工夫と、工夫は無限の楽しみとなる。
    今回は写真はなし。伊調香の写真とも思ったが、オリジナルの適当な写真がなくあきらめた。

  • 昨日は65歳の誕生日。年齢とトライアスロンについて。

    昨日は65歳の誕生日。年齢とトライアスロンについて。

     昨日は65歳の誕生日で多くの方々よりFBなどでお祝いのメッセージをいただきました。特にトライアスロン仲間からのメッセージが多く、もしトライアスロンを始めていなかったらこうしたことはなかったことを目のあたりにし、トライアスロンを始めてここまで続けてきた重さを実感、改めて人生のおもしろさ、不可思議さに思いをはせました。心より感謝します。

    今回のブログはちょっと長くなります。誕生日の特別バージョンです。
    テーマは65歳という年齢について。そして年齢とトライアスロンについて。
    なお、身体はようやく回復してきました。今朝は抜けた気分です。お気遣いありがとうございます。
    昨日は11時、13時と仕事のうちあわせ。そのあとの時間がオープンになったので、国立博物館の兵馬俑展へ。兵馬俑の大きさを実感することが目的であった。身長は180ぐらいか。体躯に厚みがあって、顔が大きい。いかにも格闘技が強そうで古代の男に触れた手ごたえがあった。しかし昔の中国人はこれほどに大きかったのか。
    以前アトランタの博物館で南北戦争当時の民家展示を見て、ベッドの小ささに驚いたことがあった。昔の人は小さかったんだ。これは自然な驚きである。しかし昔の人はこれほどに大きく逞しかったというのは予想外の驚きだった。兵馬俑というと永遠の生命を願った始皇帝がクローズアップされる。一方私はこの時代の普通の人間に関心をもったのだが、兵馬俑の兵士たちはとても普通ではなかった。まさに威丈夫で兵士の緊張をはらんでいた。
    そのあとは急いで映画「ブリッジオブスパイ」へ。映画への感想は「まあまあ、よくできた映画」なのだが、鍵となるセリフは「You are standing man=字幕は不撓不屈」。そしてこのセリフを口にするのがスパイであるが、スパイを「誇り高き兵士」として描いたところもこの映画のポイントだ。あるいは主人公の弁護士も「自らが望んだわけではまったくない、ふりかかった理不尽な問題に誠意をもって取り組む兵士」である。
    ということで、昨日は図らずも「誕生日に人間や人生を考える」ことになった。
    キーワードは「兵士」。人生を戦う「誇り高き戦士」。
    さらに、昨夜の夢には亡き妻が登場した。亡くなって10年たち、夢に出ることはめったにないが、さすがに誕生日(笑)。細かくは覚えていないが、いろんな場面が登場して、どの場面も、例えばドアが開かないなどといった、ささいな、しかも前に進めないトラブルが発生して延々と言い争いをしている。「なんとかしてよ」と言われてお手上げな私はまったくの戦士失格なんだなあ。
    いやいや妻と仲が悪くて、よく言い争いをしていたわけではない。ただし妻は私を兵士と見ていたのは確かだ。彼女のボディガードかな。よって言い争いも険悪なものではなく、二人の間ではしごく自然な、二人の間にだけ成立する親密な会話なのだ。
    話は変わって、私は年齢については「年相応」を大切に考えている。15歳は15歳らしく、15歳だからできることをやっておく。背伸びはしない。それは健全な発育を妨げる。20歳は20歳。もちろん50歳は50歳。年齢をおおげざに意識することはなく、自然と年相応なことをして生きていくことが大事と思っている。
    それでで65歳になった。こうした考えなので、アンチエイジングという発想はない。誰も抵抗することができないのが老化だ。トライアスロンを通して「老化防止」ではなく、トライアスロンを通して「老化実感」の意識、身体全体の老化を全身を使って確かめる感覚なのだ。
    そんな考えなので、普段は年齢をあまり意識しないで生きている。年齢については自然な感覚で接している。しばしば自分の年齢を間違え、あるいは忘れてしまうほどだ。
    でも65歳となると、思わず意識する。この年齢になれば定年となる。厚生年金と介護保険の手続き案内資料が届く。必要事項を書いて返送する。「おお、いよいよ高齢者か」の実感がある。さて、どうするか。

    そのうえで、年齢・人生とトライアスロンを考えてみる。
    「老兵は死なず、消え去るのみ」とはマッカーサーの有名な言葉。
    ただし人生では「消え去ること」はできない。
    私は、老いたりとはいえ、恥ずかしながら、初々しく好奇心に満ち、緊張と同時に戸惑いを心に抱いた、なかなかドアを開けられない「Young Soldier」でありたいと思っている。
    「人生とは苦闘である」はカールマルクスの言葉だが、人生は挑戦の場であり、それゆえに苦闘の場であるというのは共感する。なお、人生は挑戦であり、それは美しいとはまったく思えない。あくまで「苦闘」なのだ。ここは大切なところ。
    よって65歳ならではの私の年相応の自然な心がまえは「Young Soldier」。
    死ぬまで「Young Soldier」。
    よし、その線でいってみよう。
    2月16日誕生日 65歳の ヤングソルジャー
    最後は年齢とトライアスロン。
    私自身のささやかな体験からいえば、58歳からでも、なんの経験もなく始められ、「生涯スポーツ」として、とてもいいスポーツということ。自分がこの年齢であることを確かめ、かみしめるスポーツである。
    私がトライアスロンで面白いと思うのことに一つが「やっているとこんなことがあるのだ」ということ。レースで「きついなあ」と思いながら、やっているとラクになる。スイムで「泳ぎきれるのか」と不安にかられても「現在、現在」と呪文のごとくつぶやけば、自然と「できる、できる」となっている。足の痙攣を意識しつつも走れている。練習で「今日は走れない」と思っても、身体が温まって調子がでてくることがある。もちろんその逆もある。
    「やっているとこんなことがある。だから始めてみて、続けてみなくてはわからない」ことが面白い。さて、今シーズンはどうなるのか。
    若人よ。年をとっても賢くなるわけではない。いくつになっても、明日のことは「やってみなくてはわからない」のだ。私はそんなふうにトライアスロンと格闘している。
    「Young Soldier」としてトライアスロンを始めて続けていたら、こんなにも多くの仲間ができた。始めたときは考えもしなかった。いくつになっても明日は暗闇である。だから希望でもある。「Young Soldier」は怯えつつ、緊張し、でも続けてきた過去を糧として、明日へのドアを開けるために苦闘する。
    どうも最後は説教臭くなってしまった。これも年相応なのかもしれない。
    なお、「Young Soldier」という言葉は石田礼助から知った。
    今回は時間もかかった。さあ、仕事、仕事!!
    写真は兵馬俑展での兵士たち。おお、友よ!!

  • これはいったい何なのか。長引く風邪、微熱と倦怠感。

    これはいったい何なのか。長引く風邪、微熱と倦怠感。

     今回はまったくの独り言です。

    1月19日以来の風邪から完治できない。微妙な感覚で長引いている。軽い喉の炎症、微熱、ちょっとした寒気、倦怠感、微妙な関節痛、長く寝ても十分な満足感はなく、すぐに眠くなる。熱は毎朝はかっているが、36度を超えると不快感が強い。35.5であればさっぱりと快適となる。今朝は36.3.なんかおかしい。何より、「さあ、トレーニングに行こう」といった気分になれない。今日は快晴。絶好のジョギング日和で、体調がよければすぐにでも走りに出ていると思う。先週の土曜日はスイムのトレーニングに出かけたが、それ以外はまったく身体を動かしていない。
    風邪は長くても2週間で治るという。一昨年から風邪のあとは咳が長引き、咳喘息との診断で、喘息用の薬をのんで対応した。今回もそうかと思っていたのだが、ちょっと違うんだなあ。咳はあまりでない。微熱と倦怠感なのだ。
    ネットでいろいろと調べてみると、「慢性疲労症候群」というものに出会う。
    慢性疲労症候群は、風邪や気管支炎などの病気をきっかけに始まることが多いと言われています。この場合、リンパ節が腫れて痛むなど風邪に似た病気の後に症状が現れます。発熱や鼻水と共に疲労感が始まり、風邪に似た症状が長い期間続くため、休養を取っても改善されないのが特徴です。また、血液検査などの全身の検査を行なっても異常が見つからないとき、慢性疲労症候群が疑われます。
    これを読むと「ああこれだ」となる。
    ただし、よく読むと症状が6か月続き、仕事もできなくなるとか。
    そんな状態ではないが、思い当たることが多いのが気にかかる。

    慢性疲労症候群の治療は、薬物療法が中心に行なわれます。そのなかでも、主になるのは「捕中益気湯」などの漢方薬を用いて、身体の免疫力を高める治療です。そして、体内の活性酸素による細胞の障害を防ぐため、抗酸化作用をもつビタミンCを大量に服用します。
    他にも抗ウイルス薬や免疫調整剤が使われることがあり、これらの投与によって免疫系の回復を目指します。また、うつ病向けの薬が効果を発揮することがあり、抗うつ剤、精神安定剤などが使われることもあります。
    また、内科的な治療による効果がみられない場合、ストレスに対処するための方法を患者と医者が話し合いながら見出していくための、カウンセリングによる治療も行なわれます。
    要は免疫低下とストレス、うつ病といった症候群ということのようだ。これらは相互関係にあり、ストレスは免疫低下の主原因の一つであり、長引く免疫低下はうつ病えの引き金にもなる。
    そこでこのところの状態を振り返ると、思い当たるのは「ストレス」。たしかに正月よりストレスが多かった。私のばあいストレスの原因は仕事とお仕事の金まわりで、ようやくこの数日でトンネルの先が見えつつある状態となった。
    さあ、どうするか。
    大事をとって休息というのが原則とは思うが、もうその状態に飽き飽きしている。なんとか手を打ちたいと思っている。
    さて、どうするか。

    どうするか 風邪に襲われ 自問自答
    はやりどうも、年齢によって、身体の様子が基本的に変わってきているように思うのだ。こうしたことも、いまの自分自身の、あるいは加齢が引き起こす状態の再確認のように思える。身体に耳を傾けつつ、まずその状態を受け入れ、そのなかでできるだけの快適を求めて、自分をコントロールしていきたい。
    そこで今日は、散歩に出かけて様子をみようと思っている。
    歩く速度を変え、身体の反応を確かめる。調子がよければ自然とハーフジョグへと移るのだが、どうだかなあ。
    写真は家の前の江戸川沿い。風も穏やかで素晴らしいコンディションだ。
    風邪の診断でもらったクスリが切れてきたので、週明けも様子が好転しなければクリニックに行ってみよう。

  • 天草をとりやめ。怪我と自己管理、そして残りの人生勘定。

    結局、明日の天草大会は取りやめとした。本来であれば、今日は天草へと向かっているのだが、いつものようにATAの土曜のトレーニング。今日はスイム+ランのプログラムで、ランは約1時間のマイペースでのジョグ。私にとっては久しぶりのランで、右足の痛みに意識を集中しながら、1キロ8分プラスほどのゆっくりとしたペースで走った。それでも最後の10分ほどは足の違和感が軽い痛みへとかわり、「やはり無理だったなあ」の思い。
    そのうえ、月曜の夕方にははずせない打合せが入り、この週末はその準備といった具合で、仕事の都合からすれば「行ける状態ではなかったなあ」。
    でも今日のランでは久しぶりにタップリと汗をかき、指先の静脈まで酸素がいきわたった感覚を久しぶりに味わって気持ちがよかった。私にとってこの感覚はスイムでもバイクでも得られないランならではのものなのだ。
    トレーニングを終えたあとはゆっくりとストレッチング、水風呂で身体を冷やしたが、やはり痛みはあるなあ。さて、どうするか。悪化はしていないようなので、自主錬でもジョグをスタートしていこうと思っている。24日は幕張でのスプリントなので、それに向けて最低限の調整はこなしておかなくてはいけない。
    トライアスロンを始めて変化したことの一つは、自分の身体への意識が高まったこと。気持ちのよい体調とはどのようなものか、身体が躍動する感覚とはどのようなものか、どのように身体は動くのか、あるいは動けないのか。何ができて何かできないのか。そうした肉体との会話が日常に新たな発見と緊張を与えてくれる。好奇心をもって自分の身体を眺めているといったらいいだろうか。
    怪我もその延長で、こんなことをするとこんなことが起こるのか、昨日と今日とでは何かどのように違うのか、また起こらないための管理とはどのようなものなのか、というように肉体との会話もより緊張感を含んだものとなる。怪我はいやなものであるが、これも自己発見の一つとして受入れようと思っている。
    このブログでも何回か書いているが、私にとってトライアスロンは肉体を通した自己発見、自己管理の楽しみという意識が強く、さらにこのブログもそうした発見と管理を言葉をもって形とする試みといえる。
    そこでいきなり話は飛ぶが、最近「50歳になったばかりのつもりでやっていこう」と自分に言い聞かせている。もともと「歳相応」が生活信条で、トライアスロンも歳相応を確かめる行為であるのだが、いきなりの宗旨換えで「50歳になろう」と思いを定めた。「50代をもう一度やりなおしてみよう」という意気込みである。
    私にとっては、年齢とは死ぬまでの残りの年月であり、幾つまで生きるのかはわからないが、生きていくのであれば、70歳、80歳というのは一つの目安である。つまり残り10年、残り20年と考える。
    妻が癌で亡くなったのが58歳で、28歳で結婚したので、30年の歳月を共に生きた。亡くなったときは、「下手をすると同じ30年を生きるのか」と残りの年月の長さを思い、うんざりとした気持ちになったことを覚えている。
    でもいまは「生きていくものならあと20年」と思っており、60歳から20年で80歳ではなく、50歳から70歳までと思いこむ。「人生成り行き」で先のことは考えないできたが、この歳になって、「あと20年」と考えるようになった。
    となると、トライアスロンによる自己発見と自己管理はますます重要になりそうである。
    あと20年でいくつかの仕事を形にする。あと20年で借金を片付ける。あと20年で友人を増やす。あと20年で孫は25歳となる。あと20年はトライアスロンを続ける。ということは20年は元気であるはずだ。20年と考えると心に余裕が生まれてくる。残りの人生をそのように勘定してみる。
    6月に 何かが始まり 夏となる
    燃ゆる木々 心新たに リフレッシュ
    まだまだやることはたくさんありそうだ。
    と思いつつ、健康診断に行ってみなくては。

  • 驚いた! ある女の晩年!

    今日は鹿島槍のTTA合宿についての報告のつもりであったが、私のビジネスパートナーの澤井にすごい話を聞いたので、とにもかくにもそちらの報告。なお、年齢や日付などはうる覚えで正確なものではないので、その点はご了解お願いします。
    澤井さんのお父さんが85歳で亡くなったお葬式が7月18日。澤井さんのお父さんはその父から受け継いだ製缶業を発展させ、製缶業界のトップにもなられた一方、晩年はその会社を畳むといった過酷なプロセスを経験されており、私からみれば、まさに戦後の日本産業発展盛衰史そのもののような印象を受ける方。
    そのお葬式のあと暫くたち、お父さんの妹さんが、83歳で亡くなったというのが、今回のメインのお話。亡くなった妹さんは、もう身体が弱って兄である澤井さんのお父さんの葬式にも出られなかった。また、家族もすでになく、あまり周囲と親しくしてはいなかったようで、澤井さんとしても、父に次いで亡くなったときいても、さて何をしたらいいのか、といった状況であったように聞いている。
    この時点での印象は、83歳で一人さびしく亡くなった市井の老婆の物語。でも、葬式のなかで明らかになってきたのは、まったく違う豊かな人生の物語。
    澤井さんの話によると、妹さんがご主人をなくしたのが、52~3の頃。腎不全で救急車に運ばれ、ほどなく病院で亡くなったのが83歳。約30年の年月の間、彼女は何をしていたのか。そして、誰が救急車を呼んだのか。
    彼女の部屋はビリヤードの試合のカップで埋め尽くされていたという。彼女はご主人を亡くしたあと、どんなきっかけがあったか、ビリヤードを始め、それを楽しみとし、腕をあげ、数多くの大会で優勝するまでとなった。60歳、70歳、80歳の女性ハスラーなんて、素敵じゃないか。
    そして彼女を救急車に連絡したのは、彼女のボーイフレンドで、彼は最後まで、彼女をみとったという。親戚のだれもそのボーイフレンドの存在は知らなかった。澤井さんのいうところ、彼女より2歳ほど年長の普通のおじいさんであったという。彼女と最後を看取ったボーイフレンドはどこで出会ったのか。わからないけど、きっと玉突き場だよね。そして彼は最後まで彼女のそばにいた。
    それだけだはない。彼女は俳句の会にも入っており、亡くなる一週間前に、彼女の辞世の句が俳句の会で発表されたという。辞世四句のうち、一句は、地元にできる東京スカイツリーを読み込んだものであったという。きっと83歳の彼女は死を前にしても、「現代」を見ていた。まさに映画にあるような人生ではないか。
    この話を聞いて、最近たまたま見たテレビ番組を思い出した。それは終戦記念日の記念番組でビートたけしが出ていた。おまり覚えてはいないが、そこでは次のような女性の一生が描かれていた。
    戦前に浅草で踊り子になり家族を支えるが、男運に恵まれず男子を出産するも生き別れ。その後戦争となり、戦後はストリッパーから、身体をうるまでに身を落とし、いまは見る人もなく、意識不明で一人ベッドに横たわる。生き別れた息子はその後成功して政治家となるが、入院の費用は出しても、一度も見舞いに来たことはない、というもの。
    このテレビ番組では、そうした「女の一生」をひとつの典型として描いたわけだが、私がテレビを見たときの印象は「作り物人生の不自然さ、不愉快さ」であった。いかにもありそうなパーツを集めて、ホイっと投げ出したようないびつな物語。そうした一生を送った人はいないとは言わないが、テレビで「典型例」として示すには、「あざといなあ」というのが私の印象。
    一方、おそらくテレビの不幸な女性と同じ年頃の、誰も知らなかった、澤井さんの叔母の晩年の豊かさとリアリティはどうだろう。
    澤井さんと話したのは、それは特殊なものではないということ。普通の名も無き人は、このような形でそれぞれに、形こそ違え、豊かな人生を過ごしている、これが人の世であるということなのだ。
    それはマスコミがとりあげるようなものではない。事件もない。すべてがひっそりと落ち着いているため、誰も気がつかない。だからこそ、二人の間には誰も触れることのない世界が育っていく。
    彼女の人生は、56歳で妻を亡くし、トライアスロンに向かい、下手な俳句もどきに向かっている私への大きな指針となる。私は彼女に仲間を見つけた思いがした。
    だからといって、いま、私がガールフレンドを求めているわけでもないが。
    夏の暮れ 落日の火に 足を見る
    鈴虫の 鳴く声耳に 残る日を
    今日はとてもいい話を聞いたので、皆さんに、ぜひ、お伝えしたかった。
    この驚きと、人生の歓びを、分かち合いたかった。

  • 身体の老化、二つのパーティ

    現在NTT関東病院のカフェでこれを書いている。何かを注文すると30分インターネットが自由に使えるサービスで、いかにもNTTの病院らしい。
    いまは昼休みで午後から「レーザー網膜光凝固手術」を受ける。以前は左目でこの手術を受けたが、今日の検査で右目にもその症状が見られるということで、手術となった。手術といっても30分程度のもので、今日は16時からの打ち合わせにもそのまま出席の予定。
    今日は朝から整形外科と眼科の検査。整形外科は右肩の痛みで通っていたが、だいぶよくなり、これで定期的な通院はいったん中止となった。メデタシメデタシなのだが、肩とは別に右のアキレス腱を痛めていることを訴えると、「アキレス腱も歳とともに衰えていくから。同じことをやっていても痛みが出たりする」とのこと。そうかあ、歳かあ。
    次に眼科。現在通っている病気の症状は「飛蚊症」というもので、その名のとおり、目に蚊が飛んでいるような、ゴミが浮いているような景色が見える。風景が平板な状況であるプールでの水泳時には特によく見える。
    これは目のなかの硝子体というものが「年齢のために」萎縮し、網膜からはがれることで血がでて、そうした症状になるとのこと。
    なんだ、気がついてみれば今日は肩も目も「老化」の治療であったわけだ。
    確実に老化が進んでいる。そしてこの老化の速度はどんどんと速くなる。
    では、私にとって「老化」と「トライアスロン」との関係は何かに思いをいたす。
    「老化」を食い止めたり、「老化」の速度を遅くすることをトライアスロンに求めているわけではない。
    いつまでも元気でいたいためにトライアスロンを始めたわけでもない。
    まずそのことに気がつく。
    むしろトライアスロンを続けていくことで、精神も肉体も、よりリアルに、確かに、指先で触るように「老化」を感じること。それを期待したい。「老化」を避けるのでも、老化と闘う「アンチエイジング」でもない。トライアスロンを通して、自らの「老化」をゆったりと眺め、いとおしむようでありたい。
    今日は「老化」と診断されたことで、トライアスロンの、そして日々を楽しむことの心構えがひとつできたような気がする。これは思いがけないことで、嬉しい驚きだ。
    話は変わって、先週はアスロニアの忘年会、東京トライアスロンアカデミーの渋谷・南行徳共同の打ち上げ会と2つのパーティがあった。二つとも楽しませていただいたが、特に感じるのは「皆さん若い。私の子供たちと同じくらい」という、これまた「年齢」の心境。そうした仲間に加わるには、正直、多少の引け目も感じるが、そうした席に仲間として参加できることを、これからも楽しんでいきたい。
    色づいて 落ち行く枯葉に 我が身を重ね
    老いていく 身をいとおしむ 秋の暮れ
    そろそろ受付にいかなくてはならない。
    麻酔の点眼を受けてレーザー手術だ。